上 下
25 / 65
彼side

9 ニセモノでもいいから ※

しおりを挟む
「———は?今度の土曜?」

委員会に向かう廊下を歩きながらパックの牛乳を飲んでいた俺は言った。

昼休み後半に臨時学級委員会があるとは知らず、山林と学食に向かっていたら、佐藤から呼び止められた。

昼ごはんは食べられなさそうなので、途中の自販機でとりあえず牛乳を買った。

2人で多目的室に移動。

委員会は唯一、二人で堂々と居られる口実だ。

「何で佐藤ん家行かないといけないんだよ」

何でそんな事になってんの?

「それが…」

佐藤の話では、この前の土曜日に外泊したのを姉から咎められ、すぐ家に連れて来て紹介するように命じられたらしい。

…だから何であの時あんな変な嘘つくかな。

友達ん家で通せば良かったじゃん。

「何で俺が彼氏のフリしなくちゃなんないの」

本物の彼氏にしてくれるなら二つ返事で行くけど、フリって複雑。

そして本物の彼氏でもないのに、家族からあんなヤツやめとけって言われたらどうすんの。

付き合う前から障害増えるばっかりじゃん。

「他に頼める人いないんだもん…。数時間フリしてくれるだけでいいから」

「ふーん、フリねぇ」

俺は牛乳パックを飲みきって潰した。

廊下のゴミ箱の横を通り過ぎながら投げる。

カコン、と入った。

「いいけど一回嘘ついたら、ずっとつき続けないといけなくなるよ。自分で自分の首絞める前に白状したら?大体、家に呼んでヤるような年上のヤツがいんでしょ。ソイツに頼んでみたら。これがきっかけに進展するかもよ」

ちょっと意地悪な心が湧いてきて言ってやった。

あっちの包容力があって大人のヤツとはどうなってんだ。

俺とは定期的にエッチしてるのに、あれからその数々の技を実践したとは聞かない。

大体、嘘つくのはおすすめしない。

なんで頑なに彼氏がいると見栄をはるか分かんないが、正直に話すのが賢明。

「…お願い。何でもするから半日だけ付き合って」

「何でも?」

縋るような目に思わず反応。

本当に何でもしてくれんの?

本当の本当に?

俺は口元に手を持っていって考える素振りをした。

「えー、どうしようかなー、なにやってもらおうかなー」

俺を好きになってよ。

そのおっさんなんてやめて、俺を本当の彼氏にしてよ。

言いたいけど言えない。

本気で告白しても、笑い飛ばされるのがオチだ。

チャラい芸人の真似をしながら告白をするならキャラ的にアリだけど、それだと信じてもらえない。

———結局この前やったゲームのアイテムを譲ってくれる事で話がついた。

あれから佐藤もハマってたびたびオンラインゲームで一緒に戦ってる。

本当は俺、それ持ってるけどね。

それは内緒の話。



———土曜当日。

学校は半日授業だったので、駅から電車で佐藤ん家の最寄り駅まで行って、待ち合わせることにした。

学校の最寄り駅から一緒に電車に乗って行ったらいいじゃんと言ったら、人に見られるからイヤとまた言われた。

それ毎回地味に傷つくから。

大体人に物を頼むヤツの態度か?

