ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

雌雄を決する時②

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 アウストルの重心がわずかに傾いた瞬間、フリージアは剣ではなく彼に向けて地面を蹴る。一歩目が地に着かぬうちに、彼女は背に回した右手で腰に潜ませておいた短剣を抜き放った。
 短剣の刃渡りは、フリージアの腕の長さの半分弱というところ。アウストルの長剣を比べれば玩具のような代物だが、紛れもない刃だ。
 フリージアの動きに気付いたアウストルが、即座に彼女に向き直った。彼の長剣が閃き、フリージアに肉薄する。

 直後右腕に走った、焼け付くような感覚。
 フリージアを一太刀で二つに切り分けようとしたその刃は、しかし、わずかに遅かった。逸早くアウストルの懐に跳び込んだ彼女の上腕を削ぐにとどまる。
 痛みの強さが傷の深さを知らせてくるが、フリージアはより一層強く短剣の柄を握り締めた。そして、体当たりするようにそれをアウストルの身体に刺し込む。

 右の胸、アバラとアバラの間。
 下から上へ向けて突き刺した鋭利な刃は、一瞬にして全て彼の中へと埋まる。

「グッ」
 呻き声を噛み殺してアウストルがフリージアの襟首を掴む。引きはがされぬうちに、彼女は先端に弧を描かせるようにして、短剣を捻った。
 プツプツとフリージアの手に伝わってくる、細かな泡を潰していくような感触。その切っ先が心の臓に届く前に、止める。

「動かないで。死ぬよ」
 彼女を掴んだその手に力を込めたアウストルを見上げ、短く制した。その言葉が偽りではないことが知れたのか、彼の動きがピタリと止まる。
 フリージアは短剣の柄を握る手に込めた力を緩めることなく、アウストルに命じる。

「ゆっくりと、膝をついて。そろそろ息苦しくなってきたでしょ?」
 アウストルは爛々とその深緑の目を光らせながらフリージアを睨み付けてきたが、彼女の台詞は図星な筈だ。やがて、その指示に従った。途中で小さく咳き込み、口元を拭った手に鮮やかな赤色を見て眉をしかめる。
 彼に向けて口を開こうとして、フリージアの視界の隅に、こちらに駆けてこようとしているニダベリルの将軍二人が入り込んだ。

「それ、抜いちゃダメだよ? 死にたくなかったらおとなしくしてて」
 胸に短剣を突き立てたまま地面に横たわったアウストルにそう言い含め、フリージアは再び立ち上がり、彼らに向けて言い放った。
「来ないで! アウストル王はまだ生きている。でも、それ以上近寄るなら、すぐに息の根止めるよ!」
 まだ年端もいかない少女のその声がこけおどしではないことを察したのか、二人の足がピタリと止まる。それを確認して、フリージアは再びアウストルへと目を戻した。

「あたしの勝ちだよね?」
 無意識のうちに斬られた右腕を左手で押さえながら、フリージアは確認する。いや、それは宣言と言ってもいい。腕は痛み、左手の指の間を伝うヌル付きは気持ち悪かったが、彼女はにっこりと笑って見せた。
 激しい戦いの後で、しかも軽くはない怪我を負っているにも拘らずあっけらかんとしたその笑顔に、アウストルは一瞬微かに目を見開くと、再び渋面になった。

「ああ」
 声を発するのも苦しいらしく、彼は短く答える。
「後で、やっぱ負けてないっていうのは、ナシだよ?」
「そんなことは言わん!」
 自尊心を傷つけられたのか、息も絶え絶えだろうにアウストルは語気荒くそう断言した。フリージアはそれに深く頷くと、クルリと身を翻して二人の戦いを見守っていただろうグランゲルド勢に向き直る。
 見れば、オルディンとバイダルは随分こちらの方に近付いてきていた。バイダルがオルディンの腕を掴んでいるのは、戦いに割って入ろうとしたのを止めていた為か。

「オル!」
「お前、腕!」
 距離があっても、オルディンの血相が変わっているのが見て取れた。バイダルの拘束を振り払ってこちらに駆けてこようとしている彼に、フリージアは慌てて手を振って追い返す。
「待って、待って! エイルを連れてきて!」
 オルディンはハタと気付いたように後ろを振り返ったが、フリージアの言葉にバイダルが応じて動き出したのを目にして、再び彼女の元に走ってくる。
 遥か後方に人を送らずとも、エイルは、すでにそこにいた。誰が報せたのか、屈強な兵士の間に、エイルとラタ、それにソルもいる。目が合った、と思ったら三人の姿は掻き消えて、直後、フリージアの隣に現れた。

