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第二章:大いなる冬の訪れ
遭遇①
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音もなく姿を現したのは、オルディンの前に二人、フリージアたちの後ろに三人の男たちだ。
五人とも揃って、昼間へルドで目にした兵士たちと同じ服を身に着けている。当然、彼らは予想通りの言葉を一行に告げた。
「我々はニダベリル軍の者だ。お前たちは何者だ? こんな時間に、この森の中、何をしている?」
ニダベリル軍制式の細身の片刃剣を抜きながら問いを発したのは、オルディンの前にいる男だ。ニダベリルの人間らしい黒髪に、あの目は――赤い色をしているのだろうか。鋭い眼差しで、油断なくオルディンの動きを窺っている。
「ただの旅人だ、と言って、信じるか?」
肩を竦めながら、軽い口調のオルディン。それに応じた赤目の男も、おどけた調子だ。
「そりゃぁ、ちょっとできない相談だな。お前たちは、昼間川の向こう岸をうろついていた奴らだろ?」
そして、ガラリと空気を変える。
「上流へ逃げて行った筈が、何故、戻ってきてるんだ?」
「知らねぇな。俺達はずっとこっち側にいたぜ? 狩りで暮らしててな、ちょっと深追いし過ぎたんだよ」
「狩り、ねぇ……そっちの白いのが、今回の収穫って奴か? ナイの村の医者んとこにいたのだろ?」
――白いの?
二人のやり取りを黙って聞いていたフリージアだったが、相手の男の台詞に首をかしげる。が、すぐに彼が何を指しているのかを悟った。
「ちょっと、『収穫』って何なんだよ! エイルは物じゃないだろ!」
「あの、バカ……」
思わず声あげてしまったフリージアにオルディンが額を押さえて呻いたのが聞こえたが、出てしまったものは戻せない。
「ああ? 何だよ、お嬢ちゃん。そいつに名前なんか付けてんの? 『混ざりもん』だぜ?」
「その『混ざりもの』って呼び方、何なの? やめてよね。なんか腹が立つ」
始めたからには取り繕っても仕方がない。フリージアは胸の内の憤懣を言葉に変えて男に投げつけた。彼女のその言葉に、一気に空気が棘を含む。
「……お前ら、その髪の色と言い、やっぱたこの国の者じゃねぇな? こりゃ、ちょっと詳しく話を聞かせてもらわねぇと」
彼の台詞が合図であるかのように、残る四人もそれぞれに鞘から剣を抜き放った。元々友好的とは言い難かった空気が、更に険を含む。
「ジア、お前が蒔いた種だからな?」
「う……解かってるってば」
大剣を手にしたオルディンに、フリージアは腰に差した短剣を取りながら答える。彼女が黙っていたからといって穏便に済ませられた可能性は低いが、それでも、余計なことを言ってしまったのは事実だ。
前方の二人はオルディンが相手をする。フリージアが対峙するのは、後方の三人だ。
短剣を提げたフリージアに、彼らは一様に薄く笑みを浮かべる。
「そんな玩具でオレたちの相手をするつもりか?」
「まあね」
フリージアは、肩を竦めて返した。彼女が小ぶりな得物を選んだ理由は、ちゃんとある。それは、頭上に繁る木の枝だ。
オルディンのように膂力があれば、多少枝に引っかかっても容易く剣を振り切れる。だが、フリージアではそれは命取りになりかねない。それくらいなら、攻撃範囲は狭くなるが、取り回しの利く短剣の方が、良い。
「ウル、エイルを守っててね」
小さく一声かけ、間髪を容れずに一番左端にいた男の懐へと跳び込んだ。
