ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

雌雄を決する時①

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 一歩一歩着実に近付いてくるニダベリルの王を、フリージアも足を止めることなく見据えた。体躯はオルディンと並ぶほど屈強で、その一挙手一投足から他者を圧倒する何かが放出されている。同じ『王』だというのに、フレイと相対する時は包み込まれるような柔らかな温かさを感じるが、アウストルからは、触れることを拒絶するような、全てを跳ねのけようとするような力を感じた。

 フリージアはゆっくりと息を吸い、吐いて、剣を抜く。
 見ればアウストルもその手に剣を携えていた。それは、ロキスの扱う得物とよく似ている。フリージアの長剣よりも大きく、オルディンの大剣ほど大振りではない、両刃の剣。

 無言のままに近付いて、どちらからともなく、互いに五歩ほど離れたところで足が止まる。一、二歩の跳躍で相手の懐に飛び込めるだろう距離だ。フリージアのすぐ横には、横倒しになった投石器の残骸がある。

 その距離まで近付いて初めて、フリージアはアウストルの目の奥を覗き込んだ。
 それは、暗さを帯びた深い緑色――ニダベリル王のその目は、まるで新月の夜の沼のようだ。

 ――やりにくいな。
 フリージアはこっそり独りごちる。
 こんな小娘が生意気なことを吹っかけてきたことに対する憤りや侮り、そういった気持ちが見えてくれれば対処方法が選べるのだが。
 挑発するのは、意味がない気がする。イアンのようには乗ってこないだろう。かといって、慎重に隙を窺っても、そう易々とは晒してくれないに違いない。
 立ちはだかるニダベリルの王を、フリージアは睨み据える。

 彼が最終的に望んでいるものは、果たして何なのだろう。
 戦って相手を屈服させるという権勢欲を満たし、そうすることで他者に己の力を示すことだろうか。
 それとも、豊かな実りを得られる肥えた大地を手に入れ、民に安定をもたらすことだろうか。
 前者はフリージアには与えることはできないし与えるつもりもないが、後者なら叶えられるかもしれない――彼女がアウストルに敗れることではなく、勝利することで。

 いずれにしても、彼に勝たなければ話にならない。

 フリージアは決意を更に固くする。
「あなたが力しか信じないというのなら、あたしもあなたと同じ側に立ってやるよ。でも、それであたしが勝ったら、今度はあなたをあたしの側に引っ張り込んでやるから」
 彼女のその宣言に、アウストルは唇を歪めただけだ。
 彼には彼の、勝たねばならない理由があるのだ。フリージアのような子ども相手でも、決して手は抜くまい。無言で放たれる闘志がそれを物語っている。
 どうしてもフリージアを傷付けられないオルディンとは違う。彼女自身もアウストルの命を奪う覚悟でかからねば。
 そう自分に言い聞かせて剣の柄を握り直した時だった。

 刹那、気合の一つも発することなく、唐突にアウストルが動く。
 ただ、一跳び。それだけでフリージアと彼を隔てていた距離はなくなった。

 空気を切り裂く唸りをあげて、アウストルの刃がフリージアの首を狙う。咄嗟に頭を下げた彼女のすぐ上を銀閃が薙いでいく。その気配に、フリージアのうなじの毛が逆立った。
 振り抜かれたアウストルの剣は、そのまますぐ傍にあった投石器の一部を叩き折る。砕かれた支柱から飛び散る木端がフリージアの上に降りかかる間を与えず、彼女は屈んだまま横っ飛びに距離を取った。
 剣捌きはロキスとよく似ている。だが、その速度と力はオルディンに匹敵しそうだ。まともに食らえば骨を砕くだろう。
 フリージアが体勢を整えるだけの余裕を与えず、アウストルが身体を捻って再び彼女に迫る。
 縦に横に繰り出される剛剣を、フリージアは紙一重でかわしていく。かすりでもしたら、その風圧で肉が裂けそうだった。
 投石器を盾にしてみても、アウストルの剣速は全く鈍らない。障害物も構わず砕き、フリージアを執拗に追う。

 逃げながら、フリージアはアウストルの剣を読み続けた。彼の手の振り、腰の捻り、足の踏み込み、それらを冷静に吸収していく。
 ザッと、土を蹴立ててアウストルが踏み込んだ。水平に走る刃。
 フリージアの胸の辺りを狙ったその切っ先を彼女は一歩後ろに引いてかわし、間髪容れずに前に跳ぶ。そうしながら、空いた彼の脇腹を狙って剣を繰り出した。

 が。

 返ってきたのは、鋼鉄同士がぶつかる音。そして、手の痺れ。
 フリージアの攻撃は、瞬時に切り返したアウストルの剣によって妨げられる。しかし、彼女にもそれは予想の範囲内のことだ。
 跳ね返される直前に力を逃したフリージアは、体勢を崩すことなくアウストルの追撃が来る前に後方へ跳び退すさった。

 再び、二人の間には互いの切っ先が届かぬ距離が生じる。

 やはり、正攻法ではアウストルに一撃を食らわせるのは難しいようだ。
 がむしゃらに攻撃を繰り出しても、体力を消耗するだけで実を結びそうにない。

 ――さて、どうしよう?
 フリージアは自問しながらチロリと上唇を舐める。

 一瞬考え、彼女は意を決した。

 短く一呼吸。
 そして、一気に飛び出した。

 アウストル目がけ、息もつかせぬ速さでフリージアは攻撃を重ねていく。彼の背が高いだけに、低所を狙う方が効果的な筈だ。だが、それらはことごとく阻止される。
 二人の動きに一瞬たりとも乱れはなく、その攻防は殆ど舞いのようだ。剣と剣がぶつかる音が、伴奏さながらに律動的に響き渡る。
 明らかに体格の違うフリージアがアウストルの剛剣を受け止められるのは、彼女の『力』ではなく『技』故であった。絶妙な間を読んで、彼の剣を弾かなければならない。

 フリージアは全身の神経を目の前のアウストルに集中させる。
 今、この時、世界には彼と彼女の二人きりしかいないかのように。
 ある種の一体感のようなものが両者を包む。

 と。

 不意に、何の感情も映し出していなかったアウストルの目が、和らいだ。

 ――笑った……?
 それは、嘲笑ではなかった。ごく自然な、楽しくて、つい漏れ出てしまった――そんな笑み。
 フリージアのわずかな戸惑いは、彼女の動きを狂わせる。

 ――しまった。
 そう思った時には遅かった。

 一際大きな金属音が、辺りの空気を震わせる。
 フリージアの手に残ったのは、痛みを伴うほどの痺れのみ。
 弧を描いて弾き飛ばされた彼女の剣は、二人から離れた場所に落下する。
 とっさにトンボを切って、フリージアはアウストルと距離を取った。
 フリージアと、彼女の剣と、そしてアウストルは、きれいな三角形を描く。

「降参するか?」
 戦端を開いてから初めて、彼が声を発した。切っ先をフリージアに向けたまま、そう問い掛ける。彼女はそれに、艶やかな笑みと共に返した――簡潔に、明瞭に。
「まさか」
 そして、チラリと、地面に転がったままの己の剣に目を走らせる。
 フリージアがフッと微かに身体を揺らすと同時に、彼女が剣を取りに走ると読んだアウストルも動いた。

 が、しかし。
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