ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

闇に乗じて①

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 川岸の哨戒を任じられたロキスとウルは、馬で上流へと向かっていた。微かなせせらぎ以外に音はなく、川面は穏やかに弱い月光を反射している。
 橋のある辺りから下流は開けた土地になっているが、上流の方は木々が生い茂った谷へと続いていた。崖の高さはまだそれほどでもないが、進む先は上る一方だから、もう少し行けば川を泳ぎ切っても岸に上がることは難しくなってくる。そうしたら、見回り終了だ。

「流石にニダベリル軍もルト川を泳いで渡ろうなんて考えないみたいですね」
 常歩なみあしよりもゆっくりと馬を進ませ、川の隅々まで見通そうとしながらウルが言う。水面は穏やかな波があるだけで、怪しい影は無い。
「まあ、頭に荷物乗っけて泳ぐってわけにもいかねぇからなぁ。だいたい、ニダベリルの奴はろくに泳げねぇよ」
「え、そうなんですか?」
 ウルは目を丸くしてロキスを見る。彼は肩を竦めて返した。
「ああ、ニダベリルにゃ、そんなに水があるところがあんまりねぇからな。ヘルドに行った時にお前らも川を見たろ?」
「え? はい」
 ウルは一瞬目を泳がせる。溺れたことは、まだ記憶に新しい。

「オレが見た中でニダベリルじゃあれが一番でかい川だな。他のはチョロッと水があるくらいでな」
「え、でも、そうしたらどうやって作物を育てるんですか?」
「だから食うもんに困ってこうやってあちこちに戦争吹っ掛けてんだろ。毎年飢饉だ何だと騒いでるよ」
「……」
 その瞬間、ウルの顔が言葉よりも雄弁にその内心を物語る。

 ――今まさに戦っている相手に同情するとはな。

 つくづくお人好しばかりの国だと、彼は半ば呆れ、半ば感心する。こんな調子でよくぞあれだけの士気が保てるものだとも。
 ニダベリルでは、敵だと認識した相手のことはとことん蔑視する。グランゲルドの事も、かつてエルフィアを盗んでいった略奪者だと呼ばせていた。豊かな国に胡坐をかいた、腑抜けどもだ、とも。
 そうやって、士気を鼓舞するのだ。
 間違っても、ニダベリルから不当な要求を突き付けられている被害者なのだとは思わせない。少し冷静になって考えれば何かがおかしいと気付く筈だが、ニダベリルの兵士は自らの頭で考えるということをあまりしない。そういうふうに『教育』されていた。

「まあ、川に落ちても溺れん程度にゃやれるかな」
 ロキスが話の流れを変えようとそう言うと、彼の意図を察したのかウルはニコリと笑った。
「グランゲルド軍は、一応水練もありますよ。川の氾濫なんかの時に救助するのも軍の仕事なので」
「そんなことをしてんのか?」
 目を丸くするロキスに、ウルが頷いた。ロキスがグランゲルドに来てからは災害らしい災害がなかったから、そういう方面で軍が活動する場面を彼は目にしたことがなかった。
「まあ、災害救助とか、獣退治とか……でも、結構大変なんですよ?」

 軍隊が人命救助。

 ロキスにはその感覚がよく判らない。だが、人を相手に戦ったことがないからと言って、グランゲルド軍が腑抜けだというわけではないことは、もう彼には判っていた。
 今隣を歩くウル。ロキスよりも遥かに年下の彼でさえ、この二日間戦場に出ていたにも拘らず、今もこうやってロキスの隣を歩いていられるのだ。それなりの腕がなければ、今頃軍医の前に転がっているか、最悪土の中にいる羽目になっているだろう。

 ニダベリルから戻ったばかりの頃は、ウルの腕もそうたいしたことはなかった。しかし、この半年ばかりで、彼は目覚ましい成長を遂げている。時折剣の相手をしてやっていたロキスだが、その度にウルの変化に内心舌を巻いていた。
 何かに駆り立てられるようにウルは鍛練に励み、そして吸収していく。ニダベリルでは血反吐を吐くような訓練が科せられるが、それでも彼ほどの伸びは見られない。

 しかし、そうやって感心する一方で、彼の中には何となく面白くない気分もあった。

 何故なら、ロキスは、未だ後方待機のままだったから。堪えきれないほどに疼く腕を抑えて待っているというのに、フリージアは一向に彼を呼び出さない。
 確かに、エイルとソルの護衛という役割はある。だが、ロキス程の腕前であれば戦場に出した方が遥かに有用な筈だ。

「なあ、ウル」
「はい?」
 川面に視線を投げながら少年に声をかけると、彼は振り向いて小首をかしげた。
「フリージアのヤツは、何でオレを戦わせないんだろうな?」
「え?」
「あいつ、ガキどもの面倒見とけって言うだけだろ? オレだったらニダベリル兵なんざ屁でもねぇのによ」
「それは……ほら、将軍はあの二人のことが大事だから――」
「あん? そんなの、後ろに下げときゃいいだろ。そこまでニダベリル軍が辿り着ける訳がねぇだろうが」
 ロキスが裏切ることをフリージアが警戒しているとは思っていない。それを危惧しているのならば、こんなふうにウルと二人きりで他の兵の目がない場所になど来させないだろう。だからこそ、使える道具である彼を使おうとしないフリージアに、納得がいかない。

 口を尖らせるロキスに、ウルが唸る。
「えぇっと、その……あれですよ。きっと、昔の仲間とロキスさんを戦わせるのが、お嫌なんですよ」
「はあ? そんな甘いことほざくわけねぇだろ」
 ウルの推測を、ロキスは鼻で笑い飛ばした。将にとって、兵は駒だ。そんなふうに一人一人の兵士のことを考えていたら、立ち行かなくなるだろう。
 グランゲルド軍の兵士の数自体は二日間の戦闘を経てもそれほど減っていないが、個々の疲労はやはり蓄積されつつある。使える者がいるなら、さっさと戦場に放り込むべきだとロキスは思うのだ――余計なことに気を使わずに。ロキスの中では、ニダベリルはもうただの『敵』だった。元々、彼らを『仲間』と思っていたことすらないが。
 戦場では『戦う相手』が必要だから、敵味方に分かれていただけに過ぎない。

 今も、ロキスは戦いたくて仕方がなかった。
 戦場に出て、並み居る敵を片っ端から蹴散らしたかった。
 それ自体は、『兵士』となった頃からずっと持ち続けてきた気持ちだ。けれども、その根底にある感情は、何となく以前と違う気がする。どんなふうに違うのかと問われると、ロキス自身にも答えることができないのだが、何かが違う。

 この見回りが終わったらフリージアに訊いてみようと、ロキスは思った――何故、彼を戦場に出さないのか、と。もしもウルが言ったようなことが理由であるのなら、明日からでも子どものお守りからは解放させてもらうのだ。

 そう、ロキスが心に決めた時。

 対岸で、ほんの一瞬何かがキラリと光を弾いた。遥か向こうの樹の陰に目を凝らす。

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