瞬時の出来事に無防備なままの胴体を晒すそのみぞおちに、クルリと返した短剣の柄を叩き込む。
「グッ」
呻いて前屈みになった首筋にすかさず回し蹴りを食らわせ、昏倒した男を振り返りもせずに次の獲物へと跳ぶ。それは猫のような身のこなしで、ポカンと口を開いた男に剣を構えさせる余裕を与えなかった。
ハッと我に返った男が殆ど反射のように振り下ろした剣を、短剣で受け流す。フリージアの力で弾き飛ばすことは叶わなくとも、相手の力のままに切っ先を逸らせるのであれば、その何分の一の力で済むのだ。
体勢を崩してたたらを踏んだ男の顎の下、その首の拍動を、フリージアはトンと手刀で叩いた。
直後、彼は白目を剥いて、へなへなと倒れ伏す。
この間、鼓動十回分ほど。
「うわぁ……」
ウルがため息ともつかない声をあげるのを背中で聞いて、フリージアは残る一人に向き直った。
「お前……クソッ」
驚愕と共に呻いた最後の一人は、息一つ乱していない彼女の視線を向けられ、慌てて剣を構える。男のその目からは、フリージアを小娘と侮る色は消え失せていた。
向き合ったのは一瞬のことで、先に動いたのは男の方だった。
数歩の距離を一気に縮め、男はフリージアに向けて剣を振るった。
月の明かりで煌めく切っ先。
だが、空気を切り裂く音を立てて振り下ろされたそれを、フリージアは紙一重の間合いで避ける。彼女の動きを封じるように間断なく繰り出される刃を、フリージアは踊るような軽い足取りでことごとくかわし続ける。時折、数本の赤い毛がハラリと舞ったが、それだけだ。
次第に男の息が荒くなり、その額には汗の珠が光り始めた。対するフリージアは、鼓動すら早まっていない。
男が今またフリージアに向けて剣を振り上げる――一歩を踏み出しながら。
その瞬間。
フリージアはヒュッと、地に吸い込まれたかのように身を屈める。一瞬の、男の呆気に取られた顔。
地面に手をつき、片足を軸に、もう片方の脚を伸ばして、フリージアはグルリと男の脚を薙ぎ払った。
「うわっ!」
重心が上に行っていた男は後ろ向きに倒れ、したたかに背中と後頭部を地面に打ち付ける。
「グッ」
下が土なだけに、そのまま脳震盪、とまではいかなかったようだ。息を詰まらせ頭を抱える男をヒョイと覗き込み、目が合った彼にフリージアは笑い掛ける。
「おやすみ」
一声かけて、拳をみぞおちにめり込ませた。
五人とも揃って、昼間へルドで目にした兵士たちと同じ服を身に着けている。当然、彼らは予想通りの言葉を一行に告げた。
「我々はニダベリル軍の者だ。お前たちは何者だ? こんな時間に、この森の中、何をしている?」
ニダベリル軍制式の細身の片刃剣を抜きながら問いを発したのは、オルディンの前にいる男だ。ニダベリルの人間らしい黒髪に、あの目は――赤い色をしているのだろうか。鋭い眼差しで、油断なくオルディンの動きを窺っている。
「ただの旅人だ、と言って、信じるか?」
肩を竦めながら、軽い口調のオルディン。それに応じた赤目の男も、おどけた調子だ。
「そりゃぁ、ちょっとできない相談だな。お前たちは、昼間川の向こう岸をうろついていた奴らだろ?」
そして、ガラリと空気を変える。
「上流へ逃げて行った筈が、何故、戻ってきてるんだ?」
「知らねぇな。俺達はずっとこっち側にいたぜ? 狩りで暮らしててな、ちょっと深追いし過ぎたんだよ」
「狩り、ねぇ……そっちの白いのが、今回の収穫って奴か? ナイの村の医者んとこにいたのだろ?」
――白いの?
