ジア戦記

トウリン

文字の大きさ
上 下
25 / 133
第二章:大いなる冬の訪れ

知るために③

しおりを挟む
「王様、ごめんなさい。あたしは行きます。反対されても、閉じ込められても、行きます。ここに来る前に、決めたんです。知ろうと思ったことは、ちゃんと知ろうって。知らなかったっていうことを、言い訳にしたくないんです」
「何を言おうと、こればかりはそなたの望むようにはできぬ」
「聞いてください、王様。あたし、この国が好きなんです。あたしが好きな国のままでいて欲しいから、ここに来たんです。何一つ、変えたくない。その為なら何でもする――戦うことでも。けど、だからって言って、戦争をしたいわけじゃないんだ」

 部屋の中はシンと静まり返り、フリージアの声だけが響いている。彼女の高く澄んだ声は、皆の耳に、そして頭に滲み渡っていく。

「あたしはこの国のことしか知らないから、ニダベリルの連中が何を思っているのか、どんなふうに考えて喧嘩を吹っかけてきているのか、いまいち、よく解からないんだ。ミミル宰相が言うことには納得いかないけど、でも、戦わなくて済むなら、確かにその方がいいとも思ってるんです。あっちが何を考えているのか解かったら、もしかしたら、あの条件を鵜呑みにしない、戦わなくてもいい、そういう道も見つかるかもしれないでしょ?」
「フリージア……」

 いつものように穏やかな声で、フレイが名前を呼ぶ。それに応えるように、フリージアはパッと笑みを浮かべた。光がこぼれるようなその笑顔に、フレイが微かに目を細める。

「大丈夫、絶対に、あたしはちゃんと帰ってくるから」

 フリージアに握られていない方のフレイの手が上がり、彼女の頬を包む。愛おしそうにそれを撫で、彼は呟いた――殆ど囁きのような声で。

「そなたは、本当に――」

 近くにいたフリージアにすら最後まで聞き取れなかったのか、彼女は小さく首をかしげる。が、フレイはすぐに手を放すと一度深く息を吐き出し、瞼を閉じた。そして再びその柔らかな新緑の色の目を開くと皆を見渡し、宣言する。

「明日よりひと月の間、ロウグ将軍は国境沿いの砦へ視察に行く」
「王様!」
 嬉しそうに顔を輝かせたフリージアに向き直り、フレイは苦笑に近い笑みを浮かべた。
「そなたの翼は、余にはもげぬ。だが、くれぐれも、気を付けるように。決して無理はせず、必ず無事で帰ってくるように。供も、オルディンの他に付けること、良いな?」
「うん! ありがとう、王様!」
 大きく頷くと、足音も軽く駆け出した。

 そんな彼女を見送って、ミミルが眉をしかめながらフレイに問う。
「本当に、よろしかったのですかな? この国の中を旅するのとかの国を行くのとでは、雲泥の差ですぞ?」
「仕方があるまい。あの子は――ゲルダの娘だ。余の手の内には、とうてい納まっていてはくれぬ」
「ふむ……まあ、そうですな」

 薄く微笑みながらのフレイの言葉に、ミミルはいかにも不承不承という風情で首肯する。かつて、会議の場で彼とやり合うのは常にゲルダだった――今のフリージアと同じように。ある意味、天秤の皿の一対のようなものだったのだ。欠けていた何かが戻ったような心持ちが自分の中にあることを、ミミルは否めない。

「本当に、よく似ている。……年を数えてみれば、ゲルダ殿が彼女を身ごもったのは、今のフリージア殿とそう変わらぬ年頃ですな――あの問題が持ち上がっていた頃で」
 不意に、ミミルが言った。フレイはフリージアに向けていた静かな眼差しを彼に移す。
「……」
 王からのいらえはなく、ミミル自身も彼の言葉を待つことなく続けた。
「ご存知ですかな。フレイ様もそうですが、ニダベリルの王もまた、緑の目をしているとか」
「……そう、耳にしたことはある」