とりあえず了承。


が、学校の近くの駅の改札の手前で、見た事ある二人にあった。

「敦史、珍しいね。何でこっち?」

「電車でどっか行くの?」

友海と和幸。
元カノと俺の友達。

そういやこの二人も電車通学だった。

ちょうど帰るとこか。

二人でいるとこ見ても、もう心は痛まないのは佐藤のおかげかな。

「K駅までちょっと」

ちょっとどころの用事じゃないけど。

今からニセモノの彼女の家まで、挨拶に行くという重大なミッションが待っている。

「オレらも今から帰るところ。何分の電車?」

次の電車の時刻を知らせる電光掲示板を見ると同じ電車だった。

「…」

まぁ、佐藤とは向こうの駅で落ち合うからいいか。

この二人には適当に本屋に行くと言った。

三人で並んで立っていると、友海が何かに気づいて手を振った。

見ると佐藤がビックリして立っている。

「さっきそこで敦史に会って」

和幸が佐藤に説明している。

友海まで
「K駅まで行くって言うから一緒にっていってたところ」と続けた。「私たちもビックリしてたの、電車通じゃないのに駅いるから」

いや、佐藤がビックリしてるのはそうじゃない。

後で怒られそう。

まぁ、でも電車の本数も車両数も限られてるから、そりゃ誰かしらに会ってもおかしくないよな。

「希望も5分の電車?」

「そ、そう!」

「何買うの?」

いきなりクル、と振り向いた友海から聞かれとっさに「参考書」と答えた。

我ながらすぐ反応できた。

怪しまれてない。

ただすぐ隣の佐藤の視線が怖いけど。

電車が来たので四人で乗り込み、入り口あたりに立つ。

俺の右に佐藤。左に和幸。
その向こうに友海。

友海が和幸に話しかけるのを見て、改めて身を引いて良かったなと思う。

あの時はちょっと辛かったけど、今二人が幸せそうで良かった。

堂々と二人で一緒に下校して電車に乗って帰る。
そんな当たり前の事が出来る2人がいいなと思った。

羨ましい。

俺は佐藤の隣にいるためには理由が必要。

委員会とか、学活で議題について一緒に前で進行したり、行事のメンバー決めとか。

…学級委員関係しかないじゃん。

堂々と手を繋いだり、喋ったり、出かけたりする事も嫌がられる。

なのにニセモノの彼氏役しろとか言うし。

訳わかんね。

まず、その27のおっさんの存在もあるし、微妙な関係のソイツと別れるか諦めるかしたとしても、俺が佐藤と相思相愛になったり付き合う事なんてほぼ不可能じゃないだろうか。

