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第二章:大いなる冬の訪れ
毒①
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納屋を出ていくオルディンとロキスを見送ったフリージアは、エイルとソルに向き直った。
「大丈夫だから、ここでじっとしててね」
「何なの?」
ソルが眉をひそめてフリージアを見上げてくるが、そこに怯えた色はない。多分、危害を加えられたことのない小鳥が平気で人の肩に乗ってくるのと同じだ。エルフィアの里という安全地帯で脅かされたという経験がなかったから、危険を感じることがないのだろう。
怯えていないのなら、敢えて怖がらせる必要はない。
「ん、まあ、ちょっとね。でもオルディンに任せておいたら大丈夫だから。ほら、そっち行って」
フリージアは笑いながらそう言って、二人をできる限り壁際にやった。そうして、彼女は自分の剣を抜く。
やがて聞こえてきたのは剣戟の音。
絶えることなく響いてくるそれから、戦いはかなり激しいものであると判る。
敵の数を計ろうと耳を澄ましてみても、フリージアには予測もつかない。でき得ることなら自分も戦いたかったが、エイル達を守らなければならないのも事実だ。
ちらりと視線を下に向けると、膝を抱えて座り込んでいるエイルと、その横に、外から聞こえてくる音に不安そうな色を浮かべ始めたソルの顔があった。彼女に向けて、もう一度ニコリと笑いかける。
あまり大きな物音を立てていては、じきに村人が気付いてしまうだろう。そうなると、彼らに危害が及ぶかもしれない。
――それまでには片を着けて欲しいんだけどな。
フリージアは小さくため息をつく。
十中八九この襲撃はフリージアを狙ったものだから、もしも村人が傷付くようなことがあれば、それは彼女の所為でもある。
関節が白くなるほどに力が入った剣の柄を握るフリージアの手に、何かが触れた。
エイルだ。
無表情な面――けれども、その奥に多くのものが渦巻いていることを、今のフリージアはもう知っている。
「大丈夫だよ」
フリージアは微笑みと共にエイルにそう声をかける。
その時。
コトリ、と、微かな物音が耳に届いた。
サッと振り返ったが、入口の扉は閉じたままだ。
――気の所為?
フリージアは耳と神経を研ぎ澄ませて気配を探る。
再び、今度はキシ、と木の軋む音。それは上の方から聞こえた気がして、フリージアは視線を上に向けた。
目に入ったのは、小さな天窓。
そして。
ハッと思った時には、それはすでに放たれていた。
燭台の灯かりに煌めく銀閃。
迫る短剣を、手にしたその剣で払い落とせばよかったのかもしれない。フリージアには、その技があった。だが、技はあっても、彼女は歴戦の兵士ではない。
咄嗟に取れたのは、理性ではなく感情に基づいた、全く別の行動だった。
フリージアはクルリと身を翻して、エイルとソルを抱え込む。直後、腕に走った鋭い痛み。彼女の上腕を削いだ短剣は、鈍い音と共に壁へと突き刺さった。
「ッ!」
「フリージア!?」
悲鳴のようなソルの声に答える余裕はなくフリージアは振り返り、天窓へと目を走らせる。そこには、もう何もなかった。ぽかりと開いた空間から、暗い夜空が見えるだけ。
「あれだけ……?」
呟いてみても、いない者はいなかった。
「ちょっと、フリージア、その腕大丈夫なの?」
「え? これ? 全然平気。かすり傷だよ――エイル、ダメ!」
フリージアは心配そうに声をかけてきたソルにニコリと笑い、傷に手を伸ばしてきたエイルをピシャリと制止する。
「こんな傷、放っておいてもすぐに治っちゃうんだから、力は使わなくていいの!」
言いながらフリージアは腕を伸ばして傷の具合を確認する。本当に、たいした怪我ではなかった。三日もすれば、自然と塞がってしまうだろう。小さい頃、落ちた雛を軒下の巣に戻そうとして屋根から落ちた時の方が、余程大きな怪我だった。
