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第二章:大いなる冬の訪れ
追憶②
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しばらくは、沈黙がその場を支配した。アウストルは己自身の奥深くに沈むようにして考え込んでおり、ヴィトルはそんな彼をジッと見つめている。
短くはない時が過ぎた頃、動きのない主に見切りをつけたのか、それとも、充分に観察を済ませた為か、ヴィトルが口を開いた。
「貴方は、あの戦の時、夜になるとよく姿を消しておられましたな」
彼はあの戦いに参謀として同行し、常に皇太子の傍近くにいた――夜の間以外は。
「何だ?」
「いえ……いずこに行っておられたのかと」
「勘繰るか?」
十六年前、間近にいた皇太子と敵国の女将軍。
そして現れた、緑の目を持つ少女。
符号は、合う。
薄く笑いながらのアウストルの問いに、ヴィトルはゆっくりと答える。
「さて。その答えをご存じなのは、ごく限られた方々のみでしょうからな」
曖昧な台詞に、アウストルは苦笑する。
「お前は、件の三人のこと、どう思う?」
「我が国は他国からの流入が激しいですからな。髪や目の色だけでは、何とも」
話題を変え、問いを返してきた王にヴィダルはわずかに目を細めたが、それ以上追及することなく頷いた。
「あの時、我が国のエルフィアの殆どがグランゲルドへと亡命してしまいましたからな。あれ以来、エルフィアの姿を見かけることはなく、『混ざりもの』も減りこそすれ、増やす手段がありませぬ。いずれ、絶え果てましょうぞ」
ここ十年ほど、国内でエルフィアの姿は確認されていない。『混ざりもの』は何体か残っているが、あれらでは繁殖は望めないのだ。
ヴィダルが肩を竦めて続けた。
「数がなければ一体一体の価値が上がるのは必定。裏の市場では、法外な値で取引されているとか。噂を聞きつけて盗みに来る――というのは、充分に有り得ることではありますな」
だから、盗みが目的であったとしても、何の不思議もない。そういう含みがある台詞だったが、彼のその目を見ていると、ヴィダル自身がそう信じているとは思えなかった。
アウストルは、嗤う。
「やはり、あの国には早いところ返すものを返してもらわねばならんな」
「は。十六年前にはかの将軍に後れを取りましたが、今の我が国はあの頃とは違います。必ずや、勝利を手に入れましょうぞ」
「当然だ」
傲然と言い放ち、アウストルは重く頷く。
ニダベリルは勝つ。
それは、驕りではなかった。『勝ちたい』と希望でも、『勝とう』という励ましでもない。この国は常に勝ち続けなければならないのだ。
比類なき強さを持つニダベリル。その強さが民を支えている。
何者にも負けぬ、他国を容赦なく屈服させていく強さを誇る国の民なのだという矜持が、この国の要だった。それがあるからこそ、彼らは過酷な生活にも耐えていられる。
その国の王であるアウストル自身もまた、強くあらねばならなかった。
『強さ』。
アウストルは、ふと、その言葉を胸中で呟く。
それと共に脳裏によみがえったのは、華やかな、炎のような赤。
――あの方は、強い方なんだ。
思慕と憧憬の色を溢れさせて彼を見返してきた、晴れ渡った空のような青。
――その肩には耐えきれないような重荷を背負わされて潰されそうになっても、とうてい護りきれないようなものを包み込もうとしてその腕が千切れそうになっても、どんなに迷って苦しんでも、決して逃げ出しはしないんだ。
彼の中で決して色褪せぬ華やかな笑顔と共に、彼女は言った。
――私や君は、迷わない。迷うということができる強さを持っていないんだ。私たちの見ているものは、一つだけだから。一つだけしか見ようとせず、一つだけ見ていることを赦されているから。でも、あの方は幾つものものを見てしまう。だから、迷うんだ。迷って、足掻いて、苦しんで、でも、それでも立とうとするあの方の支えに、私はなりたいと思う。
