10 / 73
迷子の仔犬の育て方
九
しおりを挟む
新しい週が始まろうとしているその朝に、睦月を前に、弥生は懇々と言い聞かせていた。
「いい、睦月? 一輝君は学校に行くのは初めてなんだからね? よぉく、気を付けてあげるのよ?」
「わかってるって。もう何度目だよ、それ。だいたい初めてったって、もう十二だろ? 過保護にもほどがあるってんだよ……」
ぶちぶちと文句を言う睦月をよそに、今度はクルリと一輝に向き直り、こちらもジッと見つめて言い含める。
「一輝君、わからない事があったら睦月に訊いてね? 無理したり、我慢したりしたらダメなのよ?」
まるで母親のようだ、と一輝は思い、それに対して不満を覚えている自分に気付いた。
しかし、何故不満なのか。
預かっている子どものことを心配に思うのは、当然のことだろう。
一輝はそう納得させようとしたが、何かしこりが残る。
弥生は、そんな一輝の心中には気付いていないようだった。まだ心配そうに軽く首を傾げて二人を交互に見やる。
「じゃあ、遅刻するからもう行きなさい。帰りも寄り道しないでね」
「遅刻したら姉ちゃんのせいだろ」
ボヤく睦月の頭を、ペチンと叩き、弥生が一輝に微笑みかけた。
「行ってらっしゃい、一輝君。楽しんできてね」
「はい。……行ってきます」
その言葉を口にするのは、少しくすぐったい。
「行ってくらぁ」
そう言ってさっさと出て行く睦月の後を、一輝は追いかける。
「行ってらっしゃい!」
柔らかな声が、背中に被さった。
*
一輝がクラスに入ると同時に、ザワザワと子どもの間に波が立つ――それは、特に女子の間で強かった。
「うわぁ、カッコイイ」
「睦月君とどういう関係なの!?」
これは女子の間での囁き。
「何だよ、すかした奴だな」
「いいとこの坊ちゃんかぁ?」
「朝、睦月と一緒に来た奴だろ?」
これは男子の間でのもの。
睦月と関係がある、という点ではどちらも好評価だが、一輝個人に対しては、男女で大きく差が出るようだ。
――睦月は人望があるんだな。
そう思い、一輝は何となく納得する。あの開けっ広げなところは、気持ちがいいかもしれない。
「じゃあ、ご挨拶してみて?」
まだ三十にはなっていないだろう若い女性が担任だった。彼女に促され、一輝は一礼する。
「新藤一輝と申します。数か月という短い間ですが、皆さんと一緒に勉強させていただきます。至らないところもあると思いますが、よろしくお願いします」
刹那、教室内が水を打ったように鎮まり返る。
皆、ポカンと彼を見つめていた。
担任は戸惑ったように数秒間口ごもった後、ようやく場を取り繕う。
「え、あ、丁寧なご挨拶ね。じゃあ、あそこの一番左の列の、睦月君の前に座ってね」
そう言った担任の笑顔が若干引きつって見えるのは、気のせいではないだろう。
どうも、自分の言動の何かがおかしかったようだ。
しかし、一輝にも『おかしかったらしい』というところまでは判ったが、果たして何が悪かったのかが判らず、困惑する。これまでも、取引相手のもとに赴いた時やパーティーなどで何度も同じような言葉を口にしてきたが、いつもはこんな反応は示されない。
何がいけなかったのだろうかと首を傾げながら席に着くと、後ろの睦月に背中を突かれた。椅子を後ろに引いて近づけると、睦月が囁いてくる。
「お前、あの挨拶何なんだよ? どこのおっさんかって感じだったぜ」
そう言われて、ようやく気付いた。
「そうか、TPOか……」
だが、そう言われても、小学生の集団に合わせた応対の仕方など、学んでいない。これは、しばらくここで覚えていくしかないのだろう。
一輝は、担任が板書していく内容を眺めながら、少なくとも授業よりは面白そうだと、考えることにした。
「いい、睦月? 一輝君は学校に行くのは初めてなんだからね? よぉく、気を付けてあげるのよ?」
「わかってるって。もう何度目だよ、それ。だいたい初めてったって、もう十二だろ? 過保護にもほどがあるってんだよ……」
ぶちぶちと文句を言う睦月をよそに、今度はクルリと一輝に向き直り、こちらもジッと見つめて言い含める。
