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第一章:戦乙女の召還
先触れ②
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青年は、自分に向って小走りで近寄ってくる少女を睨み付けていた。
彼の名はオルディン。少女が口にした『オル』は、彼女だけが呼ぶ愛称だ。そして、少女の名はフリージア。オルディンは彼女を『ジア』と呼ぶ――通常は。
「フリージア」
低い声でのその呼び方に、フリージアの足が止まる。
「オル?」
立ち止まったフリージアにつかつかと歩み寄ったオルディンは、無言で拳を上げると唇を引き結んだままそれを彼女の頭に落とした。
「痛ッ! 何するんだよ!」
「黙れ。俺は、こいつを見つけたら静かに隠れて竜笛を吹けと言わなかったか? 静かに、隠れて、と」
息絶えた牙狼を指さしながらの彼の台詞に、フリージアが唇を尖らせる。
「言った。でも、うまくいったじゃないか」
「たまたまうまくいっただけだろう。俺が間に合わなかったらどうなっていたと思うんだ」
「間に合うに決まってる」
「ふんぞり返って言うことか。その根拠はなんなんだよ、根拠は」
「オルだから」
きっぱりと言い切った彼女に、オルディンは二の句を継げなくなった。言うべきことは言い終えたとばかりにフリージアは、両手を腰に当て、ふんぞり返って彼を見上げてくる。
ケロリと平然とした顔をしているフリージアと渋面のオルディン。
互いに譲らず睨み合う。
と、不意に、梢の間から二人の上に降り注いでいた陽光が陰った。
「あ、スレイプだ。あいつも待ちくたびれてるよ」
バサリと響いた羽音は、オルディンの騎竜のものだ。卵から孵った時から彼が育てた飛竜は、その図体にそぐわぬ甘えん坊だった。突然背中から消えたオルディンを探しているのだろう。
まったく悪びれた様子なく上空を行き来しているスレイプに手を振るフリージアに、オルディンはため息をつく。やはり、育て方を間違えたのか。何度注意しても無鉄砲な行動が治らない。
やっぱり、どこか一所に腰を据えて落ち着いた生活を送らせるべきなのだろうかと、最近頓に思うようになったオルディンであった。
このグランゲルドは豊かな森と水を誇る農耕国家だ。
北の国境線は強大な軍事国家であるニダベリルと接しているが、険しい山や狭い谷、深い森などが自然の要塞となって、虎視眈々と国土の拡大を図るかの国の侵攻を防いでいた。グランゲルドは小さな国だが、野心の欠片もない穏やかな国王の下で、長閑な平和を長きに渡って保ってきているのだ。
そんなグランゲルドで、オルディンとフリージアは行く先々の村で仕事を請け負いつつ、旅から旅への気ままな暮らしをしている。この生活を始めたのは十二年前、フリージアが三歳、オルディンが十七歳の時だ。
初めて出会ってから、十二年。
その十二年間、オルディンにはフリージアだけ。
そして、フリージアにはオルディンだけ、だ。
つまり彼女の『今』は、全てオルディンの負うところなのだが。
今回のこの牙狼狩りも、請け負った仕事だった。
三日ほど前に訪れた村で、オルディンとフリージアの二人は村民を襲う人食い牙狼を退治して欲しいと依頼されたのだ。二つ返事で引き受けた彼らだったが、当初の計画は、空からはスレイプに乗ったオルディンが、地上ではフリージアが捜索し、フリージアが先に見つけた場合は牙狼に気付かれないように、竜笛――竜属にしか聞こえない音を発する笛――を鳴らし、オルディンを呼ぶというものだった。
十人以上を食い殺している凶暴な牙狼とフリージアが追い駆けっこをするというのは、全く、予定に入っていない。
断じて入っていなかった、にもかかわらず。
「ごまかすな。何だってまた、あんな羽目になったんだ?」
