ジア戦記

トウリン

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第二章:大いなる冬の訪れ

穏やかなひと時②

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「結局、誰が放った刺客なのかは、判らず仕舞いなの」

 再び口を開いたサーガの声で、フリージアはハッと我に返る。

「彼らは何の痕跡もなく、消え失せてしまって。宣戦布告を受けて間もなくの事でしたから――あの国の企んだこと、と考える者もいましたわ。けれど、どうかしら。確かにゲルダ様はこの国の軍の要だし、あの方が亡くなったことはこの上ない痛手だったけれども、ニダベリルが今更そんな手を使うかしら?」

 フリージアに向けられたサーガのその目はいつもの春の空のようではなく、まるで凍った冬の湖のようだ。

「ここに来る前に、あなたも襲われたのよね?」
「はい」

 フリージアは頷く。さりげなくしていても、それなりに警戒はしていた。基本的にはオルディンと共に行動するし、人目がないところでは決して独りきりにはならない。屋敷でも、オルディンの部屋はフリージアのすぐ隣になっている。

「そう、そうなのよね。そしてそれきり、何事もない。もしかしたら……」

 サーガのその呟きは断片的で、傍で聞いている者には意味を成さない。彼女が押し黙ってしまうと口を開く者は誰もいなくなり、その場はまた、自然のものだけが立てる音に満たされる。

 その静けさの中に、不意に、穏やかな男性の声が響いた。

「おや、女性のお茶会にしては、随分静かだね」
 顔をそちらに向けたサーガが、そこに立つスキルナに華やかな笑みを浮かべる。

「あら、お父様。ごきげんよう」
「サーガ様、美味しそうですね」

 この二人は親子の筈なのだが、フリージアが見ている限り、いつもこんな調子だ。父一人子一人だというのに、さっぱり打ち解けているようには見えない。

「お父様も、いかが?」
「ああ、いや、私は結構です」

 花開くようなサーガの笑顔に、スキルナは穏やかな微笑みを返す。そうしてフリージアに顔を向けると、言った。

「ああ、彼の――あなたがお連れになったロキスという男の尋問が終わるようですよ。多分、明日には会議を開けるのではないかと思います」
「そうなんだ」

 ロキスの真意を確かめる為の、いわゆる『尋問』は三日ほどで終わっていたが、その後、ニダベリル軍の内情などを確かめる為の審問に入っていたのだ。その情報の引き出しも、ようやく終わったのか。

「もうすぐ冬になるし、どうするのか、今度こそ決めないとだよね」
 呟いて、フリージアはそう言えば、とサーガとスキルナに目を向けた。

「あたしやミミル宰相、ビグヴィルとかスキルナ将軍の考えは、判るんだけど……王様って、どうしたいんだろう?」
「フレイ様?」

 首をかしげたサーガに、フリージアは頷く。彼女がニダベリルに行く前の連日の会議でも、フレイの意見は殆ど聞けなかった。今更と言えば今更だが、この国で一番偉いのはフレイなのだから、彼の意見が何よりも優先されるのではないだろうか。

「そう。ミミル宰相は、戦争反対! だよね。ビグヴィルは相手が引かないなら戦闘止む無し、だし、スキルナ将軍はできたら戦いたくない派だよね?」

 話を振られ、スキルナは頷いた。

「ええ……そうですね。私はこの国が争いに巻き込まれる姿を、見たくありませんから」

 そう言った彼の眼差しは典雅な中庭に向けられる。その目は遠く、国の端々まで見通そうとしているかのようだ。

「お父様は、お母様やわたくしよりも、この国を愛していらっしゃるから」

 冗談めかした口調でのサーガの台詞に、スキルナは一つ二つ瞬きをして戻ってくると、苦笑した。

「そんなことはありません。全てを含んで、『この国』なのですよ。私は、全てを護りたいのです――このまま、ずっと、何一つ変えることなく」

 声は穏やかだった。だが、その陰に普段の彼からは窺い知れぬ強さがほの見えた。フリージアと視線が合うとスキルナは目を伏せ、その途端、いつもの彼に戻る。
 あまり見たことのないスキルナの風情に、フリージアの胸に微かなざわめきが走る。だが、それはほんの一瞬のことで、何故そんなふうに感じたのかは彼女自身にも判らなかった。

「ジア?」
 微かに眉根を寄せたフリージアに、オルディンが首をかしげる。

「あ、うん、何でもないよ」

 ヘラッと笑って彼にそう答えたフリージアの耳に届いたのは、柔らかな忍び笑いだ。そちらへ目を向けた彼女に、サーガが淡く微笑みながら、言う。

「フレイ様は、まだ迷われてらしゃるわ。多分、最後の最後まで、諦められないのでしょう」
「諦めない?」
「そう。きっと、本当にギリギリまで、戦わずに済む道を諦めることができないのだわ」

 晴れやかに言った彼女に、オルディンが眉根を寄せて訊く。
「王がそんな優柔不断で、いいのか? 手遅れになっちまうんじゃないのか?」
 彼の懸念を、フリージアは一蹴する。
「どっちに転んでもいいように、準備万端整えてたらいいじゃんか」

 用意していなくて急に戦い、というのなら困るが、用意していたけど急に戦う必要がなくなった、というのなら、全然構わない。できたら、そうなって欲しいところだが。

 明るく笑ったフリージアのその顔に、サーガが眩しそうに目を細めた。

「そういうところ、本当に、ゲルダ様にそっくり」
「そうなんですか?」
「ええ」
「そうなんだぁ」
 頷いて、フリージアは何となく笑ってしまう。

「楽観的という名の能天気だろ。後始末する者の気にも、なってくれよ……」

 笑顔を交わす女性二人の横で、オルディンが深々とため息をついた。終始無言のエイルは、その横で黙々と菓子を食べている。

 戦いの話をしているとは思えない、のどかさだ。けれど、鬱々としていても、仕方がない。選択肢の数は、そう多くないのだから。
 ふと、フリージアは隣の子どもに目をやった。彼女の視線に気づいたエイルが、首をかしげて見返してくる。

「エイルの事も、ちゃんとしないとね」
 何の事? と言わんばかりの銀色の眼差しへ、にっこりと笑い返す。
「お前、また何か変なこと考えてるだろ」
 嫌そうな顔でのオルディンの台詞には、心外な、という顔で答えた。
「まさかぁ。今度は危なくないよ、全然」
「てことは、何かするんだな」
「本当に大丈夫だって。ニダベリルに行くのに比べたら、多分、百分の一も危なくないよ」
「基準は、そこか……」

 オルディンのその声に含まれるのは、明らかな諦めの色だ。心配をかけ通しの彼には申し訳ないが、ニダベリルへ行ったことで、また一つ、彼女自身で為したいことができてしまったのだ。

 だが、今度は本当に危険はない。何しろ、グランゲルド内でできることなのだから。
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