悩める子爵と無垢な花

トウリン

文字の大きさ
上 下
43 / 59

見えない壁

しおりを挟む
 オーギュスト・アランブールは、フィオナを誘拐した黒幕としてルーカスが疑念を抱いている者のうちの一人だ。その男が今フィオナの傍におり、あまつさえ、彼女に触れている。
 ルーカスは唸り声をあげたくなるのを抑え、大股で四阿《あずまや》に歩み寄った。よほど互いに意識を向けているのか、彼の足音が聞こえているはずだろうに、二人とも気付いている様子がない。

「フィオナ、こんなところにいたのか」
 にこやかに呼びかけると、フィオナとアランブールが同時に振り返った。アランブールは単純に闖入者を訝しむ色を、そして、フィオナは怯えにも似た色を、それぞれの面に走らせる。

 アランブールはともかく、フィオナにそんな顔をされる理由が解からない。

 表面的には愛想のよい笑みを浮かべつつ心の内では眉根を寄せたルーカスに、立ち上がったアランブールが向き直る。
「君は?」
「ああ、失礼いたしました。私はルーカス・アシュクロフトと申します。フィオナ嬢のお目付け役のようなもので」
「お目付け役? 君が?」
「はい」
 アランブールは疑わしげな眼差しを向けてきたが、ルーカスは平然と頷いた。
「フィオナ嬢が療養に入った時に護衛なども兼ねて任ぜられました」
 飄々とそう告げ、ルーカスは屈託のない笑みの陰からアランブールの様子を観察する。
 もしも彼が黒幕ならば、フィオナが療養などしていなかったということを知っているはずだ。ルーカスの台詞が大嘘であることにも気付くだろう。
 アランブールはフィオナの父よりは若いが、それでも彼女に邪まな想いを抱くには少々とうが立っているし、見てくれも温厚な紳士そのものだ。一見、『良い人』そのものだが、こういう人畜無害そうな男が見た目通りではないことがあるということを、ルーカスは経験上知っていた。
 フィオナの帰還がフランジナの社交界に知らしめられてから、現状、彼女に近寄ってきたのはエミール・ラクロワと、このアランブールだけだ。さらに、アランブールはかつてのフィオナと接点があったというところが気にかかる。

「あなたはアランブール卿ですね?」
 答えを知りながらそう問うと、アランブールは眉を上げた。
「私を知っているのかい? 君とはどこかで会ったかな……ああ、そうか、エドモンから聞いたんだね」
 呟いていたアランブールは、最後に独り納得したように頷いた。そうしてルーカスに微笑みかける。
「私はオーギュスト・アランブールだ。エドモンとはだいぶ前から付き合いがあってね、フィオナのことも幼いころから知っているんだよ。伏せっていると聞いて心配していたのだが……元気になって良かった」
「熱が出ていただけで、そう重いものではなかったですから」
「そうか。でも、記憶を無くしてしまったと聞いたよ?」
「ええ。でも、それ以外は至って健康になりました。むしろ、彼女には療養生活が向いていたようです」
 シレッとルーカスが笑いかけると、アランブールもフィオナをしげしげと見て頷いた。
「どうやらそのようだな」
 そうして、またルーカスに目を戻す。
「とにかく、せっかく元気になれたのだから、これからは社交生活を楽しんで欲しいね。三日後に私の屋敷で舞踏会を開くから、君も来るといい」
「それは、是非」
 愛想よく笑い返したルーカスに頷き返すと、アランブールは再びフィオナに向き直った。
「では、その時に、また」
 フィオナに向ける笑みは、ルーカスに向けた社交的なものとは違って、本物の温もりがあった。それに応えるように、彼女の頬にも淡く微笑みが浮かぶ。
「あの、お話を、ありがとうございました」
 華奢な両手を胸の前で握り合わせて言ったフィオナに、アランブールの笑みが深くなる。
「また、そのうち……ゆっくりと」
 そう残し、アランブールは去って行った。

 彼の気配が完全に失せると、フィオナがそわそわと身じろぎをし始める。
「あの、わたくしも、お部屋に――」
 まるで、ルーカスと二人きりでいることが耐え難いかのようなその様子に、彼は内心眉根を寄せる。湧いた微かな苛立ちは胸の奥に押し込めて、一つしかない四阿の出入り口を塞ぐ位置にさりげなく移動しつつ微笑みと共にフィオナを見下ろした。

「二人きりで話せるのは久しぶりだし、もう少し、ここでゆっくりしていかないか?」
 いつもなら、フィオナは一も二もなく頷くはずだ。明るい笑顔で目を輝かせて。
 しかし、ルーカスの予想に反して彼女は彼から視線を逸らしてしまう。

