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紅い目の魔女
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宴から二日後の早朝。
リオン達は、徴収した税を貯える為の倉庫を有した砦を取り囲む森の中にいた。
「何だか、静か過ぎる」
そう呟き、リオンは目前に聳える砦を窺っていた双眼鏡を、隣に立つエルネストに渡した。それを覗いた後、エルネストも同様の感想を抱く。
当然、こちらの動きが王側に漏れていないわけが無く、リオンたちも敢えて隠そうとはしていなかった。
それにも拘らず、あまり大きくないとは言え、国の守りの一端を担っているその砦を防衛しようという軍の姿が微塵も見えない。
これが罠なのか、それとも単に彼らが甘く見られているだけなのか、リオンとエルネストが決めあぐねていた時、不気味に静まり返ったその砦に、一つだけ変化が現れた。
大きな観音開きの正門が、ゆっくりと開かれる。
軍勢が放出されるのか、とリオンたちの間に緊張が走る。だが、それは現れず、一つの人影を吐き出したのみで、再び門は閉ざされた。
「あれは……」
双眼鏡を覗いていたエルネストの口から漏れた声には、信じ難いものを見た響きが込められていた。
「何だ? エルネスト」
振り返ったリオンに、エルネストは無言で双眼鏡を手渡す。怪訝な顔でそれを両目に当てたリオンであったが、そこに見えたものに、やはり絶句した。
「どう見ても、子供ですよね」
呆然としたエルネストの言葉に、リオンは頷く。
栗色の巻き毛を背の半ばほどまで伸ばした、十歳前後の少女。砦から現れたのは、それ以外の何者でもなかった。
「どういうつもりだ……?」
リオンがそう呟いた、次の瞬間。
それは落雷によく似ていた。
鋭い音を立てて、彼らが隠れていた木々が次々と弾けていく。それは砲撃によるものではあり得なかった。何となれば、木々は外側からではなく、内側から破壊されていたから。
「何が……!?」
丸裸にされていく混乱と、得体の知れないものに対する恐怖とで、リオンたちからは統制というものが完全に消え失せていた。
「落ち着け、落ち着くんだ!」
声を嗄らして必死に呼びかけるリオンとエルネストだったが、砦から歩み出てきた少女のことを失念していたことを思い出す。
ほぼ同時に砦を振り返った二人は、いつの間にか肉眼でもそれと確認できるほどに近付いていた少女に目を見張る。小柄な少女の歩みからは予想しなかった速度だ。
「何事なんだ?」
右往左往する男たちを掻き分け、ようやく到着した省吾、そして勁捷が身を乗り出した。
対照的な二人の傭兵に目を走らせ、リオンは顎をしゃくる。
「どうやら、彼女の仕業らしい」
今では、その造作すら見ることができた。
栗色の巻き毛と、痩せ過ぎではないかと思うほど、華奢な身体。
そして、何よりも彼らを惹き付けたのは、アーモンド型の大きな目の中で輝く、紅玉のような瞳。
彼らが瞠目する中で、少女の周囲の石、岩が、拳大のものから彼女の身体とそう大差ないものまで、その大きさに拘わらず浮き上がる。
「紅い目の……魔女……」
呟きは勁捷の口から漏れたものだった。
四人の注視する中、一つ、二つと浮かび上がる石や岩は数を増していき、そして、その数を数え切れなくなった時――、一斉に唸りを上げて放たれた。
「やばいぞ、こっちに飛んでくる!」
それは凄まじい速度だった。
咄嗟に伏せた四人の頭上を、空気を切り裂く音を立ててそれらは飛び過ぎる。
どれほどの時間が過ぎた頃だろうか。いつしか頭上の空気を切り裂いていた音が消え、代わって呻き声が周囲を支配していた。
「おいおい、いくら何でも、あんなの相手にゃできねぇぜ」
伏せたままぼやいた勁捷の横で、リオンとエルネストが膝を突く。
「……こんなことができるとは……あれは本当に人間なのか……?」
呆然と呟きながら、もう数十歩しか離れていないその少女から、二人は目を逸らせることができなかった。これまで、どんな敵にも臆することなく対峙してきた彼らだったが、どうしようもない恐怖に縛られている。
そして、彼女から目を離すことができない者が、もう一人。
少年の瞳には、この時、その少女のみが映されていた。
――何なのだろう、この感じは?