そこまで考えてたらめっちゃ暗くなった。

その時、隣で「…あ」という佐藤の声が聞こえた。

佐藤を見る。

「アンタ、ネクタイしてないじゃない」

言われて首元を触る。

「あ、ホントだ」

佐藤から昨日彼氏として挨拶しに来るからには、制服はちゃんと違反せずに着て来いと言われた。

着崩さず、ネクタイもちゃんとしめて、袖も捲らず、ブレザーのボタンを留めて。

子供かっつーの。

まぁ、それで結局ネクタイ忘れて来てたら世話ないわな。

しかも靴下は指定のじゃないし。

そこだけは譲れない。

「学校置いて来たかも」

三限の体育の後、いつもの癖でつけるのを多分忘れた。

「えっ、ちょっと取り行ってよ」

「え、もういいじゃん、この際」

二人で言ってると、和幸がこっちを見て
「もう帰るのにネクタイいる?」
と聞いて来た。

「行くの本屋さんでしょ?」
と友海からもキョトンとした顔で聞かれ、困って佐藤の顔を見る。

「証明写真!」

佐藤がデカい声出したのでちょっとビビった。

「撮るんでしょ、写真。久住くん、ネクタイ今日だけ貸して!」

もう、何でそこまでやんの。

まぁ、やるからにはご家族には気に入られたいけども。

和幸が貸してくれる事になったネクタイを片手に、これからのミッションのめんどくささを痛感していた。


———駅でなんとか友海達をまいた。

なんかめっちゃ振り回されてるな。

俺はやや疲れていた。

「な?嘘つくと後が大変だろ」

「…回り道して帰ろ」

佐藤が俺の制服の袖を引っ張った。

別ルートがあるらしい。

「なんか買ってく?手土産とか何も持って来てないんだけど」

まぁ今更だけど聞いた。

「学校帰りだし、いいんじゃない。今まで持ってった事あんの?」

「彼女ん家とか行った事ないもん」

ちょっと佐藤が変な顔した。

ていうか、俺は彼女、友海しかいた事ないからね。

まぁ、三ヶ月だけだったから、彼女のお宅訪問は叶わなかった。

彼女ん家行くとか普通、なかなかそんな経験ないでしょ。

「夕方お寿司とってるって言ってたし、何も要らないと思う。食べて帰るよね?」

佐藤がそのまま歩き続ける。

「イエイ、お寿司」

俺は普通に喜んだ。

「オレ、トロとウニとイクラが好き」

内心、ちょっと緊張はしていたけど、大人相手にするのは結構平気。

東京ではずっと優等生だったし、今のバイト先でも社員には気にいられてる自信あるし。

バイト先のガソリンスタンド。
高校卒業して進路決まんなかったら社員になってもいいよ、と言われた。

でも俺には有名企業に入って年収500万以上稼ぐ野望があるので、丁重にお断りした。

そのためには大学には進学したい。

今すぐ大人にはなれないけど、そのうち27歳の社会人の給料に並ぶ自信はある。

「うちのお母さん、結構神経質で口うるさいから、なんかイヤな事言うかも。もし言ったらごめん」

あぁ、お母さんそういうタイプね。

まぁ、佐藤の真面目さを見てるとそんな気はした。

この髪の時点で減点対象だろうけど、年上女性への接し方も結構得意。

爽やかに礼儀正しくいこう。

「オッケー、オッケー、大丈夫。ちゃんと礼儀正しくカンッペキな『彼氏』するから」

任しとけ。

「…」

佐藤のこの目。

信用してねーな。

お前、ちょいちょい失礼だからな。

そんな顔するなら俺に頼むなよ。

って和幸に頼んでもらってもやだな。

アイツだったら、彼女の親に気にいられるのは目に見えている。


あ、あと聞いといた方がいい事。

「ねーちゃんは?いくつ上なんだっけ」

「8こ上。25」

「結構離れてんね」

「でも、年齢より幼いというか、振れ幅すごいというか…まぁ会ったら分かるよ」

ふーん、幼い?
しっかりしてる佐藤と逆のタイプ?

俺は兄弟とか姉妹いないから、ねーちゃんってどんな関係でどんな感じかピンとこない。

「あとお父さんは今日仕事でいない」

「あ、そうなの?ま、ラスボスは今日はいないなら、とりあえずお母さんとおねーちゃんを攻略すればいいわけね」

今日はとりあえず一番の難関はお母さんか。

ねーちゃんは大丈夫そう。

そこで佐藤が気づいたように言った。

「ね、名字呼び捨てって付き合ってるのにおかしいかな」

「じゃあ今日だけ名前で呼びあう?希望」

下の名前は知ってる。

佐藤が赤くなる。

「…」

言わない。

言えよ、そこは。

お前の番だろ、というように指で示す。

もしかして俺の名前知らない?

ま、いつも小林呼ばわりだもんな。
と思ってるとか細い声。

「あ…つし…」

声、ちっさ!

いつも男子を罵倒してる威勢はどこいったんだよ。

でも意外。
俺の下の名前知ってたんだ。

「おいおい、そんなんで大丈夫かよ」

照れ隠しでポケットに手を突っ込む。

破壊力、やばい。

今日だけの僕の彼女が超かわいいんですけど。


その時、佐藤のスマホが鳴った。

誰だろ?

「もしもし」
歩きながら喋る。

「え、何で」
と立ち止まる。

なんかあった?

「え、家に誰もいないの?もうすぐ着くよ」

誰もいない?

行っても意味なくない?
と思ってると佐藤が息を飲んだ。

…どした?

様子がおかしい。

「ねーちゃん?いないの?」

俺は隣で声かけた。

ちょうど目の前の家の表札が目に止まる。

佐藤と書いてある。

…もしかして、佐藤ん家ここ?

「…」

佐藤が呆然として、ゆっくりと俺の顔を見上げる。

何か緊急事態?

「…あのね」

佐藤が口を開きかけた時、佐藤と表札の掲げた家の玄関がガチャ、と開いたので反射的にそちらに目を向ける。

「あ、希望ちゃんおかえり」

厳しいお母さんが出て来ると思っていた俺はポケットからすぐ手を出した。

中から出てきたのは、男性だった。

最初お父さんかと思った。

が、若い。 

30手前くらい?

「なんか話し声が聞こえるなと思って」

落ち着いた優しい雰囲気の男性。

年齢と名前の呼び方からして、お父さんではない。

俺は怪訝に思いつつも
「こんにちは」
とすぐ頭を下げた。

ねーちゃんしかいないんじゃなかったっけ?
にいちゃん?親戚?