そう言いながら、剣を抜き放った彼女。
――私の剣は、あの方に降りかかる火の粉を払う為にある。あの方を、そして、この国を護る為に。
彼女とは三晩剣を交わし、その三回とも勝てなかった。
腕は、互角だった筈だ。では、いったい何がその差をもたらしたのだろう。
アウストルは時折あの時のことを思い返しては考えてみるが、未だに答えは見つかっていない。
そうして彼は当時の王だった父に停戦を言い渡されて国に戻り、それ以降は彼女と会うことがなかった。
彼女の言う『強さ』がアウストルには強さだとは思えなかった。彼にとって強さとは、迷わぬことだ。己の信じる道を迷いなく突き進むことだ。
だが、こうやって、ふとした拍子に彼女のことが胸の中によみがえった時、いつもアウストルの中には一つの考えがよぎっていく。
彼女ともう一度言葉を交わすことができたなら、彼には見えない何かが見えるのかもしれない――そんな考えが。
それは『迷い』なのだろうか。
いいや。
アウストルは頭を振ってその軟弱な思考を振り払う。
この強国ニダベリルの王の中に、そんな文字は存在しない。
「王?」
ヴィダルがアウストルに呼びかける。全てを見通そうとしているかのような、眼差しで。
「何でもない。気にするな」
片手を振ってそう返した彼は、「そう言えば」という風情で宰相に目を向けた。
「奴らは相変わらず書簡を送ってきているのか?」
「は、また届いております。内容は、これまでと同じで」
「懲りない奴らだな」
半月と空けずに届くのは、グランゲルド国王フレイからの親書だ。三通目までは目を通したが、どれも男とは思えぬ優美な手で、和平を促していた。
だが、アウストルの中に『迷い』という文字がないのと同様に、このニダベリルという国には『妥協する』という文字はなかった。ニダベリルが望んだなら、相手は自らそれを差し出すか、あるいは、力づくで奪われるか、なのだ。
「無駄なことを」
その一言で切って捨てたアウストルは、肘掛けに両手を突いて立ち上がる。
「決定は覆らぬ。この冬の雪が溶ければ、出撃だ」
そうして、背を真っ直ぐに伸ばして扉に向かう。彼は、振り返ることはしなかった。
短くはない時が過ぎた頃、動きのない主に見切りをつけたのか、それとも、充分に観察を済ませた為か、ヴィトルが口を開いた。
「貴方は、あの戦の時、夜になるとよく姿を消しておられましたな」
彼はあの戦いに参謀として同行し、常に皇太子の傍近くにいた――夜の間以外は。
「何だ?」
「いえ……いずこに行っておられたのかと」
「勘繰るか?」
十六年前、間近にいた皇太子と敵国の女将軍。
そして現れた、緑の目を持つ少女。
符号は、合う。
薄く笑いながらのアウストルの問いに、ヴィトルはゆっくりと答える。
「さて。その答えをご存じなのは、ごく限られた方々のみでしょうからな」
曖昧な台詞に、アウストルは苦笑する。
「お前は、件の三人のこと、どう思う?」
「我が国は他国からの流入が激しいですからな。髪や目の色だけでは、何とも」
話題を変え、問いを返してきた王にヴィダルはわずかに目を細めたが、それ以上追及することなく頷いた。
「あの時、我が国のエルフィアの殆どがグランゲルドへと亡命してしまいましたからな。あれ以来、エルフィアの姿を見かけることはなく、『混ざりもの』も減りこそすれ、増やす手段がありませぬ。いずれ、絶え果てましょうぞ」
ここ十年ほど、国内でエルフィアの姿は確認されていない。『混ざりもの』は何体か残っているが、あれらでは繁殖は望めないのだ。
ヴィダルが肩を竦めて続けた。
「数がなければ一体一体の価値が上がるのは必定。裏の市場では、法外な値で取引されているとか。噂を聞きつけて盗みに来る――というのは、充分に有り得ることではありますな」
だから、盗みが目的であったとしても、何の不思議もない。そういう含みがある台詞だったが、彼のその目を見ていると、ヴィダル自身がそう信じているとは思えなかった。
アウストルは、嗤う。
