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第一章:戦乙女の召還
襲撃②
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もぬけの殻の納屋には、明らかな乱闘の跡が残されていた。
ビグヴィルは呆然と入口に佇み、その様を見つめる。
血痕も、死体もない。ということは、彼女は無事だということなのだろう。
逃げたのは、襲撃者の為か、あるいは彼の申し出を拒んだ為か。
もしも後者だとすれば、再び居場所を掴むことはできるだろうか。
「ビグヴィル」
「ラタ。来ていたのか」
名前を呼ばれ、彼は振り返る。
そこにひっそりと佇んでいるのは、髪も目も銀色の少年だ。いや、実際は、少年なのか少女なのか、ビグヴィルには判らない。ヒトと同じ姿を持ちながらヒトとは異なる特異な能力を操る種族エルフィアは、一様に中性的な美しさを持っている。唐突に目の前に現れたラタという名の存在は、そんなエルフィアのうちの一人だった。
「逃げられたね?」
「いや、まあ……儂からお逃げになったのかは、判らんが……」
「当然、あなたからだ」
バッサリと言い切られ、ビグヴィルは二の句を失う。
確かに、突然見も知らぬ男から死んだと思っていた母親が実は生きていたことを知らされ、なおかつその母親はこの国の将軍だから亡くなった彼女の跡を継いで欲しい、と乞われても、「はい、わかりました」と頷ける者など殆どいないだろう。
「お前には、あの方を追えるか?」
「できるけれど、しない」
ラタの返事はにべもない。
ラタは、瞬間的に遠い場所へと移動できる力を持っている。ゲルダはあのオルディンという若者との連絡に、このエルフィアを使っていた。思うだけで、その場所へ行けるという力を持つラタを。
「何故だ。これは、ゲルダ殿の望みでもあるだろう」
「違う。『望み』じゃない。彼女の『望み』は、フリージアが平和で楽しく幸せに暮らすことだ。私が娘の様子を伝えると、彼女はいつもとても嬉しそうだった。決して逢えないのに――いや、逢いたいと望めばいつでも連れていったのに、決してそれを願わなかった」
ラタは、その冷ややかにも見える銀色の眼差しをビグヴィルに注ぐ。
「『母親』としてのゲルダの望みは、フリージアの幸せだ。けれど、『将軍』としてのゲルダの望みは、この国に住む者全ての幸せだ。彼女は、どちらも叶えようと思った」
「どちらも……」
ラタのその台詞に、いかにもゲルダらしいとビグヴィルは小さく笑う。彼女は貪欲な人だった。諦めるということを知らず、こうと決めたら何としても貫こうとした。
「娘御を都にお連れすることを、ゲルダ殿は心の底ではお望みではなかったのか」
「それは、少し正しくない。ゲルダは、『あなたが』フリージアを連れ帰ることも、そうしないことも、どちらも望んではいない。彼女が望んだのは、フリージア自身が自分の意志で自分の道を決めることだ。フリージアがロウグ家を継ぐことを選ぶのも、家に囚われず自由な生活を続けることを選ぶのも、どちらも同じように望んでいた――それが、フリージア自身が選んだことであるならば」
「彼女自身が選んだこと……そうか……」
ビグヴィルは呟き、目を伏せる。『将軍』としてのゲルダは崇拝していたが、『母親』としてのゲルダは、みじんも考えたことがなかった。実際、子どもがいるということをこれまで全然悟らせなかったのだから、当然のことなのだが。
「娘御は、都に来られるだろうか」
半ば自問するように呟いたビグヴィルに、ラタは小さく肩をすくめる。
「判らない。私はフリージアのことは、よく知らないから」
それは、ビグヴィルも同じだ。彼もフリージアのことをまったく知らないのだ。にも拘らず、彼女がロウグ家を継ぐことを当然の流れだと思っていた。
「そうだな」
力なく、ビグヴィルはそうこぼす。そんな彼の前で、ラタはふと視線を遠くに投げた。
「私は、フリージアのことは、知らない。けれど、彼女はゲルダの娘だ。私は、彼女が何を選ぶのか、判る気がする」
「ゲルダ殿の……ああ、そうだな」
フリージアの眼差しにあった、あの光。
あれは、まさしくゲルダの娘のものだ。
フリージアの母親であるゲルダは、確かに類い稀なる剣の腕を持っていた。だが、彼女の強さの本質は、それではないのだ。そして、フリージアというあの少女は、間違いなく母親と同じものを持っている。逃げることを、見て見ぬふりをすることを良しとしない、強い心を。
「ゲルダは、娘がどんな選択をするか、判っていたのではないかと思う」
「ああ……儂も、そう思う。儂らは、都で彼女を待つとしよう」
寛いだ微かな笑みを浮かべて、ビグヴィルはラタと、そして自分自身に向けてそう言った。彼の中から、不安は消え失せている。きっと、再び彼女とまみえることになるに違いないと、そうビグヴィルは確信していた。
