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第三章:角笛の音色と新たな夜明け
フォルスとフレイ②
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一夜が明けて。
フレイ王が去った部屋の中で、フォルスは彼が残した言葉を頭の中で繰り返していた。
フレイから聞かされた、彼が――フリージアが成したいと望んでいることは、エルフィアの未来を大きく塗り替えるものだった。
フォルスの決断一つで、エルフィアは再び悲惨な境遇に転がり落ちるかもしれない。以前と同じか――あるいは、それよりもひどいことになるかもしれないのだ。
ヒトには、散々な目に遭わされてきた。
両親も祖父母もボロボロだった。
この地に落ち着いてからも、長い間、小さな物音に怯え、夜には誰かが眠らず番をしていた。
里の中に笑い声が響き、子ども達を自由に走らせることができるようになったのは、ここ百年ほどの事である。
ようやく安らぎを得られた皆から、再びそれを奪うことになるかもしれない。
フォルスは立ち上がり、落ち着きなく部屋の中を歩き回る。
グランゲルドの王は――民は、信じるに値する人間である。
そう思っても、フォルスには一歩を踏み出すことができない。
エルフィアの全てが彼の両肩にずしりとのしかかってきていた。今ほど、その重さを感じたことはない。
だが、フォルスは決断を下さなければならないのだ。王であるフレイがそうしたように、それが、長たる彼の為すべきことだった。
フレイは一つの提案を残していったが、最後まで彼の考えを述べるだけで、「こうして欲しい」という言葉を口にすることはなかった。断るのも、承諾するのも、どちらもフォルスに一任していったのだ。
フレイが成そうとしていることが実を結べば、それはエルフィアの前に新たな未来が拓かれる。だが、もしも失敗したり、あるいは裏切られたりしたら――
どうすることが、一番エルフィアにとって良いことなのか。
フレイを信じて先の見えない扉を開くことか、それとも、今のまま、閉ざされた世界で種を繋いでいくことか。
迷う彼の耳に、戸を叩く音が届く。
恐らくエイギルだろう。彼がフォルスの結論を確かめに来たのかもしれない。
「入れ」
視線を上げ、戸口にそう声をかける。
やがて入ってきたのは確かにエイギルだったが、他にも数人が部屋の中に姿を現した。
フォルスは眉をひそめて彼らを見渡す。皆、せいぜい百歳を越したくらいの、年若いエルフィア達だった。それが、四人ほど。ソルも含めて、かねてからフォルスの元に直談判に訪れていた者達だ。エルフィアはマナヘルムから出てヒトと交流するべきだと、彼らは何度も訴えてきていた。
「何だ?」
重大な決断を下さねばならないという時に、子どもの相手をしている暇はない。
出て行くように言いかけたフォルスに先んじて、中の一人が口を開いた。子ども達の中では一番年長な、銀青色の髪をした、風の力を使う子だ。
「僕たちが戦場に行くことを許してください」
「何?」
唐突な訴えに眉間に皺を寄せたフォルスを見上げて、少年は迷いのない口調で言う。
「ソルが戦場に付いて行ったと、昨日の王様のお供の人から聞きました。僕達も行かせて欲しいんです」
「エルフィアの力を、戦に使う気か?」
フォルスは眦《まなじり》を厳しくする。
力を使って他者を害する――それは、長い間エルフィアでは禁じられてきたことだった。
「それは……判りません。もしかしたら、使うかも」
少年は一度視線を下げたが、またすぐにフォルスを見据えてきた。
「ソルとは大人達を説得するって約束したけど、待ってられない。僕達も動きたいんです。エルフィアだって、この世界の一員なんだ。僕達エルフィアのことでヒト同士が争おうとしているのに、ただその結果を待っているだけだなんて、イヤなんです」
怯えも不安もない、その眼差し。
子ども達は、外の世界を知らない世代だ。上の世代がいかに辛酸を舐めてきたか、伝え聞きでしか知らないのだ。同じ経験をしていたら、きっとこんなことは言えないに違いない。
無知ゆえの、勇気。それは蛮勇というものではなかろうか。
――だが。
そんな子ども達のことを、フォルスは鼻で笑い飛ばすことはできなかった。
大人達が囚われている負の記憶。それをいつまでも子ども達に継がせていくべきなのか。
フォルス達は、それを『教訓』だと思っていた。
しかし、果たしてそうなのだろうか。本当に、何かを教え諭していることになっているのだろうか。いつしか、ただの怯懦な言い訳と成り果てていなかったであろうか。
子ども達は確かな意志を込めた眼差しをフォルスに注いでいる。彼らは、暗い過去を持たない、明るい未来だけが待っている世代だ。
そんな子ども達の為にできること――するべきこととは何なのか。
「フォルス」
不意に、それまで口を閉ざしていたエイギルがフォルスを呼ぶ。そちらに目を向けると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「この里の者は、あなたの決断を全面的に受け入れます」
そう言って、彼は銀水色の髪を微かに揺らして頷く。
フォルスは自らの両掌に目を向けた。多くのものが委ねられているその手を見つめ、ゆっくりと握り締める。
そうして、エルフィアの長は彼らが採るべき新たな道を決めた。