と、突然大きな音を立てて扉が開け放たれる。
まさか、オルディン達が敗れたのかとフリージアの全身に緊張が走る。だが、目を走らせた先に見えた姿に拍子抜けした。
「オル?」
彼は、無言で大股に近づいてくる。が、不意にその足を止めた。
「ジア……その腕は……」
呆然とした声は、オルディンらしくないものだった。
「どうしたの? 外は大丈夫? ロキスは?」
立て続けのフリージアの問いには答えず、オルディンは再び近付いてくる。彼の目は『彼女を』というより彼女の腕を――そこにある傷を凝視していた。
フリージアの元まで来ると、彼女の腕を掴んで持ち上げる。
「この傷はどうしたんだ? 何で付いた?」
「え? ああ、そこの短剣。あそこの天窓から投げてきたんだけど、それだけで行っちゃったんだ。狭くて入れなかったからって、苦し紛れだったのかな」
壁の低い位置に突き立った短剣へ視線を流しながらフリージアがそう答えると、オルディンの目もそちらへ移る。そして彼女の腕を放すと身を屈めてその短剣を抜き取った。その切っ先を見つめる彼の目がすがめられる。
「クソッ!」
常の彼らしくない、切羽詰まった声での毒付きに、フリージアは眉をひそめた。
「どうしたのさ。かすり傷だよ?」
「ああ、傷はな」
そう言ったきり、オルディンは口を閉ざして考え込んでいる。
と、今度はロキスが入ってきた。
「あ、ロキス、外は?」
「何だか知らねぇが、消えちまった」
「え?」
肩を竦めながらのロキスの返事に、フリージアは眉根を寄せる。彼は言葉を変えて繰り返した。
「サァッとな、逃げてきやがったぜ?」
「どういうこと? 何しに来たんだろ」
「オレに訊くなよ」
「そりゃそうだよね……」
フリージアは腕を組んで首をかしげる。呆れた口調のロキスに代わって彼女の呟きに答えたのは、オルディンだった。
「目的は、果たしていった」
「大丈夫だから、ここでじっとしててね」
「何なの?」
ソルが眉をひそめてフリージアを見上げてくるが、そこに怯えた色はない。多分、危害を加えられたことのない小鳥が平気で人の肩に乗ってくるのと同じだ。エルフィアの里という安全地帯で脅かされたという経験がなかったから、危険を感じることがないのだろう。
怯えていないのなら、敢えて怖がらせる必要はない。
「ん、まあ、ちょっとね。でもオルディンに任せておいたら大丈夫だから。ほら、そっち行って」
フリージアは笑いながらそう言って、二人をできる限り壁際にやった。そうして、彼女は自分の剣を抜く。
やがて聞こえてきたのは剣戟の音。
絶えることなく響いてくるそれから、戦いはかなり激しいものであると判る。
敵の数を計ろうと耳を澄ましてみても、フリージアには予測もつかない。でき得ることなら自分も戦いたかったが、エイル達を守らなければならないのも事実だ。
ちらりと視線を下に向けると、膝を抱えて座り込んでいるエイルと、その横に、外から聞こえてくる音に不安そうな色を浮かべ始めたソルの顔があった。彼女に向けて、もう一度ニコリと笑いかける。
あまり大きな物音を立てていては、じきに村人が気付いてしまうだろう。そうなると、彼らに危害が及ぶかもしれない。
――それまでには片を着けて欲しいんだけどな。
フリージアは小さくため息をつく。
十中八九この襲撃はフリージアを狙ったものだから、もしも村人が傷付くようなことがあれば、それは彼女の所為でもある。
関節が白くなるほどに力が入った剣の柄を握るフリージアの手に、何かが触れた。
エイルだ。
無表情な面――けれども、その奥に多くのものが渦巻いていることを、今のフリージアはもう知っている。
「大丈夫だよ」
フリージアは微笑みと共にエイルにそう声をかける。
その時。
コトリ、と、微かな物音が耳に届いた。
サッと振り返ったが、入口の扉は閉じたままだ。
――気の所為?
