ジア戦記

トウリン

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第一章:戦乙女の召還

決意②

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「それなら、この村に来たらいい」
「え?」

 まるで、「お茶でもどうだい?」とでも言っているかのような軽い口調でのグエンの誘いに、呆気に取られた声が、シグドの口から漏れる。他の男たちも、互いに顔を見合わせたり、怪訝そうに眉をひそめたりしている。

「もしも、どこかに定住したいのにその場所がないと思っているのなら、この村に住んだらいい。まあ、土地を拓いたり、家を建てたり、というのは自分たちでやってもらうけれどね」
「同情か?」

 シグドは、フリージアに向けたものと同じ嘲りを、今度はグエンに向ける。だが、彼女よりも数倍長く生きている村長は、その眼差しを穏やかに受け止めていた。

「そうではないよ。ただ、単純なことだ。君たちは困っている。私たちには君たちを助ける手段がある。では、それを使わないという手はないだろう?」
「余裕だな」
「確かに、余裕はある。だから、人に手を差し伸べることができるし、持っているものを分かち合うこともできるのだが、それはいけないことかい?」

 今度は、シグドが口を噤む番だった。
 グエンの言葉が、偽善やおためごかし、上っ面だけのものだったら、すぐさまシグドはそれを見抜いて徹底的に攻撃していただろう。しかし、それは彼が今まで生きてきた中で培われてきたもので、彼の奥底に根付くものだ。この国で生きることで育まれた、このグランゲルドという国だからこそ育むことができるものなのだ。

 グエンは急かすことなく、穏やかな眼差しをシグドに注いでいる。
 シグドは一度目を伏せ、唇を舐め、そしてようやくまた口を開く。

「だが……だが、私たちは羊を盗んだ、罪人だぞ? 罪人を罰するのではなく、助けようというのか?」
「人が生きていく為に食べ物が必要なのは、当然だ。ましてや、護らなければならない人がいるのなら、なおさらだ」
「お前たちの物を奪った者を、そんなに簡単に赦せるのか」
「赦すも何も、この村の一員になってしまえば、もう盗まなくて済むわけだし。一番の解決法だろう?」

 羊泥棒たちは、皆、毒気を抜かれたようにポカンとグエンを見つめるばかりだ。ややして、シグドが口ごもりながら答える。

「それは……だが……」
「もちろん、君たちが良ければ、だ。少なくとも、我々は歓迎するよ。失われてしまった君たちの国の代わりには到底ならないだろうけれど、安住の地にはできると思うよ」

 シグドや他の男たちは、互いの顔に目を移す。いつしか、彼らの表情からはかつえたような鋭いものは消えていた。その目の中に浮かぶ色を見れば、どんな選択をするのかは、一目瞭然だった。

 フリージアは、彼らを残して家を出る。シグドたちのことは、グエンに任せるのが一番に違いなかった。行き先も決めずに、彼女は歩く。足音と気配で、オルディンがついてきていることは判っていた。

 村人の姿が無くなったところで、フリージアは足を止めてクルリとオルディンに向き直る。

「あたし、何も言えなかった!」
 唐突な彼女の切り出しに、オルディンが肩を竦めた。
「諦めろ。まだ子どものお前に、グエンのような正論を超えた懐の広さを見せろというのは、無理な話だ」
「そっちじゃないよ」
「?」
「ニダベリルに滅ぼされたって、話。戦争が始まったら、どうなるのかってこと」
「仕方ないだろう? お前が何も知らないというのは、事実だ。だが、この国の者は、皆同じようなものだ。『厳しい現実』とやらを知らないのは、お前だけじゃない」
「でも、知らないからそれでいいっていうわけじゃないだろ?」

 フリージアは、オルディンの胸元を掴んだ。
「知らないことを理由にしちゃ、いけないんだ。知らないっていうことを知ったんだから、ちゃんと知ろうとしなくちゃ」
「そうか? 別に構わんだろう。たかが十五の小娘のお前が何かしないといけないというわけじゃない」

 両手に力を込めて、フリージアは大きく首を振る。
「構わなくない! あたしは、知りに行く」
「どこに?」
「都に。都に行って、王様にでも誰にでも会う。そして、話を聞くんだ。これから何が起きるのか、知らなくちゃ。この国が変わってしまうのかもしれないなら、何かしなくちゃ」

 頭一つ上にあるオルディンの両目をしっかりと見据え、彼女は続ける。
「本当は、ビグヴィル将軍の話を聞いてから、ずっと胸の中がモヤモヤしてたんだ」
「モヤモヤ?」
「そう。何だか判らないけど、なんか、こう、モヤモヤ。シグドたちに会って、グエンの言葉を聞いて、それが何かちょっとだけ解かった気がするんだ」

 自分の中を探るように言うフリージアを、オルディンは無言で見下ろす。
「あたしは、この国に変わって欲しくない。この国の皆に、このままでいて欲しい。つらいことなんて、味わって欲しくない。さっきのグエンを見ただろ? あたしは、彼にあのままでいて欲しいんだ」

 恵まれているから他人に優しくできるというのなら、恵まれたままでいたらいい。それのどこが悪いのだと、フリージアは思う。

「あたし、都へ行くよ」

 もう一度繰り返した彼女を、オルディンはジッと見つめ返してきた。そうして、一言だけ答える。

「そうか」
「……いい?」
「何故、俺に訊く? お前がそう決めたのだろう? なら、そうすればいい」
「うん」
 小さく頷いて、フリージアは額をオルディンの胸に押し付けた。そうして、そのまま、彼の胸元に呟く。
「でも……話を聞いて、もしも、やっぱり無理って思ったら、逃げよう」

 小さなフリージアのその声に、オルディンが彼女の背中に腕を回した。力は籠められていない。だが、背に彼の手の温もりを感じるだけで、フリージアは何よりも確かな力で支えられているような気持ちになれる。

 彼女の頭に顎を乗せ、オルディンが言う。

「お前の思うようにしたらいい。俺は、お前の傍にいるだけだ」
「――うん」
 もう一度、フリージアは頷く。
 頷きながら、思った。

 きっと、自分は逃げないだろう、と。きっと、その選択肢を選びはしないだろう、と。

 母親がどんな人間だったのかは、関係ない。
 母親の代わりをしようというわけでもない。

 フリージア自身が動きたいから動き、何かを為すべきだと思うから動くのだ。彼女が好きなこの国を変わらぬままにあり続けさせる為に、彼女ができることをしたいと思ったから。

 たった一人の力では、何もできないかもしれない。
 けれど、できない『かもしれない』からやらないのは、間違いだ。

「自分ができる限りのことをやって、ダメだったっていうんなら、仕方ないけどさ。何もしなかったことを後悔するのは、イヤだ」

 自分自身に聞かせるように呟いて、フリージアはオルディンの胸から顔を上げた。彼はいつもと変わらぬ眼差しを返してくれる。それは、どんな時でも、彼女に安心と自信を与えてくれるものだった。

「当たって砕けろ、だよね」
 ニッと笑ったフリージアに、オルディンは呆れたように息をつく。
「この上なく、お前らしいよ」
「そうだよ、だって、あたしだもん」
 キッパリとそう返し、両腕を突っ張って彼の胸から身体を離した。

「決めたんだから、すぐに行こう」
「……本当に、お前らしいよ」

 心の底からのものらしいオルディンの言葉に、フリージアが返したのは、晴れ晴れとした笑顔だった。
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