ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

枷から放たれ飛び立つ蝶②

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 一瞬、その場を沈黙が支配した。オルディンには予想された結論でも、常識と良識を持っている他の連中には突拍子もない発言だ。
 絶句して見つめてくる面々を、フリージアがぐるりと見返す。皆、自分の耳か頭がおかしくなったと思っているに違いない――あるいは、フリージアの頭か口が、か。普段表情を変えることのないバイダルですら、その隻眼を微かに見開いていた。

 そんな中で、ロキスが真っ先に我に返る。
「ちょっと待てよ。オレはオルディンと五分五分だって言っただろ!? ……って、あ、そうか。オルディンにやらせるんだな?」
「まさか。戦うのはあたしだよ。オルじゃ受けてくれないかもでしょ? こんな弱っちそうなのが相手と思ったら、これはイイやって喰い付いてくるよ。それに第一、この中で一番エライのはあたしなんだから、あたしが出なきゃ」
「駄目だ」
 いとも平然と述べるフリージアを、オルディンは軋む声で遮った。

「オル」
「何と言おうと、駄目だ。そんな真似はさせられない」
「ううん、やる。そして、勝つ」
 きっぱりと、フリージアは言う。だが、オルディンは頑強に首を振った。
「絶対、駄目だ。お前にやらせるぐらいなら、俺が戦う」
 オルディンとフリージアは無言で睨み合う。どちらも一歩も引かない構えだった。
 周囲の者は、口も挟めずただ黙ってそれを見守っている。

 先に動きを見せたのは、フリージアの方だった。彼女の口から小さな息が漏れ、諦めたのかと、オルディンは一瞬期待した。だが、それは当然のように裏切られる。

「あたしが戦えることが信じられない?」
「フリージア、そういうことじゃない。解かっているだろう?」
 オルディンは、ただフリージアの身を案じているだけだ。アウストルの勇猛さは、近隣に鳴り響いている。彼女の強さは知っているが、それでもアウストルと真剣勝負をするなど、認めることはできなかった。
 宥めるようなオルディンの言葉に、しかし、フリージアはかぶりを振った。

「ううん。そういうことだよ。オルはあたしがニダベリルの王様には勝てないと思ってるんでしょ?」
「負けるかもしれない可能性がある限り、俺は認めない」
「……じゃあ、あたしが戦えるってことを証明するよ。今、この場で」
 そうして彼女は一歩下がると、スラリと腰の剣を抜き放つ。
「フリージア……」
「オルも剣を抜いて」
 緑の目を煌めかせたフリージアは、ほんのわずかも引く気はなさそうだった。きっと、自分の考えを押し切りアウストルに挑むだろう。ニダベリルの王は、彼女を殺す気でかかってくるに違いない。
 それを阻止するには、どうすればいいのか。

 オルディンは背負った鞘からゆっくりと大剣を引き抜く。
「ちょ……っと、待てって、何でそんなになるわけ?」
 慌てた声でそう言いながら間に割って入ろうとしたロキスがバイダルに引きずられていくのが、視界の隅に映った。

 この場で、フリージアの考えに同意する者はいない。
 だが、それでも、彼女は全く気にしたふうもなく剣を提げてオルディンの前に立った。まるで、いつもの手合わせを始めようとしているかのように。

 オルディンが教えた剣の型は、紅竜軍の兵士達のような定まったものではない。
 オルディンもフリージアも、無造作に剣を握り、対峙する。
「あたしが勝ったら、好きなようにさせてもらうからね?」
 朗らかに、言う。

 そして。

 先に動いたのはフリージアだった。
 一つ、二つと地面を蹴り、一気にオルディンに迫る。
 白銀の閃光が走った。オルディンの胴を狙って下から上に斬り上げられたフリージアの剣を、彼は叩き折らんばかりの力を込めて弾く。
 鼓膜をつんざく耳障りな音。
 すかさず手首を返したフリージアが繰り出す剣を、オルディンはことごとく打ち払う。
 フリージアに戦う術を教えたのはオルディンなのだ。彼女の動きは全て読める。
 上からの攻撃も、下からの攻撃も、右からの攻撃も、左からの攻撃も。
 どこからどう狙おうとも、全て、オルディンの身体にはかすりもしない。

 以前であれば、そろそろ勝機を焦ったフリージアの動きにあらが見え始める頃であった。だが、今の彼女の眼差しは冷え切っていて、淡々とオルディンの動きを追ってくる。
 彼女の剣を阻みながら、オルディンは自問する。

 無傷でフリージアを制圧することは可能か。

 その答えは『否』だった。
 かつては容易にできたが、今の彼女に手加減はできない。骨の一本や二本を折らない限り、彼女を止めることはできないだろう。

 フリージアを傷付けることは、我が身を斬られるよりも痛い。
 だが、オルディンは覚悟を決める。

 一際鋭く繰り出されたフリージアの刃を弾いた刹那。わずかに空いた彼女の胴を、伸ばした脚で蹴り払う。もろに当たれば、あばらの数本は折れるだろうという、勢いで。

 彼の脚を食らい、吹き飛ばされるフリージア――傍目にはそう映っただろう。だが、オルディンの脚には何の手応えも感じられなかった。

「チッ」
 思わずオルディンは舌打ちを漏らす。完璧な間合いで、彼女は自ら横に跳んだのだ。
 一転、二転してすぐに起き上がったフリージアは、その場で一つ息を吐く。荒くはない。全く乱れず、ただ、一つ息を吐いただけだ。

 そして、間髪を容れずに距離を詰めてくる。

 再び、激しい打ち合い。
 オルディンとフリージアの間にある明らかな腕力差は、彼女の動きを見切る目と、微妙な間合いで力を逃す技と、彼を上回る素早さでもって相殺される。

 ――弱いままでいさせれば良かった。

 彼女の剣を受けながら、オルディンは改めて後悔の念を覚える。
 フリージアが言い出したことは無謀な衝動に駆られたものではなく、確かな自信に裏打ちされたものなのだ。
 確かに、今の彼女であればアウストルにも勝てるかもしれない。

 だが――

 ほんの一瞬、オルディンの気が逸れた。

 直後。

 フリージアの姿が掻き消える。

 横に跳ばれた。

 そう思った時には、遅かった。
 膝裏に強烈な回し蹴りを食らい、オルディンの足元がふらつく。すかさず身を翻したフリージアは、低くなった彼の側頭部めがけて続けざまに蹴りを繰り出した。
 『敵』であれば、迫る脚など斬り落としていただろう。
 だが、オルディンはとっさに手を動かすことができなかった。

 脳を揺さぶる衝撃。
 思わず尻餅をついたオルディンの喉元へ、触れんばかりに切っ先が突き付けられる。

 彼に向けて真っ直ぐに剣を伸ばしたフリージアは、屈託なく笑った。
「『本気を出せなかった』っていう言い訳は、ナシだからね」
 めまいは、頭を強打された所為だろうか。それとも、彼女の笑みに酔った所為だろうか。
 不意に、オルディンの脳裏に十二年前の光景がよみがえる。

 あの時も、同じ髪の色をした女にやられた――同じように笑う女に。

「……好きにしろ」
 ため息と共に、オルディンはそう呟く。

 彼の『承諾』にフリージアは一際鮮やかな笑顔を浮かべると、この一戦を固唾を呑んで見守っていた面々に振り返った。
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