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月日は流れて
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さて、ここには何を植えようか。
新しく土を起こした一画を前にして、レイは腕組みをする。
夏の花は揃っているから、秋に満開になるようなものが良いだろう。色は赤か、いや、もう少し黄味がかったものにするか。
レイは視線を上げて、周囲を一望する。
ラムバルディア王、そして王妃が忙しい勤めの隙間に憩うためのこの庭は、東西南北あらゆる地域から集められた花々で、まるで天然の宝石箱のようだ。
(まさかオレが、こんなところに根を下ろすとはな)
きっと、ディアスタ村で畑を耕して日々の糧を得る者になるに違いない、それしか進む道はないと、思っていたのに。
――レイが王宮庭師となってから、五年が過ぎた。庭師長となってからは、丸一年だ。
革新的であると同時に揺らぎない安定もある現王の治世の下、ラムバルディアはかつてないほどの豊かさを誇っている。
各地の孤児院は国が運営するようになり、ディアスタ村に戻る必要がなくなったレイは王都に留まった。城下町で職を得ることも考えたが、王宮庭師の仕事を手伝ったことをきっかけに、正式にこの庭で働くよう誘われたのだ。
元々土いじりは天職だと思っていたが、田舎の孤児だった自分がこんなところで職を得ようとは、しかも、皆を管理するような地位に就こうとは、レイは夢にも思っていなかった。
「何が起こるか判らないものだよな」
呟いて、レイが腰を伸ばした時だった。
「レイ!」
弾む声が彼の名を呼んだと思ったら、ドンと脚に何かが飛びついてきた。
見下ろすと、膝の辺りに金色の綿毛がある。
「王子……怪我をするからそれはやめなさいといつも言っているでしょう」
ため息混じりにたしなめると、綿毛がふわりと動き、満開の笑顔が現れた。
「おべんきょうおわったよ! あそぼ!」
いつものようにレイの言葉など右から左に聞き流し、先ごろ三歳の誕生日を迎えたばかりのラムバルディア国第一王子は喜色満面でそう言ってきた。
レイはグッと怖い顔をして見せたが長くは続かない。何しろこの王子は、色は金髪青目で父親そっくりだが、その面立ちは母親譲りなのだ。厳しい態度など、取り続けることなどできるはずもない。
屈託なく両手を伸ばして抱っこをせがんでくる王子に、レイはやれやれとため息をこぼす。
両脇に手を差し入れて抱き上げると、高く広くなった視野に王子が歓声を上げる。
「レイはいいなぁ。ぼくもはやくおおきくなりたい」
王子は心底うらやましげにためいきをこぼし、そしてキラキラと目を輝かせた。
「あとなんかいおやすみしたら、おおきくなれるかなぁ?」
「そうだな、七千回は必要だろうな」
「ななせん?」
「ああ」
「じゃあ、つぎのおたんじょうびがきたらおおきくなるね!」
七千というのは、三歳の子どもにとって数が大き過ぎたらしい。
「いや……それは……」
「はやくレイくらいおおきくなって、父上のおてつだいしたり、母上をおまもりしたりするんだ」
胸を張る王子に、ふと、レイの脳裏で二つの面影が重なった。駆け足で大人にならざるを得なかった、かつての恋敵、そして、この手で幸せにしたいと願った少女の面影が。
「急がなくてもいい」
レイは王子を地面に下ろし、彼の前に屈む。小さな肩に両手を置いて、父親譲りの青い瞳と視線を合わせた。
「母上も父上も、王子がゆっくりと大人になることを望んでいるはずだ」
かつて、小さな孤児院で、子どもたちに囲まれたステラはいつだって笑顔だった。
あの笑顔が偽りだったとは――彼女が不幸だったとは思わない。彼女だって、自分は幸せだったと言うだろう。
けれど、この地に来て、アレッサンドロの隣にいるステラを見て、あの頃の彼女には何かが足りていなかったのだと、気づかされた。
幸せでも、満たされてはいなかったのだ。
「母上は王子のことがとても大切だから、王子が幸せであることが、王子が楽しく笑っていることが、母上が一番望んでいることなんだ」
