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その手を取るために①
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戸口に立ったルーカスはきっちり片付けられた室内を見回す。
「どうせこの部屋は使っていないのだし、こんなに綺麗にしなくてもよかったのに」
彼はそう言って、手前にいるケイティ、次いでその向こうのフィオナに笑顔を向けた。
この一週間というもの、常時二十名以上の隊員たちの世話をしながら、更に襲撃の後片付けをしているのだから、ずいぶんと労働量は増えてしまっているはずだ。ケイティはともかく、フィオナにはかなりの負担になっているに違いない。
ルーカスは口元に笑みを残したまま、それとなくフィオナを観察した。
顔色、頬の丸み、目の明るさ。
(取り敢えず、無理はしていないようだな)
彼女に変わった様子はなく、ひとまず安堵したルーカスにケイティの声がかけられる。
「そうそう、ルーカスさんからも言ってやってくれません?」
目を遣ると、彼女はもとよりふっくらしている頬をいっそう膨らませていた。
「言うって、何をだい?」
「フィオナに、もっと自信を持てって」
「それは……どういう流れなのかな」
ルーカスは眉をひそめ、首をかしげて小柄なケイティを見下ろした。彼女は肩をすくめて続ける。
「フィオナがね、自分は役立たずだって言うんです」
「ケイティ、わたくしは、そんなこと――」
「言ってたじゃない。ね、ルーカスさん、この三年のフィオナの成長っぷりって、すごくないですか?」
そう言って、ケイティはこの三年間でフィオナができるようになった数々のことを挙げてくる。
「ね、すごいですよね?」
鮮やかな新緑の瞳がルーカスに賛同を迫ってくるが、そんな眼で見られなくても彼女の意見には完全に同意だ。
「ああ、誇ってもいいと思うよ。こんなに色々なことができるようになったのは、フィオナの努力の賜物だ。あと、ケイティの指導のね」
きっぱりと断言すると、フィオナは白磁の頬をほんのりと薄紅色に染めてうつむいた。その様はたとえようもなく愛らしくて、ルーカスはこの場にケイティがいて良かったと、しみじみと思う。そうして、フィオナの眼が彼に向けられていないのをいいことに、じっくりとその表情を堪能した。
彼女が変わったのは、何も家事の腕前だけではない。
ここに連れてきたばかりの頃のフィオナは美しいけれども人形のように無表情で、ケイティの陰から決して出てこようとはしなかった。
救出されたあと、ケイティは一度実家に戻り、それから再び詰所に戻ってきたのだが、彼女が不在だった間はフィオナに飲み食いさせることすら難渋した。
ごつい隊員たちが相手では彼らが視界に入るだけで委縮して息をするのもやっという風情になってしまっていたから、専らルーカスが世話をした。
もちろん、それはルーカス自身も望んでしていたことで、フィオナに色々してやることは彼の喜びでもあった。
だが、同時に、なかなか緊張と怯えが解けず、寝ている時でも硬く身を強張らせている彼女を見ていることは、ルーカスに我が身を切り裂かれるような痛みをもたらした。
毎夜更けにフィオナの様子を窺いに行っていたが、押し殺した忍び泣きが聞こえない晩はなかったのだ。そのたび、彼女が穏やかな眠りに沈むまでこの腕に包み込んで過ごしたものだ。夢の中とは言え、次第に力を抜いてこの胸に身を委ねてくる彼女が、愛おしくてならなかった。彼女を守る為ならば、どんなことでもしようと繰り返し思った。
自分は、その為だけに存在するのでも構わない、と。
(今、同じようにしろと言っても絶対に無理だな)
ルーカスは胸の中でこっそりと苦笑する。
愛らしさよりも匂い立つようなたおやかな美しさが勝ってきた頃から、ルーカスはフィオナと二人きりになるのは避けるようにしてきた。
理由は簡単、自分の行動に自信が持てなくなったからだ。
フィオナを前にしていると、愛おしいという気持ちだけでは留まらず、触れたくてたまらなくなる。そして多分、ひとたび触れてしまえばそれだけでは満足できなくなるに違いない。
今だって、そうだ。
うつむくフィオナの丸い頭や華奢な肩を見ていると、抱き締めたくてたまらなくなる。
