ジア戦記

トウリン

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第二章:大いなる冬の訪れ

知るために③

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「王様、ごめんなさい。あたしは行きます。反対されても、閉じ込められても、行きます。ここに来る前に、決めたんです。知ろうと思ったことは、ちゃんと知ろうって。知らなかったっていうことを、言い訳にしたくないんです」
「何を言おうと、こればかりはそなたの望むようにはできぬ」
「聞いてください、王様。あたし、この国が好きなんです。あたしが好きな国のままでいて欲しいから、ここに来たんです。何一つ、変えたくない。その為なら何でもする――戦うことでも。けど、だからって言って、戦争をしたいわけじゃないんだ」

 部屋の中はシンと静まり返り、フリージアの声だけが響いている。彼女の高く澄んだ声は、皆の耳に、そして頭に滲み渡っていく。

「あたしはこの国のことしか知らないから、ニダベリルの連中が何を思っているのか、どんなふうに考えて喧嘩を吹っかけてきているのか、いまいち、よく解からないんだ。ミミル宰相が言うことには納得いかないけど、でも、戦わなくて済むなら、確かにその方がいいとも思ってるんです。あっちが何を考えているのか解かったら、もしかしたら、あの条件を鵜呑みにしない、戦わなくてもいい、そういう道も見つかるかもしれないでしょ?」
「フリージア……」

 いつものように穏やかな声で、フレイが名前を呼ぶ。それに応えるように、フリージアはパッと笑みを浮かべた。光がこぼれるようなその笑顔に、フレイが微かに目を細める。

「大丈夫、絶対に、あたしはちゃんと帰ってくるから」

 フリージアに握られていない方のフレイの手が上がり、彼女の頬を包む。愛おしそうにそれを撫で、彼は呟いた――殆ど囁きのような声で。

「そなたは、本当に――」

 近くにいたフリージアにすら最後まで聞き取れなかったのか、彼女は小さく首をかしげる。が、フレイはすぐに手を放すと一度深く息を吐き出し、瞼を閉じた。そして再びその柔らかな新緑の色の目を開くと皆を見渡し、宣言する。

「明日よりひと月の間、ロウグ将軍は国境沿いの砦へ視察に行く」
「王様!」
 嬉しそうに顔を輝かせたフリージアに向き直り、フレイは苦笑に近い笑みを浮かべた。
「そなたの翼は、余にはもげぬ。だが、くれぐれも、気を付けるように。決して無理はせず、必ず無事で帰ってくるように。供も、オルディンの他に付けること、良いな?」
「うん! ありがとう、王様!」
 大きく頷くと、足音も軽く駆け出した。

 そんな彼女を見送って、ミミルが眉をしかめながらフレイに問う。
「本当に、よろしかったのですかな? この国の中を旅するのとかの国を行くのとでは、雲泥の差ですぞ?」
「仕方があるまい。あの子は――ゲルダの娘だ。余の手の内には、とうてい納まっていてはくれぬ」
「ふむ……まあ、そうですな」

 薄く微笑みながらのフレイの言葉に、ミミルはいかにも不承不承という風情で首肯する。かつて、会議の場で彼とやり合うのは常にゲルダだった――今のフリージアと同じように。ある意味、天秤の皿の一対のようなものだったのだ。欠けていた何かが戻ったような心持ちが自分の中にあることを、ミミルは否めない。

「本当に、よく似ている。……年を数えてみれば、ゲルダ殿が彼女を身ごもったのは、今のフリージア殿とそう変わらぬ年頃ですな――あの問題が持ち上がっていた頃で」
 不意に、ミミルが言った。フレイはフリージアに向けていた静かな眼差しを彼に移す。
「……」
 王からのいらえはなく、ミミル自身も彼の言葉を待つことなく続けた。
「ご存知ですかな。フレイ様もそうですが、ニダベリルの王もまた、緑の目をしているとか」
「……そう、耳にしたことはある」