その先に何が待っているのかは判らない。
けれども、もう一度だけヒトを信じてみようと、彼は決めたのだ。
フレイ王が去った部屋の中で、フォルスは彼が残した言葉を頭の中で繰り返していた。
フレイから聞かされた、彼が――フリージアが成したいと望んでいることは、エルフィアの未来を大きく塗り替えるものだった。
フォルスの決断一つで、エルフィアは再び悲惨な境遇に転がり落ちるかもしれない。以前と同じか――あるいは、それよりもひどいことになるかもしれないのだ。
ヒトには、散々な目に遭わされてきた。
両親も祖父母もボロボロだった。
この地に落ち着いてからも、長い間、小さな物音に怯え、夜には誰かが眠らず番をしていた。
里の中に笑い声が響き、子ども達を自由に走らせることができるようになったのは、ここ百年ほどの事である。
ようやく安らぎを得られた皆から、再びそれを奪うことになるかもしれない。
フォルスは立ち上がり、落ち着きなく部屋の中を歩き回る。
グランゲルドの王は――民は、信じるに値する人間である。
そう思っても、フォルスには一歩を踏み出すことができない。
エルフィアの全てが彼の両肩にずしりとのしかかってきていた。今ほど、その重さを感じたことはない。
だが、フォルスは決断を下さなければならないのだ。王であるフレイがそうしたように、それが、長たる彼の為すべきことだった。
フレイは一つの提案を残していったが、最後まで彼の考えを述べるだけで、「こうして欲しい」という言葉を口にすることはなかった。断るのも、承諾するのも、どちらもフォルスに一任していったのだ。
フレイが成そうとしていることが実を結べば、それはエルフィアの前に新たな未来が拓かれる。だが、もしも失敗したり、あるいは裏切られたりしたら――
どうすることが、一番エルフィアにとって良いことなのか。
フレイを信じて先の見えない扉を開くことか、それとも、今のまま、閉ざされた世界で種を繋いでいくことか。
迷う彼の耳に、戸を叩く音が届く。
恐らくエイギルだろう。彼がフォルスの結論を確かめに来たのかもしれない。
「入れ」
視線を上げ、戸口にそう声をかける。
やがて入ってきたのは確かにエイギルだったが、他にも数人が部屋の中に姿を現した。
フォルスは眉をひそめて彼らを見渡す。皆、せいぜい百歳を越したくらいの、年若いエルフィア達だった。それが、四人ほど。ソルも含めて、かねてからフォルスの元に直談判に訪れていた者達だ。エルフィアはマナヘルムから出てヒトと交流するべきだと、彼らは何度も訴えてきていた。
「何だ?」
重大な決断を下さねばならないという時に、子どもの相手をしている暇はない。
出て行くように言いかけたフォルスに先んじて、中の一人が口を開いた。子ども達の中では一番年長な、銀青色の髪をした、風の力を使う子だ。
「僕たちが戦場に行くことを許してください」
「何?」
唐突な訴えに眉間に皺を寄せたフォルスを見上げて、少年は迷いのない口調で言う。
「ソルが戦場に付いて行ったと、昨日の王様のお供の人から聞きました。僕達も行かせて欲しいんです」
「エルフィアの力を、戦に使う気か?」
フォルスは眦《まなじり》を厳しくする。
力を使って他者を害する――それは、長い間エルフィアでは禁じられてきたことだった。
「それは……判りません。もしかしたら、使うかも」
少年は一度視線を下げたが、またすぐにフォルスを見据えてきた。
「ソルとは大人達を説得するって約束したけど、待ってられない。僕達も動きたいんです。エルフィアだって、この世界の一員なんだ。僕達エルフィアのことでヒト同士が争おうとしているのに、ただその結果を待っているだけだなんて、イヤなんです」
怯えも不安もない、その眼差し。
子ども達は、外の世界を知らない世代だ。上の世代がいかに辛酸を舐めてきたか、伝え聞きでしか知らないのだ。同じ経験をしていたら、きっとこんなことは言えないに違いない。
無知ゆえの、勇気。それは蛮勇というものではなかろうか。
――だが。
そんな子ども達のことを、フォルスは鼻で笑い飛ばすことはできなかった。
大人達が囚われている負の記憶。それをいつまでも子ども達に継がせていくべきなのか。
フォルス達は、それを『教訓』だと思っていた。
しかし、果たしてそうなのだろうか。本当に、何かを教え諭していることになっているのだろうか。いつしか、ただの怯懦な言い訳と成り果てていなかったであろうか。
子ども達は確かな意志を込めた眼差しをフォルスに注いでいる。彼らは、暗い過去を持たない、明るい未来だけが待っている世代だ。
そんな子ども達の為にできること――するべきこととは何なのか。
「フォルス」
不意に、それまで口を閉ざしていたエイギルがフォルスを呼ぶ。そちらに目を向けると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「この里の者は、あなたの決断を全面的に受け入れます」
そう言って、彼は銀水色の髪を微かに揺らして頷く。
フォルスは自らの両掌に目を向けた。多くのものが委ねられているその手を見つめ、ゆっくりと握り締める。
そうして、エルフィアの長は彼らが採るべき新たな道を決めた。
その先に何が待っているのかは判らない。
けれども、もう一度だけヒトを信じてみようと、彼は決めたのだ。
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