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その手を取るために②
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ルーカスはしげしげとケイティを見下ろした。
「君は隊長のことが好きだよね」
唐突な指摘に彼女は目をしばたたかせ、次いでニッコリと笑った。
「はい、大好きです」
ケイティは至極当然とばかりにコクリと頷く。
「あの人が君のことをどう思っているか、本当は薄々気付いているのだろう?」
「まあ、そうですね」
そう言って、彼女はまた頷いた。ルーカスは眉をひそめる。
「それでも、現状維持を選ぶのかい? それでいいの?」
「……どう思います?」
「君のことを私が決めることはできないよ」
肩をすくめて答えると、ケイティは唇を噛んでうつむいた。流石に突き放し過ぎたかと、ルーカスは苦笑する。
「君は、自分ではあの人のことを幸せにできないと思うのかい?」
彼のその問いに、ケイティは額にしわを寄せた。
「え?」
「君があの人のことを幸せにできるという自信があるのなら、迷わず手を伸ばして欲しいものを掴めばいい」
ルーカスは、チラリとフィオナに目を走らせる。
「少なくとも、私ならそうするよ。私は、私の愛しい人を誰よりも幸せにできる自信がある。だから、欲しいと思えば是が非でも手に入れる。せっかく巡り逢えた相手だからね、私は絶対に他の者には譲らないな」
キッパリと断言し、晴れやかに笑って見せた。
それは、半ばフィオナに向けた言葉だった。彼女は、自分へのものだとは気づいていないだろうけれども。
そう、フィオナはきっとルーカスにとって唯一無二の相手だ。
二十七年生きてきて、ルーカスは多くの淑女たちともそれなりに関わりを持ってきたが、その中に、今フィオナに抱いているような想いを片鱗だけでも持たせてくれた者はいなかった。つまりフィオナは、二十七年かかってようやく巡り逢えた存在だということだ。
しかも、ルーカスは貴族でありながら労働に身を置いており、フィオナは誘拐されてきたという、どちらもかなり珍しい事象を経た上でのことだ。どちらか一方でも稀なことだというのに、その二つがあって初めて成し得た出逢いで、ほとんど奇跡と言っていい。
恐らくフィオナとは十歳以上は年が離れているだろうが、この奇跡の前ではごく些細な問題だ。いや、問題にすらならない。
そもそも愛するようになる相手が人間で異性で同じ地域に住んでいる確率すら天文学的なものなのだ。多少の年の差など、まさにどうでもいいことではないか。だから、そんな他愛もないことに雁字搦めになっているブラッドは、愚かとしか言いようがない。
確かにフィオナはまだ幼いが、それなら、大人になることをもう少しの間待っていればいいだけのこと。この手の中にしっかりと閉じ込めておけさえすれば、あと二、三年待つことなどたいして苦でもない。
ルーカスはつと手を伸ばし、こめかみにこぼれたフィオナの黒髪を耳に掛けてやる。指先が柔らかな肌をかすめ、ただそれだけで、パッと彼女の頬に朱が散った。
彼は密かに微笑む。
フィオナが彼のことを慕っていることには、ルーカスも気付いている。そうなるように、彼自身行動してきたからだ。
ここにかくまってから、彼女が怯えるからと他の連中は近づけないようにして、微笑みかけ、優しく労り、慰め、彼女の想いが自分に向くように仕向けてきた。
当初、ケイティがここにいなかったことも幸いしたのだろう。
卵から孵ったひな鳥が最初に目にしたものに懐くように、フィオナもルーカスを慕うようになった。
怯えきっていたフィオナの表情が次第に和らいでいくのを見ていると満足感でルーカスの胸は膨らみ、更に懐いておずおずとした微笑みを浮かべるようになってくれた時には無上の喜びを覚えた。
フィオナが自分に向ける眼差しの中に、信頼と思慕が見え隠れするようになった時は、まるで全世界を手に入れたような心持になったものだ。
