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第二章:大いなる冬の訪れ
変革を望む者②
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「我々には我々の事情がある。長い時の流れを経てきた事情が。貴女の尺度に当てはめればおかしく感じられるかもしれないがな。貴女がどんなに言葉を尽くそうとも、エルフィアの答えは同じだ。『グランゲルドの王に任せる』、それ以外にない」
穏やかな口調でキッパリと言い切られ、フリージアはそれ以上の言葉が思い浮かばない。握った拳を身体の脇に下ろし、唇を噛む。
そんな彼女を一瞥すると、フォルスはオルディンに視線を移した。
「長旅で疲れていることだろう。空いている家を探させておくから、今日はここで休んでいくといい」
それだけ残し、あとは踵を返して立ち去って行く。結局彼は、エイルには一度も目をやらなかった。そして、それを皮切りに他のエルフィア達も彼女たちに背を向け始める。
「ジア」
立ち尽くしているフリージアの肩にオルディンの手が置かれる。
「しくじったか、な」
彼に確かめるまでもなく、失敗したのだ。それは、フリージア自身がよく解かっている。
多分、フォルスには青臭く浅慮な小娘として認識されてしまったに違いない。
「もっと、理性的に、『おとな』っぽく話をするつもりだったのに」
「……お前が? そりゃ、無理だろ」
「!」
呆れたようなオルディンの台詞に一瞬頬を膨らませたフリージアだが、すぐに視線を下げてうなだれた。
そんな彼女の手を、エイルがそっと握る。気遣ってくれる想いがひしひしと伝わってきて、フリージアはもう片方の手を上げてその白銀の綿毛を撫でた。
「ありがと、エイル。でも……うう……他にも、話したいことがあったのに……」
ため息混じりのフリージアのぼやきに、オルディンが「ああ」と声を上げた。
「エイルの事か? それなら、別に大丈夫じゃねぇの? その辺のヤツに頼めよ」
「それも考えなくちゃだけど……他の事」
「他?」
「うん、あのさ――」
眉を上げたオルディンに、フリージアが向き直った時だった。
「ねえ、ちょっと」
「はい?」
不意に呼びかけられて、殆ど反射的にフリージアは振り返る。が、誰もいない。
「こっち、もっと下だってば」
「下?」
言われるままに、視線を下げた。と、そこにいたのは、朱色の粉が振り掛けられたような銀色の髪に鮮やかな緋色の目をした、幼女だ。この里に入ってすぐに目に入ってきた、炎を操る子ども。少し吊り上り気味の大きな目が、フリージアを見上げてキラキラと輝いている。
「泊まれるところに案内するから、ついてきてよ」
「あ、うん、ありがとう」
子どもはニコッと笑うと、先に立って弾むように歩き出す。
あてがわれた空き家は里の少し奥の方にあった。住人がいないだけに、部屋の中には何もない。
「後で毛布持ってきてあげる」
「ありがと」
笑って返すと、子どもも同じように笑顔を返してくる。そのまますぐに出て行くのかと思ったら、彼女は首をかしげてフリージアを見つめてきた。
大きな目であまりに真っ直ぐな視線を向けてくるので、フリージアは少々戸惑う。
「何?」
五歳かそこらに見えるその幼女の眼差しは、妙に深みを帯びていた。そこにある色は、まるでフリージアの何倍も年経ているように見える。
しげしげとフリージアを眺めたあと、ようやく幼いエルフィアは口を開いた。
「あのさ、あなたって、さっきは何であんなにムキになったの? エルフィアの事は、あなたには全然関係ないじゃない。こっちが『差し出したかったらそうすれば』って言ってるんだから、素直に『ありがとう、それは助かるわ』でいいでしょ?」
彼女は大人びた口調でそう言うが、改めてそう理由を訊かれると、フリージアも答えに困るのだ。
「何でって、訊かれたってなぁ……うぅん……イヤだから?」
「嫌だから? そんな理由?」
子どもはもっとたいそうな返事を期待していたようで、どこか不満そうな声を上げた。そして、横からは呆れたようなオルディンのため息が聞こえてくる。
フリージアは彼を横目で睨み付けてから、言葉をひねり出そうと頭を絞った。