ビグヴィルは呆然と入口に佇み、その様を見つめる。
血痕も、死体もない。ということは、彼女は無事だということなのだろう。
逃げたのは、襲撃者の為か、あるいは彼の申し出を拒んだ為か。
もしも後者だとすれば、再び居場所を掴むことはできるだろうか。
「ビグヴィル」
「ラタ。来ていたのか」
名前を呼ばれ、彼は振り返る。
そこにひっそりと佇んでいるのは、髪も目も銀色の少年だ。いや、実際は、少年なのか少女なのか、ビグヴィルには判らない。ヒトと同じ姿を持ちながらヒトとは異なる特異な能力を操る種族エルフィアは、一様に中性的な美しさを持っている。唐突に目の前に現れたラタという名の存在は、そんなエルフィアのうちの一人だった。
「逃げられたね?」
「いや、まあ……儂からお逃げになったのかは、判らんが……」
「当然、あなたからだ」
バッサリと言い切られ、ビグヴィルは二の句を失う。
確かに、突然見も知らぬ男から死んだと思っていた母親が実は生きていたことを知らされ、なおかつその母親はこの国の将軍だから亡くなった彼女の跡を継いで欲しい、と乞われても、「はい、わかりました」と頷ける者など殆どいないだろう。
「お前には、あの方を追えるか?」
「できるけれど、しない」
ラタの返事はにべもない。
ラタは、瞬間的に遠い場所へと移動できる力を持っている。ゲルダはあのオルディンという若者との連絡に、このエルフィアを使っていた。思うだけで、その場所へ行けるという力を持つラタを。
「何故だ。これは、ゲルダ殿の望みでもあるだろう」
「違う。『望み』じゃない。彼女の『望み』は、フリージアが平和で楽しく幸せに暮らすことだ。私が娘の様子を伝えると、彼女はいつもとても嬉しそうだった。決して逢えないのに――いや、逢いたいと望めばいつでも連れていったのに、決してそれを願わなかった」
ラタは、その冷ややかにも見える銀色の眼差しをビグヴィルに注ぐ。
「『母親』としてのゲルダの望みは、フリージアの幸せだ。けれど、『将軍』としてのゲルダの望みは、この国に住む者全ての幸せだ。彼女は、どちらも叶えようと思った」
「どちらも……」
ラタのその台詞に、いかにもゲルダらしいとビグヴィルは小さく笑う。彼女は貪欲な人だった。諦めるということを知らず、こうと決めたら何としても貫こうとした。
「娘御を都にお連れすることを、ゲルダ殿は心の底ではお望みではなかったのか」
「それは、少し正しくない。ゲルダは、『あなたが』フリージアを連れ帰ることも、そうしないことも、どちらも望んではいない。彼女が望んだのは、フリージア自身が自分の意志で自分の道を決めることだ。フリージアがロウグ家を継ぐことを選ぶのも、家に囚われず自由な生活を続けることを選ぶのも、どちらも同じように望んでいた――それが、フリージア自身が選んだことであるならば」
「彼女自身が選んだこと……そうか……」
ビグヴィルは呟き、目を伏せる。『将軍』としてのゲルダは崇拝していたが、『母親』としてのゲルダは、みじんも考えたことがなかった。実際、子どもがいるということをこれまで全然悟らせなかったのだから、当然のことなのだが。
「娘御は、都に来られるだろうか」
半ば自問するように呟いたビグヴィルに、ラタは小さく肩をすくめる。
「判らない。私はフリージアのことは、よく知らないから」
それは、ビグヴィルも同じだ。彼もフリージアのことをまったく知らないのだ。にも拘らず、彼女がロウグ家を継ぐことを当然の流れだと思っていた。
「そうだな」
力なく、ビグヴィルはそうこぼす。そんな彼の前で、ラタはふと視線を遠くに投げた。
「私は、フリージアのことは、知らない。けれど、彼女はゲルダの娘だ。私は、彼女が何を選ぶのか、判る気がする」
「ゲルダ殿の……ああ、そうだな」
フリージアの眼差しにあった、あの光。
あれは、まさしくゲルダの娘のものだ。
フリージアの母親であるゲルダは、確かに類い稀なる剣の腕を持っていた。だが、彼女の強さの本質は、それではないのだ。そして、フリージアというあの少女は、間違いなく母親と同じものを持っている。逃げることを、見て見ぬふりをすることを良しとしない、強い心を。
「ゲルダは、娘がどんな選択をするか、判っていたのではないかと思う」
「ああ……儂も、そう思う。儂らは、都で彼女を待つとしよう」
寛いだ微かな笑みを浮かべて、ビグヴィルはラタと、そして自分自身に向けてそう言った。彼の中から、不安は消え失せている。きっと、再び彼女とまみえることになるに違いないと、そうビグヴィルは確信していた。
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