 フレイの返事に、ミミルは無言で頷いた。しばらく二人の間には沈黙が横たわる。
 オルディンの隣に立つフリージアを見つめながら、不意に、ミミルはフレイに問いかけた。

「あの娘の父親について、ゲルダ殿から何かお聞きで?」
 フレイは、しばらくは何も言わなかった。が、ふと小さく息をつくと、口を開く。
「彼女からは、何も。しかし、余は、恐らくその男を知っている。いずれ、話そう――そう遠くないうちに」
「……承知いたしました」
 それきり、二人は口を閉ざす。

 フリージアの知らない間でのそんなやり取りをよそに、オルディンの元に戻った彼女は、彼に晴れやかな満面の笑みを向ける。

「ニダベリルに行けるよ。許してもらった!」
「もぎ取った、だろ?」
 胸を張る彼女に、オルディンは呆れ半分に返した。
「ちゃんと、『説得』したもん」

 確かに、最後まで相手を説き伏せようとしたのは、以前の彼女から考えれば大した成長だ。少し前のフリージアであれば、説得など半ばで諦めて、夜中にこっそり抜け出していたことだろう。
 褒めどころがあまりに甘い気もしたが、オルディンは小さく息を一つつき、彼女の髪を掻き回すようにして撫でてやった。手荒い彼の『ご褒美』に、フリージアは猫のように目を細めて首を竦める。

「フリージア?」

 親子のようなじゃれ合いをする二人に、涼やかな声がかけられる。名前を呼ばれたフリージアは、クルリと振り返った。

「サーガ様」
 両手を胸の前で組んだ佳人は、その優美な眉を歪めている。その隣には、ビグヴィルもいて、サーガと同じ表情を浮かべていた。

 サーガはジッとフリージアを見つめた後、組んだ指を解いて彼女の手を取った。そして、両手でしっかりと握りしめ、フリージアの目を覗き込みながら、噛み締めるように問う。

「どうしても、行くの?」
「うん。行きます」
 一分の迷いも見せずにきっぱりと断言したフリージアに、サーガは小さく息を呑むと、次いで苦笑した。

「あなたは、本当に、ゲルダ様の娘ね。『こう』と決めたら引かないところなんて、そっくりでしてよ」
「そうなんだ?」
「ええ。もう、無鉄砲なことをなさるのに、でも、ちゃんとやり遂げておしまいになるの」
 だから懲りてくれなくて、困るのよ、とサーガが笑う。そこは血筋なのかと、オルディンはこっそりと頷いた。

 クスクスと忍び笑いを漏らした後、ふと王妃は真面目な顔に戻る。
「あなたには、まだゲルダ様のことを全然お話していなくてよ。たくさん聞かせてあげたいことがあるのだから、絶対に帰ってきてね?」
「もちろん」
「約束ね」
 そう念押しをして、サーガはフリージアの両頬に口付けた。

「絶対に」

 迷いのない声で確約するフリージアにサーガはもう一度微笑むと、踵を返して去って行く。残っているのは『心配だ』という気持ちが嫌というほど伝わってくる顔をした、ビグヴィルだ。

「儂も共に――」
「ダメ」
 皆まで言わせず、フリージアがピシャリと遮る。
「ビグヴィルはここでやることがあるでしょ?」
「しかし」
「第一、そんないかにも『軍人』って人が一緒じゃ、怪しまれちゃうよ。将軍はどうひっくり返っても軍人にしか見えないんだから」
 あっけらかんと笑いながらのフリージアの台詞に、ビグヴィルは反論できずにいる。

「大丈夫、あたしとオルディンの『旅歴』、十年以上、だよ? 大船に乗った気分で、どぉんと構えて待っててよ。あっという間に行って帰ってくるからさ」
「では……くれぐれも無理をせずに、ほんのわずかでも危険を感じたらすぐに戻ってくるように」
「もう、みんな心配性だなぁ」

 誰も彼もが同じことを口にする状況に、フリージアは嬉しさ半分、呆れ半分といった風情だ。そして、オルディンを振り返る。

「明日、出発しよう」

 いつになく真剣な眼差しで、彼女はそう告げたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『あなたの幸せを願っています』と言った妹と夫が愛し合っていたとは知らなくて