「あたしはこっそり探してたんだけど、たまたま鉢合わせしちゃったんだよ」
「だったら木に登ってやり過ごせばよかっただろう」
牙狼は木には登れない。フリージアだったら、牙狼の爪牙から逃れつつ木に登るのは容易なことだった筈だ。
「でも、そんなことしてたらまた見失ってただろ?」
すでに、依頼してきた村の被害は洒落にならないものだった。フリージアにしてみれば、一日でも早く狩らなければならないものだった。だから、自分の行動は正しかったと、胸を張る。
全く反省の色を見せないフリージアに、オルディンはもう一度拳骨を落としてやろうかと拳を握りしめる。
「だがな、俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ。独りで倒せるとでも思ったか?」
オルディンのその問いに頷きでもしようものなら、今までになく強烈な一撃を見舞ってやるつもりだった。彼はギリリと拳を固める。
だが。
「まさか!」
目を丸くしてフリージアが首を振る。
「こんなの相手に、まともにやり合って勝てるわけないじゃん。ほら、こいつってば、予想外にでかかったからさ、木とかがずいぶん揺れてただろ? オルとスレイプだったら、絶対気付くと思ってさ。呼んだらすぐに来てくれると思ってた」
いとも簡単に絶対の信頼を口にして、能天気に笑う少女に、オルディンの全身から力が抜ける。
フリージアの笑顔は、出会った時から彼に対する最強の武器だった。
彼とて、この調子で毎回ごまかされてしまうのは良くないことだというのは、良く判っている――判っているのだが。
全身を使ってため息をついたオルディンを、フリージアがきょとんと見つめる。
「解かった……もう、いい。さっさとあいつの毛皮を剥いで帰るぞ。あの図体に額の傷跡。間違いなく問題の牙狼だろう」
「じゃあ、あたしはスレイプが下りられそうなところを探してくる」
『気を付けろ』という言葉は、口にするだけ無駄だ。オルディンはヒラヒラと手を振ってフリージアを送り出した。彼女はヒラリと身を翻すと、不安定な足場にもかかわらず軽やかに走り去っていく。
完全にフリージアの姿が見えなくなるまで、オルディンは動かなかった。
彼女の足音すら消え去った頃、牙狼に向かうのかと思われたオルディンだったが、彼の視線が向いたのは、まったく別の方向だった。うっそうと茂る木々の間を睨み据え、声をかける。
「出てきたらどうだ?」
オルディンのその招きに落ち葉を踏んで姿を現したのは、年の頃は十四、五歳の、少年とも少女ともつかない、一人の子どもだった。その髪も目も、冷たく凝る真冬の夜に浮かぶ月のような銀色をしている。
「何か用か、ラタ」
こんな森の中で唐突に年端もいかない子どもが姿を現したというのに、オルディンは落ち着き払ったままだ。何の疑問も抱いていない。
対するラタと呼ばれた子どもの方も、淡々とした口調で答える。
「数日のうちに、迎えが来る」
「え?」
唐突な宣言に、オルディンは問い返す。ラタは表情を変えることなく、続けた。
「事情が変わった。彼女は、戻らなければならない」
「どういうことだ?」
『彼女』とは、フリージアのことに他ならないだろう。いぶかしげに眉をひそめたオルディンに、ラタは肩をすくめる。
「今はゆっくりと話していられない。迎えの者が、説明する」
「問答無用、有無を言わさず、かよ。あいつの意志はどうなるんだ?」
「私は知らない。『彼女』が伝えて欲しいと言ったことを伝えるだけだ」
それだけ言って、ラタの姿が煙のように消え失せる。だが、そんな異常事態にも、オルディンは頓着しなかった。彼の頭の中は、一つのことが占めている。
――何故、今さら。
だが、考えるまでもない。有り得る答えは一つだけだ。
「死んだ、のか」
呟いて、彼の脳裏に残る姿を思い浮かべる。燃える赤毛、青空の色の力強い眼差し。十年以上が経っているにもかかわらず、彼の記憶に残るそれは鮮明だ。
