捨て猫を拾った日

トウリン

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愛猫日記

彼のオイタと彼女のシット②

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 取り敢えず最後に試着した服をそのまま着させて、それまで身に着けていた服は店に処分させた。元の服を返してもらえないと知った時の真白ましろの顔を思い出して、孝一こういちはにやりとする。

 他の服が届いたら、今の奴は全部捨ててやる。いや、届く前に、捨ててしまえ。

 孝一がそう心に決めた時、先に店を出ていた真白がパッと振り向いた。ムッと唇を尖らせているところを見ると、少々お怒りのようだ。

「コゥ――」
 口を開きかけた彼女の機先を制して、孝一はニッコリと笑いかけた。
「それ、似合ってる」 
 彼の笑顔とその一言に毒気を抜かれたように、真白が固まる。言いかけの『コウ』の形で口を少し開けたままふわりと頬が赤く染まって、何とも言えず可愛らしい。

 彼女が身に着けているのは、淡い水色のワンピースだ。あまり飾りのないシンプルなもので、身頃は胸のすぐ下で絞られているが、そこから先は二重になったスカートがふわりと広がっている。スカート部分の上の一枚は至極薄い生地でできているようで、ちょっとした風にもふわりと揺れた。
 少し丸く膨らんだ作りになっている半袖から伸びている腕はまだまだ細くて、孝一は、やっぱりもっと太らせてやらないといけないなと改めて思う。

(しかし、それにしても……)
 孝一はしげしげと目の前に立つ真白を見下ろした。そうして、彼女が少し戸惑いを見せるほどに、頭のてっぺんからつま先まで、視線を往復させる。
 色が白くて華奢な真白がそういう服を着ると、さながら西洋人形のようだった。顔立ちもどこか日本人離れしているし、髪の色も淡く、特にこうやって陽の光の下で見ると透けるような栗色に見える。

(もしかして、親のどちらかは日本人じゃないのかもしれないな)
 孝一はぼんやりとそう思った。

 真白は生まれてすぐにコインロッカーに捨てられていたから、母親のことも父親のことも判らない。
 真白の口から親に対する恨みや怒りや寂しさがこぼされることはない。確かに恨みつらみはないのだろうが、産みの親の仕打ちは、はっきりと彼女に傷跡を残している。明言されなくとも、特に出逢った頃の真白を見ていれば、彼らの行為が彼女にどんな影響を及ぼしたのかは充分に見て取れた。

 孝一自身は真っ当な親に育てられたから、彼女の境遇に対する真白の気持ちは理解できない。
 親は子どもを守り育むもの。
 そんな『当たり前』のことを、与えられないということがどんなものなのか。
 あまりに当たり前に自然に受け取っていたから、それが無い状態というものを想像もできないのだ。

 推察することはできる。

 どんなに孤独だったのか。
 どんなに不安だったのか。

 けれど、完全に理解することは、きっと難しいのだろう。

 だが、孝一が理解できていないままでも、ゆっくりではあるが確実に、真白は変わりつつあった。
 出会った頃の彼女は全く孝一に頼ろうとしてくれなかったが、最近の彼女は、徐々に孝一に寄り掛かってくれるようになりつつある。
 何ヶ月か前までは、真白がその人形のような態度を崩すのはベッドの中でだけだった。

 しかし、今は違う。

 しょっちゅうではないが隙も見せるし、露わとは程遠いとは言え感情も見せる。
 その変化が、孝一には嬉しくてならなかった。
 真白がうっかり孝一の膝にもたれて眠り込んでしまった時にはたとえどんなに脚が痺れようが何時間でもそのままでいられるし、ちょっとしたことで真白が脹れてそっぽを向いたりするといけないと思いつつもついニヤけてしまうのだ。

 真白が人に頼ろうとしないのは、今まで安心して頼れる相手がいなかったからなのだろう。それが変わってきているということは、孝一を頼るに値する人間だ、信じてもよい人間だと思い始めているからに違いない。
 多分それは「慣れたから」という以上の意味がある筈だ。そうであって欲しいと、孝一は思う。
 真白を包んでいた硬い殻を解くことができるなら、何だってしてやりたいと、孝一は思うのだ。