「…こんにちは。結夢からも聞いてるけど、どうぞ上がってもらって」

その男性は俺を上から下まで一瞥したのが視線の行方で分かった。

優しそうな人だけど、なんか感じ悪いな。

歓迎されてない。

肌で感じとった。

大人の心の奥底の反応はすぐわかる。

ずっと父親の顔色を伺って育ってきたのと、この髪のせいもあって第一印象が毎回悪いので、長年培ってきた無駄な勘。

男性は玄関を開けっ放しのまま、また入って行った。

「…誰?」

俺は佐藤の耳元で聞いた。




「———その制服は希望ちゃんと同じH高?」

リビングに通されると意外にもにこやかにその男性は聞いて来た。

でも表情は穏やかだけど、上辺だけっぽい。

値踏みされてる。

営業職かな。

ちょっと高そうな服。

スマートな対応。

身なりはきちっとしてる。

ネクタイ、和幸から借りといて良かったかもしれない。

佐藤は誰だか教えてくれなかった。

ていうか佐藤は黙ったまま。

普通に出入りしてる事からこの家の関係者ということだけは明確。

俺は短く、はい、とだけ答えた。

俺は佐藤に目線を寄越した。

誰だよ、コイツ。

ニセモノの彼氏役頼むなら、ちゃんとデータくれよ。

「えっと…」

そこでようやく佐藤がいつもより高い声で
「同じクラスの小林…くんです」
と俺を紹介した。

ひっくりかえりそうな声。

佐藤の方が緊張してそうだ。

大丈夫か?

軽く頭を下げる。

「こちらは…お姉ちゃんの、彼氏というか、今度結婚する相川…貴典さん」

あぁ。
理解した。

ねーちゃんが今度結婚する彼氏か。

いや、結婚決まってるなら婚約者?

俺はホッとした。

警戒していた緊張がとかれる。

初めまして、と挨拶をする。

佐藤は相川さんに午前中仕事だったんですか、と聞いている。

なるほど、もう家族ぐるみの付き合いなんだな。

どうぞ、と相川さんに促されてソファーに座ろうとした。

その瞬間、佐藤が
「小林!…くん、待って。私ジュース持ってくから上にあがろ」
と言った。

バタバタと台所の冷蔵庫を開け出す。

え、リビングで待っとくんじゃないの?

ねーちゃんたち帰ってくるまで。

部屋行っていいの?

初めて入る事になる佐藤の部屋。

是非見たい。

だけど練習したにも関わらず、苗字呼び。

まぁ、呼び捨てじゃないだけまだマシか。

佐藤は冷蔵庫からジュースを用意している。

相川さんは上に上がると言っている佐藤の話を聞いていたのか聞いていないのか、自分はソファーに腰かけた。

「学校はどう?まだ鮫島先生とかいるのかな」

にこやかに俺に話しかけてくる。

鮫島?

俺は一瞬分からなくて、返事に詰まった。

佐藤が台所から
「あ、お姉ちゃんと貴典さんもうちの高校出身だから…」
と説明した。

あ、なるほどね、先輩か。

ていうか、ねーちゃんも卒業生?

「まだいますよ」

俺は物理の先生を思い出した。

多分定年は過ぎているけど、臨時職員でずっと教えてくれている先生だ。

「まだいるんだ。僕らの時から白髪でヨボヨボのおじいちゃんだったけど」

何歳になるんだろうね、と相川さんが笑う。

何か嘘くさいと言うか、貼り付けたみたいな笑顔。

「物理の仙人みたいな先生っすよね。通ってたの何年前ですか?」

共通の話を提供してもらったのだから、そこから話題を広げる。

大人と話すのは得意。

受験では時事問題も出るから、日頃からニュースもきちんと見てる。

佐藤のお父さんがどんな人か分からなかったので、今日はある程度なら経済や政治の話も分かるように気をつけてチェックしてきた。

目の前にいるこの手の人も自分が日本の経済の一部を担っている自覚があるから、きっとそういう話をし出したら長い。

間が持てないなら、そういう話に持って行って、教えてもらうテイで尊敬の眼差しで聞いてたら時間潰せるかなと思っていた。

と、俺が余裕でいられたのもそこまでだった。

「10年前くらいかな。僕が27だから」

相川さんが答えた。

…27?

27歳という年齢に聞き覚えがあった。

その時、台所から派手な音がした。

「大丈夫?希望ちゃん」

パッと相川さんがソファーから立ち上がる。

佐藤が慌てて
「だ、大丈夫です。割れてないから」
とマグカップを拾って見せた。

蛇口を捻って水の音がする。

「…」

俺は佐藤を見た。

明らかに様子がおかしい。

27歳?

まさか。

そんな偶然ある?

