悩める子爵と無垢な花

トウリン

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家族、なのに

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 ブラッドに呼ばれて赴いた執務室で、フィオナは彼の口から発せられた言葉に目をしばたたかせた。

「家、族……?」

 奇しくも同じ反応をしてしまったとはつゆとも知らないフィオナは、戸惑いと共にブラッドの隣に立つルーカスに目を向けた。彼女を受け止めようとしているかのように視線が合って、彼は柔らかな微笑みと共に頷きを返してくれる。それに励まされ、少しばかり、フィオナに再びブラッドの話を聞く余裕が生まれた。
「どこに、いるのですか?」
「フランジナだ」
「フラン……? その、お隣の国の……?」
 心許なげに確認したフィオナに、ブラッドが重々しく頷く。
「ああ」

 フィオナは、どう反応したら良いのかが判らなかった。
 その国とは、何年か前まではとても仲が悪かったはずだ。今でも、旅行で気軽に、など行き来する間柄ではないと聞く。
(それなのに、フランジナ……?)
 記憶にない家族が全然知らない場所にいると聞かされても、フィオナはまったくピンと来ない。彼女の戸惑いは明らかだったと見えて、ブラッドがしかめ面で続ける。
「どうするかは、君の気持ちに任せる。記憶が戻るまで待ってもいいし、一度確かめに行ってもいい。もしかしたら、家族に会えば記憶も戻るかもしれないしな。君が望むなら、行くだけ行って、ここに戻ってくるという道もある」
「わたくし……」
 そんな、立て続けに言われても。
 フィオナは胸の前で硬く両手を握り締めた。
 出し抜けに衝撃の事実を伝えられ、とてもではないけれど、即座に「はい、わかりました」とは答えられない。
 と、うつむいたフィオナの胸中を代弁するように、ルーカスの声が室内に響く。

「取り敢えず、二、三日は待ってあげてくださいよ。人生がクルリと変わるようなことなんですから、すぐに結論なんて出ません」
「ん? ああ、そうだな。急がせるつもりはないんだ。ゆっくり考えてくれ」
 ブラッドのその台詞に、考えたら答えが出るものなのだろうかと眉をひそめつつ、それでもフィオナは言葉少なに答える。
「ありがとうございます」

 一礼して執務室を出たフィオナは気もそぞろで廊下を歩く。意識せぬまま向かった先は、厨房だった。そこで夕食の為に芋の皮をむいていたケイティが、フィオナの顔を見た途端に目を丸くする。
「どうしたの?」
「え?」
「顔色悪いわよ? 座ったら?」
 フィオナの返事を待つことなく彼女を椅子に座らせたケイティは、手際よくお茶を淹れ始める。

 頭が麻痺したまま差し出されたカップを受け取って、フィオナはそのまま口元に運ぶ。それはいつもの三倍は甘くて、一口含んだフィオナは目をしばたたかせた。その衝撃に、少し正気を取り戻す。
「考え事するときは甘い物を摂った方がいいのよ?」
 普段お茶にはほんの少し蜂蜜を入れるかどうかというフィオナにとって、かなり強烈な甘さだ。面食らっている彼女を見て、ケイティがそううそぶいた。
 ケイティが言うことはいつも正しいから、きっとこれもそうなのだろう。

 フィオナはほとんど舐めるようにしてカップの中身を減らしていく。それが半分ほどになった時、卓の上に肘をつき、ケイティがフィオナの目を覗き込んできた。
「で、どうしたの?」
「え、と……」
 フィオナは口ごもる。

 家族が見つかったかもしれないということは、良い報せのはずだ。隠すようなことではない。
 けれど、どうしてか、フィオナはその事実を口に出すことができなかった。

 唇を噛んで白いカップの中に半分ほど残っている紅いお茶をじっと見つめる彼女を、ケイティは何も言わずに見守ってくれている。
 その視線を感じながら、フィオナは自分の胸の内にあるものを探った。
 ブラッドから家族が見つかったと言われたとき、不思議なほどに嬉しさは生まれなかった。