フリージアは耳と神経を研ぎ澄ませて気配を探る。
再び、今度はキシ、と木の軋む音。それは上の方から聞こえた気がして、フリージアは視線を上に向けた。
目に入ったのは、小さな天窓。
そして。
ハッと思った時には、それはすでに放たれていた。
燭台の灯かりに煌めく銀閃。
迫る短剣を、手にしたその剣で払い落とせばよかったのかもしれない。フリージアには、その技があった。だが、技はあっても、彼女は歴戦の兵士ではない。
咄嗟に取れたのは、理性ではなく感情に基づいた、全く別の行動だった。
フリージアはクルリと身を翻して、エイルとソルを抱え込む。直後、腕に走った鋭い痛み。彼女の上腕を削いだ短剣は、鈍い音と共に壁へと突き刺さった。
「ッ!」
「フリージア!?」
悲鳴のようなソルの声に答える余裕はなくフリージアは振り返り、天窓へと目を走らせる。そこには、もう何もなかった。ぽかりと開いた空間から、暗い夜空が見えるだけ。
「あれだけ……?」
呟いてみても、いない者はいなかった。
「ちょっと、フリージア、その腕大丈夫なの?」
「え? これ? 全然平気。かすり傷だよ――エイル、ダメ!」
フリージアは心配そうに声をかけてきたソルにニコリと笑い、傷に手を伸ばしてきたエイルをピシャリと制止する。
「こんな傷、放っておいてもすぐに治っちゃうんだから、力は使わなくていいの!」
言いながらフリージアは腕を伸ばして傷の具合を確認する。本当に、たいした怪我ではなかった。三日もすれば、自然と塞がってしまうだろう。小さい頃、落ちた雛を軒下の巣に戻そうとして屋根から落ちた時の方が、余程大きな怪我だった。
と、突然大きな音を立てて扉が開け放たれる。
まさか、オルディン達が敗れたのかとフリージアの全身に緊張が走る。だが、目を走らせた先に見えた姿に拍子抜けした。
「オル?」
彼は、無言で大股に近づいてくる。が、不意にその足を止めた。
「ジア……その腕は……」
呆然とした声は、オルディンらしくないものだった。
「どうしたの? 外は大丈夫? ロキスは?」
立て続けのフリージアの問いには答えず、オルディンは再び近付いてくる。彼の目は『彼女を』というより彼女の腕を――そこにある傷を凝視していた。
フリージアの元まで来ると、彼女の腕を掴んで持ち上げる。
「この傷はどうしたんだ? 何で付いた?」
「え? ああ、そこの短剣。あそこの天窓から投げてきたんだけど、それだけで行っちゃったんだ。狭くて入れなかったからって、苦し紛れだったのかな」
壁の低い位置に突き立った短剣へ視線を流しながらフリージアがそう答えると、オルディンの目もそちらへ移る。そして彼女の腕を放すと身を屈めてその短剣を抜き取った。その切っ先を見つめる彼の目がすがめられる。
「クソッ!」
常の彼らしくない、切羽詰まった声での毒付きに、フリージアは眉をひそめた。
「どうしたのさ。かすり傷だよ?」
「ああ、傷はな」
そう言ったきり、オルディンは口を閉ざして考え込んでいる。
と、今度はロキスが入ってきた。
「あ、ロキス、外は?」
「何だか知らねぇが、消えちまった」
「え?」
肩を竦めながらのロキスの返事に、フリージアは眉根を寄せる。彼は言葉を変えて繰り返した。
「サァッとな、逃げてきやがったぜ?」
「どういうこと? 何しに来たんだろ」
「オレに訊くなよ」
「そりゃそうだよね……」
フリージアは腕を組んで首をかしげる。呆れた口調のロキスに代わって彼女の呟きに答えたのは、オルディンだった。
「目的は、果たしていった」
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