俺は一つの仮説を考えた。

それを証明するべく、目の前の男性に視線を戻した。

27歳。大卒としたら入社5年目。

身につけている時計は高そうだ。

シャツもセンスいいし、シワなんてない。

玄関にあったこの男性の物っぽい靴も高そうだった。

あの靴から外で客と接する機会のある仕事。

大人の余裕と言えば聞こえがいいが、自分のステータスに自信が溢れているのが分かる。

給料が高いか。弁護士やコンサルなどの職業か。

雰囲気から医師ではなさそう。

服からいって、クセは強くないから実業家とか自営業の社長ではない。

大企業に勤めてる営業か。

俺も注意深く見ているせいか、警戒されたらしい。

「背高いよね。何か部活やってるの」
などと会話が向こう主導で進んでいく。

話上手な感じからこれは喋る職業か営業だな。

探りを入れるのを諦め、タイミングを見計らって、聞いた。

「…相川さん、でしたよね。どこに勤めてるんですか」

俺は職業は聞かず、もう単刀直入に会社名を聞いた。

初対面で年下が社名を聞くのは失礼なのかもしれない。

小さい会社なら名前を知らないだろうという卑屈な意識から多分、社名は言わない。

大企業に勤めているなら今まで言うと相手が知ってることがほとんどなので、おそらく自慢げにすんなり話してくれる。

その時は高校生らしくバカっぽく
「すげー」「大企業じゃないっすかー」
とテンション高めに言っとけばいい。

まさかあの有名な会社なわけがない。

そんな偶然がゴロゴロその辺に転がっているわけがない。

違ってくれ。

知りたいとずっと思っていた佐藤の好きな相手をこんな形で知るなんて望んでない。

「僕?M商事だけど」

設問1問目ですぐ答えが出た。

「…」

実際にはすげー、とテンション高めには言えなかった。

俺はゆっくりと佐藤の方を振り返った。

佐藤の表情からそれが正解なのは確かだった。

…マジか。

何で?

何でこんな事になっている?

佐藤の初体験の相手がねーちゃんの婚約者?

こんなヤツとまたやる時のため上手くなりたくて、俺の事利用してんの?

口を開こうとする。

声を発する前に、佐藤がそれを遮るように大きめの声で言った。

「ジュース!持って行くね」

コップ2つとペットボトルを持って行こうとする。
「上に…」

「希望」

俺はあえて堂々と名前で呼んだ。

ニセモノだけど、今日は俺が彼氏だ。

手を出す。

「コップの方貸して。俺が持ってく」

出来るだけ平静を装ったつもりだった。

だけど保てなかった。

まだまだ俺はガキだ。

コイツみたいに、初体験を奪った子の彼氏に平然と笑顔を向ける余裕はない。

「…」

佐藤が黙ってコップを渡して階段の方を案内する。

「すいません、2階上がらせてもらいます」

俺は軽く会釈した。

通り過ぎる間際、ソイツをじっと見つめる。

オイ、おっさん…何やってんだよ。

アンタ、もういい歳した大人だろ?

物の分別くらいつくんだろ?
俺ら高校生よりも。

目で殺せるなら殺したい。

人を殺したいと思ったのは自分の父親以来だ。

早足で佐藤の後に続いて階段を上がった。


部屋に入ると、俺はコップをミニテーブルに置いた。

スッキリした部屋をイメージしていたが、思ったよりも女の子らしい部屋だった。

次女、しかも末っ子で大事に育てられた感じがする。

俺は無言でベットに腰掛けてカバンを下ろした。

佐藤を見つめる。

…なぁ、お前何考えてんだよ?

あんなヤツと恋愛をするために俺とエッチしてんの?