「やぁ」
 何事もなかったかのように、フリージアは三人に向けて声をかける。
 彼女の笑顔にソルもホッとしたように口元を緩めたのも束の間、血が滴る右腕に気付いて小さな悲鳴を噛み殺した。紅潮していた頬から、サッと血の気が引く。
「フリージア、それ――!」
 すかさず無言で手を伸ばしてくるエイルを、フリージアは遮る。
「あたしはいいよ、大丈夫」
 にっこり笑って見せて、彼女はエイルの両肩に手を置いた。右腕を持ち上げるのは難儀だったが、苦痛を奥歯で噛み潰す。

「あの人を見て」
 言いながら、フリージアはアウストルを振り返る。そしてエイルに目を戻すと、その白銀の頭を訝しげにかしげて返した。濃い銀色の目を覗き込みながら、フリージアは説く。
「あの人はニダベリルの王様だよ。これから、ニダベリルとグランゲルドは一緒に歩んで行こうと思ってるんだ。あの人は、その国の大事な人」
 エイルはフリージアの言葉にジッと耳を澄ませている。その視線をしっかりと捉えながら、彼女は続けた。

「放っておいたら、あの人は死ぬ。そうすると、ニダベリルはぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれない。グランゲルドと仲良くするどころじゃ、なくなっちゃうかもしれないんだ」
「……フリージアは、このヒトをエイルに治して欲しい?」
 エイルがアウストルに視線を移してそう訊いてくる。フリージアはそれにかぶりを振った。
「ううん、あたしはどっちでもいいよ」

 だが、その言葉は嘘だった。
 今、ニダベリル国内が混乱すれば、グランゲルドと共存など夢のまた夢だ。ニダベリルが落ち着くのを待つうちに一時的な和平協定は終わりを迎え、いずれまた、グランゲルドや他の国に手を伸ばし始めるのだろう。再び一からやり直しになる。

 フリージアは、そんな事態は嫌だった。だから、アウストルを生かしておきたい。さっさと、未来への礎を築いてしまいたかった。
 だが、エイルに向けて「助けて欲しい」とは決して言わない。
 エイルには、もう色々な物事を考えられるだけの頭がある。
 フリージアの為ではなく、ちゃんとエイルが考えた上で決めて欲しかった。

「このヒトを治すことは、グランゲルドを治すのと同じ? そうしたらグランゲルドを護れるの?」
「多分、そうなる」
 エイルの問いに、フリージアは頷く。エイルは思案するように唇を引き結んだ。
 もしもアウストルの命が助かったなら、たとえ彼が渋っても、首根っこを押さえこんででも彼女が描く未来図の中に彼を引きずり込むつもりだった。たった十年の平和など、フリージアには意味がない。それを足掛かりにして、百年、二百年の平和が欲しいのだ。

 エイルが一つ瞬きをする。ふと顔を上げて周囲を――グランゲルドの大地を見回し――しげしげとアウストルを見つめた。そして、彼の元に歩み寄り、ひざまずく。
 エイルはアウストルの全身にザッと目を走らせると、無造作に短剣を抜き去った。

「ッ!」
 傷口からは一気に血が溢れ出し、アウストルは唇を噛み締める。そんな彼を全く労わる気配なく、エイルが両手を上げる。横たわる大きな身体にエイルがその小さな手をかざすと、二人を柔らかな輝きが包み込み始めた。
 その様を見守るフリージアの右腕が、そっと取られる。途端にそこから全身に走った痛みに、彼女は思わず呻き声を上げそうになった。だが、ここでフリージアが痛みを訴えれば、エイルはアウストルなど即座に放り出してしまうだろう。

 フリージアは咄嗟に唇を噛み締め、痛みを思い出させた張本人を睨み付ける。
「オル、痛いって」

 だが。

「お互い様だ」
 囁き声での文句にムッツリと呟き返され、彼女はそれ以上は何も言えなくなる。血に塗れたフリージアの袖を裂き傷を検《あらた》めるオルディンの顔は、彼女よりもよほど強い苦痛に苛《さいな》まれているかのようだった。
 フリージアの腕に黙々と清潔な布を巻き付けていくオルディンに、彼女の胸は腕の傷よりも痛む。その痛みは、胃の底を掴まれるような苦しさも伴っていた。

「……ゴメン」
 短く、だが万感の想いを込めて、フリージアは囁く。
 消え入りそうなその声は確かにオルディンの耳に届いたようで、彼はふと手を止めた。そうして、身を縮めた彼女をジッと見つめてくる。やがて彼は強張っていた口元を微かに緩めると、小さなため息を漏らした。

「オル?」
「お前が死んだら、俺を殺すことになるんだからな?」
 冗談なのか、本気なのか、何とも判別し難い声音で、彼はそう言う。だが、オルディンはそう簡単には殺されやしないだろう。

「そんなことにはならないよ」
 眉をひそめて答えると、彼はもう一度ため息を漏らし、片手を伸ばしてフリージアの赤毛をクシャリとかき回した。
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