ルーカスはケイティにチラリと目を走らせた。そして、呟く。
「まったく、隊長の気が知れないな」
「え?」
眉をひそめたケイティに、ルーカスはかぶりを振った。
「いや、こっちの話」
「?」
彼女はいっそう訝しげな顔になる。ルーカスはそれを微笑みでごまかした。
ウィリスサイド警邏隊隊長ブラッド・デッカーは、このケイティを女性として想っている。が、その気持ちを断固として受け入れようとしない。
獅子だ鬼だと謳われている自分たちの隊長が仔猫のような世話係にベタ惚れなのは誰の目から見ても明らかだったので、隊員たちは皆、十代の初恋を見守るようなぬるい眼差しを注いできたものだ。
ダダ洩れのその想いを懸命に押し隠そうとしていたブラッドだったが、先ごろの襲撃でようやく多少の心境の変化が現れたように見受けられる。
多分ケイティがこの詰所に駆け込んできたときから始まっていただろうから、実に三年間、ブラッドはケイティへの想いをないものにしようと足掻いていたことになるはずだ。
その理由が、ルーカスには笑えてしまう。
ケイティの側にその気がないから、というならまだ解る。だが、実際はそんなことは微塵もなくて、彼女の方はブラッドを好きだと言ってはばからない。
これ以上ないというほど完璧な両想いだというのに、何故成就しないのか。きっと、放っておいたら延々通じない両想いのままでいるに違いない。傍から見ていれば、互いに素直になれば一瞬にして解決することが一目瞭然だというのに、いったい、何が邪魔しているというのか。
それは、年齢だ。ブラッドは、ケイティと彼との間にある年の差を気にしていたのだ。
まあ、ケイティは見た目が幼いから多少の勘違いはあったようだが、それにしたって、十や二十の年の差で尻込みするなど愚かもいいところだとルーカスは思う。彼には、ブラッドのためらいがさっぱり理解できない。
その人を愛するのは、様々な条件を満たしているからだろうか。
ルーカスは、そうは思わない。
フィオナに出逢って、初めて、理解した。
愛するのはその存在だからであるということを。
愛してしまえば、老若男女、場合によっては生物的な種族さえ関係ないのかもしれないとすら思う。
「どうせこの部屋は使っていないのだし、こんなに綺麗にしなくてもよかったのに」
彼はそう言って、手前にいるケイティ、次いでその向こうのフィオナに笑顔を向けた。
この一週間というもの、常時二十名以上の隊員たちの世話をしながら、更に襲撃の後片付けをしているのだから、ずいぶんと労働量は増えてしまっているはずだ。ケイティはともかく、フィオナにはかなりの負担になっているに違いない。
ルーカスは口元に笑みを残したまま、それとなくフィオナを観察した。
顔色、頬の丸み、目の明るさ。
(取り敢えず、無理はしていないようだな)
彼女に変わった様子はなく、ひとまず安堵したルーカスにケイティの声がかけられる。
「そうそう、ルーカスさんからも言ってやってくれません?」
目を遣ると、彼女はもとよりふっくらしている頬をいっそう膨らませていた。
「言うって、何をだい?」
「フィオナに、もっと自信を持てって」
「それは……どういう流れなのかな」
ルーカスは眉をひそめ、首をかしげて小柄なケイティを見下ろした。彼女は肩をすくめて続ける。
「フィオナがね、自分は役立たずだって言うんです」
「ケイティ、わたくしは、そんなこと――」
「言ってたじゃない。ね、ルーカスさん、この三年のフィオナの成長っぷりって、すごくないですか?」
そう言って、ケイティはこの三年間でフィオナができるようになった数々のことを挙げてくる。
「ね、すごいですよね?」
鮮やかな新緑の瞳がルーカスに賛同を迫ってくるが、そんな眼で見られなくても彼女の意見には完全に同意だ。
「ああ、誇ってもいいと思うよ。こんなに色々なことができるようになったのは、フィオナの努力の賜物だ。あと、ケイティの指導のね」
きっぱりと断言すると、フィオナは白磁の頬をほんのりと薄紅色に染めてうつむいた。その様はたとえようもなく愛らしくて、ルーカスはこの場にケイティがいて良かったと、しみじみと思う。そうして、フィオナの眼が彼に向けられていないのをいいことに、じっくりとその表情を堪能した。