「フィオナ?」
 呼びかけてから応えるまでに、間があった。その間の間に、彼女は何を考えたのか。
 ルーカスが二度目に名を口にする前に、フィオナがフッと顔を上げる。
「あの、お部屋で読みたい本があるので」

 当然、嘘だろう。
 あからさまなフィオナの逃げの態度に、ルーカスは笑みを残したままで軽く首をかしげる。
「へぇ、どんな本?」
「それは、えっと……」
 途端に口ごもったフィオナに彼はすかさず畳みかける。
「この間の夜、フィオナも言っていただろう、ここに来てからゆっくり話す時間がない、と。君と過ごせないのは、私も寂しいよ」
 眉尻を下げてそう言えば、フィオナはチラリとルーカスを見たけれど、またすぐにその視線を下げてしまう。
「でも、ルーカスさんは……」
「私が、何?」
 フィオナの口の中に消えていってしまった言葉の続きを促しても、彼女は唇を噛んで押し黙ってしまった。

 ルーカスはしばしフィオナを見つめる。
 ここで粘るべきか、それとも今は引くべきか。

 考え、前者に決めた。

 ルーカスはフィオナの背に手を添え、四阿の中に備えられた長椅子へと促す。彼が触れた瞬間、微かにフィオナの身体が強張ったが、抗うことなく彼女は腰を下ろした。
 ルーカスが隣に座っても、フィオナは視線を膝の上に置いた自分の手に据えたまま、彼の方を見ようとしない。

 本格的に自分が何をしでかしたのかを振り返りつつ、ルーカスは腿に肘を突いて身を乗り出した。
「フィオナ、言ってくれないと解らないよ。私が、何だい?」
「……」
 キュッと、フィオナの握り込まれた両手に力がこもった。反射的にルーカスはそれに手を伸ばしそうになったが、そうする前に気付き、こらえる。

「もしも私が何かしたなら、教えて欲しい。私が悪いならちゃんと謝りたいんだ。ここに来てからあまり一緒にいられていないけれど――君を守るために来たのに傍にいられないのは、申し訳ないと思っている」
 もう少しだけ身を屈め、伏せられたフィオナの顔を覗き込むようにして、告げた。と、その台詞は彼女を押すことができたらしく、パッと顔が上がる。
「そんな――ルーカスさんは、何も悪いことなんてしていません」
「だったら、どうして私から逃げようとするのかな」
「逃げよう、なんて……」
「しただろう。君は嘘が下手なんだから、ごまかそうとしても無駄だよ。で、どうして私と話をしたくないんだい?」

 元々、人に抗うことができない少女だ。努めて穏やかな、けれども逃げを許さない声で再度問いかけると、フィオナはためらいがちに口を開く。
「ルーカスさんは……その、お姉さまが……」
 が、そこまでだった。
 結局フィオナは尻すぼみで言い淀み、またうつむいてしまう。

 取り敢えず、コンスタンスが原因の一つであるということだけは判った。あれだけ苦労して引き離しておいても、まだ、ルーカスが気付かぬ場所でフィオナをいびる暇があるのか。彼女は、ほんのわずかでもルーカスがフィオナに気を向けることが許せないらしい。
 きっと、また、フィオナを全否定するような台詞を叩き付けてきたのだろう。

 後でクライブにも確認しておこうと思いつつ、ルーカスはフィオナの手を両手で包み込んだ。
「フィオナ」
 呼ぶと、ノロノロと首が巡らされる。いかにも目を合わせたくなさそうなその様子は無視して、彼は彼女の顔を覗き込んだ。
「フィオナ、これだけは忘れないでくれ。君は警邏隊に必要な人間だ。もう、あの中に君がいないなど想像すらできない」

 確かにこの屋敷にフィオナの居場所はないかもしれないけれど、ここ以外には彼女を切に望んでいる者がいて、彼女が居るべき場所がある。
 ――その、今さら口にする必要もないことをはっきりと伝えてやれば、彼女に笑顔が戻ると思っていた。

 だが、ルーカスの予想は外れ、フィオナの視線がいっそう落ちる。

「フィオナ?」
 窺うように呼ぶと、ルーカスの手の中でフィオナの拳に力がこもった。

 そんなふうにきつく握り締めたら、手のひらが傷ついてしまう。

 危惧したルーカスがフィオナの手を開かせようとするより先に、彼女が口を開いた。
「……ルーカスさんは、わたくしがウィリスサイドに帰った方がいいと思われますか?」
 その声がほんの少し震えを帯びているように思われたのは、ルーカスの気のせいだろうか。
 フィオナの反応が解せず内心困惑しながらも、ルーカスは深く頷いた。
「ああ、そうだね。君にはここよりもあの場所の方が相応しいよ」
 フィオナは、こんなところよりもウィリスサイドの警邏隊の中でのほうが本当の彼女を見せてくれる。ここでは笑えなくても、あそこであれば、心の底からの晴れやかな笑顔を取り戻せるはずだ。
 ルーカスは、それに飢えていた。
(帰ったら、毎日だって笑わせてやれるのに)
 ここでは何もままならない。

