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青色魚

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第二章・破『英雄幻想』

第二章35『鎖』

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 ──腹が、いてぇ、オマケに身体全体が嘘みたいに寒い。

「うおぉぉぉ!」

 また振り下ろされた『新種』の攻撃をその氷の手と超反応によって防ぎながら、フレボーグは心の中で呟く。

 ──ひょっとして、防寒具に穴が空いたのか? ……道理で寒いはずだ。

 そうして押さえるフレボーグの腹からは未だ出血が目立つ。翔を庇う際に受けた『新種』からの傷は思っていたよりも深く、『新種』との戦闘を始めてから十分弱、その痛みは次第に増していた。

 ──寒い、寒い。身体は寒いのに、頭はバカみたいに熱い。

 フレボーグの身体はもう死人のように冷たくなっていた。しかし未だその心臓は拍動を続け身体に血液を回し、その脳は送られてきた血液を使いその『超反応』を起こしていく。

 フレボーグの脳は無意識的に脳と右手アイスハンズ以外への血液の供給を抑えているようだった。それは確かに合理的な判断だったと言える。現状『新種』からフレボーグが生き残る術は、その『超反応』と氷の手という盾を使い、『新種』の攻撃を一撃でも多く防ぐことしかなかったからであった。

 ──集中しろ。一瞬でも油断したらられる。

 そう改めて気を引き締めて、フレボーグは目の前の獣に向かって再び吠える。

「うおぉぉぉ!」

 その雄叫びが雪原に響く頃、その戦場から少し離れたところで、翔は一人立ち止まっていた。

 ──なん……だ、これ……? 身体が、重い……っ!

 翔が盲目したのは自らの足に絡みついた幾多の『鎖』であった。もちろん実際にその雪原にそんな人工物はあるはずがなく、それは翔の感じた幻影イメージに過ぎなかった。しかしそれは、幻にしてはあまりに重々しく、翔の踏み出そうとする足を引き止めていた。

 ──ふざ……けんじゃねぇ……! ただでさえ俺のせいでこんな状況になってんだ。

 翔はその幻影の鎖に苛立っていた。もっともその苛立ちは、先程までの自らのあまりに自己中心的な行動に対してのものであったのだったが。

 翔がその状況に苛立っているのも無理はなかった。それまでの戦闘で出た傷病人は、皆全て翔の勝手な行動スタンドプレーによるものだったからだ。『新種』の跡を一人で追った翔を庇いランバートは戦闘不能になり、撤退命令を聞かず戦闘を続けた翔を庇ってヒロが倒れ、そして今、自らの力を過信した結果翔は憧れの先輩フレボーグすら死に追いやろうとしている。

 翔はそれらの行動が全て、意図して実行に移したものにしろそうでないにしろ、到底許されるものではないと分かっていた。どれほど言い訳を積み重ねても、翔が三人の先輩に怪我を負わせたことには間違いなかったからだった。翔は自らの行動に対し罪の意識を持っていた。持っていたからこそ、翔はその『鎖』に囚われなかった。

 ──この状況はみんな俺のせいだ。、これ以上遠征隊みんなに迷惑をかける訳には、いかないんだよ!

 翔はその鎖の幻想を無理やり引きちぎり、一歩雪原に足を踏み出す。その前方にはヒロの身体を背負いあげようとしている元二がいた。現状翔を含めた動ける遠征隊員のすべきことはただ一つ。怪我を負った二人の隊員を基地に連れ帰り、一刻も早くこの戦場に戻ることだった。

「……すいません、隊長。手伝います!」

 瞬時に状況を理解した翔は、そう言いヒロを一人で運ぼうとしている元二を手伝わんとする。日々の鍛錬で鍛えられた身体を持つ元二と翔の二人をもってしても、遠征隊一の巨漢であるヒロを運ぶのはそう容易くはなかった。何とか力を合わせてその身体を持ち上げてから、元二は翔に通信を繋いで言った。

「……頭は冷えたようだな。だったら良い。たっぷりお説教もしてやりたいが、まずはランとヒロを基地に連れ帰ってからだ」

 その元二の言葉に小さく頷いて、翔は再びその足を踏み出してその場から離れようとする。

「──っ!」

 が、その直後翔はバランスを崩し雪原に倒れ込んだ。翔が信じられない顔で自らの足を見ると、そこには再び『鎖』が巻き付いていた。

 ──っ! 何で!? 罪悪感だとか何だとかは、もう振り払ったはずだ!

