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彼女Side
12 五十センチの距離と私の家族構成
しおりを挟む「え?今度の土曜?」
朝ごはんの最中。
食卓で注いでいたその牛乳パックを滑り落としそうになった。
ギリギリひっくり返す前にちゃんと掴む。
ドキドキドキドキと心臓が鳴り響く。
「そう、この前言ったけど開けておいてね」
お母さんの言葉に、私は口を尖らせた。
「そんなの聞いてないよ」
「言ったわよ。ホラ、だいぶ前…委員会で珍しく7時過ぎて帰って来た時あったじゃない」
小林と初めてやった日だ。
あの日は疲れていたのといろんな出来事に頭が追いついてなくて、上の空だった気がする。
何よりもお母さんに気づかれたくなくて、お風呂沸いてるわよ、と言われ、汗だくの体操服も早く脱ぎたくてそのままお風呂場に直行した。
食べる事大好きな私が珍しく夕飯を何食べたのかさえもよく覚えていない。
「もう、のんちゃんったら。忘れず来てね。両家の顔合わせって言っても簡単なものだから」
お姉ちゃんがニコニコしながら、言う。
「Mホテルの中にある美味しいお店でご飯食べられるよ」
お店の名前は有名な割烹料理店だった。
ご飯で喜ぶほど、私は子供じゃない。
…洋食より断然和食派だけど。
「…別に私が行かなくてもいいんじゃないの」
「ダメよ、貴典さんのところも弟さん来るし」
お母さんが口を挟んだ。
「…その日友達と遊ぶ約束してたんだけど」
「ダメ、大事な用事なんだからそっちは断って来なさい」
お母さんがピシャリと言った。
ダメか…。
その後何度か理由をつけて言ってみたが、全部却下だった。
「…」
お姉ちゃんと貴典さんの結婚前の両家顔合わせなんて行きたくない。
簡易的なものって言っていたけど、知らない家の人たちとご飯食べて何が楽しいんだか。
何よりもお姉ちゃんと貴典さんの幸せそうな顔なんて見たくない。
———
『土曜日昼ヒマ?』
ダメ元で小林に聞いてみた。
しばらくして既読がつき、『その日バイト』と返信があった。
小林は大体レスが早い。
アイツしょっちゅうスマホいじってんじゃないだろうか。
休み時間も音楽聞いてるか、山林達と対戦ゲームをしている。
『5時過ぎからならあいてるけど』
5時じゃ遅い。
顔合わせの会食は12時からだからもう終わっている。
『ならいい』
私は短く返信した。
その時、後ろから
「おはよー小林ー」
と男子の声が聞こえた。
ドキっとしたが振り返らなかった。
スマホをひっくり返して机の上に伏せる。
背後で話し声がする。
やっぱり小林の声はすぐ分かる。
今日はそんなに眠たげではない。
朝の割にはテンションは低くはない。
「はよ」
しばらくして、小林が後ろから私の席を通り過ぎる時に言った。
「…おはよ」私は顔は見ずにぶっきらぼうに言った。
教室では用事がなければあまり喋らない。
委員は一緒だし、出席番号も席も前後だから、なんだかんだで接点や話さなければならない事は結構あるんだけど。
こんな関係になる前はしょっちゅうテストの出来で小林が振り返ってちょっかいをかけて来てたけど、私が学校では話しかけるなと言ってから、委員関係以外は話しかけてこない。
この前の片っ端から妊娠させる発言から久々。
カバンを横にかけ、椅子をひいて座る。
小林にしては珍しく遅刻じゃない。
クラスの半分以上はもうすでに来ていて、あちこちで笑い声や話し声が聞こえる。
その背中が目の前を塞ぐ。
「…」
何をしているのか真後ろからは見えない。
予鈴まであと5分という時に、スマホがメッセージ通知を知らせるためピカッと一回光った。
学校ではマナーモードにしている。
待ち受け時に通知がチラつくのも鬱陶しいので、ポップアップ通知はしていない。
わざわざアプリを開いて確認した。
見ると小林からだった。
『なんか用事?』
50センチの距離に居るのに、スマホの電波を介して喋る。
電波の無駄遣いだけど、今の私達にはこれくらいの距離がちょうどいい。
素肌で触れ合っていてもそこに恋心や愛はない。
私は貴典さんとまた出来る日の為上達すべく。彼は単なる性欲処理のため。お互いにメリットがあるから、薄いゴムを介して週に二日その行為に没頭する仲。
「…」
私は無言でささっと人差し指だけで入力して紙飛行機のマークをタップした。
『なんでもない』
送った直後に前の方からピロンと音が鳴る。
マナーモードにしときなさいよ、と内心思った。
スマホを見ている様子だった。
「希望、おはよー!」
その時、後ろから元気な声が聞こえて持っていたスマホを慌ててポケットに入れる。
弘子だ。
「おはよう」
平静を装って答える。
「さっきはごめんね!今度の土曜、大会前だから練習試合入っててさ!」
今言う?
