捨て猫を拾った日

トウリン

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愛猫日記

彼のリベンジ、彼のヤキモチ⑥

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 真っ先に我に返ったのは篠原しのはらだ。

 唐突に現れさっさと去って行った男の背中を呆然と見送っていた彼女がクルリと振り返り、ガッと大に掴みかかった。
「ちょ……っと、アレ誰!? すっごいカッコいいじゃん。真白ましろって、呼び捨てだったけど、あの子のお兄さんとか? あれ、でも、あの子って家族……」
 篠原は立て続けに疑問符を発し、最後はもごもごと言葉を濁す。高校では真白が児童養護施設で暮らしているということは周知の事実だったけれど、職場では知られていない。流石に、篠原もそれを言いふらすほど軽率ではないらしい。
 あの男――佐々木幸一ささきこういちとやらは、多分『廃病院』に入るつもりだろう。真白を探しに。

「オレも行ってきます」
「え、どこに」
 篠原同様、孝一の姿を目で追っていた竹原が、今度は大にその目を向ける。彼は親指で背後の『廃病院』を指して、答えた。
「この中ですよ」
「でも、二回続けての入場はできませんって、書いてあるよ?」
 パンフレットの注意書きを指差しながらそう言ったのは篠原だ。
「事情を話せば……」
「でも、あの人がもう行ったじゃない。探すにしたって二人は要らないでしょうし、まだそんなに時間経ってないし、係の人だって許可してくれないよ」
 ずばずばと指摘する篠原に、大はグッと返事に詰まる。

 悔しいが、彼女の言う通りだ。
 もどかしさで拳を握り締めた大に、清水が首をかしげる。
「五十嵐君はあの人の事知ってるの?」
 孝一の方は完全に大をスルーしていたけれど、大の方があげた声を彼女はちゃんと聞きとどめていたらしい。

 大は孝一のことはろくに知りはしない。だが、彼と真白との関係は、知っていた。
 答えたくはない。以前に耳にした『事実』を自分の口から言葉にしたくはないが――この奇妙な状況を打開する為には、答えなくてはならないのだろう。

 大は渋々自分が知る唯一の答えを口にする。
「あの人は、大月さんの婚約者らしいですよ」
「ええッ?」
 素っ頓狂な声をあげたのは篠原だ。
 大は苦々しい声で付け加える。
「『自称』、だよ『自称』。大月さんからは、そんなふうに聞いたことはないけど。彼はそう言ってた」
「でも、じゃあ、大月さんはあの人のこと好きなわけ?」
 あからさまに嬉しそうに、篠原が言う。

(彼女があいつのことを好きか、だって?)
 真白からは何度も彼女自身の想いを聞かされてはいるが、素直にはいそうですかと受け入れるのは、大にはまだ無理だった。
「さぁな」
 投げやりに肩をすくめる大に、篠原は食い下がる。
「だって、婚約者なんでしょ? 結婚前提のお付き合いってヤツでしょ?」

 ああ、そうだよ。
 ヤツは真白にぞっこんで、真白もヤツに心を丸々明け渡している。
 真白は、ヤツになら彼女を抱き締めさせるし、彼女もヤツには縋り付くんだ。
 そんなこと、ずっと前にわかっていた。これ以上はないというほどに見せ付けられて、今日またダメ押しを食らった。

(それでも、足掻きたいんだから、足掻かずにはいられないんだから、仕方がないだろ)
 ギュッと歯を食いしばった大に、篠原の声のトーンが落ちる。

「……大月さんも、あのヒトのこと、好きなんだ?」
 今度は、疑問の形をした確認で。
「だから、何だよ?」
「勝ち目、ないんじゃない?」
 篠原が、大の腕に手を伸ばしながらそっとそう言った。
 見てくれ良くて、金があって、オトナで、包容力があって――何より、真白の気持ちはアイツにしか向いていない。

 確かに、勝ち目なんて皆無だ。

 だけど。

「俺のことを好きになってくれないからって、サックリ他に目を向けられるほど簡単なもんじゃないんだよ」
 むっつりと答えた大の服の袖を握っていた篠原の手に、キュッと力がこもった。俯いた彼女のつむじが、見える。
「ああ、うん……そうだよね。好きっていうのは、やめようとおもってやめられるもんじゃないよね」
 掻き消えそうなその呟きに、大の胸がチクリと痛んだ。

 篠原の気持ちが誰に向けられているのか、判らないほど鈍い大ではない。
 けれど、やっぱり、真白の想いが孝一にしか向けられていないからと言って真白のことを好きな気持ちは少しも褪せないし、篠原が彼のことを好いてくれているからと言って、彼女のことを女の子として好きになれるわけでもない。

 ごめん。

 その一言が口からこぼれそうになるのを、大は呑み込む。
 謝るようなことではないし、篠原だって、多分謝って欲しくなどないだろう。
 周囲には明るい喧騒と楽しげな音楽が溢れているのに、この場の空気だけがズシリと重くなったように感じられた。

 それを、竹原ののんびりとした声が吹き払う。
「まあ、色々難しいよねぇ。で、どうする? もう解散にする? 大月さんを待つ?」
 答えは判っているだろうに、彼はわざわざそう訊いてきた。清水と中野は、今の篠原と大の遣り取りなどまるで耳に入っていなかったかのように、澄ましている。
「大月さんを、待ちましょう」

 みんなで。

「了解」
 竹原は小さく頷き、ニコリと笑った。
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