 翔を引き止めるその『鎖』は先程翔が引きちぎった。引きちぎったはずであった。しかしその『鎖』は以前と変わらず、否、以前よりも強固に翔の足に絡み付いていた。

 ──また、取っ払わねぇと……! 急がないと、ビー先輩の犠牲まで無駄に……!

 そうして立ち上がり前に進まん逃げようとする翔の足には一本、また一本と『鎖』が絡み付いていく。そしてその翔の踏み出す足を止めんとするように、どこからか翔の耳に聞いたことのある言葉が響いた。

『……だったら、僕のことを助けてくれよ英雄ヒーロー!』

 その声を聞いた時、その懐かしいキラの声を聞いた時、翔は理解した。

 ──ああ、そうか。

 翔は改めてその足に絡み付いた、実在しない『鎖』を見る。その声を聞いた時、翔は瞬時にその『鎖』の正体に気付いていた。

『そう……ですね。カケル兄ちゃんは英雄ヒーローでしたもんね』

『最近、頑張ってるな。凄いと思うぞ。この調子で頑張れ!』

『……お疲れさん、カッコよかったぜ? 英雄ヒーロー

『……ですが、でしたら、あなたも覚悟を決めてくださいね』

『……大言壮語はもっと実力付けてから言うんだな』

『本当にすまないな、カケル』

『……無事に、帰ってきてくれますよね?』

『……楽しみにしてますよ、カケル』

 その『鎖』に触れる度に聞こえてくるそれらの声は、翔にとって聞き慣れたものばかりだ。だが、聞き慣れた仲間の声であるのに、信頼する仲間の言葉だというのに、それらはあまりに翔の心に強く突き刺さった。

 それもそのはず。翔は、それらの発言の全てに対して、重圧プレッシャーを感じていたからであった。

 ──この『鎖』は、遠征隊みんなが俺にかけた期待の言葉だ。この重さは、遠征隊みんなが俺にかけた期待の重さだ。

 翔は改めて、自らの足に絡み付いたその『鎖』を見てそう心の中で呟く。その戦局から撤退しようとする時に、戦場から逃げようとする時に、翔の足を止めたのは他でもないその『鎖』、翔の仲間が翔にかけた期待という重圧であったのだ。

 勿論それらの言葉を発した彼らには、翔に過度の期待をかけるつもりなどなく気軽にそれらを口にしたのだろう。しかし一つ一つでは期待のタスキと美化できる期待の重さも、それらが束になってたった一人の青年にのしかかった時、それは相手を縛って逃がさない鋼鉄の『鎖』というと成り果てていた。

 ──つまり、この『呪い』は俺自身が俺にかけたもの、ってことか。

 つまりは翔はのだった。それもその成功というものが、自らの力が大部分を占める訳ではなく、運や謎の力、そして仲間に恵まれていたことが要因になっていたことも理由であった。過度な実績が身に覚えのない期待を産み、そしてそれらの重さが自らを縛り付ける。もっと頑張らなければいけない、絶対に成功しなければいけない、と。

 ──ああ、そっか。

 その事実に気付いた時、翔はもう一つなにかに気付いたようになってそう嘆息した。まるで、自分の中に生まれかけていた何かを諦めたかのように。

 ──俺は今まで、自分の格好カッコばっか気にして、『失敗』しないことだけを目指して。ただただ、周りの期待を裏切らないように、表面を取り繕ってただけだったんだな。

 その翔の気付きが翔のそれまでの全ての成功体験を打ち崩すまで、そう長くかからなかった。

 ──思えば俺は、

 そしてその気付きは、翔の積み上げられた自信を崩壊させるだけでなく、その内面にまで侵食していった。

 ──そっか。ああ……

 そうして呆然と虚空を見つめる翔の鼓膜を何かを叫ぶ元二の声が揺らしたが、その信号は翔の脳にまでは届かない。翔の頭の中は、その時一つの考えに囚われていたからであった。

 ──俺、かっこ悪いな。

 それは自らが『英雄ヒーロー』ではないと気付いた青年の、この上なく情けない自己嫌悪であった。
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