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第三章:角笛の音色と新たな夜明け
仕掛け②
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「で? 状況は?」
天幕の中、面前にひざまずいたイアンにアウストルが訊く。
いつも通りの彼だが、だからこそ、恐ろしい。その胸中は、イアンにもフィアルにも読むことができないのだ。
今、ニダベリル軍の進行は止まっていた――道にいくつも掘られた穴の所為で。それを埋める為、今日はここでの足止めを余儀なくされていた。
「は……グイ大隊の食糧は三分の二が焼かれました。追撃により戦闘不能な怪我を負った兵士は五十三名、馬は二十七頭が使えなくなりました」
「この『悪戯』の所為でか?」
「多くは、そうです。穴はかなり深く掘られており……脚や腕を折ったものが大半で。後は矢傷です」
イアンは事実だけを述べる。下手に『言い訳』を口にしようものならより一層アウストルの不興を買うことは、判りきっていることだった。
その報告に、アウストルは物憂げに問う。
「馬に乗りながら弓を射てきたと言っていたな?」
「はい。馬の扱いがとても巧みで」
「ミドルガド、か」
それは、かつてニダベリルが滅ぼした部族だった。降伏しようとしなかったあの騎馬民族は、根絶やしにした筈だった。確かに、馬を自在に操る彼らには多少手こずったが、結局は『ミドルガド』という部族は消滅した――と思われていた。
「確か、グランゲルドの東方の土地だったな。ここに流れてきていたのか。まだ刃向う気になろうとは、どうやら叩き方が足りなかったと見える」
アウストルは頬杖をついて人差し指でこめかみを叩く。わずかに伏せたその深い緑の目は、まるで底のない沼のように彼の心の奥を覆い隠していた。
失態に、怒りを見せているわけではない。ただ眉間の皺を深くした王に、イアンもフィアルもただ頭を垂れて控えるだけだ。
天幕の中には二人の将軍を押し潰しそうな空気が垂れ込めた。
しばしの沈黙。
と、不意に、それがフッと軽くなる。
アウストルは身体を起こすと将軍二人に指示を出した。
「まあ、いい。脚を折った馬は楽にしてやれ。食糧の足しになるだろう。怪我人は足手まといだ。本国に帰らせろ」
「は」
「穴をさっさと埋めさせろ。一日でやれ」
「すぐに」
イアンとフィアルは即座に首肯すると、余計なことは言わずに天幕を出て行った。
「あちらも何やら考えてはいるようだな」
アウストルは独り呟く。
この道の先には川がある。そこにかかる橋は、十六年前にこのニダベリルが造ったものだ。あの時もその橋を挟んで戦い――敗れた。
今彼が目指しているのも同じ場所だ。
多分、グランゲルドは同じ場所で防衛線を築くだろう。以前敗れた場所で再び戦うのは、落馬した後に再び馬に乗ろうとするようなものだ。今回勝利すれば、過去の敗北は抹消できる。
行く場所が決まっているならば、必然的に、進路も決まってくる。通る道を予測されているということは、その分危険も多い――今回のように。
それでもこの道を行くのは、新たにこれだけの道を切り拓くだけの手間をかける余裕がない、というのが一番の理由だが、もう一つ。かつて敗れた相手を完膚なきまでに力でねじ伏せる必要があったからだ。どんな手を打たれようと、ニダベリルは純粋な力で叩き伏せるのだ。
一度は敗れた同じ相手を、今度こそ、屈服させてみせる。
アウストルはそう考えて、ふと唇を歪めた。
「いや……『同じ』にはならないか」
ゲルダ・ロウグはいないのだから。
彼女がいないグランゲルドなど、今のニダベリルにとって地を這う虫よりもたわいないものだ。兵の数も、戦った経験も、手にしている武器も、ニダベリルはこの十六年で大きく発展した。
かつてと同じようにグランゲルドがニダベリルを阻もうとしても、今の彼らには投石器もある。どんなに強固な防衛線も、一溜まりもないだろう。
通るだけで踏み潰せる。
だからこそ、完璧な勝利を手に入れなければならない。
その筈なのだが。
「剣戟の響きを聞かぬうちに五十名余りが失われるとは、な」
落とし穴とは、まるで子どもの遊びのような手だった。ふざけた仕業には違いないが――効果はあった。ニダベリルにとって五十人の兵士など大した損失でない。しかし、それを失った経緯が、アウストルには気に入らなかった。
ニダベリルが成長したように、グランゲルドにも何か変化が起きているのだろうか。
そんなふうに考えて、彼は頭を振る。
それがどんな変化であるにしろ、こんな姑息な手段を用いるということは、大したものではない筈だ。グランゲルドも切羽詰まっているのに違いない。