 フレイの返事に、ミミルは無言で頷いた。しばらく二人の間には沈黙が横たわる。
 オルディンの隣に立つフリージアを見つめながら、不意に、ミミルはフレイに問いかけた。

「あの娘の父親について、ゲルダ殿から何かお聞きで?」
 フレイは、しばらくは何も言わなかった。が、ふと小さく息をつくと、口を開く。
「彼女からは、何も。しかし、余は、恐らくその男を知っている。いずれ、話そう――そう遠くないうちに」
「……承知いたしました」
 それきり、二人は口を閉ざす。

 フリージアの知らない間でのそんなやり取りをよそに、オルディンの元に戻った彼女は、彼に晴れやかな満面の笑みを向ける。

「ニダベリルに行けるよ。許してもらった!」
「もぎ取った、だろ?」
 胸を張る彼女に、オルディンは呆れ半分に返した。
「ちゃんと、『説得』したもん」

 確かに、最後まで相手を説き伏せようとしたのは、以前の彼女から考えれば大した成長だ。少し前のフリージアであれば、説得など半ばで諦めて、夜中にこっそり抜け出していたことだろう。
 褒めどころがあまりに甘い気もしたが、オルディンは小さく息を一つつき、彼女の髪を掻き回すようにして撫でてやった。手荒い彼の『ご褒美』に、フリージアは猫のように目を細めて首を竦める。

「フリージア?」

 親子のようなじゃれ合いをする二人に、涼やかな声がかけられる。名前を呼ばれたフリージアは、クルリと振り返った。

「サーガ様」
 両手を胸の前で組んだ佳人は、その優美な眉を歪めている。その隣には、ビグヴィルもいて、サーガと同じ表情を浮かべていた。

 サーガはジッとフリージアを見つめた後、組んだ指を解いて彼女の手を取った。そして、両手でしっかりと握りしめ、フリージアの目を覗き込みながら、噛み締めるように問う。

「どうしても、行くの?」
「うん。行きます」
 一分の迷いも見せずにきっぱりと断言したフリージアに、サーガは小さく息を呑むと、次いで苦笑した。

「あなたは、本当に、ゲルダ様の娘ね。『こう』と決めたら引かないところなんて、そっくりでしてよ」
「そうなんだ?」
「ええ。もう、無鉄砲なことをなさるのに、でも、ちゃんとやり遂げておしまいになるの」
 だから懲りてくれなくて、困るのよ、とサーガが笑う。そこは血筋なのかと、オルディンはこっそりと頷いた。

 クスクスと忍び笑いを漏らした後、ふと王妃は真面目な顔に戻る。
「あなたには、まだゲルダ様のことを全然お話していなくてよ。たくさん聞かせてあげたいことがあるのだから、絶対に帰ってきてね?」
「もちろん」
「約束ね」
 そう念押しをして、サーガはフリージアの両頬に口付けた。

「絶対に」

 迷いのない声で確約するフリージアにサーガはもう一度微笑むと、踵を返して去って行く。残っているのは『心配だ』という気持ちが嫌というほど伝わってくる顔をした、ビグヴィルだ。

「儂も共に――」
「ダメ」
 皆まで言わせず、フリージアがピシャリと遮る。
「ビグヴィルはここでやることがあるでしょ?」
「しかし」
「第一、そんないかにも『軍人』って人が一緒じゃ、怪しまれちゃうよ。将軍はどうひっくり返っても軍人にしか見えないんだから」
 あっけらかんと笑いながらのフリージアの台詞に、ビグヴィルは反論できずにいる。

「大丈夫、あたしとオルディンの『旅歴』、十年以上、だよ? 大船に乗った気分で、どぉんと構えて待っててよ。あっという間に行って帰ってくるからさ」
「では……くれぐれも無理をせずに、ほんのわずかでも危険を感じたらすぐに戻ってくるように」
「もう、みんな心配性だなぁ」

 誰も彼もが同じことを口にする状況に、フリージアは嬉しさ半分、呆れ半分といった風情だ。そして、オルディンを振り返る。

「明日、出発しよう」

 いつになく真剣な眼差しで、彼女はそう告げたのだった。
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