「一輝君、わからない事があったら睦月に訊いてね? 無理したり、我慢したりしたらダメなのよ?」
まるで母親のようだ、と一輝は思い、それに対して不満を覚えている自分に気付いた。
しかし、何故不満なのか。
預かっている子どものことを心配に思うのは、当然のことだろう。
一輝はそう納得させようとしたが、何かしこりが残る。
弥生は、そんな一輝の心中には気付いていないようだった。まだ心配そうに軽く首を傾げて二人を交互に見やる。
「じゃあ、遅刻するからもう行きなさい。帰りも寄り道しないでね」
「遅刻したら姉ちゃんのせいだろ」
ボヤく睦月の頭を、ペチンと叩き、弥生が一輝に微笑みかけた。
「行ってらっしゃい、一輝君。楽しんできてね」
「はい。……行ってきます」
その言葉を口にするのは、少しくすぐったい。
「行ってくらぁ」
そう言ってさっさと出て行く睦月の後を、一輝は追いかける。
「行ってらっしゃい!」
柔らかな声が、背中に被さった。
*
一輝がクラスに入ると同時に、ザワザワと子どもの間に波が立つ――それは、特に女子の間で強かった。
「うわぁ、カッコイイ」
「睦月君とどういう関係なの!?」
これは女子の間での囁き。
「何だよ、すかした奴だな」
「いいとこの坊ちゃんかぁ?」
「朝、睦月と一緒に来た奴だろ?」
これは男子の間でのもの。
睦月と関係がある、という点ではどちらも好評価だが、一輝個人に対しては、男女で大きく差が出るようだ。
――睦月は人望があるんだな。
そう思い、一輝は何となく納得する。あの開けっ広げなところは、気持ちがいいかもしれない。
「じゃあ、ご挨拶してみて?」
まだ三十にはなっていないだろう若い女性が担任だった。彼女に促され、一輝は一礼する。
「新藤一輝と申します。数か月という短い間ですが、皆さんと一緒に勉強させていただきます。至らないところもあると思いますが、よろしくお願いします」
刹那、教室内が水を打ったように鎮まり返る。
皆、ポカンと彼を見つめていた。
担任は戸惑ったように数秒間口ごもった後、ようやく場を取り繕う。
「え、あ、丁寧なご挨拶ね。じゃあ、あそこの一番左の列の、睦月君の前に座ってね」
そう言った担任の笑顔が若干引きつって見えるのは、気のせいではないだろう。
どうも、自分の言動の何かがおかしかったようだ。
しかし、一輝にも『おかしかったらしい』というところまでは判ったが、果たして何が悪かったのかが判らず、困惑する。これまでも、取引相手のもとに赴いた時やパーティーなどで何度も同じような言葉を口にしてきたが、いつもはこんな反応は示されない。
何がいけなかったのだろうかと首を傾げながら席に着くと、後ろの睦月に背中を突かれた。椅子を後ろに引いて近づけると、睦月が囁いてくる。
「お前、あの挨拶何なんだよ? どこのおっさんかって感じだったぜ」
そう言われて、ようやく気付いた。
「そうか、TPOか……」
だが、そう言われても、小学生の集団に合わせた応対の仕方など、学んでいない。これは、しばらくここで覚えていくしかないのだろう。
一輝は、担任が板書していく内容を眺めながら、少なくとも授業よりは面白そうだと、考えることにした。
0
お気に入りに追加
143
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非!
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
天才外科医は仮初の妻を手放したくない
夢幻惠
恋愛
ホテルのフリントに勤務している澪(みお)は、ある日突然見知らぬ男性、陽斗(はると)に頼まれて結婚式に出ることになる。新婦が来るまでのピンチヒッターとして了承するも、新婦は現れなかった。陽斗に頼まれて仮初の夫婦となってしまうが、陽斗は天才と呼ばれる凄腕外科医だったのだ。しかし、澪を好きな男は他にもいたのだ。幼馴染の、前坂 理久(まえさか りく)は幼い頃から澪をずっと思い続けている。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる