ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

そして、新たな朝の始まり②

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 いよいよ明日、王都グランディアに還る。
 オルディンはフリージアの姿を求めて砦の中をうろついていた。
 砦の周りの落とし穴をきちんと埋め直したり、放置された投石器の残骸を居残ったニダベリル兵と共に片づけたりと、戦いの後片付けもようやくケリがつきつつある。投石器はそのままでは無理だったので、ソルに頼んで燃やしてもらい、残った鉄屑をニダベリル兵が荷車に載せて運んでいった。
 この一帯は、戦が始まる前の姿を殆ど取り戻した。完全に元の姿、とはいかないが、戦いの傷跡は目立ちにくくなっている。皆めまぐるしく立ち働いて、ようやく帰れるめどが付いたのだ。

 これでフリージアを戦いの臭いの残る地から遠ざけられる。

 オルディンは何よりもそのことにホッとしていた。
 元々、後片付けなど他の者に任せてしまえば良かったというのに、フリージアは頑迷に居残ることを主張した。彼女がこの地に後ろ髪を引かれる理由は、オルディンにも何となく解かっていた。だから、彼女の望むようにさせた。
 フリージアが発つ気になるのをオルディンはジリジリしながら待ち続け、ようやく迎えた出発の日だった。
 皆の前では以前と変わらず朗らかな彼女だが、兵達の目が無くなると伏し目がちに何かを考えていることがしばしばあった。
 そんなフリージアを見かける度に、オルディンは即座に彼女を掻っ攫って国も兵も戦も何も関係ないところへ連れ去ってやりたくなったものだ。その欲求を堪えるのは、一苦労だった。

 その我慢の日々も、ようやく終わりを告げる。
 だが、明日の朝は早いというのに、いつもの習慣で先ほどフリージアの部屋を覗いてみたら、彼女の姿は寝台になかったのだ。

「あれ、オルディン、こんな時間に何してんの?」
 廊下を歩くオルディンにそう声をかけてきたのは、ロキスである。
「ジアを見なかったか? まだ寝てないんだ」
「ああ……見納めだからって、物見櫓に上るって言ってたぜ?」
 彼は肩を竦めてそう教えてくれる。
「そうか」
 片手を振ってロキスと別れると、彼の言葉に従って物見櫓を目指した。

 到着してみると、確かに、彼女はそこにいた。オルディンが来たことは判っているだろうに、下ろしたままの赤毛を強い風になぶらせながら、身じろぎひとつせずに地平の彼方を見つめている。
 オルディンは風よけ代わりに後ろからフリージアを覆うように立ち、彼女を挟んで両手を欄干についた。それでも、フリージアは振り返らない。

 しばらくの間、オルディンも黙って、フリージアと同じものを見つめていた。
 どれほどそうしていたかは判らない。不意に、フリージアがポツリと呟いた。

「いっぱい、死んじゃったね」
 そこに含まれているのは、悔恨だ。
 オルディンは黙って、両腕を彼女の細い身体にまわす。
 グランゲルド側の戦死者は、結局八名だった。ニダベリル相手に、驚くほど少なくて済んだ数に違いない。対するニダベリル側は、数十人に及んでいる筈だ。フリージアの言う『死者』は両軍併せてのものだろう。彼女にとっては、皆同じ『命』だ。
 フリージアは慰めの言葉を受け入れないだろう――そう思ったが、オルディンはそれを口にしてしまう。

「お前は、よくやったよ。もっと死んでもおかしくなかった」
 オルディンのその言葉に、予想通り、クルリと振り返ったフリージアは彼を見上げて激しくかぶりを振った。
「全然、やってない。一人でも死んだらダメだったんだ。戦がなければ、死ななくて済んだ人だったんだから! 死ぬ筈じゃない人達だったんだよ! みんな、誰かの大事な人だったのに」
 フリージアはオルディンの胸倉を掴んで、きつく額を押し付ける。
「あたしは今のあたしにできる範囲で、頑張った。これ以上のことはできなかった。でも、それなら、あたしじゃなかったらもっとうまくやれたんじゃないかって思うんだ。もしかしたら、一人も死なせずに済んだんじゃないかって」

 フリージアのその慟哭と共に、オルディンの胸元はジワリと湿ってくる。小刻みに震える肩をしっかりと片腕で包み、もう片方の手で何度も髪を撫で下ろす。
 フリージアの言葉は正しくない。命を惜しむ彼女だからこそ、多分、この被害で済んだのだ。確かに、母親のゲルダはもっと巧く戦ったかもしれない。だが、伝え聞く限り、彼女はどちらかというとアウストルやスキルナに近い。戦いは巧いかもしれないが、それが即ち被害を最小限に食い止めることを優先するとは限らない。

 しかし、そう告げてみたところで、フリージアの気持ちを宥めることはできないのだ。
 だから、オルディンはただ彼女を温めることだけに終始する。

「あたし、もう戦はイヤだ。二度と戦いたくない――戦わせたくない。でも、またニダベリルが攻めてくるようなことがあったら、また戦わなくちゃいけないんだ」
「そうならないように、色々やるんだろ?」
 オルディンは頭を下げ、彼女の頭のてっぺんに顎を載せて穏やかにそう問い掛ける。
 フリージアがエルフィアを巻き込んで成し遂げようとしていることは、オルディンも聞いた。ニダベリルがどれほど豊かになるのか、そして、どれほど豊かになれば満足するのか、判らない。だが、うまくいって欲しいと、オルディンは切実に思う。ニダベリルの為にではなく、フリージアの為に。

「うまく、いくかな」
 心許なげな声に、オルディンは彼女の背をポンポンと叩いてやった。
「いくさ」
「……あたし、思うんだ。人が戦うのはなくならない。だって、見え方も考え方も違うんだから。でも、休むことはできる。その間に、近寄ることもできると思うんだ。近寄って、手を握り合ったら、ケンカなんかできなくなるでしょ? 手をつないで、言葉を交わした相手なら、問答無用で殴り掛かるなんて、できなくなると思うんだ。ずっとは無理かもしれないけれど、あたしの子どもか――できたら孫くらいまでは、戦いのないようにしたいんだ」
「ああ……そうだな」
 オルディンの低い声での肯定に、フリージアは震えるような息を吐いた。そして、彼の胸に腕を回してしがみついてくる。

「もしも――もしも、十年後にあたしの望むカタチになってなかったら、また戦うよ。グランゲルドを護りたいから。戦うのはイヤだけど、戦う」
 きっぱりと断言したフリージアの声は、もう震えていなかった。しかし、オルディンは服の背中が引っ張られるその感覚に、小さな手に強い力が込められていることを知る。彼は細い身体をしっかりと抱き締めて、その耳元で囁いた。

「やりたいようにやればいい。俺は、ずっとお前の傍にいる。お前の涙は、いつでも、こうやって俺が隠してやるよ」
 彼女は無言だった。ただ、オルディンの胸元だけが濡れていく。

 やがて、それは乾くだろう。
 そしてまた、濡れる時が来るのかもしれない。そんな時、彼女が独りで涙をこらえることのないように、彼はいるのだ。

「お前は、俺の生きる理由だよ。初めて会った時に、そう決まったんだ」
 そう呟いたオルディンの胸の中で、小さな頭が上下するのが、感じられた。彼は抱き締める腕に力を込めて、祈る。

 この世界が永久に平穏であることを。
 他の誰でもない、腕の中の少女の為に。

 誰よりも愛おしいこの少女が二度とつらい涙を流さぬように、祈るのだ。
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