大事なあなた

トウリン

文字の大きさ
上 下
56 / 73
幸せの増やし方

しおりを挟む
 ――またいるな。

 弥生は、チラリとこども園の柵の外に視線を投げた。そこにいる男が、ヒラヒラと手を振って返す。

 小金井健だ。

 あれから一週間、彼はまるでコバンザメのように弥生にくっついてくる。こども園の方からはまだ何も言ってこないが、あんな胡散臭い人物がウロウロしていたら、保護者から不安の声があがるのも時間の問題に違いない。

 一輝に相談するべきだろうか。
 何度かそんな考えが頭をよぎったけれど、彼に、「自分のせいで弥生に迷惑がかかっている」と思わせたくない気持ちもある。

 ――言うのと言わないのと、どっちがいいんだろう。

 きっと、すぐに諦めるだろうと思っていたのに、小金井はしつこかった。二、三日のことなら我慢していればいいや、と考えて一輝には黙っていたら、ズルズル延びて、そのまま教えそびれてしまったのだ。

 ムウッと考え込んでいる弥生に、不意に声がかけられる。
「どうした?」
 顔を上げると、腰を屈めて彼女を覗き込んでいた宮川寛之と、真っ直ぐに目が合った。弥生は咄嗟に笑みを浮かべて取り繕う。

「宮川さん、こんにちは」
「何かあったのか?」
「え?」
「眉間にしわが寄ってた」
 トントンと自分の額を示しながら、宮川が言った。弥生は、思わず両手で眉間を覆ってしまう。そんな彼女を少し笑うと、彼は真面目な顔になって続けた。

「困っていることがあるなら、相談に乗るぞ?」
「あ……いえ、個人的なことなので……」
「むしろ、個人的なことを歓迎したいんだけどな」
「え?」

 サラリと、何か言われたような気がする。キョトンと目を開いて宮川を見上げた弥生に、彼はニッと笑顔を返す。その笑顔は、どういう意味なのか。彼女は宮川の真意をはかり損ねて困惑する。

「相談に乗るからさ、今晩、メシでもどうだ?」
「あ、いえ、家族のご飯を作らないとなので……」
「前もって言っておいたらいい?」
「……はい……」

 宮川がこんなに突っ込んでくるなんて、自分はそれほど深刻そうな顔をしてしまっていたのだろうか。弥生は自分の顔を両手で撫でてみる。彼女のその仕草に、宮川は眉を上げて笑みを深くした。

「言っておくけど、相談の方が『ついで』だからな」
 益々、よく判らなくなってくる。相談に乗ってくれようというのではないのか。
 弥生の心中が表情に出ていたと見えて、宮川が苦笑する。
「あのな、普通に、食事に誘ってんの。付き合ってるヤツ、いないんだろ?」
「います」
「は?」
 弥生の即答に、宮川が目を丸くする。

 そんなに意外なことなのか。

 常々、自分に『大人の色気』がないことは充分に承知している弥生ではあったが、露骨に驚かれるとやっぱり、ちょっと、ムッとする。彼女は複雑な内心を隠しつつ、続けた。

「お付き合いしている人、いますよ」
「え? だって、お前、デートとかしてなくないか?」
 そんなことに気付くほど、宮川はただのバイトでしかない弥生を気に掛けてくれていたらしい。何ともマメな人だと、感心する。
 そして、確かに、と納得した。
 休日もこども園に顔を見せていることが殆どな弥生である。化粧っ気もなく、恋人との逢瀬をうかがわせるものがなかったのだろう。
 今も弥生に向けられている宮川の目は、明らかに彼女の主張を疑っていた。

「相手の人が忙しいので、あんまり逢えないんです」
「働いているのか?」
「はい。とっても、忙しい人なんです」
「……おっさん、なのか?」
 少し躊躇いがちに、宮川がそう訊いてくる。彼の疑問ももっともだ。
 デートをする暇もないほど働いている相手となったら、普通は年上だろう。しかも、結構な。本当のところを白状するわけにもいかず、弥生は曖昧にごまかした。

「そんなところです。でも、時間を割いて、ちゃんと逢ってくれるんですよ。すごく優しい人なんです」
 言い募る弥生を、宮川は奇妙な目付きで見下ろしていた。

 彼女としては真実を口にしているのだが、どうもストレートに伝わっていないような気がする。そんなに弥生が誰かと付き合っているということが信じられないのか、それとも、他の理由が引っかかっているのか。

 首を傾げる弥生の前で、宮川は少し口ごもってから、続けた。
「まさか――まさかとは思うけど、不倫とかじゃないよな?」
「え!?」
 まさに、豆鉄砲を食らった鳩のように目も口も丸くする彼女に、宮川は慌てて補足する。
「いや、だってさ。お前、なんだか相手のことをあまり話したくなさそうだから……」
 話したくないというよりは、話せないのだが。弥生は、顔を赤くしながら『恋人』のことを弁護する。

「全然、違います。ちゃんとわたしだけを大事にしてくれる人です。とっても優しいんです。ちょっと事情があって、詳しいことはお話できないんですけど……」
 だが、言葉を重ねても宮川の不信の眼差しは変わらない。いや、益々疑わしげな色が濃くなったような気がする。

「お前さ、それ……実は騙されてるってこと、ないのか? 公言できない恋人って、なんなんだよ。『優しい人』ってのが、結構曲者だったりするんだぜ?」

 一輝の良さを伝えて、弁護したい。
 けれども、彼のことをあまり公にするわけにはいかない。
 二律背反に囚われて、弥生は二進も三進も行かなくなる。どうしようかと考えあぐねていると、保育士の一人が彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。コレ幸いと、宮川に頭を下げる。

「すみません、呼ばれているので、失礼します」
「……ああ」
 納得してなさそうだなぁ、とは思いつつも、弥生は宮川を置き去りにしてそそくさとその場を後にした。二、三日会わずにいれば、彼もこの話題を忘れてくれるだろうと期待しながら。

 この先、どんどん事態がこじれて行くことになるとは、弥生はこの時予想だにしていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天使と狼

トウリン
恋愛
女癖の悪さに定評のある小児科医岩崎一美《いわさき かずよし》が勤める病棟に、ある日新人看護師、小宮山萌《こみやま もえ》がやってきた。肉食系医師と小動物系新米看護師。年齢も、生き方も、経験も、何もかもが違う。 そんな、交わるどころか永久に近寄ることすらないと思われた二人の距離は、次第に変化していき……。 傲慢な男は牙を抜かれ、孤独な娘は温かな住処を見つける。 そんな、物語。 三部作になっています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

盗賊と領主の娘

倉くらの
恋愛
過去の事件がきっかけで心に大きな傷を持った領主の娘レイピア。 表はサーカスの次期団長、裏は盗賊団の頭という2つの顔を持った青年スキル。 2人のピンクダイヤモンドをめぐる攻防と恋の行方を描いたファンタジーラブロマンス。 女たらしな盗賊×気の強い貴族の女性 お相手は主人公に出会ってからは他の女性に目を向けません。 主人公は過去に恋人がいました。 *この作品は昔個人サイトで掲載しており、2010年に「小説家になろう」で無断転載被害にあいましたが現在は削除してもらっています。 *こちらは書き手本人による投稿です。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

白い初夜

NIWA
恋愛
ある日、子爵令嬢のアリシアは婚約者であるファレン・セレ・キルシュタイン伯爵令息から『白い結婚』を告げられてしまう。 しかし話を聞いてみればどうやら話が込み入っているようで──

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

処理中です...