悩める子爵と無垢な花

トウリン

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SS:豹変した彼

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「あの、ルーカス、さん?」
「なんだい、フィオナ?」
「……近く、ないですか……?」
「そう? 君が寒いかな、と思って」
 ルーカスは小首をかしげ、ニコリと笑った。そうして、離れるどころかいっそう深くフィオナを引き寄せた。
 間近に迫った温もりにどぎまぎしつつ、フィオナは周囲へ目を走らせる。
 今、フィオナとルーカスが立っているのは、グランスへと向かう船の船上、甲板だ。確かに潮風はやや冷たい。けれど、背後に立った彼にすっぽりと包み込まれているのは、かなり気まずい状況だった。周囲に人目が溢れているとなれば、尚更だ。

 どうして、こんなことに。
 船に乗り、一休みしてから散歩に誘われて。
 歩き出した時に当然のように腰に手を回された時もちょっと面食らったものだけど、甲板に着いて、後ろから腕を回された時には思わず声を上げそうになってしまった。

 これは、普通の男女の距離ではないと思う。
 ちょっと、近過ぎるのではないだろうか。

 今も、風が吹き付けてふわりと浮いたフィオナの髪を捉えたルーカスは、ごくごく自然な仕草でそれに口づける。
 グランスにいた頃は、フランジナに行く前は、こんなことはしなかったのに。
 行き場を見つけられない両手をギュッと握り締めたフィオナのこめかみに、温かく柔らかなものが触れた。

「!?」

 一瞬遅れてそれが何かを悟った彼女は、身を捻ってルーカスに向き直り、彼との間に腕をねじ込み、懸命に押し遣ろうと試みる。
「どうしたの、フィオナ?」
「どうしたの、じゃ、ないです! 何をするんですか!」
 こんなところで、口づけなんて。

 憤然と抗議の声を上げたフィオナの頬は、熱く火照っている。そんな彼女を、ルーカスは目を煌かせて見下ろしてきた。
「そんなに恥ずかしがらなくても。唇にしたわけではないんだし」
 平気な顔で、何ということを言うのか。
「ルーカスさん!?」
「ああ、ごめん。つい、可愛くて」
 ルーカスは反省の色など欠片も浮かべずそう言って、彼女を放すどころかギュッと抱き締めてきた。
 頬に密着する彼の胸は硬く、温かく、ゆったりとした鼓動が響いてくる。つむじの辺りに押し当てられているものは、彼の唇だろうか。

「ル、ルーカスさん……」
 真っ白になった頭で、フィオナはどうにか彼の名前を口にする。
 フィオナが混乱しきっているのは判っているはずなのに、いや、そんな彼女を宥めようという意図でもあるのか、ルーカスは彼女の髪に指を潜らせてきた。優しく地肌を揉まれて、もう、何をどうしたらいいのか全然判らなくなる。
 固まるフィオナに、ルーカスは笑った。
「そんなに緊張しないで。ずっと、君に触れたいと思っていたんだ。このくらいで済ませている私を、むしろ褒めて欲しいよ」

『このくらい』?
 こんな、抱き締めて、素肌に触れているような状況が、『このくらい』?

 この人は、こんな人だっただろうか。
 グランスにいた頃のルーカスは礼儀正しくて、けっしてフィオナに触れようとはしなかった。
 ケイティに対する時とは違う彼の態度に、ちょっと、いや、かなり距離を感じて、悲しく思っていたくらいだったのに。

 フィオナは目の前にあるルーカスの胸を締め出すように、ギュッと目蓋を閉じる。
 ずっと、もっと近寄りたいと思っていた。
 けれど、それは、あくまでも心の距離で、こういう、実際的な距離ではない。

 身を強張らせているフィオナの頭の上で、小さな吐息がこぼされる。
「本当は、もっとゆっくり君の気持ちが変わっていくのを待つべきなのだろうとは思っているよ。でも、それにはかなり時間がかかりそうだから」
 少しばかり、ルーカスの腕の力が緩む。
 ホッと息をついてフィオナが見上げると、優しく微笑む温かな眼差しが注がれていた。その笑みのまま、彼は言う。
「少しばかり、攻めの姿勢で行かせてもらうよ。できたら、詰所に着くまでに君の気持ちを固めさせたいから」
 ルーカスの台詞に、フィオナは目をしばたたかせた。
「き、もち……?」

(固めるって、どんなふうに?)
 困惑混じりで眉根を寄せたフィオナに、ルーカスの笑みが深くなる。
 その笑みが、何だかこれからネズミを丸のみにしようとしているネコを思わせて、フィオナは小さく唾を呑み込んだ。
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