梢の間から覗く晴れ渡った空は、オルディンの目には、何故か、暗い雲が立ち込めているように映っていた。
彼の名はオルディン。少女が口にした『オル』は、彼女だけが呼ぶ愛称だ。そして、少女の名はフリージア。オルディンは彼女を『ジア』と呼ぶ――通常は。
「フリージア」
低い声でのその呼び方に、フリージアの足が止まる。
「オル?」
立ち止まったフリージアにつかつかと歩み寄ったオルディンは、無言で拳を上げると唇を引き結んだままそれを彼女の頭に落とした。
「痛ッ! 何するんだよ!」
「黙れ。俺は、こいつを見つけたら静かに隠れて竜笛を吹けと言わなかったか? 静かに、隠れて、と」
息絶えた牙狼を指さしながらの彼の台詞に、フリージアが唇を尖らせる。
「言った。でも、うまくいったじゃないか」
「たまたまうまくいっただけだろう。俺が間に合わなかったらどうなっていたと思うんだ」
「間に合うに決まってる」
「ふんぞり返って言うことか。その根拠はなんなんだよ、根拠は」
「オルだから」
きっぱりと言い切った彼女に、オルディンは二の句を継げなくなった。言うべきことは言い終えたとばかりにフリージアは、両手を腰に当て、ふんぞり返って彼を見上げてくる。
ケロリと平然とした顔をしているフリージアと渋面のオルディン。
互いに譲らず睨み合う。
と、不意に、梢の間から二人の上に降り注いでいた陽光が陰った。
「あ、スレイプだ。あいつも待ちくたびれてるよ」
バサリと響いた羽音は、オルディンの騎竜のものだ。卵から孵った時から彼が育てた飛竜は、その図体にそぐわぬ甘えん坊だった。突然背中から消えたオルディンを探しているのだろう。
まったく悪びれた様子なく上空を行き来しているスレイプに手を振るフリージアに、オルディンはため息をつく。やはり、育て方を間違えたのか。何度注意しても無鉄砲な行動が治らない。
やっぱり、どこか一所に腰を据えて落ち着いた生活を送らせるべきなのだろうかと、最近頓に思うようになったオルディンであった。
このグランゲルドは豊かな森と水を誇る農耕国家だ。
北の国境線は強大な軍事国家であるニダベリルと接しているが、険しい山や狭い谷、深い森などが自然の要塞となって、虎視眈々と国土の拡大を図るかの国の侵攻を防いでいた。グランゲルドは小さな国だが、野心の欠片もない穏やかな国王の下で、長閑な平和を長きに渡って保ってきているのだ。
そんなグランゲルドで、オルディンとフリージアは行く先々の村で仕事を請け負いつつ、旅から旅への気ままな暮らしをしている。この生活を始めたのは十二年前、フリージアが三歳、オルディンが十七歳の時だ。
初めて出会ってから、十二年。
その十二年間、オルディンにはフリージアだけ。
そして、フリージアにはオルディンだけ、だ。
つまり彼女の『今』は、全てオルディンの負うところなのだが。
今回のこの牙狼狩りも、請け負った仕事だった。
三日ほど前に訪れた村で、オルディンとフリージアの二人は村民を襲う人食い牙狼を退治して欲しいと依頼されたのだ。二つ返事で引き受けた彼らだったが、当初の計画は、空からはスレイプに乗ったオルディンが、地上ではフリージアが捜索し、フリージアが先に見つけた場合は牙狼に気付かれないように、竜笛――竜属にしか聞こえない音を発する笛――を鳴らし、オルディンを呼ぶというものだった。
十人以上を食い殺している凶暴な牙狼とフリージアが追い駆けっこをするというのは、全く、予定に入っていない。
断じて入っていなかった、にもかかわらず。
「ごまかすな。何だってまた、あんな羽目になったんだ?」
「あたしはこっそり探してたんだけど、たまたま鉢合わせしちゃったんだよ」
「だったら木に登ってやり過ごせばよかっただろう」
牙狼は木には登れない。フリージアだったら、牙狼の爪牙から逃れつつ木に登るのは容易なことだった筈だ。