「ねえ、まさか、他に買ってないよね?」

 不意に声をかけられて、孝一は物思いから引き戻された。瞬きをして、疑い深い目でそう訊いてきた真白を見返す。
 三日後には仰天するだろうなと笑いを噛み殺しつつ、彼はシレッと答える。
「見て判るだろう?」
 そう言って、白々しく両手を広げて何も持っていないことを示してみせた。
 ――実際には結構な量を家に配達するように手配しているのだが。
 真白が試着をしている隙に孝一が物色した服の中で気に入ったものをポンポンレジに持っていっていたから正確な数は把握できていないが、シャツやらスカートやらワンピースやら、少なくともそれぞれ五着ずつは買った筈だ。

 澄ましている孝一を見つめてくる真白の眉間には少し皺が寄っている。彼の言葉を疑っているのは明らかだった。
 突っ込まれる前に、さっさと話題を変えるに限る。孝一はチラリと時計に目を走らせた。
「ぼちぼち昼飯食うか。何がいい?」
 唐突な切り替えに真白は首をかしげるようにして孝一をジトリと睨んできたが、スルーする。
「近くにイタリアンの美味いのがあるからそこにするか」
 そう言って、同意も得ずに真白の腰に腕を回して歩き出した。彼女の脇腹に触れている手に、ため息混じりの大きな吐息が感じられる。どうやら、それ以上追及するのは諦めたようだ。

「そこ、パスタは何があるの?」
 孝一に抱き寄せられたまま足を進める真白が訊いてきた。
 すれ違う人々と彼女がぶつからないように腕に力を込めると、華奢な身体がいっそうピタリと寄り添ってくる。
「色々だ」
 一瞬、昼食などやめて部屋に帰ってしまいたい誘惑に駆られ、気もそぞろに孝一は答える。今朝も散々真白を堪能したというのに、もう欲しくなってきた。
 そんな彼の欲求など気付いていないように、無邪気に真白が笑顔を返してくる。
「味覚えたら、うちでも作ってあげる」
 サラリと、彼女はそう言った。孝一は、ハッと一瞬息を止める。

 何の変哲もない、一言。恋人同士でなくても交わすような、会話。

 何気ないその台詞に、孝一は深い満足感を覚えた。家でも作ると言ってくれたことではなく、二人が寝起きしている場所を、真白が『うち』と呼んだことに。
 胸の内が温かく柔らかなもので満たされたような、心持ちだった。

「ああ……楽しみにしている」
 何かを噛み締めるようにそう答えた孝一を、真白は少し不思議そうな目で見上げてきた。
「どうかした?」
「いや、何でもない」
「そう?」
 孝一は、小さく首をかしげた真白にキスをしたくてたまらなくなる。きつく抱き締めて、いくつも小さなものを降らせて、そして息もさせないくらい深いものを。

 こんな幸福感を彼に与えているという自覚が、真白にはあるのだろうか。
 衝動に駆られて人混みの真っただ中で無分別な行動をしでかしてしまいそうになるのを紛らわせるために、孝一は真白の頭に手を添えて近寄せると、その天辺に口付けた。一つ――いや、二つか三つ。
 その下から、くすぐったそうな忍び笑いが響いてくる。そうして、真白はするりと彼の腕の中から抜け出した。
「ヘンなヒトだと思われるよ」
「変? 何が?」
 ただ、彼女を愛おしいと思う気持ちを表しただけだというのに。
 眉をひそめた孝一に、真白は唇を少し尖らせた。
「ほら、バカップルとか」
 そう言いながら孝一と距離を取ろうとする真白の腕を、彼は手を伸ばして捉える。それを再び引き寄せて彼女のこめかみにキスをして、囁いた。

「別に、俺は構わない。人目があるからと言ってお前に触れずにいるなんて、どこの我慢大会だよ。第一、これでもかなり我慢してやってるんだからな?」
 その瞬間、彼の唇が触れている真白の耳が、パッと熱を帯びる。

 今この場で真っ赤に熟れた果実のようなそこに歯を立てたら、どんな反応を返すのか。
 孝一は試してみたくてならなかったが、かろうじて残っている理性でその欲求を捻じ伏せた。
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