 以前から、そうだった。
 記憶は取り戻したいと、ずっと前から思っていた。
 けれど、家族は――家族のもとに戻りたいかと自問すると、フィオナの中には少しもその気持ちは見つからなかった。
 ケイティはしょっちゅう家族の話をするけれど、それを聞いた時にフィオナの胸に込み上げるのはどこか一歩引いたような憧れだけで、共感は微塵もなかった。今だって、見つかった家族に早く会いたいだとか、本当の家に帰りたいだとかは、思えない。むしろ、それよりも、家族が見つかればここを離れなければいけないのだということに対する恐れの方が大きかった。

 睫毛の隙間から窺うようにして、フィオナはケイティをチラリと見る。
 ケイティが両親や弟妹達のことを話すとき、彼女の声にも眼差しにも愛情が溢れ返っている。けれど、フィオナが記憶の靄の向こうにいる家族のことを考えても、少しも胸が温まらない。
(わたくしはお父様やお母様のことを愛していないの……?)
 単に記憶がないからだというだけでなく、もとより希薄な家族関係だから、帰りたいという気持ちが湧いてこないのだろうか。
(わたくしは、情が薄いのかもしれない)
 両親だという人たちに会っても何も思い出せなかったら――なにも感じなかったら、どうしよう。

 フィオナはもう冷えてしまったカップを溺れる者が板切れにすがるように握り締めた。と、不意に横から手が伸びてきて、そっと彼女からそれを取り上げる。
「ケイティ」
 顔を上げると、大きな緑色の瞳が真っ直ぐにフィオナを見つめていた。
「ごめんね、本当は知ってるの」
「え?」
「だんな様から聞いたわけじゃないけど、あの人の様子見てたら何となく判っちゃった」
 ケイティはカップを置くと、それを包み込んでいた形のままになっていたフィオナの両手を包み込む。
「家族が、見つかったんでしょう?」
 その問いに、フィオナはクッと息を詰める。ケイティにはそれで通じてしまった。
「やっぱりね。急にあたしに家族のことを訊いてきたりするし。やっぱり会いたいものだよな、とか、ブツブツ言ってたのよね」
 そう言って、ケイティは肩をすくめた。解りやすいんだから、とか呟いているけれど、それだけで察しがついてしまう彼女の方が、鋭過ぎるのではないだろうか。

 フィオナがまじまじとケイティを見つめていると、その視線に気付いて彼女は頬を緩めた。
「で、どうするの?」
 目を覗き込みながら問いかけられて、フィオナは睫毛を伏せる。
「わたくしは……怖い、です」
 ズレた、答え。
 でも、それが、それだけが、正直な気持ちだ。
 記憶のないまま会うのは、怖い。
 けれど、何か思い出すのを待っていたら、いつまで経っても会えないかもしれない。

 唇を噛んだフィオナに、彼女の手を包み込んでいるケイティの手に力がこもった。
「まあそりゃ少しばかり怖いかもしれないけど、ちょっとでもやってみたいと思ったなら、多分やっちゃった方がいいよ。失敗してやらなきゃ良かったって後悔するより、何もしていなくてやってれば良かったって後悔する方のが大きいもんだって、よく言うじゃない。当たって砕けろ、だよ」
「ケイティ」
 そんなふうにあっさり軽く言えてしまうのは、彼女が強いからだ。意気地のない自分には、当たることも砕けることも、そう簡単なことではないのに。

 フィオナは、卑屈な考えに自己嫌悪に陥りかけた。と、それを吹き飛ばそうとでもしているかのような勢いで、荒っぽい足音が厨房に近づいてくる。
 こんなふうに足音を立てるのはアレンあたりだろうと思いながら振り返った彼女は、戸口に現れた相手に目をみはる。

 そこに、いたのは――

「ルーカス、さん」
「やっぱりここにいたね」
 微笑みながらそう言ったルーカスをよくよく見れば一筋髪も乱れていて、いつも優雅で泰然とした姿勢を崩さない彼らしくない。
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