ジア戦記

トウリン

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第二章:大いなる冬の訪れ

遭難①

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 山の中を走り慣れているフリージアでも、転がる石に足を取られないようにするにはかなりの注意を必要とした。

 グランゲルドの山中は、落ち葉や下生えに足を取られる歩きづらさだ。その歩き方は、会得している。だが、ここはグランゲルドとはまったく違っていて、足を下ろす度に石がごろつき、気を付けていても転びそうになる。

 左側は切り立った崖で、その下は川になっている。濁流ではないが、そこそこ大きな川だ。

 ――結構、高いよな……

 胸中でそう呟きつつ、フリージアは横を走るウルが気になった。崖に近過ぎる。多分、足元に集中するあまり、段々進む方向が曲がってきているのだろう。気付かぬうちに、崖に近づいていっているのだ。

 彼に、もう少し崖から離れるように注意しようとした、その時だった。
 ウルの足が大きめな石を踏み、それが揺れる。

「あ!」

 崖の方に倒れ込んだ彼に向けて、咄嗟に手が伸びていた。オルディンの声が聞こえたような気がしたけれど、何と言っているのかは、聞き取れなかった。
 フリージアの手はしっかりとウルの腕を捉える。だが、彼女よりも体重のあるウルを引き止められる筈がない。

「しまった」と、思う暇もなかった。
 落下するウルに引っ張られ、フリージアは彼共々宙に投げ出される。
 一瞬の浮遊感――次いで、墜落。このまま落ちたのでは、二人揃って怪我をする。彼女は瞬時にそう判断すると、ウルの手を放した。そうして、できるだけ真っ直ぐに着水できるように身体を伸ばす。

「ウルも真っ直ぐになって!」
 声をかけたが、反応はない。

 もう一度彼に声をかけようとして、間に合わないことを悟る。

 足に衝撃を感じ、そして次の瞬間、フリージアは水の中にいた。落下の速度は緩んだものの、崖上からの距離の分だけ、沈み続ける。
 水深があるのが、幸いした。川底に叩き付けられることなく、水がフリージアの全身を包み込む。彼女はそのまま潜るに任せ、浮く力が加わったところで足をばたつかせて水面を目指した。

 縦泳ぎで頭を水の上に出し、荒い呼吸を繰り返しながらせわしなく周囲を見回す。

 ――いた。

 探していたウルの栗色の頭が、フリージアの少し先を流れていく。

「ウル!」

 名前を読んでも振り向かないのは、聞こえていないのか、それとも、意識を失ったのか。
 フリージアは抜き手を切ってウルの元を目指すと彼の背後から近づき、腋の下に片腕を回した。

 彼の顔を覗き込めば目は閉ざされていて、眉間にしわを寄せている。どうやら気を失っているらしい。彼の胸に置いた手からは確かな鼓動と呼吸の動きが伝わってきて、取り敢えずは命があることに、フリージアはホッと一息ついた。

 溺れた人間の助け方はオルディンに叩き込まれている。もっと流れが急な川で、彼を相手に練習したのだ。遥かに華奢なウルなら、それほど苦ではなく抱えて泳ぐことができる。溺れて混乱している者を助けようとするとしがみ付かれて共倒れになることがあるから、いざとなったら相手を気絶させろとオルディンには教えられていた。ウルがさっさと気を失ってくれたことは、むしろ幸いだったのかもしれない。

 フリージアはウルと共に川の流れに身を任せたまま、川岸の左右を見比べた。
 落ちたのは左側からだったから、そちらに上がった方がオルディン達とも合流しやすいに違いない。だが、追手もそちら側にいるのだ。手負いのウルを連れて遭遇したら、まず逃げられない。

 少し考えた後、フリージアは右側の岸に上がることを決める。オルディン達なら、きっと彼女の考えを読み、見つけ出してくれる筈だ。

 水流は急ではないが、それでも、それに無理やり逆らって進もうとすれば体力を消耗してしまうだろう。フリージアは一度ウルの身体をしっかりと抱え直し、ゆっくりと川下に流されながら、岸を目指して泳ぎ出した。

   *

 ラタが見つめる先では、フリージアがウルを岸辺に引きずり上げていた。

 少し前に彼女たちが流されているところを見つけたのだが、何ぶんにも川の中のことで、ラタにできるのは崖の上から二人を見守ることだけだった。

 追手を警戒したのか、フリージアはラタがいるのとは反対側の岸へと向かっていった。自分よりも大きな身体の少年を抱えながら彼女は全く危なげなく泳いでいて、ラタが手を貸す必要など、まるでなかった。

 無事に岸に辿り着き、フリージアはウルを横たえて彼の身体を確かめ始める。逞しいものだと感心しながら、ラタがそんな彼女の元へ跳ぼうとした、その時だった。

 川の上流側から二人に駆け寄る、一人の少年の姿が目に飛び込んでくる。年の頃は十歳かそこらだ。彼の他に、人影はない。

 まだずいぶんと離れたうちから、いち早く少年に気付いたフリージアが立ち上がるのが見える。
 距離がある為に声は聞こえてこないが、悪い雰囲気ではない。一点だけ気になるのは、フリージアの頭を包んでいた布が外れて、彼女の際立った赤毛が晒されていることだった。あれは、さぞかし人の記憶に残るに違いない。

 後々厄介なことにならなければいいのだが、と眉をひそめるラタの前で、フリージアと少年は会話を続けている。

 ラタは少し考え、この隙にオルディンの元へと戻ることを決める。意識のないウルがいるから、わずかな時間で見失うほど遠くへ行ってしまうことはないだろう。ラタは一人だけなら連れて跳ぶことができるから、オルディンをこの場に運んでくることができる。

 ラタはもう一度フリージアたちを見やり、危険がなさそうなことを確認して、姿を消した。
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