68 / 133
第二章:大いなる冬の訪れ
焦燥①
しおりを挟む
王宮の廊下を歩きながら、彼は二日前に黒衣の男から受けた報告を思い返していた。
彼が契約を交わしている組織は、ありとあらゆる影の仕事を引き受けてくれる。
ロウグ家の隠し子の情報をもたらしたのは組織の者だったし、他国の者が不穏な考えを抱いたと知らされれば、それなりの対処も依頼した。ゲルダを仕留めたのも彼らだ――もっとも、戦回避の為に試みた筈の行為は、娘が現れたことで結局意味のないものになってしまったが。
彼女を殺したことへの微かな後悔は、彼の中にも確かにある。だが、あれも熟慮の上の決断だった。あの時は、それが一番の方法だと思ったのだ。
この美しい国を美しいままで保つには、あらゆる手段を用いなければならない。
優しい王、穏やかな国民、豊かで争いのない国。それらを護る為には、汚泥に手を突っ込むこともしよう――彼なりの正義に則って。
彼にとっては、手段ではなく結果が全てだった。最終的に、このグランゲルドが平穏なままで保たれていればいい。
殆どの場合、組織は期待に沿う結果をもたらしてくれた。数少ない例外はロウグ家の娘に関する依頼ばかりだったが、ようやくそれも成し遂げられたようだ。
組織は、遠く離れた者と言葉を交わせるエルヴン――エルフィアとヒトとの間に生まれる存在のことも、彼はこの組織の者から教えられた――を擁している。その者の力によって、彼の依頼の首尾の報せは速やかに届けられた。
彼女は、確かにあの毒を受けたという――彼女の母親の命を奪った、あの毒を。あれの効果は、彼もよく知っていた。ひとたび食らえば逃れる術はない。
短剣は彼女の腕を削いだ程度だというから、今は怪我を気にすることもなく襲撃をしのいだことに胸を撫で下ろしていることだろう。だが、遅かれ早かれ、彼女の命は失われるのだ。
念の為に、まだ刺客たちは彼女の近くに忍ばせてある。だが、敢えて刃で仕留めずとも、毒が効いてくるのを待てばいいのだ。
常に娘の傍から離れずその身を護る者――オルディン。あの男は、腕が立つ。それもそうだ。かつて幼い彼女を殺そうとした時、組織の中で最も優れた者をと注文を出し、そして選ばれた男だったのだから。
まさか、暗殺者が守護者に転じるとは、思いも寄らなかったが。
力押しで彼女の命を狙えば、あのオルディンに阻まれるだろう。無駄に屍が増えるだけで、それは男の望むことではない。元組織の者とは言え、出奔して十年以上になる今の彼があの毒の解毒薬を持っているということはない筈だ。
だから、ただ、待てばいい。
待てばいいのだが――
男の胸中は何故か落ち着かない。
「さて、どうしたものか」
ポツリと呟く。
確実に息の根を止めるなら、今が好機だ。二日経って、きっと、気が緩み始めている頃だろう。逆に、時間を置けば再襲撃への警戒心がまた高まってきてしまう。
狙うなら、今。彼の短い合図一つで、男たちは直ちに動く。
だが。
――あの毒を受けてなお生き延びるというのなら、それは天が彼女の側にある、ということなのかもしれない。
彼の胸を、そんな考えがよぎる。
と、不意に、中庭の方が騒がしくなった。
彼が契約を交わしている組織は、ありとあらゆる影の仕事を引き受けてくれる。
ロウグ家の隠し子の情報をもたらしたのは組織の者だったし、他国の者が不穏な考えを抱いたと知らされれば、それなりの対処も依頼した。ゲルダを仕留めたのも彼らだ――もっとも、戦回避の為に試みた筈の行為は、娘が現れたことで結局意味のないものになってしまったが。
彼女を殺したことへの微かな後悔は、彼の中にも確かにある。だが、あれも熟慮の上の決断だった。あの時は、それが一番の方法だと思ったのだ。
この美しい国を美しいままで保つには、あらゆる手段を用いなければならない。
優しい王、穏やかな国民、豊かで争いのない国。それらを護る為には、汚泥に手を突っ込むこともしよう――彼なりの正義に則って。
彼にとっては、手段ではなく結果が全てだった。最終的に、このグランゲルドが平穏なままで保たれていればいい。
殆どの場合、組織は期待に沿う結果をもたらしてくれた。数少ない例外はロウグ家の娘に関する依頼ばかりだったが、ようやくそれも成し遂げられたようだ。
組織は、遠く離れた者と言葉を交わせるエルヴン――エルフィアとヒトとの間に生まれる存在のことも、彼はこの組織の者から教えられた――を擁している。その者の力によって、彼の依頼の首尾の報せは速やかに届けられた。
彼女は、確かにあの毒を受けたという――彼女の母親の命を奪った、あの毒を。あれの効果は、彼もよく知っていた。ひとたび食らえば逃れる術はない。
短剣は彼女の腕を削いだ程度だというから、今は怪我を気にすることもなく襲撃をしのいだことに胸を撫で下ろしていることだろう。だが、遅かれ早かれ、彼女の命は失われるのだ。
念の為に、まだ刺客たちは彼女の近くに忍ばせてある。だが、敢えて刃で仕留めずとも、毒が効いてくるのを待てばいいのだ。
常に娘の傍から離れずその身を護る者――オルディン。あの男は、腕が立つ。それもそうだ。かつて幼い彼女を殺そうとした時、組織の中で最も優れた者をと注文を出し、そして選ばれた男だったのだから。
まさか、暗殺者が守護者に転じるとは、思いも寄らなかったが。
力押しで彼女の命を狙えば、あのオルディンに阻まれるだろう。無駄に屍が増えるだけで、それは男の望むことではない。元組織の者とは言え、出奔して十年以上になる今の彼があの毒の解毒薬を持っているということはない筈だ。
だから、ただ、待てばいい。
待てばいいのだが――
男の胸中は何故か落ち着かない。
「さて、どうしたものか」
ポツリと呟く。
確実に息の根を止めるなら、今が好機だ。二日経って、きっと、気が緩み始めている頃だろう。逆に、時間を置けば再襲撃への警戒心がまた高まってきてしまう。
狙うなら、今。彼の短い合図一つで、男たちは直ちに動く。
だが。
――あの毒を受けてなお生き延びるというのなら、それは天が彼女の側にある、ということなのかもしれない。
彼の胸を、そんな考えがよぎる。
と、不意に、中庭の方が騒がしくなった。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……
karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。
【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる