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幸せの増やし方
四
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橘からの報告を聞きながら、一輝は、先日弥生と逢った時にもっと突っ込んで話を聞かなかった自分に腹を立てていた。
報告の内容は、彼女の周囲をうろついている記者のことについてのものである。
「小金井健という男で、恐らく、伊集院様の件から弥生様のことを嗅ぎ付けたのではないかと思います。一輝様と弥生様のスクープ写真を狙ってか、だいぶうっとうしかった男なのですが、ここ一週間ほど、姿を見なくなっていたのです。どうやら、弥生様の方に行ってしまっていたようで」
橘がうっとうしく思うくらいなのだから、弥生はさぞかし迷惑しているに違いない。相談してくれればよかったのに、とは思うが、「自分のせいで――」と彼を落ち込ませたくなかったのだろうという弥生の気持ちも解るだけに、一概に責めるわけにもいかない。
――それでも、頼ってくれた方が嬉しいのだけどな。
こんな時、頼ることをためらわせてしまう自分が、もどかしい。それが、どう足掻いても埋めることはできない年の差のせいなのか、あるいは、それ以外の何かの為なのか。
自分を卑下する気は毛頭ないが、時々、彼女よりも早く産まれていたかった、と思う。一輝が年上だとしても無条件に頼ってくる弥生ではないのだろうが、それでも、もしかしたら、と思ってしまうのだ。彼女にとって、完璧な自分でありたいと願ってしまう。
一輝は、小さく溜息をつく。
と、それをどう受け止めたのか、橘が深く頭を下げた。
「申し訳ありません。いなくなったと安心せずに、もっと調べておくべきでした」
「ああ、仕方がないさ。それよりも、どうしたらいいかな」
出版社に勤めている記者なら、上から圧力をかけさせる、という手が使えるが、厄介なことに小金井はフリーだ。しがらみがないだけに、抑制しにくい。
「金で手を引くと思うか?」
「いえ、残念ながら」
橘の返事に、一輝も黙って頷く。小金井健についての報告書を読むと、『金のため』というよりも、『楽しみのため』に記者をしている人物であることがうかがわれた。金で片を着けようとしたら、それほどイイネタなのかと、よりいっそう奮起してしまうかもしれない。
いっそのこと、弥生のことを婚約者として公表してしまおうか。
そうしたら、護りやすくはなる。
けれども。
先日食事をした時の、弥生の様子がまざまざと思い出された。
アルバイトの話を、この上なく楽しそうにしていた彼女の様子を。
新藤一輝の婚約者として知られてしまったら、弥生の生活はどんなふうに変わってしまうのだろうか。自分が、一部のマスコミにはタレントのように扱われていることは、彼もイヤというほど承知している。その婚約者にも、同じような注目が集まってしまうのではないか。それで、彼女は『普通の』生活が営めるのか?
一輝の腕の中にいてくれれば、優しくして、甘やかして、何不自由のない幸せを弥生に与えることができる。だが、彼女にとって、果たしてそれらを受け取ることだけが幸せなのだろうか。
恐らく、違う。そうではないのだ。一輝にとっては、ただ弥生が傍にいてくれることだけが至上の幸せだが、彼女にとっては、そうではない。一輝と共にある幸せも確かにあるのだろうが、それ以外の何かも、きっと彼女にとっては必須のもの。
けれども。
弥生を『普通の生活』から切り離してしまうのは、一輝自身に他ならないのだ。
もしかしたら、彼女を、彼女にとっての一番の『幸せ』から遠ざけてしまうのは、一輝という存在なのかもしれない。
弥生にとって、一輝のことと、一輝以外に彼女を取り巻く諸々のものは、どちらの方が、より大事なのか。
弥生の幸せ。
一輝の幸せ。
二人の、幸せ。
それぞれ重なり合ってはいても、完全には合致しない。
その全てを成り立たせることの難しさが、ヒタヒタと一輝に迫る。
隠されていた不安が、徐々に彼の心の中で膨らみ始めていた。
そして、そんなふうに弥生のことを想う一方で、チラリと、本当に、チラリと、一輝の頭の中を一つの考えがよぎる。
――いっそ二人の関係を公表してしまえば、彼女はこの腕の中にしかいられなくなるのかもしれない。
それは、泡のように浮かび上がり、消えていった、思わく。『消えた』ということは、確かに『存在した』ということだ。
彼の中にある、利己的で醜い、欲望。
一輝は、静かに目を閉じた。
報告の内容は、彼女の周囲をうろついている記者のことについてのものである。
「小金井健という男で、恐らく、伊集院様の件から弥生様のことを嗅ぎ付けたのではないかと思います。一輝様と弥生様のスクープ写真を狙ってか、だいぶうっとうしかった男なのですが、ここ一週間ほど、姿を見なくなっていたのです。どうやら、弥生様の方に行ってしまっていたようで」
橘がうっとうしく思うくらいなのだから、弥生はさぞかし迷惑しているに違いない。相談してくれればよかったのに、とは思うが、「自分のせいで――」と彼を落ち込ませたくなかったのだろうという弥生の気持ちも解るだけに、一概に責めるわけにもいかない。
――それでも、頼ってくれた方が嬉しいのだけどな。
こんな時、頼ることをためらわせてしまう自分が、もどかしい。それが、どう足掻いても埋めることはできない年の差のせいなのか、あるいは、それ以外の何かの為なのか。
自分を卑下する気は毛頭ないが、時々、彼女よりも早く産まれていたかった、と思う。一輝が年上だとしても無条件に頼ってくる弥生ではないのだろうが、それでも、もしかしたら、と思ってしまうのだ。彼女にとって、完璧な自分でありたいと願ってしまう。
一輝は、小さく溜息をつく。
と、それをどう受け止めたのか、橘が深く頭を下げた。
「申し訳ありません。いなくなったと安心せずに、もっと調べておくべきでした」
「ああ、仕方がないさ。それよりも、どうしたらいいかな」
出版社に勤めている記者なら、上から圧力をかけさせる、という手が使えるが、厄介なことに小金井はフリーだ。しがらみがないだけに、抑制しにくい。
「金で手を引くと思うか?」
「いえ、残念ながら」
橘の返事に、一輝も黙って頷く。小金井健についての報告書を読むと、『金のため』というよりも、『楽しみのため』に記者をしている人物であることがうかがわれた。金で片を着けようとしたら、それほどイイネタなのかと、よりいっそう奮起してしまうかもしれない。
いっそのこと、弥生のことを婚約者として公表してしまおうか。
そうしたら、護りやすくはなる。
けれども。
先日食事をした時の、弥生の様子がまざまざと思い出された。
アルバイトの話を、この上なく楽しそうにしていた彼女の様子を。
新藤一輝の婚約者として知られてしまったら、弥生の生活はどんなふうに変わってしまうのだろうか。自分が、一部のマスコミにはタレントのように扱われていることは、彼もイヤというほど承知している。その婚約者にも、同じような注目が集まってしまうのではないか。それで、彼女は『普通の』生活が営めるのか?
一輝の腕の中にいてくれれば、優しくして、甘やかして、何不自由のない幸せを弥生に与えることができる。だが、彼女にとって、果たしてそれらを受け取ることだけが幸せなのだろうか。
恐らく、違う。そうではないのだ。一輝にとっては、ただ弥生が傍にいてくれることだけが至上の幸せだが、彼女にとっては、そうではない。一輝と共にある幸せも確かにあるのだろうが、それ以外の何かも、きっと彼女にとっては必須のもの。
けれども。
弥生を『普通の生活』から切り離してしまうのは、一輝自身に他ならないのだ。
もしかしたら、彼女を、彼女にとっての一番の『幸せ』から遠ざけてしまうのは、一輝という存在なのかもしれない。
弥生にとって、一輝のことと、一輝以外に彼女を取り巻く諸々のものは、どちらの方が、より大事なのか。
弥生の幸せ。
一輝の幸せ。
二人の、幸せ。
それぞれ重なり合ってはいても、完全には合致しない。
その全てを成り立たせることの難しさが、ヒタヒタと一輝に迫る。
隠されていた不安が、徐々に彼の心の中で膨らみ始めていた。
そして、そんなふうに弥生のことを想う一方で、チラリと、本当に、チラリと、一輝の頭の中を一つの考えがよぎる。
――いっそ二人の関係を公表してしまえば、彼女はこの腕の中にしかいられなくなるのかもしれない。
それは、泡のように浮かび上がり、消えていった、思わく。『消えた』ということは、確かに『存在した』ということだ。
彼の中にある、利己的で醜い、欲望。
一輝は、静かに目を閉じた。
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