ヒヤッとした。
実は小林にメッセージを送る前にめぼしい友達数人には土曜日遊べないか聞いてみていた。
予定だけ入れて、当日はなんだかんだ理由をつけて行かなければ、もしくは急用が出来たと挨拶だけしてすぐ帰ればいいと思ったのだ。
現実は今週だからいきなりは誰も空いてなかった。
「ううん、いいの。気にしないで」
私は横に来た弘子に早く話を終わらせようと答えた。
その時小林がくるっと弘子の方を見た。
「はよ、町田」
横を向いて左肘が私の机の上にのる。
学校では最近は滅多に絡んで来なかったのでドキっとする。
振り返るな。
そして私の机に肘のせるな。
内心のドキドキを悟られないようにいつもの学校での仮面を顔に貼り付ける。
「あっ、おはよ、小林くん」
「何。試合あんの」
私には話しかけず、身体ごと左の方を向けて弘子に話しかける。
左肘で頬杖をついている。
その少ししか見えない横顔を睨んだ。
「そう、新人戦前の練習試合がね」
「ふーん」
小林が相槌を打つ。
「気合い入ってんだよねー、今年から入ってきた外部コーチが」
そこまで言うと、弘子がくるっと私の方を向いた。
「だからさ、ごめんね。まっ、土曜そんなに行くの嫌ならすっぽかしちゃえばいいじゃん!」
弘子にはお姉ちゃんの両家顔合わせに行きたくない事までは話していた。
まさか貴典さんとのことは言えないから参加するのが面倒くさいとか、母親が張り切って買ったワンピースを着ていくのが嫌だとか適当な理由を言って。
「すっぽかす?なんかあんの?」
そこで初めて小林が私を見た。
ややこしくなるからアンタは話に入って来ないで欲しい。
いつものように文句を言おうとしたが、机を挟んですぐ前にいる小林の顔を見て、最中の甘い声や我慢している顔が思い出されて、言葉に詰まった。
思い出して興奮するなんて欲求不満か、私は。
何も答えない私の代わりに弘子が
「お姉ちゃんが結婚するから、両家顔合わせがあんだって」
と口を挟んだ。
「リョーケ顔合わせ?…あぁ結納の簡易版みたいなやつ?」
ちょっと違うけど、私は面倒くさいので訂正しなかった。
「なんで?行けばいいじゃん。行きたくないの?」
「行きたくないって言うか…」
コイツには微妙に初体験の相手のことを知られているから、それがお姉ちゃんの旦那さんになる人だとは気付かれたくないし、知られたくない。
そこで弘子がにやりと笑った。
「希望はシスコンだから、ホントはお姉ちゃんが結婚して家出ちゃうのが寂しくって仕方ないんだよねー!」
「そ、それはない!着ていくワンピースが恥ずかしくってやだっつったでしょ!」
慌てて否定した。
予鈴が鳴り響く。
ざわざわとしていたクラスのみんなが席に戻り出す。
弘子も席に戻っていった。
しかし小林は後ろを向いたまま。
「ていうか、ねーちゃんいたんだ?佐藤」
気にするの、そこ?
そんなんどーでもいいから前向いてよ。
朝のSHR始まっちゃうじゃない。
朝読書用の本はすでに私の机の上にある。
話を終わらせるため、渋々
「いるけど」
とだけ短く答えた。
そういや言ってなかった気がする。
ていうか、別にわざわざ小林に家族構成なんて言わない。
付き合ってるわけじゃないし。
私はどうせ火・金の女だ。
「何?」
まだ何か言いたげな小林に、はよ前向けと手で追い払う仕草をした。
学校では関わってくるな。
担任のしばむーが前の扉を開けて入ってくるのが分かった。
「佐藤のねーちゃんて美人?」
小林は相変わらず後ろを向いたまま聞いてくる。
まだ少しざわついているが、みんなほとんど席に着いている。
「は?」
私は小林の顔を見た。
まさか年上も守備範囲なんだろうか。
小林が何か言いかけた時、しばむーが教卓ですぐ近くの小林に向かって
「オイ小林、前向け~」
と言った。
「何やってんだ、お前号令係だろうが。はよ号令かけろ」
今年は小林が委員長なので、毎回号令を言う係だ。
そこで小林がようやく前を向いた。
しかし
「佐藤のねーちゃんがおっぱいでかいか聞いてましたー」
と大声で答えた。
「!!」
なっ、何をコイツ言い出すの。
クラス中、特に男子が大声で笑った。
ホントにコイツはどんだけおっぱいが好きなんだ。
女子も笑ってはいるが
「小林サイテー」
と口々に言われている。
私は恥ずかしくなって後ろからその背中をどついた。
「いてっ」
しばむーが呆れる。
「…お前なぁ、社会に出たらその発言はセクハラでクビだぞ。ホラ号令!」
「ヘーイ。きりーつ」
めんどくさそうに小林が言った。
もうホントなんなの、コイツ。
その後も小林のせいで、男子数人から「なぁ、佐藤の姉ちゃん何カップ?」
という質問を受けるという辱めを受けた。
アイツ絶対に許さん。
その週は火曜と金曜に小林から『うち寄る?』というメッセージが届いたが、全部スルーした。
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