彼女が変わったのは、何も家事の腕前だけではない。
ここに連れてきたばかりの頃のフィオナは美しいけれども人形のように無表情で、ケイティの陰から決して出てこようとはしなかった。
救出されたあと、ケイティは一度実家に戻り、それから再び詰所に戻ってきたのだが、彼女が不在だった間はフィオナに飲み食いさせることすら難渋した。
ごつい隊員たちが相手では彼らが視界に入るだけで委縮して息をするのもやっという風情になってしまっていたから、専らルーカスが世話をした。
もちろん、それはルーカス自身も望んでしていたことで、フィオナに色々してやることは彼の喜びでもあった。
だが、同時に、なかなか緊張と怯えが解けず、寝ている時でも硬く身を強張らせている彼女を見ていることは、ルーカスに我が身を切り裂かれるような痛みをもたらした。
毎夜更けにフィオナの様子を窺いに行っていたが、押し殺した忍び泣きが聞こえない晩はなかったのだ。そのたび、彼女が穏やかな眠りに沈むまでこの腕に包み込んで過ごしたものだ。夢の中とは言え、次第に力を抜いてこの胸に身を委ねてくる彼女が、愛おしくてならなかった。彼女を守る為ならば、どんなことでもしようと繰り返し思った。
自分は、その為だけに存在するのでも構わない、と。
(今、同じようにしろと言っても絶対に無理だな)
ルーカスは胸の中でこっそりと苦笑する。
愛らしさよりも匂い立つようなたおやかな美しさが勝ってきた頃から、ルーカスはフィオナと二人きりになるのは避けるようにしてきた。
理由は簡単、自分の行動に自信が持てなくなったからだ。
フィオナを前にしていると、愛おしいという気持ちだけでは留まらず、触れたくてたまらなくなる。そして多分、ひとたび触れてしまえばそれだけでは満足できなくなるに違いない。
今だって、そうだ。
うつむくフィオナの丸い頭や華奢な肩を見ていると、抱き締めたくてたまらなくなる。
ルーカスはケイティにチラリと目を走らせた。そして、呟く。
「まったく、隊長の気が知れないな」
「え?」
眉をひそめたケイティに、ルーカスはかぶりを振った。
「いや、こっちの話」
「?」
彼女はいっそう訝しげな顔になる。ルーカスはそれを微笑みでごまかした。
ウィリスサイド警邏隊隊長ブラッド・デッカーは、このケイティを女性として想っている。が、その気持ちを断固として受け入れようとしない。
獅子だ鬼だと謳われている自分たちの隊長が仔猫のような世話係にベタ惚れなのは誰の目から見ても明らかだったので、隊員たちは皆、十代の初恋を見守るようなぬるい眼差しを注いできたものだ。
ダダ洩れのその想いを懸命に押し隠そうとしていたブラッドだったが、先ごろの襲撃でようやく多少の心境の変化が現れたように見受けられる。
多分ケイティがこの詰所に駆け込んできたときから始まっていただろうから、実に三年間、ブラッドはケイティへの想いをないものにしようと足掻いていたことになるはずだ。
その理由が、ルーカスには笑えてしまう。
ケイティの側にその気がないから、というならまだ解る。だが、実際はそんなことは微塵もなくて、彼女の方はブラッドを好きだと言ってはばからない。
これ以上ないというほど完璧な両想いだというのに、何故成就しないのか。きっと、放っておいたら延々通じない両想いのままでいるに違いない。傍から見ていれば、互いに素直になれば一瞬にして解決することが一目瞭然だというのに、いったい、何が邪魔しているというのか。
それは、年齢だ。ブラッドは、ケイティと彼との間にある年の差を気にしていたのだ。
まあ、ケイティは見た目が幼いから多少の勘違いはあったようだが、それにしたって、十や二十の年の差で尻込みするなど愚かもいいところだとルーカスは思う。彼には、ブラッドのためらいがさっぱり理解できない。
その人を愛するのは、様々な条件を満たしているからだろうか。
ルーカスは、そうは思わない。
フィオナに出逢って、初めて、理解した。
愛するのはその存在だからであるということを。
愛してしまえば、老若男女、場合によっては生物的な種族さえ関係ないのかもしれないとすら思う。
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