捨て猫を拾った日

トウリン

文字の大きさ
上 下
30 / 70
愛猫日記

彼と彼女と彼④

しおりを挟む
 夕食を終えた憩いのひと時、テレビのチャンネルを適当に変えていた孝一こういちは、視線を感じてその手を止めた。そうして、リモコンを放り出すと隣へと目を移す。

「何か言いたいことでもあるのか?」
 見つめてきていたのは、当然真白ましろだ。今日の彼女はもともと少ない口数を更に減らして、その目で何かを訴えてきていた。
 問い掛けた孝一に、彼女はぱちりと瞬きをする。何でわかったの、と言わんばかりに。

「気付かないわけないだろう? 何なんだ?」
「その……」
 再度問い掛けた孝一に、真白は言い淀む。
 真白が『おねだり』することは滅多にない。物を欲しがるとしたら、必要最低限の日用品がせいぜいだ。物でなければしたいことでもあるのだろうが、前回のそれはアルバイトだった。

(まさか、他にバイトを増やしたいとかじゃないよな?)
 内心で呟き渋面になった孝一に、真白は少し困ったような顔になった。そうして、ようやく切り出す。
「えっと……バイトで、ね、来週の金曜日、ちょっと時間をずらして出て欲しいんだって」
(ずらして?)
 孝一は眉をひそめて確認する。
「延長というわけじゃないのか?」
「あ、うん。来週の金曜日の一日だけ、昼の十二時から夕方の六時までできないかって、店長さんが」
「六時……」
 渋い顔で繰り返した孝一を、真白がすがるような眼差しで覗き込んでくる。
「ダメ?」

 六時という時間は、気に入らない。だが、真白も小学生ではないのだ。ここは不満を呑み込んで許してやるのが大人の対応というものだろう。
 不承不承、心底から不承不承、孝一はそう自分を納得させる。

「その日だけなんだな?」
「うん」
 コクリと頷く真白。並んで座れば、当然彼女の方が孝一を見上げる形になる。
(そのアングルは、卑怯だ)
 決して真白が企んだわけではないのは解かっているが、好きな女に上目遣いでねだるような眼差しを注がれて拒める男がいるものか。
「――わかった」
「いいの?」
 一度目は、若干疑っている声音で返ってくる。
「いいよ。その日だけなら」
 二度目は、パッと彼女の顔が笑顔になった。
「良かった!」
 心の底から嬉しそうなその笑みに、孝一の胸中は少々複雑だった。真白がこれほどあけすけに喜びを見せることは、あまりないからだ。微妙に面白くない気持ちで両腕を開くと、彼女はすぐに彼の胸に飛び込んできた。

「絶対、ダメって言われると思ってた」
 ほぼ断定する真白のその台詞には応えずに、孝一は無言で彼女の背中に回した両手を組んだ。そんな彼の胸に頬をすり寄せて、真白が言う。
「お夕飯はちゃんと作るから。だいじょうぶ、コウには迷惑かけないよ」
「そういう理由で駄目出しするわけじゃないんだけどな」
「え?」
 孝一のボヤキに、彼の胸元から顔を上げた真白が目を丸くする。
(何というか、イマイチ、自分自身が求められてるってことが解かってないんだよな、こいつは)
 孝一は真白の腰の辺りに置いていた手を彼女の頬に移す。彼が顔を寄せれば真白は自然と目を閉じ柔らかな唇を開くけれど、時折、こうやって触れることを彼女が喜んでいるのかどうか、彼の自信が揺らぐことがある。
 抱けば真白に快楽を与えることができているのは、判る。だが、それで彼女を本当に満ち足りさせてやれているのだろうか。
 繰り返し触れるだけのキスから唇を離して、少しトロンとした彼女の目を覗き込む。

「お前は、俺のことが好きだよな?」
「うん、好き。大好き」
 打てば響くように返ってくる言葉は迷いが無さ過ぎて、孝一は逆に不安になる。ただ、彼が発した言葉をおうむ返しにしているだけではなかろうかと思ってしまって。
 弱気な自分は、まるで知らない別人のようだ。
 無意識に苦笑を漏らした孝一に、真白が首をかしげる。
「コウ?」
「何でもないよ」
 そう告げて、孝一は彼女の疑問を払拭するように深々と口づけた。真白の柔らかで滑らかな舌を絡め取り、その裏をなぞる。
「ん、ふぅっ」
 鼻から洩れるような吐息をこぼし、真白の背筋がビクビクと震えた。シャツの中に手を挿し入れて触れた素肌は、しっとりと汗ばんでいる。
「んんッ」
 背骨に沿って撫で上げると、彼女は身をよじって逃げそうになった。孝一は、腰に回したもう一方の手で、それを阻止する。

 ふと、少し真白をいじめてやりたくなった。
「舌、伸ばしてみろよ」
 ほんの少し唇を浮かせてその隙間で囁くと、ボウッとした眼差しで真白が見返してくる。
「え?」
 わずかな戸惑いと共に問い返してきた彼女の上気した頬は、思わず齧りたくなってしまう艶やかさだ。
「舌、伸ばして。お前の望みを聞いてやったんだから、今度は俺の望みを聞いてくれよ」
 真白が恥ずかしがるのは、わかっている。恥ずかしがりながらも彼の言葉に従う姿を見たいと思うのは、悪趣味が過ぎるだろうか。

 待たされたのは、そう長いことではなかった。
 真白が目を伏せ、おずおずと唇の間から舌を覗かせる。

「口も開けて」
 耳に吐息を吹き込むように囁くと、彼女の頬は更に赤みを増した。そうして、孝一が命じたとおりにする。
「上出来」
 小さく笑って、控えめに差し出されたそれを甘噛みした。次の瞬間ビクリと顎を引いた真白に、わざと眉をしかめて見せる。
「駄目だろう?」
「あ……ごめんなさ……」
 真っ赤な顔で謝ろうとする真白の頬に、孝一は背中をなぞっていた手を添える。そうして親指でゆっくりと下唇を辿ってから、そっと唇の間に、そしてさらにその奥に差し入れた。
「ん……」
 親指の腹で舌を弄ぶと、真白の喉から甘い声が漏れる。彼女の腰の上に置いたままの孝一の手に、もどかしげに身じろぎするのが感じられた。

「物足りないか?」
 そう問うと、恥ずかしげに目を伏せる。
「答えないなら、何もやらないよ。……俺が欲しい?」
 真白の口の中のやわらかさを味わうように指を動かしながら、額を触れ合わせて孝一はもう一度問う。その額が、微かに上下した。
 彼は立ち上がりながら片手を真白の腿の後ろに滑らせて、殆ど肩に担ぐようにして抱き上げる。そうしてリビングの灯りを消すと、寝室へと向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

【完結】お世話になりました

こな
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

処理中です...