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決着
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省吾は不意に止んだ弾雨に、内心首を傾げた。
ややして、軽い足音が響く。それはあの男のものでは在り得なかった。
数歩で止んだそれを確かめようと、省吾は柱の陰からわずかに身を乗り出した。そして見えたものに、一瞬呼吸が止まる。広間のほぼ中央に立っていたのは、彼女だった。
「お前、キーツ! 彼女を下がらせろ!」
だが、省吾の怒声に対して返された台詞は、まさに彼の血を全て噴き出させかねないものだった。
「お前が代わりにそこに立てばな。そろそろ互いに弾の無駄遣いだろう? 終わりにしようや。あと五つ数える間にお前がその柱の陰から出てこなければ、イチの右足を撃つ。更に五つ数えても出てこなければ、今度は左足だ。どうだ?」
「無駄なことだろ!? 彼女は銃の弾なんて簡単に防げる筈だ」
「ひとーつ。ああ、普通はな。ふたーつ。だが、俺がやるなと言えば、やらん。みーっつ──」
「彼女はあんたの味方じゃないのか!?」
殆ど血を吐くような省吾の声に、キーツは嘲笑を返した。
「ああ。大事な大事な、俺の取って置きだ。だから、撃った後にすぐ治療してやるよ。よーっつ。……さあ、どうする?」
考える余裕は、無かった。
「いつー……っと、出てきたか」
省吾は、姿の見えないキーツの声がする方向を睨みつけながらゆっくりと中央に歩き出る。
「いい心掛けだな。まあ、女の子に怪我させるわけにゃ、いかねぇもんな」
気配で、省吾は自分に照準がぴたりと合っていることを察する。
かちりと、撃鉄の上がる音が微かに響いた。
人形のように佇んでいる少女から、できるだけ離れる。
全神経を耳に集中し、その時を待った。
最初の銃声。
省吾は、被弾覚悟でその銃声がした方向へ全弾を撃ち尽くす。あとは、相手の放った弾が自分の身体に食い込むのを待つだけだった。が、すぐに訪れる筈のそれは、優に一秒を数えた後でも感じられない。
省吾は両目を開け、そこにあるものを視界に収め、驚きの為に更に目を見開いた。
「止まって、る……?」
指先で突付いても、数十発はあるそれらは微動だにしなかった。
「あんたが、やったのか……?」
他にこんなことができる者がいるわけが無い。省吾は少女を振り返った。と、同時に、弾丸が床に転がる甲高い音が続く。
「何てこった」
いささか間抜けな声を上げ、キーツが柱の陰から姿を現した。彼が隠れていた柱には、省吾が撃った無数の弾丸が小孔を穿っている。そして、銃を手にしている方の腕には、赤い液体が伝っていた。
「イチ?」
悲嘆に暮れている、という表現すら当てはまったであろうキーツのその声音に、少女が視線を向けた。
「すみません、キーツ大佐」
「お前、俺を裏切んのか?」
貞淑だと信じていた妻に不貞を働かれた夫でさえも、これほど情けない声は出せないだろう。
少女の真紅の瞳に見つめられていることを感じながら、キーツは続く言葉を呆然と聞いていた。
「わたしは、この人と会って、『恐い』ということを知りました。この人がわたしを恐がるのが『恐く』、この人が死んでしまうのが『恐い』と思いました。わたしは、キーツ大佐といっしょにいても、『死ぬこと』が恐いとは思えないのです。それは、『生きている』とも思えないということなのです」
少女は、未だ信じ難い思いを満面に表している省吾へと視線を移した。
「この人といると、わたしは『生きている』と思えるのです」
細い声で、たどたどしい口調。
その陶磁器のような頬には、いつしか透明な雫が伝っていた。
相変わらず一本調子ではあったけれど、省吾はやっと、彼女の声が聴けたと思った。
「キーツ大佐。わたしはこの人といっしょにいきたいです」
少女は、キーツにそう告げる。
まともにイチの視線を受けたのは、これが初めてかもしれない。キーツは唐突にそう思った。大きく息を吐き、肩を竦める。
「ちっ、これで俺の出世計画もおじゃんか」
「キーツ大佐?」
「さっさと行けよ。そこのクソ餓鬼と一緒によ」
そう言って、キーツは背を向けた。
「ありがとうございます、キーツ大佐」