「でも、そんなことしてたらまた見失ってただろ?」
すでに、依頼してきた村の被害は洒落にならないものだった。フリージアにしてみれば、一日でも早く狩らなければならないものだった。だから、自分の行動は正しかったと、胸を張る。
全く反省の色を見せないフリージアに、オルディンはもう一度拳骨を落としてやろうかと拳を握りしめる。
「だがな、俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ。独りで倒せるとでも思ったか?」
オルディンのその問いに頷きでもしようものなら、今までになく強烈な一撃を見舞ってやるつもりだった。彼はギリリと拳を固める。
だが。
「まさか!」
目を丸くしてフリージアが首を振る。
「こんなの相手に、まともにやり合って勝てるわけないじゃん。ほら、こいつってば、予想外にでかかったからさ、木とかがずいぶん揺れてただろ? オルとスレイプだったら、絶対気付くと思ってさ。呼んだらすぐに来てくれると思ってた」
いとも簡単に絶対の信頼を口にして、能天気に笑う少女に、オルディンの全身から力が抜ける。
フリージアの笑顔は、出会った時から彼に対する最強の武器だった。
彼とて、この調子で毎回ごまかされてしまうのは良くないことだというのは、良く判っている――判っているのだが。
全身を使ってため息をついたオルディンを、フリージアがきょとんと見つめる。
「解かった……もう、いい。さっさとあいつの毛皮を剥いで帰るぞ。あの図体に額の傷跡。間違いなく問題の牙狼だろう」
「じゃあ、あたしはスレイプが下りられそうなところを探してくる」
『気を付けろ』という言葉は、口にするだけ無駄だ。オルディンはヒラヒラと手を振ってフリージアを送り出した。彼女はヒラリと身を翻すと、不安定な足場にもかかわらず軽やかに走り去っていく。
完全にフリージアの姿が見えなくなるまで、オルディンは動かなかった。
彼女の足音すら消え去った頃、牙狼に向かうのかと思われたオルディンだったが、彼の視線が向いたのは、まったく別の方向だった。うっそうと茂る木々の間を睨み据え、声をかける。
「出てきたらどうだ?」
オルディンのその招きに落ち葉を踏んで姿を現したのは、年の頃は十四、五歳の、少年とも少女ともつかない、一人の子どもだった。その髪も目も、冷たく凝る真冬の夜に浮かぶ月のような銀色をしている。
「何か用か、ラタ」
こんな森の中で唐突に年端もいかない子どもが姿を現したというのに、オルディンは落ち着き払ったままだ。何の疑問も抱いていない。
対するラタと呼ばれた子どもの方も、淡々とした口調で答える。
「数日のうちに、迎えが来る」
「え?」
唐突な宣言に、オルディンは問い返す。ラタは表情を変えることなく、続けた。
「事情が変わった。彼女は、戻らなければならない」
「どういうことだ?」
『彼女』とは、フリージアのことに他ならないだろう。いぶかしげに眉をひそめたオルディンに、ラタは肩をすくめる。
「今はゆっくりと話していられない。迎えの者が、説明する」
「問答無用、有無を言わさず、かよ。あいつの意志はどうなるんだ?」
「私は知らない。『彼女』が伝えて欲しいと言ったことを伝えるだけだ」
それだけ言って、ラタの姿が煙のように消え失せる。だが、そんな異常事態にも、オルディンは頓着しなかった。彼の頭の中は、一つのことが占めている。
――何故、今さら。
だが、考えるまでもない。有り得る答えは一つだけだ。
「死んだ、のか」
呟いて、彼の脳裏に残る姿を思い浮かべる。燃える赤毛、青空の色の力強い眼差し。十年以上が経っているにもかかわらず、彼の記憶に残るそれは鮮明だ。
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