二人のやり取りを黙って聞いていたフリージアだったが、相手の男の台詞に首をかしげる。が、すぐに彼が何を指しているのかを悟った。
「ちょっと、『収穫』って何なんだよ! エイルは物じゃないだろ!」
「あの、バカ……」
思わず声あげてしまったフリージアにオルディンが額を押さえて呻いたのが聞こえたが、出てしまったものは戻せない。
「ああ? 何だよ、お嬢ちゃん。そいつに名前なんか付けてんの? 『混ざりもん』だぜ?」
「その『混ざりもの』って呼び方、何なの? やめてよね。なんか腹が立つ」
始めたからには取り繕っても仕方がない。フリージアは胸の内の憤懣を言葉に変えて男に投げつけた。彼女のその言葉に、一気に空気が棘を含む。
「……お前ら、その髪の色と言い、やっぱたこの国の者じゃねぇな? こりゃ、ちょっと詳しく話を聞かせてもらわねぇと」
彼の台詞が合図であるかのように、残る四人もそれぞれに鞘から剣を抜き放った。元々友好的とは言い難かった空気が、更に険を含む。
「ジア、お前が蒔いた種だからな?」
「う……解かってるってば」
大剣を手にしたオルディンに、フリージアは腰に差した短剣を取りながら答える。彼女が黙っていたからといって穏便に済ませられた可能性は低いが、それでも、余計なことを言ってしまったのは事実だ。
前方の二人はオルディンが相手をする。フリージアが対峙するのは、後方の三人だ。
短剣を提げたフリージアに、彼らは一様に薄く笑みを浮かべる。
「そんな玩具でオレたちの相手をするつもりか?」
「まあね」
フリージアは、肩を竦めて返した。彼女が小ぶりな得物を選んだ理由は、ちゃんとある。それは、頭上に繁る木の枝だ。
オルディンのように膂力があれば、多少枝に引っかかっても容易く剣を振り切れる。だが、フリージアではそれは命取りになりかねない。それくらいなら、攻撃範囲は狭くなるが、取り回しの利く短剣の方が、良い。
「ウル、エイルを守っててね」
小さく一声かけ、間髪を容れずに一番左端にいた男の懐へと跳び込んだ。
瞬時の出来事に無防備なままの胴体を晒すそのみぞおちに、クルリと返した短剣の柄を叩き込む。
「グッ」
呻いて前屈みになった首筋にすかさず回し蹴りを食らわせ、昏倒した男を振り返りもせずに次の獲物へと跳ぶ。それは猫のような身のこなしで、ポカンと口を開いた男に剣を構えさせる余裕を与えなかった。
ハッと我に返った男が殆ど反射のように振り下ろした剣を、短剣で受け流す。フリージアの力で弾き飛ばすことは叶わなくとも、相手の力のままに切っ先を逸らせるのであれば、その何分の一の力で済むのだ。
体勢を崩してたたらを踏んだ男の顎の下、その首の拍動を、フリージアはトンと手刀で叩いた。
直後、彼は白目を剥いて、へなへなと倒れ伏す。
この間、鼓動十回分ほど。
「うわぁ……」
ウルがため息ともつかない声をあげるのを背中で聞いて、フリージアは残る一人に向き直った。
「お前……クソッ」
驚愕と共に呻いた最後の一人は、息一つ乱していない彼女の視線を向けられ、慌てて剣を構える。男のその目からは、フリージアを小娘と侮る色は消え失せていた。
向き合ったのは一瞬のことで、先に動いたのは男の方だった。
数歩の距離を一気に縮め、男はフリージアに向けて剣を振るった。
月の明かりで煌めく切っ先。
だが、空気を切り裂く音を立てて振り下ろされたそれを、フリージアは紙一重の間合いで避ける。彼女の動きを封じるように間断なく繰り出される刃を、フリージアは踊るような軽い足取りでことごとくかわし続ける。時折、数本の赤い毛がハラリと舞ったが、それだけだ。
次第に男の息が荒くなり、その額には汗の珠が光り始めた。対するフリージアは、鼓動すら早まっていない。
男が今またフリージアに向けて剣を振り上げる――一歩を踏み出しながら。
その瞬間。
フリージアはヒュッと、地に吸い込まれたかのように身を屈める。一瞬の、男の呆気に取られた顔。
地面に手をつき、片足を軸に、もう片方の脚を伸ばして、フリージアはグルリと男の脚を薙ぎ払った。
「うわっ!」
重心が上に行っていた男は後ろ向きに倒れ、したたかに背中と後頭部を地面に打ち付ける。
「グッ」
下が土なだけに、そのまま脳震盪、とまではいかなかったようだ。息を詰まらせ頭を抱える男をヒョイと覗き込み、目が合った彼にフリージアは笑い掛ける。
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