何度も投げられたその言葉だったが、キーツの耳は確かにこれまでのものとは異なる響きを感じ取っていた。
――まあ、いいか。
確かに、これで全てを失うことになるが、キーツは意外なほど、未練を感じなかった。
キーツの背を見つめたままの少女を、省吾は自分の方へと向き直らせる。しっかりと、その真紅の瞳を見つめた。
得難い、二つの宝石。
そこから溢れ出す透明な雫を、指で拭う。何か不思議な気持ちがする。彼女のこの瞳が流すとしたら、血のような色をしているのかもしれないと、思っていたから。
「俺があんたに新しい名前をやるよ。……今日から、あんたは小夜だ。夜が明ければ朝が来る。夜が無ければ、朝は来ない。あんたは俺に、朝をくれたんだ」
少女は軽く首を傾げて、何度かそれを口の中で転がした。
変わらぬ平坦な口調で、ポツリと言う。
「小夜。わたしは、この名前が気に入りました」
いつか、小夜は笑ってくれるかもしれない。その時は、またいっそう明るい朝が訪れるだろう。
省吾は小夜を両腕で抱き締めた。細い肩が、すっぽりと自分の中に納まる。
この少女は、これからも、様々な事に怯えるだろう。だが、これからは省吾が、それら全て、一つ一つ拭い去っていってやるのだ。
ふと視線を上げると、初めて開放されたままの入り口に立っているロイに気付く。
「たいしたものだ、省吾」
彼の口がそう動いたのが、見て取れた。
省吾はロイに、会心の笑みで返した。
*
再び隠し通路から炊事場へ戻ってきたリオンは、そこに一人きりで残っているエルネストに奇妙な目を向ける。
あまりに彼の纏う空気は暗かった。
「エルネスト?何をやっているんだ?」
エルネストは、たっぷり呼吸三回分はじっとリオンを見つめ、最後に大きく息を吐いた。
「いえ、別に。ただ、もしもあなたが戻ってこなかったら、王を討ちに行き、それから私も首を斬ろうと思っていたところですよ」
リオンはそんな従者を呆れたように見返す。
「そんなことをすれば、あの世で私がお前の首を斬り落とすぞ」
「構いません」
事も無げにそう答えたエルネストに、リオンは心底からの呆れ顔を向ける。
「私よりも、お前の方がよほど融通が利かないと思うのだがな」
そうぼやいて、リオンはエルネストを促して走り出す。
「退却だ。行くぞ」
ややして、軽い足音が響く。それはあの男のものでは在り得なかった。
数歩で止んだそれを確かめようと、省吾は柱の陰からわずかに身を乗り出した。そして見えたものに、一瞬呼吸が止まる。広間のほぼ中央に立っていたのは、彼女だった。
「お前、キーツ! 彼女を下がらせろ!」
だが、省吾の怒声に対して返された台詞は、まさに彼の血を全て噴き出させかねないものだった。
「お前が代わりにそこに立てばな。そろそろ互いに弾の無駄遣いだろう? 終わりにしようや。あと五つ数える間にお前がその柱の陰から出てこなければ、イチの右足を撃つ。更に五つ数えても出てこなければ、今度は左足だ。どうだ?」
「無駄なことだろ!? 彼女は銃の弾なんて簡単に防げる筈だ」
「ひとーつ。ああ、普通はな。ふたーつ。だが、俺がやるなと言えば、やらん。みーっつ──」
「彼女はあんたの味方じゃないのか!?」
殆ど血を吐くような省吾の声に、キーツは嘲笑を返した。
「ああ。大事な大事な、俺の取って置きだ。だから、撃った後にすぐ治療してやるよ。よーっつ。……さあ、どうする?」
考える余裕は、無かった。
「いつー……っと、出てきたか」
省吾は、姿の見えないキーツの声がする方向を睨みつけながらゆっくりと中央に歩き出る。
「いい心掛けだな。まあ、女の子に怪我させるわけにゃ、いかねぇもんな」
気配で、省吾は自分に照準がぴたりと合っていることを察する。
かちりと、撃鉄の上がる音が微かに響いた。
人形のように佇んでいる少女から、できるだけ離れる。
全神経を耳に集中し、その時を待った。
最初の銃声。
省吾は、被弾覚悟でその銃声がした方向へ全弾を撃ち尽くす。あとは、相手の放った弾が自分の身体に食い込むのを待つだけだった。が、すぐに訪れる筈のそれは、優に一秒を数えた後でも感じられない。
省吾は両目を開け、そこにあるものを視界に収め、驚きの為に更に目を見開いた。
「止まって、る……?」
指先で突付いても、数十発はあるそれらは微動だにしなかった。