奏千歌
恋愛
[ディエム家の双子姉妹] ディエム侯爵家には双子の姉妹がいた。 一人が私のことで、もう一人は私と全く似ていない妹のことだ。 両親は私が良いところを全部持って生まれて来たと言って妹を笑っていたから、そんな事はないと、私が妹をいつも庇ってあげていた。 だからあの時も、私が代わりに伯爵家に嫁いで、妹がやりたいことを応援したつもりでいた。 それが間違いだったと気付いたのは、夫に全く相手にされずに白い結婚のまま二年が過ぎた頃、戦場で妹が戦死したとの知らせを聞いた時だった。 妹の遺体に縋って泣く夫の姿を見て、それから騎士から教えられたことで、自分が今まで何をやってきたのか、どんな存在だったのか、どれだけ妹を見下していたのか思い知った。

カタクリズム

ウナムムル
ファンタジー
ある日、世界から突如【死】が消え、生命は【不死】となった。 崩壊するヒエラルキー、加速する食糧不足…。 死者の出ない不毛な戦争が続き、疲弊した各国は代表を選抜する。 選ばれし24人の精鋭は【死の概念】が消失した原因究明のため旅立った。 そして、彼等は知る事となる。 【死の概念】の消失、それは序章でしかなかった、と……。 5章からは「小説家になろうで」でお願いします。 登録コンテンツの【カタクリズム:中編】から行けます。

母親に家を追い出されたので、勝手に生きる!!(泣きついて来ても、助けてやらない)

いくみ
ファンタジー
実母に家を追い出された。 全く親父の奴!勝手に消えやがって! 親父が帰ってこなくなったから、実母が再婚したが……。その再婚相手は働きもせずに好き勝手する男だった。 俺は消えた親父から母と頼むと、言われて。 母を守ったつもりだったが……出て行けと言われた……。 なんだこれ!俺よりもその男とできた子供の味方なんだな? なら、出ていくよ! 俺が居なくても食って行けるなら勝手にしろよ! これは、のんびり気ままに冒険をする男の話です。 カクヨム様にて先行掲載中です。 不定期更新です。

<完結>オリバー! ~その少年は幸運とともに訪れる~

芽生 (メイ)
ファンタジー
ある日、突然オリバーは生まれ育った家を追い出される。 父以外、血の繋がらない家族に彼は疎まれていたのだ。 淡い金の髪に特別な桃色の瞳を持つオリバーは 白い狐の魔物(?)コナンと共に 居場所を探す旅に出る。 彼の特別なその桃色の瞳に映るもの それが人々を幸せに導いていく 心優しいオリバーとちょっと口の悪いコナン 二人ののんびりほのぼの旅。 特別な瞳を持ちつつも、他人のために その力を使う少年です。 ややざまぁ、というか自業自得シーンあり 毎日更新します。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

異世界転生漫遊記

しょう
ファンタジー
ブラック企業で働いていた主人公は 体を壊し亡くなってしまった。 それを哀れんだ神の手によって 主人公は異世界に転生することに 前世の失敗を繰り返さないように 今度は自由に楽しく生きていこうと 決める 主人公が転生した世界は 魔物が闊歩する世界! それを知った主人公は幼い頃から 努力し続け、剣と魔法を習得する! 初めての作品です! よろしくお願いします! 感想よろしくお願いします!

転生無双なんて大層なこと、できるわけないでしょう!〜公爵令息が家族、友達、精霊と送る仲良しスローライフ〜

西園寺わかば🌱
ファンタジー
転生したラインハルトはその際に超説明が適当な女神から、訳も分からず、チートスキルをもらう。 どこに転生するか、どんなスキルを貰ったのか、どんな身分に転生したのか全てを分からず転生したラインハルトが平和な?日常生活を送る話。 - カクヨム様にて、週間総合ランキングにランクインしました! - アルファポリス様にて、人気ランキング、HOTランキングにランクインしました! - この話はフィクションです。

俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨
ファンタジー
普通の高校生として生きていく。その為の手段は問わない。

処理中です...