目を逸らしたまま、沈黙を打ち破るように佐藤が口を開いた。

「…お姉ちゃんたち、病院行ってるから終わったら戻るって」

カバンを置いて、俺とは視線が合わない。

そのまま床の方に同じ方向を向いて座った。

ペットボトルをコップの横に置く。

聞きたい事はそんな事じゃない。

ぐるぐるといろんな考えが頭の中を巡る。

「なぁ」

俺はベットから床に降りて、佐藤の横に座り直した。

「佐藤の初体験ってあいつ?」

あぐらをかいて頬杖をついて隣の佐藤を見つめた。

違うと言ってくれ。

ただの偶然と。

だけど、そんな事そうそうあるわけない。

大企業とはいえ、27歳の男性社員が一体何人いんだよ。

しかも知り合いって。

「…」

佐藤は答えない。



前もこんなことがあった。

泣いて駅まで来た日。

涙の理由を聞いても答えなかった。

あの日、ねーちゃんの結婚する相手との両家顔合わせと言っていた。

初体験は家。
家族がいない隙に。

家族にニセモノの彼氏を即席でも作って紹介したいのはバレかけているのか。

はたまたアイツに嫉妬させたいか。

始まりからずっと俺は利用されてばかりか。

分からなかった佐藤の今までの行動が、パズルのようにハマっていく感じがした。

…そりゃあ、二回目、手を出すのは躊躇するわけだ。
恋人の妹なら、…過ちなら一回で十分だ。

セックスが上手くなったとして、寝とれるかどうかは別だ。

俺も言葉がすぐ出なかった。

代わりに頭をかいてため息をついた。

ため息をつけば、それがきっかけとなり堰き止めていた言葉が溢れ出した。

「…マジかよ。馬鹿じゃね?お前」

本当に馬鹿だよ。

「よりによって、ねーちゃんの結婚相手とか…姉妹丼じゃん」

わざと下世話な言い方をした。

世間一般の価値観を教えたかった。

アイツのやってる事はそう言う事だよ、って。

…そんな事が本当にあるのか。

「やめとけよ、諦めろ」

思わず語尾が強くなる。

「…諦められるならとっくに諦めてる」

「だーかーらー。ねーちゃんの旦那になるって事はお前にとったら義理の兄で、向こうからしたら義理の妹だろ?結婚したあとも一生付き合いが続く相手に手を出す時点でおかしい。やめとけって。ロクなヤツじゃない」

ヒラヒラと手を振る仕草をする。

「それは私が頼んだから」

「頼まれたからしょうがない?しょうがなく恋人の妹に手出すの?そんなヤツがいいの?」

昼ドラかよ、と続けた。

そんなのドラマの世界だけで十分だ。


以前、佐藤にヤツの好きなところを聞いた時優しいところと言った。

違う。

あの優しさは上辺だけだ。

本当の優しさはそういう事じゃない。

「断らないのは優しさじゃない。10コも上の大人がお前だけに罪悪感を押し付けて、素知らぬ顔して黙ってねーちゃんと結婚する奴が本当に優しいか?しかも妹の初体験奪っといて?お前、バッカじゃね。一回目ぇ覚ませ、アホ」

何のために毎日勉強してんだよ。

これから社会に出て、自分の力で生きていくための勉強だろ。

稼いで生活をするためというのと同時に、善悪の区別を自分でできるようになって、ひとりの大人として責任を持って生きていくためだ。

お前、責任とれんのかよ。

こんな状況。

なぁ、佐藤。クラスで二番目に頭いいんだろ?

いいも悪いも、そんなん考えなくてもすぐ分かんないのかよ。


相手の好きなところを大人の余裕、包容力とも言った。

違う。

あれは大人の余裕じゃなくてズルさだ。

包容力なんて全然ない、見せかけだ。

1人の相手も大切に出来ず、他の女———しかも婚約者の妹に手を出すヤツのどこに包容力があるっていうんだ。

大人の嘘に騙されてるだけだ。


それまで俯いた佐藤がようやく言葉を発した。

「何でアンタにそこまで言われなきゃいけないのよ…」

泣いてはいないが、声が震えている。

「あんただって友海のこと忘れてないじゃない」

…友海?

何で今ここで友海が出てくるんだ?

「知ってるよ、まだ友海の事が好きな事くらい。女々しいったらない。見ていてウンザリする!あんただって全然諦めてないじゃない!…アンタなら分かってくれると思ったのに」

…なんだ、それ。

「…いつ、俺がまだ好きっつったよ。…もう別れてる」

「いつも見てるじゃない。久住くんとも友達しながら、未練タラタラの顔してずっと見ていてアンタこそバカじゃないの」

なんのこと?