省吾は我知らず、右手で胸元を握り締める。心臓が、痛かった。それは物理的な痛みと言ってもよかった。
小さな身体。細い肩。
今までに見た事が無いくらい綺麗なのに、どこか人形じみた彼女の真紅の眼差しは、目の前にあるものすら映していない。自分の起こしたこの状況も見えていないのではないか、そう思わせた。だからと言って、冷たいのではない。そんな温度さえも感じさせなかった。
――何故、そんな眼をしているのか。
――何故、その紅い瞳にこの身を映してくれないのか。
どうしようもなく苦しくて──切なくて。
「ショウ!? おい、省吾!? お前、どうしたってんだ!?」
勁捷の慌てた声に、省吾は自らの頬に伝ったものに手を触れる。そこに付いたものは透明な雫。自分がそんなものを流すとは、知らなかった。
ふらりと立ち上がった省吾の頭の中には、身を守るということなど無い。静かに佇むその少女に少しでも近寄りたくて、足が勝手に動いていた。
「ちょっと待てよ、省吾」
そう言った勁捷の声は耳に届いていたけれども、どうして止まることができようか。
一歩、また一歩。自分ではどうにもならない衝動に突き動かされて、省吾は進む。
が、その時。
「ば、化け物……!」
引き攣った叫び声は背後からだった。
それが引き金となったのか、辛うじて軽傷で済んでいた傭兵たちが構えた銃口が、まるで連動しているかのように次々と火を噴き始める。混乱を極めた彼らの目には、その火線上にいる省吾の姿は映っていない。
「省吾!」
飛び付いた勁捷に引き摺り倒された省吾の上を、間一髪で銃弾が飛び去る。
「あの子は……!?」
――あの少女は無事なのか。
己の身などよりも、そのことだけが省吾の頭の中を占める。
覆い被さった勁捷を跳ね除け、省吾は上半身を起こし、そこで固まった。同じように、銃火を放った傭兵たちも、省吾に押し退けられた勁捷も、立ち竦んだままのリオンとエルネストも、その場にいる誰もが身動ぎ一つできなかった。
「こいつぁ……」
息を呑んだ勁捷は、その先を続けることができない。
眼を奪う、その光景。
撃ち出された銃弾は、全て、少女に触れることなく宙に浮かんで静止していた。
上空に手を翳せば、それらを吊っている糸に触れることができるのではないか──誰もがそう思って当然だった。しかし、実際には真っ青な空には影一つ無く、そんな糸など存在していない。
見事なまでに静止していた数百発の弾丸は、少女の腕の一振りでバラバラと地面に落ちる。
更に、彼女の手は奇妙な動きを見せた。
何かを握り潰すような、動き。
一拍遅れて、再び背後から悲鳴が上がった。
自分たちの手の中で見る見るうちに形を変えていく火器を、傭兵たちは意味の取れないことを叫びながら放り投げる。かつては彼らの自信を揺ぎ無いものとしてくれたそれらは、今この時は恐怖の対象でしかなかった。
手の中から離れても形を変えることを止めないその鉄屑から、男たちは尻を地面に付けたまま後退る。股間が濡れていないだけましだった。
完全に戦意を喪失した彼らを少女は一瞥し、背を向ける。あまりに無造作なその動きに、圧倒的な勝利に勝ち誇る様子も、情けなくも腰を抜かした男たちに対する嘲笑も、無かった。
そして、背後に残した者たちに対する、一片の警戒も無い。
しかし、何事も無かったように歩み去っていくその背中を見送る男たちには、彼女が背を向けたからといって反撃しようというほどの気力も、戦力も残ってはいなかった。
「私たちは、あれを相手にしなければならないのか……?」
絶望とも呼べる色を含んだ掠れた声で、弾丸が充分に装填されたままの銃を片手にぶら下げたままのリオンが呟く。それに返答できるほど余裕のある者は、その場にはいなかった。一枚岩のような理性を自負していたエルネストでさえも、あまりの衝撃にただ立ち竦むだけだったのである。
リオン達は、徴収した税を貯える為の倉庫を有した砦を取り囲む森の中にいた。