「あんたが、やったのか……?」
他にこんなことができる者がいるわけが無い。省吾は少女を振り返った。と、同時に、弾丸が床に転がる甲高い音が続く。
「何てこった」
いささか間抜けな声を上げ、キーツが柱の陰から姿を現した。彼が隠れていた柱には、省吾が撃った無数の弾丸が小孔を穿っている。そして、銃を手にしている方の腕には、赤い液体が伝っていた。
「イチ?」
悲嘆に暮れている、という表現すら当てはまったであろうキーツのその声音に、少女が視線を向けた。
「すみません、キーツ大佐」
「お前、俺を裏切んのか?」
貞淑だと信じていた妻に不貞を働かれた夫でさえも、これほど情けない声は出せないだろう。
少女の真紅の瞳に見つめられていることを感じながら、キーツは続く言葉を呆然と聞いていた。
「わたしは、この人と会って、『恐い』ということを知りました。この人がわたしを恐がるのが『恐く』、この人が死んでしまうのが『恐い』と思いました。わたしは、キーツ大佐といっしょにいても、『死ぬこと』が恐いとは思えないのです。それは、『生きている』とも思えないということなのです」
少女は、未だ信じ難い思いを満面に表している省吾へと視線を移した。
「この人といると、わたしは『生きている』と思えるのです」
細い声で、たどたどしい口調。
その陶磁器のような頬には、いつしか透明な雫が伝っていた。
相変わらず一本調子ではあったけれど、省吾はやっと、彼女の声が聴けたと思った。
「キーツ大佐。わたしはこの人といっしょにいきたいです」
少女は、キーツにそう告げる。
まともにイチの視線を受けたのは、これが初めてかもしれない。キーツは唐突にそう思った。大きく息を吐き、肩を竦める。
「ちっ、これで俺の出世計画もおじゃんか」
「キーツ大佐?」
「さっさと行けよ。そこのクソ餓鬼と一緒によ」
そう言って、キーツは背を向けた。
「ありがとうございます、キーツ大佐」
何度も投げられたその言葉だったが、キーツの耳は確かにこれまでのものとは異なる響きを感じ取っていた。
――まあ、いいか。
確かに、これで全てを失うことになるが、キーツは意外なほど、未練を感じなかった。
キーツの背を見つめたままの少女を、省吾は自分の方へと向き直らせる。しっかりと、その真紅の瞳を見つめた。
得難い、二つの宝石。
そこから溢れ出す透明な雫を、指で拭う。何か不思議な気持ちがする。彼女のこの瞳が流すとしたら、血のような色をしているのかもしれないと、思っていたから。
「俺があんたに新しい名前をやるよ。……今日から、あんたは小夜だ。夜が明ければ朝が来る。夜が無ければ、朝は来ない。あんたは俺に、朝をくれたんだ」
少女は軽く首を傾げて、何度かそれを口の中で転がした。
変わらぬ平坦な口調で、ポツリと言う。
「小夜。わたしは、この名前が気に入りました」
いつか、小夜は笑ってくれるかもしれない。その時は、またいっそう明るい朝が訪れるだろう。
省吾は小夜を両腕で抱き締めた。細い肩が、すっぽりと自分の中に納まる。
この少女は、これからも、様々な事に怯えるだろう。だが、これからは省吾が、それら全て、一つ一つ拭い去っていってやるのだ。
ふと視線を上げると、初めて開放されたままの入り口に立っているロイに気付く。
「たいしたものだ、省吾」
彼の口がそう動いたのが、見て取れた。
省吾はロイに、会心の笑みで返した。
*
再び隠し通路から炊事場へ戻ってきたリオンは、そこに一人きりで残っているエルネストに奇妙な目を向ける。
あまりに彼の纏う空気は暗かった。
「エルネスト?何をやっているんだ?」
エルネストは、たっぷり呼吸三回分はじっとリオンを見つめ、最後に大きく息を吐いた。
「いえ、別に。ただ、もしもあなたが戻ってこなかったら、王を討ちに行き、それから私も首を斬ろうと思っていたところですよ」
リオンはそんな従者を呆れたように見返す。
「そんなことをすれば、あの世で私がお前の首を斬り落とすぞ」
「構いません」
事も無げにそう答えたエルネストに、リオンは心底からの呆れ顔を向ける。
「私よりも、お前の方がよほど融通が利かないと思うのだがな」
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