ルーカスがフィオナを手に入れること。
それは、決定事項で決して揺るがないし、現にそうなりつつあった。
だが、順調にフィオナとの関係を育んでいたある日、ルーカスはハタと一つの事柄に思い当たったのだ。
フィオナの記憶が戻ったら、どうなるのだろう、と。
それは、不意にひらりと落ちてきた疑問だった。
ルーカスにしてみれば、フィオナの記憶の有無などどうでもいいことだ。
しかし、フィオナはどうか。
ルーカスが愛していると告げれば、フィオナはそれを拒まない。彼女は彼のものになるだろう。
そうなってから、フィオナの記憶が戻ったら。
ルーカスにとってはどうでもいいフィオナの過去の中に、彼女が特別に想う者がいたら、どうなるだろう。もしもそんな存在があるのなら、忘れている間にルーカスの想いを受け入れてしまっては、思い出した時にフィオナは両者の板挟みになる。
この三年間のフィオナを見てきたから、ルーカスには嫌というほど解かっている。
記憶があろうとなかろうと、彼女は人一倍優しく、常に自分のことよりも他人のことを考えて動く少女なのだ。
そんなことになれば、フィオナは苦しむだろう。そしてルーカスは、彼女が苦しむ姿は見たくない。自分本位な想いに拘泥しているとはいえ、その点だけは別格で存在していた。
(何の憂いもなくフィオナをこの手に入れるには、まずは彼女の記憶を取り戻さないといけない)
過去にそういった者がいないことを確認するか、あるいは、もしもいるのならば、きちんと手順を踏んで彼女を奪ってからにしなければ。
災難としか言いようのない今回のデリック・スパークの件で、一つだけ得たことがあった。それは、フィオナの過去についての情報だ。警邏隊詰所を襲撃したという罪が追加されたこともあって観念したのか、以前はフィオナのことについて断固として口を閉ざしていたあの男は、再度の取り調べの中、彼女を隣国フランジナから連れてきたようなことをにおわせ始めている。
他国の話では、情報がないのも当然だ。
今、公私両方の経路から、三年前に行方不明になった少女がいないかを確認しているところだった。あれほど美しい少女なのだから、きっと、何か判るはずだ
フィオナがどこの誰なのかが知れた時、どうなるのか。
ルーカスはフィオナを見つめる。
(彼女の全てを手に入れるためには、一度この手を離す必要があるのかもしれない)
もっとも、一度は手放さざるを得なかったとしても、決してそのままにはしておかないが。
ルーカスがそんなことを考えた時、横合いからひそめた声がかけられる。
「あの、ルーカスさん?」
見れば、ケイティが眉をひそめて彼を見上げていた。
「何だい?」
「その、笑顔が何だか黒いです。あと、フィオナが困ってます」
言われて視線を辿ってみれば、ルーカスの手がフィオナの髪をひと房取って、もてあそんでいた。おくれ毛を拾った流れで、無意識のうちにやっていたらしい。
貴族の令嬢がしているような手入れはできていないはずなのに、フィオナの黒髪は彼女たちのものよりもはるかに手触りが滑らかだ。あまりの触り心地の良さに、つい、その感触を楽しんでしまっていたようだ。
そして髪を摘ままれ玩具にされて、フィオナは顔を真っ赤にして固まっていた。その様は、実に可愛らしいことこの上ない。まさに、頭の天辺から爪の先までペロリと食べてしまいたくなるほどに。
だが、今はまだ我慢、だ。
「ああ、すまないね。私は君たちの仕事の邪魔をしているな」
そう言って微笑んで、ルーカスは名残惜しいが彼女の髪を手放した。
「じゃあ、これ以上邪魔をしても悪いから、もう行くよ。でも、適当でいいからね。力が要るなら、アレンあたりを使ったらいい」
「はい。どっちにしてもそろそろ夕飯の準備の時間だし、あたしたちもこの辺で切り上げます。ね、フィオナ?」
首をかしげるようにしてケイティが振り返ると、顔を伏せたままフィオナがコクリと頷いた。その頬はまだほんのり紅い。
髪に触れる程度でこれでは、その先を、となった時にはさぞかし狼狽することだろう。