「何だか、静か過ぎる」
そう呟き、リオンは目前に聳える砦を窺っていた双眼鏡を、隣に立つエルネストに渡した。それを覗いた後、エルネストも同様の感想を抱く。
当然、こちらの動きが王側に漏れていないわけが無く、リオンたちも敢えて隠そうとはしていなかった。
それにも拘らず、あまり大きくないとは言え、国の守りの一端を担っているその砦を防衛しようという軍の姿が微塵も見えない。
これが罠なのか、それとも単に彼らが甘く見られているだけなのか、リオンとエルネストが決めあぐねていた時、不気味に静まり返ったその砦に、一つだけ変化が現れた。
大きな観音開きの正門が、ゆっくりと開かれる。
軍勢が放出されるのか、とリオンたちの間に緊張が走る。だが、それは現れず、一つの人影を吐き出したのみで、再び門は閉ざされた。
「あれは……」
双眼鏡を覗いていたエルネストの口から漏れた声には、信じ難いものを見た響きが込められていた。
「何だ? エルネスト」
振り返ったリオンに、エルネストは無言で双眼鏡を手渡す。怪訝な顔でそれを両目に当てたリオンであったが、そこに見えたものに、やはり絶句した。
「どう見ても、子供ですよね」
呆然としたエルネストの言葉に、リオンは頷く。
栗色の巻き毛を背の半ばほどまで伸ばした、十歳前後の少女。砦から現れたのは、それ以外の何者でもなかった。
「どういうつもりだ……?」
リオンがそう呟いた、次の瞬間。
それは落雷によく似ていた。
鋭い音を立てて、彼らが隠れていた木々が次々と弾けていく。それは砲撃によるものではあり得なかった。何となれば、木々は外側からではなく、内側から破壊されていたから。
「何が……!?」
丸裸にされていく混乱と、得体の知れないものに対する恐怖とで、リオンたちからは統制というものが完全に消え失せていた。
「落ち着け、落ち着くんだ!」
声を嗄らして必死に呼びかけるリオンとエルネストだったが、砦から歩み出てきた少女のことを失念していたことを思い出す。
ほぼ同時に砦を振り返った二人は、いつの間にか肉眼でもそれと確認できるほどに近付いていた少女に目を見張る。小柄な少女の歩みからは予想しなかった速度だ。
「何事なんだ?」
右往左往する男たちを掻き分け、ようやく到着した省吾、そして勁捷が身を乗り出した。
対照的な二人の傭兵に目を走らせ、リオンは顎をしゃくる。
「どうやら、彼女の仕業らしい」
今では、その造作すら見ることができた。
栗色の巻き毛と、痩せ過ぎではないかと思うほど、華奢な身体。
そして、何よりも彼らを惹き付けたのは、アーモンド型の大きな目の中で輝く、紅玉のような瞳。
彼らが瞠目する中で、少女の周囲の石、岩が、拳大のものから彼女の身体とそう大差ないものまで、その大きさに拘わらず浮き上がる。
「紅い目の……魔女……」
呟きは勁捷の口から漏れたものだった。
四人の注視する中、一つ、二つと浮かび上がる石や岩は数を増していき、そして、その数を数え切れなくなった時――、一斉に唸りを上げて放たれた。
「やばいぞ、こっちに飛んでくる!」
それは凄まじい速度だった。
咄嗟に伏せた四人の頭上を、空気を切り裂く音を立ててそれらは飛び過ぎる。
どれほどの時間が過ぎた頃だろうか。いつしか頭上の空気を切り裂いていた音が消え、代わって呻き声が周囲を支配していた。
「おいおい、いくら何でも、あんなの相手にゃできねぇぜ」
伏せたままぼやいた勁捷の横で、リオンとエルネストが膝を突く。
「……こんなことができるとは……あれは本当に人間なのか……?」
呆然と呟きながら、もう数十歩しか離れていないその少女から、二人は目を逸らせることができなかった。これまで、どんな敵にも臆することなく対峙してきた彼らだったが、どうしようもない恐怖に縛られている。
そして、彼女から目を離すことができない者が、もう一人。
少年の瞳には、この時、その少女のみが映されていた。
――何なのだろう、この感じは?
