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第二章:大いなる冬の訪れ
変革を望む者③
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「わたしたちがヒトを傷付けることができるって知ったら、ヒトはわたしたちを追うでしょう? 敵として。だから、わたしたちは抵抗しないの。この力を利用しようとする者からも逃げて、隠れて、どんなにひどいことをされても歯向かわず、人畜無害ってところを見せるのよ」
幼い口には似合わない台詞だった。そこには、子どもの当てずっぽうだと安易に笑い飛ばせない響きがある。
彼女はしばし緋色の目を伏せていたが、やがてまた視線をフリージアへと向けた。その双眸を強く輝かせて。
「でも、わたしは、今のエルフィアのあり方を変えたいの」
「今の……あり方?」
彼女の台詞を繰り返したフリージアに、子どもは深く頷いた。
「そう。力を使って戦うってところじゃないわよ? それは、やっぱり難しい。わたしたちエルフィアは生まれた時から力でヒトを傷付けるなって刻み込まれ続けるから、口ではやれるって言えても、実際にできるかどうかは判らないの。変えたいのは、この、ここに引きこもり続ける生活の事」
そこで言葉を切ると、彼女はふと苦笑する。
「グランゲルド王がこのマナヘルムにエルフィアが定住することを許してくれたのは、二百三十四年前。最初にここに辿り着いたエルフィアは、それから一度も外に出ていないわ。とにかく、エルフィアが絶えてしまわないように、それだけに腐心して。穏やかと言えば穏やかだけれども、その二百年以上、何の変化もないの。わたしたち若い世代は外の世界を知らないから、ただ、考えが甘いだけなのかもしれない。外に出たら、三日で泣いて帰る羽目になるのかも。でもね」
でも、と彼女は繰り返した。
「それでも、わたしは、外の世界を見てみたいの。この閉じた狭い里でただ数を増やしていくだけなんて、嫌なの。もっと、世界と関わりたい。それにね、あなたも言っていたでしょう? 自分たちの事なのに、何で自分たちで決めないのかって。わたしもそう思うの。流れのままに生きるんじゃなくて、ちゃんと自分の力で行きたい方へ泳いでいきたい」
「そう思っているエルフィアって、他にもいるの? 君――ええと、名前は?」
「あら、ごめんなさい。わたしはソルよ」
「じゃあ、ソル、君の他にも同じように考えてるエルフィアがいるの?」
「ええ。ここ百年くらいの間に生まれたエルフィアは、殆どそんなふうに思っているわ」
ソルがサラリとあげた数字に、フリージアは目を丸くする。
「百年……? って、そんなにいるの?」
ヒトであれば、百年もあればものすごい数の子どもが生まれている。それこそ、一つの国ができてしまいそうなほどに。だが、ソルは苦笑と共に返してきた。
「エルフィアとヒトとでは時の流れが十倍くらい違うもの。それに、言ったでしょう? エルフィアは子どもが生まれにくいって。百年でも六人よ」
「十倍って、じゃあ、君ってそう見えて――」
「ええ。ヒトの時間では五十二年生きているわ」
「そうなんだ……」
呟きながら、フリージアは隣のエイルをチラリと見た。あれで五十歳超えなら、エイルは余裕で百歳を超えているということになるのだろうか。
フリージアの脳裏に、初めて見た時のエイルの姿がよみがえる。首輪をされ、鎖につながれ、窓もない暗い部屋の隅にうずくまっていた小さな姿が。
その長い時のうち、いったいどれほどの間、あんなふうに扱われていたというのか。
それを思うと、腹立たしく、悔しく、そして悲しくなる。
フリージアは殆ど衝動的に両手を上げて、エイルの白銀の髪をクシャクシャと撫で回した。彼女の唐突な行動に、エイルの目が丸く見開かれ、無言で「何?」と問うてくる。
「なんでもないよ」
笑いながらそう答え、止めとばかりにギュウとその細い身体を抱き締め、そして放してやった。