いずれにせよ、ニダベリルの勝利は揺るぎない――そうでなければ、ならなかった。
天幕の中、面前にひざまずいたイアンにアウストルが訊く。
いつも通りの彼だが、だからこそ、恐ろしい。その胸中は、イアンにもフィアルにも読むことができないのだ。
今、ニダベリル軍の進行は止まっていた――道にいくつも掘られた穴の所為で。それを埋める為、今日はここでの足止めを余儀なくされていた。
「は……グイ大隊の食糧は三分の二が焼かれました。追撃により戦闘不能な怪我を負った兵士は五十三名、馬は二十七頭が使えなくなりました」
「この『悪戯』の所為でか?」
「多くは、そうです。穴はかなり深く掘られており……脚や腕を折ったものが大半で。後は矢傷です」
イアンは事実だけを述べる。下手に『言い訳』を口にしようものならより一層アウストルの不興を買うことは、判りきっていることだった。
その報告に、アウストルは物憂げに問う。
「馬に乗りながら弓を射てきたと言っていたな?」
「はい。馬の扱いがとても巧みで」
「ミドルガド、か」
それは、かつてニダベリルが滅ぼした部族だった。降伏しようとしなかったあの騎馬民族は、根絶やしにした筈だった。確かに、馬を自在に操る彼らには多少手こずったが、結局は『ミドルガド』という部族は消滅した――と思われていた。
「確か、グランゲルドの東方の土地だったな。ここに流れてきていたのか。まだ刃向う気になろうとは、どうやら叩き方が足りなかったと見える」
アウストルは頬杖をついて人差し指でこめかみを叩く。わずかに伏せたその深い緑の目は、まるで底のない沼のように彼の心の奥を覆い隠していた。
失態に、怒りを見せているわけではない。ただ眉間の皺を深くした王に、イアンもフィアルもただ頭を垂れて控えるだけだ。
天幕の中には二人の将軍を押し潰しそうな空気が垂れ込めた。
しばしの沈黙。
と、不意に、それがフッと軽くなる。
アウストルは身体を起こすと将軍二人に指示を出した。
「まあ、いい。脚を折った馬は楽にしてやれ。食糧の足しになるだろう。怪我人は足手まといだ。本国に帰らせろ」
「は」
「穴をさっさと埋めさせろ。一日でやれ」
「すぐに」
イアンとフィアルは即座に首肯すると、余計なことは言わずに天幕を出て行った。
「あちらも何やら考えてはいるようだな」
アウストルは独り呟く。
この道の先には川がある。そこにかかる橋は、十六年前にこのニダベリルが造ったものだ。あの時もその橋を挟んで戦い――敗れた。
今彼が目指しているのも同じ場所だ。
多分、グランゲルドは同じ場所で防衛線を築くだろう。以前敗れた場所で再び戦うのは、落馬した後に再び馬に乗ろうとするようなものだ。今回勝利すれば、過去の敗北は抹消できる。
行く場所が決まっているならば、必然的に、進路も決まってくる。通る道を予測されているということは、その分危険も多い――今回のように。
それでもこの道を行くのは、新たにこれだけの道を切り拓くだけの手間をかける余裕がない、というのが一番の理由だが、もう一つ。かつて敗れた相手を完膚なきまでに力でねじ伏せる必要があったからだ。どんな手を打たれようと、ニダベリルは純粋な力で叩き伏せるのだ。
一度は敗れた同じ相手を、今度こそ、屈服させてみせる。
アウストルはそう考えて、ふと唇を歪めた。
「いや……『同じ』にはならないか」
ゲルダ・ロウグはいないのだから。
彼女がいないグランゲルドなど、今のニダベリルにとって地を這う虫よりもたわいないものだ。兵の数も、戦った経験も、手にしている武器も、ニダベリルはこの十六年で大きく発展した。
かつてと同じようにグランゲルドがニダベリルを阻もうとしても、今の彼らには投石器もある。どんなに強固な防衛線も、一溜まりもないだろう。
通るだけで踏み潰せる。
だからこそ、完璧な勝利を手に入れなければならない。
その筈なのだが。
「剣戟の響きを聞かぬうちに五十名余りが失われるとは、な」
落とし穴とは、まるで子どもの遊びのような手だった。ふざけた仕業には違いないが――効果はあった。ニダベリルにとって五十人の兵士など大した損失でない。しかし、それを失った経緯が、アウストルには気に入らなかった。
ニダベリルが成長したように、グランゲルドにも何か変化が起きているのだろうか。
そんなふうに考えて、彼は頭を振る。
それがどんな変化であるにしろ、こんな姑息な手段を用いるということは、大したものではない筈だ。グランゲルドも切羽詰まっているのに違いない。
いずれにせよ、ニダベリルの勝利は揺るぎない――そうでなければ、ならなかった。
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