そんな彼女も見てみたいなと思いつつ、ルーカスは二人に微笑む。
「じゃあ、夕飯を楽しみにしているよ」
そうして、部屋を後にした。
「君は隊長のことが好きだよね」
唐突な指摘に彼女は目をしばたたかせ、次いでニッコリと笑った。
「はい、大好きです」
ケイティは至極当然とばかりにコクリと頷く。
「あの人が君のことをどう思っているか、本当は薄々気付いているのだろう?」
「まあ、そうですね」
そう言って、彼女はまた頷いた。ルーカスは眉をひそめる。
「それでも、現状維持を選ぶのかい? それでいいの?」
「……どう思います?」
「君のことを私が決めることはできないよ」
肩をすくめて答えると、ケイティは唇を噛んでうつむいた。流石に突き放し過ぎたかと、ルーカスは苦笑する。
「君は、自分ではあの人のことを幸せにできないと思うのかい?」
彼のその問いに、ケイティは額にしわを寄せた。
「え?」
「君があの人のことを幸せにできるという自信があるのなら、迷わず手を伸ばして欲しいものを掴めばいい」
ルーカスは、チラリとフィオナに目を走らせる。
「少なくとも、私ならそうするよ。私は、私の愛しい人を誰よりも幸せにできる自信がある。だから、欲しいと思えば是が非でも手に入れる。せっかく巡り逢えた相手だからね、私は絶対に他の者には譲らないな」
キッパリと断言し、晴れやかに笑って見せた。
それは、半ばフィオナに向けた言葉だった。彼女は、自分へのものだとは気づいていないだろうけれども。
そう、フィオナはきっとルーカスにとって唯一無二の相手だ。
二十七年生きてきて、ルーカスは多くの淑女たちともそれなりに関わりを持ってきたが、その中に、今フィオナに抱いているような想いを片鱗だけでも持たせてくれた者はいなかった。つまりフィオナは、二十七年かかってようやく巡り逢えた存在だということだ。
しかも、ルーカスは貴族でありながら労働に身を置いており、フィオナは誘拐されてきたという、どちらもかなり珍しい事象を経た上でのことだ。どちらか一方でも稀なことだというのに、その二つがあって初めて成し得た出逢いで、ほとんど奇跡と言っていい。
恐らくフィオナとは十歳以上は年が離れているだろうが、この奇跡の前ではごく些細な問題だ。いや、問題にすらならない。
そもそも愛するようになる相手が人間で異性で同じ地域に住んでいる確率すら天文学的なものなのだ。多少の年の差など、まさにどうでもいいことではないか。だから、そんな他愛もないことに雁字搦めになっているブラッドは、愚かとしか言いようがない。
確かにフィオナはまだ幼いが、それなら、大人になることをもう少しの間待っていればいいだけのこと。この手の中にしっかりと閉じ込めておけさえすれば、あと二、三年待つことなどたいして苦でもない。
ルーカスはつと手を伸ばし、こめかみにこぼれたフィオナの黒髪を耳に掛けてやる。指先が柔らかな肌をかすめ、ただそれだけで、パッと彼女の頬に朱が散った。
彼は密かに微笑む。
フィオナが彼のことを慕っていることには、ルーカスも気付いている。そうなるように、彼自身行動してきたからだ。
ここにかくまってから、彼女が怯えるからと他の連中は近づけないようにして、微笑みかけ、優しく労り、慰め、彼女の想いが自分に向くように仕向けてきた。
当初、ケイティがここにいなかったことも幸いしたのだろう。
卵から孵ったひな鳥が最初に目にしたものに懐くように、フィオナもルーカスを慕うようになった。
怯えきっていたフィオナの表情が次第に和らいでいくのを見ていると満足感でルーカスの胸は膨らみ、更に懐いておずおずとした微笑みを浮かべるようになってくれた時には無上の喜びを覚えた。
フィオナが自分に向ける眼差しの中に、信頼と思慕が見え隠れするようになった時は、まるで全世界を手に入れたような心持になったものだ。
ルーカスがフィオナを手に入れること。
それは、決定事項で決して揺るがないし、現にそうなりつつあった。
だが、順調にフィオナとの関係を育んでいたある日、ルーカスはハタと一つの事柄に思い当たったのだ。