「えぇっと、えぇと……何だか、他人任せってのがイヤなんだ。自分たちの事なのに、何か他人事みたい。ニダベリルから逃げてきたエルフィアだって、仲間だろ? 何でそう簡単に諦めちゃうわけ?」
言っているうちに、段々フリージアの胸の中には先ほどのモヤモヤとしたものがよみがえってくる。
「渡したくないなら渡したくないって、言ったらいいじゃないか」
そうなのだ。
フォルスの目に一瞬だけ現れた翳り。
フリージアには、あれは苦悩か――慙愧か、とにかく、彼の心を苛んでいるものに見えたのだ。口ではああ言っていても、彼女には、それが彼の本心であるようには思えなかった。
フリージアは唇を噛んで口を閉ざす。
「『大人』はね、諦めることに慣れちゃってるのよ」
呟きは、赤い幼女からのものだった。
「え?」
目を瞬かせるフリージアに、彼女は視線を落として続ける。
「わたしはこのマナヘルムに来てから生まれたから、ここでの暮らししか知らないの。でも、外の世界を知っている大人たちは、みんな口を揃えていかに大変だったかって話をするわ。でも、どんなに大変でも、戦おうとはしなかった。その代り、諦めて、ずっと逃げ続けてきたのよね。で、最後にここに辿り着いた」
「そこが、解からないんだ」
「そこ?」
唇を尖らせたフリージアに、子どもは銀朱色の髪を揺らして首をかしげる。
「何で戦わないのか。さっき、君が火を操ってるのを見たよ? あんなことができるなら、その力で戦ったらいいじゃないか」
「そう単純にはいかないのよ」
「何でさ」
フリージアが返すと、彼女は言葉を選びながら答えた。
「エルフィアは、この力でヒトを傷付けない。それは、ある意味自衛の為でもあるのよ」
「戦わないことが身を守ることだって言うの?」
「そう。エルフィアはね、個としては強いけれど、種としては弱いの。なかなか、次の世代が生まれないのよ。絶対数が少ないうえに、一度失われたら元の数まで戻すのに、何百年もかかってしまう。この力でヒトを十人や二十人殺しても、その為にこちらが一人殺されたら、とてもじゃないけど追い付かないわ。ヒトは数が多いもの。大挙して押し寄せられたら、とうてい敵わない」
大人びた口調で、子どもが淡々とそう告げる。そして、真っ直ぐにフリージアを見つめてきた。
穏やかな口調でキッパリと言い切られ、フリージアはそれ以上の言葉が思い浮かばない。握った拳を身体の脇に下ろし、唇を噛む。
そんな彼女を一瞥すると、フォルスはオルディンに視線を移した。
「長旅で疲れていることだろう。空いている家を探させておくから、今日はここで休んでいくといい」
それだけ残し、あとは踵を返して立ち去って行く。結局彼は、エイルには一度も目をやらなかった。そして、それを皮切りに他のエルフィア達も彼女たちに背を向け始める。
「ジア」
立ち尽くしているフリージアの肩にオルディンの手が置かれる。
「しくじったか、な」
彼に確かめるまでもなく、失敗したのだ。それは、フリージア自身がよく解かっている。
多分、フォルスには青臭く浅慮な小娘として認識されてしまったに違いない。
「もっと、理性的に、『おとな』っぽく話をするつもりだったのに」
「……お前が? そりゃ、無理だろ」
「!」
呆れたようなオルディンの台詞に一瞬頬を膨らませたフリージアだが、すぐに視線を下げてうなだれた。
そんな彼女の手を、エイルがそっと握る。気遣ってくれる想いがひしひしと伝わってきて、フリージアはもう片方の手を上げてその白銀の綿毛を撫でた。
「ありがと、エイル。でも……うう……他にも、話したいことがあったのに……」
ため息混じりのフリージアのぼやきに、オルディンが「ああ」と声を上げた。
「エイルの事か? それなら、別に大丈夫じゃねぇの? その辺のヤツに頼めよ」
「それも考えなくちゃだけど……他の事」
「他?」
「うん、あのさ――」
眉を上げたオルディンに、フリージアが向き直った時だった。
「ねえ、ちょっと」
「はい?」
不意に呼びかけられて、殆ど反射的にフリージアは振り返る。が、誰もいない。
「こっち、もっと下だってば」
「下?」