 欲求不満で苛立ちすら覚えるルーカスの横で、フィオナは。
「そう、ですか。やっぱり……」
 ポツリと、胸からこぼれ落ちたかのように。
 ただそれだけの返事に、ルーカスは眉をひそめた。

 この遣り取りを始めた時からフィオナの顔に漂っていた曇りは、ほんの少しも晴れていない。いや、今の会話でいっそう濃くなったようにすら見える。
 ルーカスは、何か致命的な間違いを犯したような気がした。だが、その間違いが何なのかが判らない。
 一連の遣り取りを思い返してみても、フィオナを傷付けるようなことは何も言っていないはずだ――と、思う。

 しかし。

(本当に、私は何もしていないのか……?)

 この年に至るまで、ルーカスはどんな状況においても自分の言動に間違いはないという確信を持ってきた。別に自分の能力を過信しているわけでも驕っているわけでもなく、間違いをしないように常に幾手も読みつつ動いてきたからだ。
 しかし、その確信が、今は持てない。

 自信がないというのはこんなにも心許ないものなのかと思いつつ、ルーカスはフィオナの気を引くように彼女の手を握る手に力を込める。
「フィオナ?」
 名前を呼ぶと、一呼吸分の間があってから、彼女が顔を上げた。
「はい?」

 答えたフィオナは、微笑んでいた。ここで話し始めてから初めてルーカスに向けて見せてくれた微笑みだ。

 だが。

(何だ、この『届かない』感じは?)
 ルーカスは抱いた違和感に眉をひそめる。

 フィオナは確かに笑みを浮かべているし、彼はまだ彼女の手を握ったままだ。しかし、そうやって彼女に笑いかけられ彼女に触れているというのに、何故かとてつもない距離を感じた。

 いや、距離というよりも。

(壁、だ)
 見えない壁が二人の間に立ちはだかっているような、そんな拒絶感が、今のフィオナにはあった。
 今まで、ルーカスは、フィオナに距離を取られても拒絶されたことはなかった。

(私は、何をしたんだ?)
 愕然としながら振り返ってみても、やはり、彼女にそうされる理由に思い当たることがない。挽回しようにも、何がいけなかったのかが判らなければ動きようがなかった。

 固まるルーカスの手から、フィオナの手がするりと引き抜かれる。ハッと顔を上げた時には彼女はもう立ち上がり、彼の前を擦り抜けて四阿の外に出てしまっていた。
「フィオナ――」
「ごめんなさい、やっぱり、わたくしはお部屋に戻ります」
 そう言って微笑むと、彼女はルーカスに引き留める隙を与えてくれずにふわりと身を翻し、駆けていってしまった。

 ――まるで、ルーカスから逃げ出そうとしているかのように、振り返りもせず。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~

白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。 国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。 幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。 いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。 これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

さよなら、私の初恋の人

キムラましゅろう
恋愛
さよなら私のかわいい王子さま。 破天荒で常識外れで魔術バカの、私の優しくて愛しい王子さま。 出会いは10歳。 世話係に任命されたのも10歳。 それから5年間、リリシャは問題行動の多い末っ子王子ハロルドの世話を焼き続けてきた。 そんなリリシャにハロルドも信頼を寄せていて。 だけどいつまでも子供のままではいられない。 ハロルドの婚約者選定の話が上がり出し、リリシャは引き際を悟る。 いつもながらの完全ご都合主義。 作中「GGL」というBL要素のある本に触れる箇所があります。 直接的な描写はありませんが、地雷の方はご自衛をお願いいたします。 ※関連作品『懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい』 誤字脱字の宝庫です。温かい目でお読み頂けますと幸いです。 小説家になろうさんでも時差投稿します。

【完結】小さなマリーは僕の物

miniko
恋愛
マリーは小柄で胸元も寂しい自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。 彼女の子供の頃からの婚約者は、容姿端麗、性格も良く、とても大事にしてくれる完璧な人。 しかし、周囲からの圧力もあり、自分は彼に不釣り合いだと感じて、婚約解消を目指す。 ※マリー視点とアラン視点、同じ内容を交互に書く予定です。(最終話はマリー視点のみ)

処理中です...