フィオナの記憶が戻ったら、どうなるのだろう、と。
それは、不意にひらりと落ちてきた疑問だった。
ルーカスにしてみれば、フィオナの記憶の有無などどうでもいいことだ。
しかし、フィオナはどうか。
ルーカスが愛していると告げれば、フィオナはそれを拒まない。彼女は彼のものになるだろう。
そうなってから、フィオナの記憶が戻ったら。
ルーカスにとってはどうでもいいフィオナの過去の中に、彼女が特別に想う者がいたら、どうなるだろう。もしもそんな存在があるのなら、忘れている間にルーカスの想いを受け入れてしまっては、思い出した時にフィオナは両者の板挟みになる。
この三年間のフィオナを見てきたから、ルーカスには嫌というほど解かっている。
記憶があろうとなかろうと、彼女は人一倍優しく、常に自分のことよりも他人のことを考えて動く少女なのだ。
そんなことになれば、フィオナは苦しむだろう。そしてルーカスは、彼女が苦しむ姿は見たくない。自分本位な想いに拘泥しているとはいえ、その点だけは別格で存在していた。
(何の憂いもなくフィオナをこの手に入れるには、まずは彼女の記憶を取り戻さないといけない)
過去にそういった者がいないことを確認するか、あるいは、もしもいるのならば、きちんと手順を踏んで彼女を奪ってからにしなければ。
災難としか言いようのない今回のデリック・スパークの件で、一つだけ得たことがあった。それは、フィオナの過去についての情報だ。警邏隊詰所を襲撃したという罪が追加されたこともあって観念したのか、以前はフィオナのことについて断固として口を閉ざしていたあの男は、再度の取り調べの中、彼女を隣国フランジナから連れてきたようなことをにおわせ始めている。
他国の話では、情報がないのも当然だ。
今、公私両方の経路から、三年前に行方不明になった少女がいないかを確認しているところだった。あれほど美しい少女なのだから、きっと、何か判るはずだ
フィオナがどこの誰なのかが知れた時、どうなるのか。
ルーカスはフィオナを見つめる。
(彼女の全てを手に入れるためには、一度この手を離す必要があるのかもしれない)
もっとも、一度は手放さざるを得なかったとしても、決してそのままにはしておかないが。
ルーカスがそんなことを考えた時、横合いからひそめた声がかけられる。
「あの、ルーカスさん?」
見れば、ケイティが眉をひそめて彼を見上げていた。
「何だい?」
「その、笑顔が何だか黒いです。あと、フィオナが困ってます」
言われて視線を辿ってみれば、ルーカスの手がフィオナの髪をひと房取って、もてあそんでいた。おくれ毛を拾った流れで、無意識のうちにやっていたらしい。
貴族の令嬢がしているような手入れはできていないはずなのに、フィオナの黒髪は彼女たちのものよりもはるかに手触りが滑らかだ。あまりの触り心地の良さに、つい、その感触を楽しんでしまっていたようだ。
そして髪を摘ままれ玩具にされて、フィオナは顔を真っ赤にして固まっていた。その様は、実に可愛らしいことこの上ない。まさに、頭の天辺から爪の先までペロリと食べてしまいたくなるほどに。
だが、今はまだ我慢、だ。
「ああ、すまないね。私は君たちの仕事の邪魔をしているな」
そう言って微笑んで、ルーカスは名残惜しいが彼女の髪を手放した。
「じゃあ、これ以上邪魔をしても悪いから、もう行くよ。でも、適当でいいからね。力が要るなら、アレンあたりを使ったらいい」
「はい。どっちにしてもそろそろ夕飯の準備の時間だし、あたしたちもこの辺で切り上げます。ね、フィオナ?」
首をかしげるようにしてケイティが振り返ると、顔を伏せたままフィオナがコクリと頷いた。その頬はまだほんのり紅い。
髪に触れる程度でこれでは、その先を、となった時にはさぞかし狼狽することだろう。
そんな彼女も見てみたいなと思いつつ、ルーカスは二人に微笑む。
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