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愛猫日記
彼のリベンジ、彼のヤキモチ⑩
しおりを挟む翌朝。
朝食の席で、真白はいたって爽やかだった。
昨日の妙な態度など欠片も残っておらず、以前と変わらない態度で、コーヒーをすする孝一の前にサラダとトーストとオムレツを並べていく。
(以前と変わらない――?)
いや、それも正しくない気がする。
前よりも軽やかというか明るいというか、地に足が着いている感じというか。
とにかく、何かが違っているような気がした。
食事を並べ終えた真白が席に着き、彼女の様子を窺う孝一には気付かず自分の分を食べ始める。
あまりに『普通』だから孝一も何も言えず、トーストを手に取り若干やけ気味に齧った。
朝のひと時はいつも通りに和やかに過ぎ、いつも通りに家を出る孝一をいつも通りに真白が見送りに来る。
「じゃあ、行ってくる」
そう言ってドアノブに手をかけて――孝一は止まった。
振り返ると、真白が首をかしげて彼を見上げてくる。
「どうかした? 忘れ物?」
屈託なくそう訊いてくる真白にキスをしたくなったけれど、今すべきはそれではない。
孝一は小さく咳払いをして、ためらいがちに問いかける。
「あぁ、その……身体、大丈夫か?」
「身体?」
「昨日、ほら、痛くないか?」
きょとんと目を丸くした真白にそう言うと、彼女は「ああ」という顔になり、そしてニコリと笑った。下腹に手を当てながら。
「ちょっと、痛い」
過去形ではなく現在形かよ、と、孝一はいっそう落ち込む。
結局、昨晩の真白は達しなかったのだ。
真白が望んだことだったとはいえ、彼女を喜ばせることなく、孝一だけが、快楽を貪った。
これまでの人生のほぼ半分の年月でそれなりの数の女を抱いてきたが、相手を置き去りにして自分だけが満足を得たのは、昨晩が初めてだった。
これは、へこむ。
「悪かった」
ぼそりとそう残し、孝一は肩を落としてまたドアへ向き直り、部屋を出ようとした。
が。
キュッと背中にしがみ付いてきた温もりに、身体が固まる。
「シロ……?」
「昨日は、させたくないことさせて、ごめんね。コウはつらかった?」
――『コウは』。
その言い方では、真白の方はつらくなかったかのように聞こえるではないか。
孝一は振り返り、真白を抱き締め返す。
「違う。俺は――」
つらくなかった、とは言えない。
身体は頭がおかしくなりそうなほどの快楽で痺れていても、真白に苦痛を与えていることはつらかった。
「お前こそ、苦しかっただろう?」
玄関の段差で今の二人には身長差があまりないから、孝一は少し頭を下げるだけで真白の頭に頬を寄せることができる。彼女の耳元に囁きながら、孝一は腕に力を込めた。
真白といると、時々――しばしば自分を制御できなくなるのが、つらい。
小さくため息をこぼした孝一の背中に、真白の手が回る。彼の胸に頬をすり寄せた彼女が微かに笑ったのが、伝わってきた。
「苦しくなんか、なかったよ」
「だけど――」
「確かに、ちょっと痛かった」
「……」
真白の率直な言葉に、孝一は言葉もない。だが、無言の彼に彼女は更に続ける。
「だけど、あれは、わたしに必要なことだったの。コウに、ああしてもらう必要があったの」
「必要?」
繰り返した孝一に、真白は彼の腕の中から見上げてコクリと頷いた。
「そう。だから、ありがとう。――あ、ほら、時間。遅れるよ」
真白の声で時計を見れば、いつも家を出る時間を十五分ばかり過ぎている。ヒョイと離れた彼女は、やっぱりいつも通りにニコリと笑った。
「気を付けて、行ってらっしゃい」
それは、とても晴れやかな笑顔で。
狐につままれたような気持ちになったが、孝一は釣られて笑みを浮かべてしまう。
「行ってきます」
さしあたって、真白は可愛い。彼女が良いと言うなら、良いのだ。
「真白」
名前を呼ぶと、彼女は「何?」と言いたげに見つめ返してくる。
「愛してる」
ポイ、と投げるように、だけど心の底からの想いで、そう告げた。
真白はパチリと一つ瞬きをして、笑う。
同じ言葉は返してくれなかったが、その笑顔が何よりも雄弁に彼女の気持ちを表していた。
「行ってくる」
孝一は真白の頬にキスを一つ残し、変わらぬ日々を送る為にドアを開けた。
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