俺が今、好きなのは———いや、今告白したところで振られるのは目に見えている。

今じゃない。

間違っても今じゃない。

感情的になって最悪の事態に陥るのは避けなければいけない。

ため息をつく。

ちょっと冷静になった方がいい。

「…あのなぁ、今おれの話、関係なくない?」

「話逸らさないでよ!人にあれこれ言うくらいなら、あんたも綺麗さっぱり諦めてみなさいよ!」

俺を睨む。

何を誤解しているのか知らないが、こんな時でも佐藤のその猫みたいな目は好きだなと思った。

その時、階下でインターホンが聞こえた。

アイツが出たんだろう。

対応している声が聞こえる。

どれだけ話しても平行線だ。

俺が佐藤を好きなように、佐藤もアイツの事がどうしても好きなんだ。

「…俺が諦めるって言ったら佐藤も諦めんの?」

「…」

その時、下から
「希望ちゃん」
と呼ぶ声がした。

トントンを階段を上がってくる音がする。

見るとドアは隙間が開いている。

しっかり閉まっていなかった。

「お寿司届いたんだけど———希望ちゃん?」

声が近づく。

佐藤が立ち上がりかけた時、俺は佐藤に向かって手を伸ばした。

後頭部に手を回して引き寄せる。

無防備な佐藤は抵抗する間もなく、その唇が触れる。

「…んっ」

佐藤が固まる。

俺は気にせず、その舌をねじ込んだ。

好きな子とする初めてのキスは大切にしたい。

だけど、そんな風に優しくする余裕がなかった。

何のために俺は今まで遠慮して我慢してたんだよ。

佐藤が俺の肩を押し返そうとする。

絶対離さない。

「今お寿司届いたんだけど結夢達あと一時間以上かかるらしいから—」

そこで足音が止まった。

ドアは俺の背後だから見えない。
でも気配はする。

「…」

唇を離す。

俺は身体を起こし、ドアの方をゆっくりと振り返った。

「…俺、もう少ししたら帰るんで、寿司要らないっす」

低い声で言う。

俺はアンタみたいに大人じゃないから取り繕う事はできない。

だけどやっていい事と悪いことくらいは分かるよ。

おっさん、覚えとけよ。

虚勢と思われてもいい。

俺はその目を精一杯睨んだ。

一瞬目が合ったのち
「あ…あぁわかった」
と言って階段を降りていく。

俺はゆっくりと振り返った。

ベッドに寄りかかっていた佐藤は床にずり落ちている。

その目は俺を睨んでいる。

何で俺にニセモノの彼氏なんか頼むんだよ。

なぁ、佐藤。

今日俺にバレなかったら、姉の婚約者を寝取れるまでずっと好きでもない俺とやり続けるつもりだったのかよ。

純粋に高学歴高収入の大人の男に恋をしてるんだと思っていた。

いつか自分も張り合えるくらいの大人の男にになれるのを目標にして、佐藤を振り向かせようと思っていた。

そうとも知らず俺は…。

恋に浮かれた一番のとんだ大バカもんは俺だ。

俺は制服のジャケットを脱いだ。

「…」

佐藤が俺の様子を見ている。

俺はそのまま馬乗りになった。

「やろうよ」

佐藤を逃がさないように両手を床について見下ろす。

「…何言ってんの。ここウチ…下にも」

「いいじゃん、聞こえても。ねーちゃん達帰ってくるの一時間後だろ。それまでには終わらせる」

「やだ…」

うしろに後ずさる。

俺はその手を掴んだ。

「希望」

そうだ、ニセモノでも今の彼氏は俺だ。

何か言おうとしている口をもう一度俺の唇で塞ぐ。

その唇で俺の事も名前で呼んでよ。

犯したいんじゃない。

恋人みたいなキスがしたい。

恋人みたいに抱き合いたい。

優しく触れる。

「んっ…」

一瞬佐藤は抵抗したが、すぐ大人しくなる。

佐藤の喜ぶところは知っている。

出来るだけ優しく触る。

しばらく続けたあと、パンツの中に手を入れた。

部屋の中に水音が響き渡る。

こんな状況でもすぐ濡れる佐藤に興奮を覚えつつも、下にアイツがいるという有り得ない状況がそうさせているのなら軽蔑が混じったどす黒い何かがお腹の底から上がってくるようだった。