言われるままに、視線を下げた。と、そこにいたのは、朱色の粉が振り掛けられたような銀色の髪に鮮やかな緋色の目をした、幼女だ。この里に入ってすぐに目に入ってきた、炎を操る子ども。少し吊り上り気味の大きな目が、フリージアを見上げてキラキラと輝いている。
「泊まれるところに案内するから、ついてきてよ」
「あ、うん、ありがとう」
子どもはニコッと笑うと、先に立って弾むように歩き出す。
あてがわれた空き家は里の少し奥の方にあった。住人がいないだけに、部屋の中には何もない。
「後で毛布持ってきてあげる」
「ありがと」
笑って返すと、子どもも同じように笑顔を返してくる。そのまますぐに出て行くのかと思ったら、彼女は首をかしげてフリージアを見つめてきた。
大きな目であまりに真っ直ぐな視線を向けてくるので、フリージアは少々戸惑う。
「何?」
五歳かそこらに見えるその幼女の眼差しは、妙に深みを帯びていた。そこにある色は、まるでフリージアの何倍も年経ているように見える。
しげしげとフリージアを眺めたあと、ようやく幼いエルフィアは口を開いた。
「あのさ、あなたって、さっきは何であんなにムキになったの? エルフィアの事は、あなたには全然関係ないじゃない。こっちが『差し出したかったらそうすれば』って言ってるんだから、素直に『ありがとう、それは助かるわ』でいいでしょ?」
彼女は大人びた口調でそう言うが、改めてそう理由を訊かれると、フリージアも答えに困るのだ。
「何でって、訊かれたってなぁ……うぅん……イヤだから?」
「嫌だから? そんな理由?」
子どもはもっとたいそうな返事を期待していたようで、どこか不満そうな声を上げた。そして、横からは呆れたようなオルディンのため息が聞こえてくる。
フリージアは彼を横目で睨み付けてから、言葉をひねり出そうと頭を絞った。
「えぇっと、えぇと……何だか、他人任せってのがイヤなんだ。自分たちの事なのに、何か他人事みたい。ニダベリルから逃げてきたエルフィアだって、仲間だろ? 何でそう簡単に諦めちゃうわけ?」
言っているうちに、段々フリージアの胸の中には先ほどのモヤモヤとしたものがよみがえってくる。
「渡したくないなら渡したくないって、言ったらいいじゃないか」
そうなのだ。
フォルスの目に一瞬だけ現れた翳り。
フリージアには、あれは苦悩か――慙愧か、とにかく、彼の心を苛んでいるものに見えたのだ。口ではああ言っていても、彼女には、それが彼の本心であるようには思えなかった。
フリージアは唇を噛んで口を閉ざす。
「『大人』はね、諦めることに慣れちゃってるのよ」
呟きは、赤い幼女からのものだった。
「え?」
目を瞬かせるフリージアに、彼女は視線を落として続ける。
「わたしはこのマナヘルムに来てから生まれたから、ここでの暮らししか知らないの。でも、外の世界を知っている大人たちは、みんな口を揃えていかに大変だったかって話をするわ。でも、どんなに大変でも、戦おうとはしなかった。その代り、諦めて、ずっと逃げ続けてきたのよね。で、最後にここに辿り着いた」
「そこが、解からないんだ」
「そこ?」
唇を尖らせたフリージアに、子どもは銀朱色の髪を揺らして首をかしげる。
「何で戦わないのか。さっき、君が火を操ってるのを見たよ? あんなことができるなら、その力で戦ったらいいじゃないか」
「そう単純にはいかないのよ」
「何でさ」
フリージアが返すと、彼女は言葉を選びながら答えた。
「エルフィアは、この力でヒトを傷付けない。それは、ある意味自衛の為でもあるのよ」
「戦わないことが身を守ることだって言うの?」
「そう。エルフィアはね、個としては強いけれど、種としては弱いの。なかなか、次の世代が生まれないのよ。絶対数が少ないうえに、一度失われたら元の数まで戻すのに、何百年もかかってしまう。この力でヒトを十人や二十人殺しても、その為にこちらが一人殺されたら、とてもじゃないけど追い付かないわ。ヒトは数が多いもの。大挙して押し寄せられたら、とうてい敵わない」
大人びた口調で、子どもが淡々とそう告げる。そして、真っ直ぐにフリージアを見つめてきた。
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