「やはり、あの国には早いところ返すものを返してもらわねばならんな」
「は。十六年前にはかの将軍に後れを取りましたが、今の我が国はあの頃とは違います。必ずや、勝利を手に入れましょうぞ」
「当然だ」
傲然と言い放ち、アウストルは重く頷く。
ニダベリルは勝つ。
それは、驕りではなかった。『勝ちたい』と希望でも、『勝とう』という励ましでもない。この国は常に勝ち続けなければならないのだ。
比類なき強さを持つニダベリル。その強さが民を支えている。
何者にも負けぬ、他国を容赦なく屈服させていく強さを誇る国の民なのだという矜持が、この国の要だった。それがあるからこそ、彼らは過酷な生活にも耐えていられる。
その国の王であるアウストル自身もまた、強くあらねばならなかった。
『強さ』。
アウストルは、ふと、その言葉を胸中で呟く。
それと共に脳裏によみがえったのは、華やかな、炎のような赤。
――あの方は、強い方なんだ。
思慕と憧憬の色を溢れさせて彼を見返してきた、晴れ渡った空のような青。
――その肩には耐えきれないような重荷を背負わされて潰されそうになっても、とうてい護りきれないようなものを包み込もうとしてその腕が千切れそうになっても、どんなに迷って苦しんでも、決して逃げ出しはしないんだ。
彼の中で決して色褪せぬ華やかな笑顔と共に、彼女は言った。
――私や君は、迷わない。迷うということができる強さを持っていないんだ。私たちの見ているものは、一つだけだから。一つだけしか見ようとせず、一つだけ見ていることを赦されているから。でも、あの方は幾つものものを見てしまう。だから、迷うんだ。迷って、足掻いて、苦しんで、でも、それでも立とうとするあの方の支えに、私はなりたいと思う。
そう言いながら、剣を抜き放った彼女。
――私の剣は、あの方に降りかかる火の粉を払う為にある。あの方を、そして、この国を護る為に。
彼女とは三晩剣を交わし、その三回とも勝てなかった。
腕は、互角だった筈だ。では、いったい何がその差をもたらしたのだろう。
アウストルは時折あの時のことを思い返しては考えてみるが、未だに答えは見つかっていない。
そうして彼は当時の王だった父に停戦を言い渡されて国に戻り、それ以降は彼女と会うことがなかった。
彼女の言う『強さ』がアウストルには強さだとは思えなかった。彼にとって強さとは、迷わぬことだ。己の信じる道を迷いなく突き進むことだ。
だが、こうやって、ふとした拍子に彼女のことが胸の中によみがえった時、いつもアウストルの中には一つの考えがよぎっていく。
彼女ともう一度言葉を交わすことができたなら、彼には見えない何かが見えるのかもしれない――そんな考えが。
それは『迷い』なのだろうか。
いいや。
アウストルは頭を振ってその軟弱な思考を振り払う。
この強国ニダベリルの王の中に、そんな文字は存在しない。
「王?」
ヴィダルがアウストルに呼びかける。全てを見通そうとしているかのような、眼差しで。
「何でもない。気にするな」
片手を振ってそう返した彼は、「そう言えば」という風情で宰相に目を向けた。
「奴らは相変わらず書簡を送ってきているのか?」
「は、また届いております。内容は、これまでと同じで」
「懲りない奴らだな」
半月と空けずに届くのは、グランゲルド国王フレイからの親書だ。三通目までは目を通したが、どれも男とは思えぬ優美な手で、和平を促していた。
だが、アウストルの中に『迷い』という文字がないのと同様に、このニダベリルという国には『妥協する』という文字はなかった。ニダベリルが望んだなら、相手は自らそれを差し出すか、あるいは、力づくで奪われるか、なのだ。
「無駄なことを」
その一言で切って捨てたアウストルは、肘掛けに両手を突いて立ち上がる。
「決定は覆らぬ。この冬の雪が溶ければ、出撃だ」
そうして、背を真っ直ぐに伸ばして扉に向かう。彼は、振り返ることはしなかった。
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