「…っ」

佐藤が首を振って、口を押さえる。

「いいよ、いっぱい声出してよ」

アイツに聞かせようよ。

「……ん」

いつもみたいにかわいい声。

なのに俺の下半身は全然反応しない。

もっと乱れたらいい。

我慢出来ないくらい大きな声を出させたい。

「ちょっと…待って…イッちゃう…やめて…」

しばらく続けた後、限界なのか佐藤が唇の隙間から力なく呟いてフルフルと首を振った。

「いいよ、イッて」

また佐藤にキスしながら、床の上で抱きしめた。

佐藤の中を指で掻き回し、巧みに動かす。

すげーな、いつもより濡れてんじゃん…。

こんなに淫乱にしてるのは俺か、アイツの存在か。

俺の舌も佐藤の口内を掻き回す。

ギュッと目を瞑っている。

「んっ…んっ…んんー…っ!」

口を塞いだまま声にならない悲鳴をあげて佐藤がイッた———。



「…」

佐藤が乱れた制服を整えている。

佐藤がイったあとは無言でいつものように拭いて、シャツのボタンを留めてあげた。

入れる気にならなかった。

その証拠に全然勃たなかった。

犯したも同然の、自分のやった事に対して佐藤への罪悪感と下にいるアイツに対する優越感。

最低だ。

俺はしてはいけない事をした。

多分声は聞こえた。

グルグルといろんな事が頭の中を回る。

分からないことを考えるのは好きだ。

好きなはずだった。

だけど今は何も考えたくない。

吐き気がする。

「…俺帰るわ。下まで送って」

俺はカバンを掴んで立ち上がった。

「…」

佐藤は動かない。

俺は片手を出した。

「希望」
敢えて下の名前で呼んだ。

呼んでも座ったまま。

「行くよ?俺一人で降りて、アイツになんか言ってもいいの」

今一人で降りて行ったら間違いなく殴る。

強制わいせつに暴行、あっという間に少年Aの出来上がり。

最悪だ。

俺だってクラスで1番頭いいのに、毎日勉強してるのに、物事の分別さえついてないじゃないか。

佐藤が俯いたままゆっくりと立ち上がって、俺の手を取った。

俺はギュッと握り返した。

それでも動かないので、俺はその手を引っ張って階段を降りた。

俺の顔すら見ない。

下に降りるとドアからリビングに向かって
「お邪魔しましたぁー。帰ります」
と声をかけた。

出来るだけはっきりと、堂々と大きい声で。

顔には出さない。

もう大丈夫。

大人というのが何事もなかったかのように取り繕えるのなら、俺もそうしてやる。

リビングでアイツが立ち上がるのが見えたが、玄関の方にすぐ移動した。

「あ…あぁ、気をつけて」
と言う声が聞こえた。

佐藤も何も言わない。

「また学校で」
俺は玄関に腰かけて靴を履いた。

その時、玄関の鍵がガチャガチャと開いた。

「ただいまー!あっ間に合った。お母さーん」

ドアを開けていきなり女性が入ってきた。

外に向かって呼びかける。

そして俺と目が合った。

「あっ、のんちゃんの彼氏!?」

ねーちゃんか。

似ていない。

佐藤が猫系なら、ねーちゃんはチワワ?

俺はすぐ立ち上がった。

「すいません、留守中にお邪魔してました」頭を下げた。

「あらあら、ごめんなさいね、遅くなって」

後ろから40代くらいの女性が入ってくる。

佐藤とよく似てる。

この人がお母さんか。

俺はもう一度頭を下げた。

「佐藤さんとお付き合いをさせてもらってる同じクラスの小林と言います。今日は用事があるので帰ります。良かったらまた呼んでください」

顔を上げる。

また、があるのかどうか分からないが。

俺はドアのところに立っている佐藤のお母さんにすれ違いざまに
「失礼します」
とペコっと頭を下げてそのまま玄関を出た。


ニセモノの彼氏役なんて引き受けなきゃ良かった。

佐藤ん家なんて来なきゃ良かった。

俺は駅までの帰り道、
「クソ…!」
と一人で呟いた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

裏切りの代償『美咲と直人の禁断の約束』

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:1

【完結】王太子妃の初恋

恋愛 / 完結 24h.ポイント:205pt お気に入り:2,566

【R18】吐息で狂うアルゴリズム

恋愛 / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:102

記憶をなくしたあなたへ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:511pt お気に入り:896

影の王宮

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:502

死相

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

【完結】ひとり焼肉が好きなひと。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:3

赤毛の不人気令嬢は俺様王様に寵愛される!?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:157

天明草子 ~たとえば意知が死ななかったら~

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:7

処理中です...