そんなフリージアに、再びソルの声が届く。
「ねえ、わたしを連れて行ってくれない?」
「ソルを?」
「そう。わたしは、外の世界を見てみたいし、人と関わり合いたいし、エルフィアのことを他人任せでもいたくない。だから、連れて行って欲しいの」
「でも……」
フリージアは戸惑いと共にオルディンを振り返る。
ソルは、実際は五十年以上生きているとしても、見た目は幼い子どもだ。それに、これから戦いになることは多分避けられないときている。
そんな環境に連れて行くのは、どうなのだろう。
助けを求めるフリージアの視線に、彼は肩を竦めて返しただけだった。好きにしろよと言わんばかりに。
「じゃあ、ニダベリルとのことにけりが着いたら、迎えに来てあげるよ」
フリージアのその提案に、しかし、ソルはかぶりを振った。
「言ったでしょう? エルフィアのことを他人に投げたままでいたくないって。この力でヒトを傷付けることはできないけど、何かの役には立つと思うわ」
「だけど、さ――」
「お願い」
言いながら、ソルはフリージアの手を両手で握り締める。小さな手のその力の強さが、彼女の決意の揺らぎなさを何よりも雄弁に物語っていた。
ソルの気持ちは、よく解かる。フリージアが彼女の立場なら、きっと同じことを言うだろう。
フリージアの逡巡はそう長いことではなかった。
「うん、わかった」
一つ頷き、そしてその手を握り返す。
「連れて行ってあげる。でも、ちゃんとお母さんとかに言ってきなよ? ダメって言われたら、ダメだからね?」
その言葉に、ソルの顔がパッと輝く。彼女が操る炎のように。
「うん、それは大丈夫。見た目はこんなだけど、ちゃんと話せるようになったら、エルフィアの中では『子ども』じゃなくなるのよ」
「へえ……」
内心で「どう見たって子どもなんだけどな」と呟きながら、フリージアはそう返した。
「ありがとう!」
満面の笑みでそう言ったソルに、フリージアはまあいいか、と笑顔になる。
「よろしくね、ソル」
中身はどうあれ、ソルはやはり幼子だ。それを連れ出すからには、フリージアには彼女を護る義務がある。そしてそれは、エイルに対しても同じだった。
ちゃんと、護ってあげないと。
二人に向ける笑顔の裏で、フリージアはそんな決意を新たにしたのだった。
幼い口には似合わない台詞だった。そこには、子どもの当てずっぽうだと安易に笑い飛ばせない響きがある。
彼女はしばし緋色の目を伏せていたが、やがてまた視線をフリージアへと向けた。その双眸を強く輝かせて。
「でも、わたしは、今のエルフィアのあり方を変えたいの」
「今の……あり方?」
彼女の台詞を繰り返したフリージアに、子どもは深く頷いた。
「そう。力を使って戦うってところじゃないわよ? それは、やっぱり難しい。わたしたちエルフィアは生まれた時から力でヒトを傷付けるなって刻み込まれ続けるから、口ではやれるって言えても、実際にできるかどうかは判らないの。変えたいのは、この、ここに引きこもり続ける生活の事」
そこで言葉を切ると、彼女はふと苦笑する。
「グランゲルド王がこのマナヘルムにエルフィアが定住することを許してくれたのは、二百三十四年前。最初にここに辿り着いたエルフィアは、それから一度も外に出ていないわ。とにかく、エルフィアが絶えてしまわないように、それだけに腐心して。穏やかと言えば穏やかだけれども、その二百年以上、何の変化もないの。わたしたち若い世代は外の世界を知らないから、ただ、考えが甘いだけなのかもしれない。外に出たら、三日で泣いて帰る羽目になるのかも。でもね」
でも、と彼女は繰り返した。
「それでも、わたしは、外の世界を見てみたいの。この閉じた狭い里でただ数を増やしていくだけなんて、嫌なの。もっと、世界と関わりたい。それにね、あなたも言っていたでしょう? 自分たちの事なのに、何で自分たちで決めないのかって。わたしもそう思うの。流れのままに生きるんじゃなくて、ちゃんと自分の力で行きたい方へ泳いでいきたい」