省吾は我知らず、右手で胸元を握り締める。心臓が、痛かった。それは物理的な痛みと言ってもよかった。
小さな身体。細い肩。
今までに見た事が無いくらい綺麗なのに、どこか人形じみた彼女の真紅の眼差しは、目の前にあるものすら映していない。自分の起こしたこの状況も見えていないのではないか、そう思わせた。だからと言って、冷たいのではない。そんな温度さえも感じさせなかった。
――何故、そんな眼をしているのか。
――何故、その紅い瞳にこの身を映してくれないのか。
どうしようもなく苦しくて──切なくて。
「ショウ!? おい、省吾!? お前、どうしたってんだ!?」
勁捷の慌てた声に、省吾は自らの頬に伝ったものに手を触れる。そこに付いたものは透明な雫。自分がそんなものを流すとは、知らなかった。
ふらりと立ち上がった省吾の頭の中には、身を守るということなど無い。静かに佇むその少女に少しでも近寄りたくて、足が勝手に動いていた。
「ちょっと待てよ、省吾」
そう言った勁捷の声は耳に届いていたけれども、どうして止まることができようか。
一歩、また一歩。自分ではどうにもならない衝動に突き動かされて、省吾は進む。
が、その時。
「ば、化け物……!」
引き攣った叫び声は背後からだった。
それが引き金となったのか、辛うじて軽傷で済んでいた傭兵たちが構えた銃口が、まるで連動しているかのように次々と火を噴き始める。混乱を極めた彼らの目には、その火線上にいる省吾の姿は映っていない。
「省吾!」
飛び付いた勁捷に引き摺り倒された省吾の上を、間一髪で銃弾が飛び去る。
「あの子は……!?」
――あの少女は無事なのか。
己の身などよりも、そのことだけが省吾の頭の中を占める。
覆い被さった勁捷を跳ね除け、省吾は上半身を起こし、そこで固まった。同じように、銃火を放った傭兵たちも、省吾に押し退けられた勁捷も、立ち竦んだままのリオンとエルネストも、その場にいる誰もが身動ぎ一つできなかった。
「こいつぁ……」
息を呑んだ勁捷は、その先を続けることができない。
眼を奪う、その光景。
撃ち出された銃弾は、全て、少女に触れることなく宙に浮かんで静止していた。
上空に手を翳せば、それらを吊っている糸に触れることができるのではないか──誰もがそう思って当然だった。しかし、実際には真っ青な空には影一つ無く、そんな糸など存在していない。
見事なまでに静止していた数百発の弾丸は、少女の腕の一振りでバラバラと地面に落ちる。
更に、彼女の手は奇妙な動きを見せた。
何かを握り潰すような、動き。
一拍遅れて、再び背後から悲鳴が上がった。
自分たちの手の中で見る見るうちに形を変えていく火器を、傭兵たちは意味の取れないことを叫びながら放り投げる。かつては彼らの自信を揺ぎ無いものとしてくれたそれらは、今この時は恐怖の対象でしかなかった。
手の中から離れても形を変えることを止めないその鉄屑から、男たちは尻を地面に付けたまま後退る。股間が濡れていないだけましだった。
完全に戦意を喪失した彼らを少女は一瞥し、背を向ける。あまりに無造作なその動きに、圧倒的な勝利に勝ち誇る様子も、情けなくも腰を抜かした男たちに対する嘲笑も、無かった。
そして、背後に残した者たちに対する、一片の警戒も無い。
しかし、何事も無かったように歩み去っていくその背中を見送る男たちには、彼女が背を向けたからといって反撃しようというほどの気力も、戦力も残ってはいなかった。
「私たちは、あれを相手にしなければならないのか……?」
絶望とも呼べる色を含んだ掠れた声で、弾丸が充分に装填されたままの銃を片手にぶら下げたままのリオンが呟く。それに返答できるほど余裕のある者は、その場にはいなかった。一枚岩のような理性を自負していたエルネストでさえも、あまりの衝撃にただ立ち竦むだけだったのである。
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