ジア戦記

トウリン

文字の大きさ
上 下
18 / 133
第二章:大いなる冬の訪れ

プロローグ

しおりを挟む
 ニダベリル。
 そこは、岩山と荒野の国だ。

 耕そうとしても鍬の刃を立てることもできない硬い大地、ろくに雨が降らない大気には常に埃が舞っている。

 民の腹を満たすための作物が実る土地は乏しく、その限られた土地から可能な限り効率的に収穫を得る為に、彼らは様々な技術を発展させた。農地から採れる穀物の代わりに、岩山から採れる豊富な鉱物を用いて。

 元来は荒野を潤し耕す為に生み出され、磨かれた技術だったが、やがてそれは戦う為の力へと転用されていく。

 人よりも多くのものを運び、馬よりも重いものを動かし――剣よりも多くの敵を斃す為の力へ。

 ニダベリルはその技術を使って、どんなに手を尽くしても豊かにはならない国土の代わりを、国の外に求め始めた。特にここ二代の王は精力的に力を駆使し、次々と周辺の土地を呑み込んでいったのだ。

 そうして、より強大な武力国家へと成長していく。
 
   *

 岩山を切り拓いて造られたニダベリルの王都ニダドゥンは、質実剛健な都市だ。
 剥き出しのままでは土埃が立ち込めてしまう道には石畳が敷き詰められ、装飾のない建物は狭い土地に効率よく人が住めるように造られている。

 そのニダドゥンの最奥、山肌を掘り抜いて造られた王宮の中、玉座の上で頬杖を突きながら、アウストル・ゴウン・ニダルは宰相ヴィトル・ディールからの報告を受けていた。外は真夏の太陽がギラギラと照りつけているが、岩室の中に作られたこの謁見室はひんやりとしている。

「今年も作物のできのほどは芳しくありませんな。秋の収穫時まであとひと月ほどですが、国内だけで賄えば、民の四割は飢えましょうぞ」
「おい……年々落ちていないか?」
「おっしゃる通りで。五年ほど前は、せいぜい二割、というところでしたな」
 渋面の王の言葉に、齢七十に届こうとしているヴィトルは白髭をしごきながら頷いた。

 アウストルが三十半ばで王の座に就いたのは昨年のことである。それまでの彼は、国内にいるよりも遠征先で剣を振るっている時間の方が多いくらいだった。それでも、国の中の状況も、充分に把握している。

 一言で表現するならば、この国は、貧しいのだ。

 今年の夏も雨はろくに降らず、ありとあらゆる作物は充分な実を結んではいない。ヒトの力で川の流れを変え、田畑に水を引こうとしても、そもそもその川に水をもたらすのは天だ。ニダベリルの優秀な技術者たちは様々な機械を考え出してはくれたが、流石に、地から水を湧き出させ、空から雨を降らせるほどの技術など、ありはしない。

「やはり、奴らが根こそぎ亡命したことが影響しているのか」

 人差し指でこめかみを叩きつつ、深い緑の目に憂いの色を浮かべたアウストルはぼやく。

 ニダベリルの民のほとんどは暗色系の髪と目の色をしているが、彼の目は冬でも枯れないニダベリルの樹木のような緑色をしている。
 何代か前の祖先にそんな色の者がいたというから、恐らく先祖返りなのだろう。明るい気分の時にはその緑も明るくなるが、今のような気分では黒にも近いほど濃くなっている。

 アウストルはその目を閉ざして過去へと思いを馳せた。

 そうした彼の頭の中に浮かぶのは、十六年前の出来事だ。従順な羊に過ぎないと思っていた者どもの、突然の逃亡。

 今のニダベリルの荒廃は、あの時から加速したのだ。

 そして、その政治的な事変と切り離せない、もう一つの記憶が彼にはある。

 それは、燃えるような深紅の髪と、晴れ渡る真夏の空のような、青い目。

 十六年という、ヒトには決して短いとは言えない年月が過ぎた今でも、ほんのわずかも色褪せることなく彼の脳裏によみがえる。

 逃亡者たちを追って隣国との境界を侵した時、『彼女』はアウストルの前に立ちはだかった。

 確か、当時十九歳だった彼よりも同じかいくつか年下だった筈だ。
 華奢な、まだ少女と言ってもいいほどの、グランゲルドの女将軍。
 それは、数限りない戦を経てきたアウストルが、唯一敗北を喫した相手だった。退却を勧告してきた時の『彼女』の艶やかな笑みは、今でも鮮明に彼の記憶の中にある。

 ――もう一度、相まみえるのか。

 そう思ったアウストルの中で、血がザワリと波立った。

 全身に走った身震いをごまかすように立ち上がると、彼は宣言する。

「そろそろ、我らのものを返してもらうとしよう」
「では、宣戦布告を?」
「ああ。そうだな……冬が明けたら出撃だ。それまで、グランゲルドには考える時間をくれてやる」

 そうやって、侵略を重ねながら自らを潤すニダベリルの王の名を他国の者が呼ぶ時、その声に含まれるのは怨嗟の響きばかりだということは、彼も充分に承知している。

 だが、アウストル・ゴウン・ニダルはこのニダベリルの王なのだ。

 国を栄えさせる為なら、どんなことでもしよう――国あっての民なのだから。

 国が潤えばこそ、民も豊かになれる。
 このニダベリルの民は、強い自国を誇りに思っている。
 国の為に民は戦い、そうすることで民は豊かになる――身も、心も。
 アウストルは彼らの支柱であり、屋根だった。

「我らに、勝利を」

 誰にともなくそう言い放ったアウストルに、ヴィトルは無言でこうべを垂れた。

   *

 ニダベリルの中枢にグランゲルドの女将軍死去の報せが届いたのは、それからしばらくしてのことである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

『あなたの幸せを願っています』と言った妹と夫が愛し合っていたとは知らなくて

奏千歌
恋愛
[ディエム家の双子姉妹] ディエム侯爵家には双子の姉妹がいた。 一人が私のことで、もう一人は私と全く似ていない妹のことだ。 両親は私が良いところを全部持って生まれて来たと言って妹を笑っていたから、そんな事はないと、私が妹をいつも庇ってあげていた。 だからあの時も、私が代わりに伯爵家に嫁いで、妹がやりたいことを応援したつもりでいた。 それが間違いだったと気付いたのは、夫に全く相手にされずに白い結婚のまま二年が過ぎた頃、戦場で妹が戦死したとの知らせを聞いた時だった。 妹の遺体に縋って泣く夫の姿を見て、それから騎士から教えられたことで、自分が今まで何をやってきたのか、どんな存在だったのか、どれだけ妹を見下していたのか思い知った。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

聖女の、その後

六つ花えいこ
ファンタジー
私は五年前、この世界に“召喚”された。

処理中です...