「そう思っているエルフィアって、他にもいるの? 君――ええと、名前は?」
「あら、ごめんなさい。わたしはソルよ」
「じゃあ、ソル、君の他にも同じように考えてるエルフィアがいるの?」
「ええ。ここ百年くらいの間に生まれたエルフィアは、殆どそんなふうに思っているわ」
ソルがサラリとあげた数字に、フリージアは目を丸くする。
「百年……? って、そんなにいるの?」
ヒトであれば、百年もあればものすごい数の子どもが生まれている。それこそ、一つの国ができてしまいそうなほどに。だが、ソルは苦笑と共に返してきた。
「エルフィアとヒトとでは時の流れが十倍くらい違うもの。それに、言ったでしょう? エルフィアは子どもが生まれにくいって。百年でも六人よ」
「十倍って、じゃあ、君ってそう見えて――」
「ええ。ヒトの時間では五十二年生きているわ」
「そうなんだ……」
呟きながら、フリージアは隣のエイルをチラリと見た。あれで五十歳超えなら、エイルは余裕で百歳を超えているということになるのだろうか。
フリージアの脳裏に、初めて見た時のエイルの姿がよみがえる。首輪をされ、鎖につながれ、窓もない暗い部屋の隅にうずくまっていた小さな姿が。
その長い時のうち、いったいどれほどの間、あんなふうに扱われていたというのか。
それを思うと、腹立たしく、悔しく、そして悲しくなる。
フリージアは殆ど衝動的に両手を上げて、エイルの白銀の髪をクシャクシャと撫で回した。彼女の唐突な行動に、エイルの目が丸く見開かれ、無言で「何?」と問うてくる。
「なんでもないよ」
笑いながらそう答え、止めとばかりにギュウとその細い身体を抱き締め、そして放してやった。
そんなフリージアに、再びソルの声が届く。
「ねえ、わたしを連れて行ってくれない?」
「ソルを?」
「そう。わたしは、外の世界を見てみたいし、人と関わり合いたいし、エルフィアのことを他人任せでもいたくない。だから、連れて行って欲しいの」
「でも……」
フリージアは戸惑いと共にオルディンを振り返る。
ソルは、実際は五十年以上生きているとしても、見た目は幼い子どもだ。それに、これから戦いになることは多分避けられないときている。
そんな環境に連れて行くのは、どうなのだろう。
助けを求めるフリージアの視線に、彼は肩を竦めて返しただけだった。好きにしろよと言わんばかりに。
「じゃあ、ニダベリルとのことにけりが着いたら、迎えに来てあげるよ」
フリージアのその提案に、しかし、ソルはかぶりを振った。
「言ったでしょう? エルフィアのことを他人に投げたままでいたくないって。この力でヒトを傷付けることはできないけど、何かの役には立つと思うわ」
「だけど、さ――」
「お願い」
言いながら、ソルはフリージアの手を両手で握り締める。小さな手のその力の強さが、彼女の決意の揺らぎなさを何よりも雄弁に物語っていた。
ソルの気持ちは、よく解かる。フリージアが彼女の立場なら、きっと同じことを言うだろう。
フリージアの逡巡はそう長いことではなかった。
「うん、わかった」
一つ頷き、そしてその手を握り返す。
「連れて行ってあげる。でも、ちゃんとお母さんとかに言ってきなよ? ダメって言われたら、ダメだからね?」
その言葉に、ソルの顔がパッと輝く。彼女が操る炎のように。
「うん、それは大丈夫。見た目はこんなだけど、ちゃんと話せるようになったら、エルフィアの中では『子ども』じゃなくなるのよ」
「へえ……」
内心で「どう見たって子どもなんだけどな」と呟きながら、フリージアはそう返した。
「ありがとう!」
満面の笑みでそう言ったソルに、フリージアはまあいいか、と笑顔になる。
「よろしくね、ソル」
中身はどうあれ、ソルはやはり幼子だ。それを連れ出すからには、フリージアには彼女を護る義務がある。そしてそれは、エイルに対しても同じだった。
ちゃんと、護ってあげないと。
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