立派になることでも、役に立つことでもなく。
レイの言葉に、王子はコテンと首を傾げた。
「ぼくがわらってるだけでいいの?」
「ああ」
レイが頷くと、王子は小さな眉間にしわを寄せて考え込む素振りを見せたが、すぐにパッと顔を上げた。
「そうだね。すきなひとがわらってると、うれしいもんね」
そう言って、母親そっくりの笑顔になる。
「ぼくね、母上と父上がだいすき。母上と父上がわらってると、すごくうれしい」
王子の腕が伸びてきて、レイの首に回された。
「ジーノおじさまもすき、リナルドもメルセデもすき、カロリーナもすき、レイもだぁいすき!」
ギュゥギュゥとしがみついていた腕がパッと解かれて、王子が弾む足取りで踊り出す。
「みんなだいすきだから、ぼくは父上みたいないい王さまになるよ!」
高らかな声での宣言に、レイは一瞬呆気に取られた。次いで、破顔する。
「レイ?」
滅多に声を上げて笑うことのない寡黙な庭師の大笑いに、ピタリと止まった王子が目を丸くして見上げてきた。
レイは金色の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
「王子は父上に良く似ている。きっと、良い王様になるさ」
「ほんと?」
愛しく想うたった一人の為にあれだけのことを成し遂げた男の息子だ。たくさんの者に愛され、彼らを愛するこの子どもは、きっと何だってできる。
「ああ」
深く頷いたレイに、王子は、母親譲りの花咲くような笑顔を返してきた。
新しく土を起こした一画を前にして、レイは腕組みをする。
夏の花は揃っているから、秋に満開になるようなものが良いだろう。色は赤か、いや、もう少し黄味がかったものにするか。
レイは視線を上げて、周囲を一望する。
ラムバルディア王、そして王妃が忙しい勤めの隙間に憩うためのこの庭は、東西南北あらゆる地域から集められた花々で、まるで天然の宝石箱のようだ。
(まさかオレが、こんなところに根を下ろすとはな)
きっと、ディアスタ村で畑を耕して日々の糧を得る者になるに違いない、それしか進む道はないと、思っていたのに。
――レイが王宮庭師となってから、五年が過ぎた。庭師長となってからは、丸一年だ。
革新的であると同時に揺らぎない安定もある現王の治世の下、ラムバルディアはかつてないほどの豊かさを誇っている。
各地の孤児院は国が運営するようになり、ディアスタ村に戻る必要がなくなったレイは王都に留まった。城下町で職を得ることも考えたが、王宮庭師の仕事を手伝ったことをきっかけに、正式にこの庭で働くよう誘われたのだ。
元々土いじりは天職だと思っていたが、田舎の孤児だった自分がこんなところで職を得ようとは、しかも、皆を管理するような地位に就こうとは、レイは夢にも思っていなかった。
「何が起こるか判らないものだよな」
呟いて、レイが腰を伸ばした時だった。
「レイ!」
弾む声が彼の名を呼んだと思ったら、ドンと脚に何かが飛びついてきた。
見下ろすと、膝の辺りに金色の綿毛がある。
「王子……怪我をするからそれはやめなさいといつも言っているでしょう」
ため息混じりにたしなめると、綿毛がふわりと動き、満開の笑顔が現れた。
「おべんきょうおわったよ! あそぼ!」
いつものようにレイの言葉など右から左に聞き流し、先ごろ三歳の誕生日を迎えたばかりのラムバルディア国第一王子は喜色満面でそう言ってきた。
レイはグッと怖い顔をして見せたが長くは続かない。何しろこの王子は、色は金髪青目で父親そっくりだが、その面立ちは母親譲りなのだ。厳しい態度など、取り続けることなどできるはずもない。
屈託なく両手を伸ばして抱っこをせがんでくる王子に、レイはやれやれとため息をこぼす。
両脇に手を差し入れて抱き上げると、高く広くなった視野に王子が歓声を上げる。
「レイはいいなぁ。ぼくもはやくおおきくなりたい」
王子は心底うらやましげにためいきをこぼし、そしてキラキラと目を輝かせた。
「あとなんかいおやすみしたら、おおきくなれるかなぁ?」
「そうだな、七千回は必要だろうな」
「ななせん?」
「ああ」
「じゃあ、つぎのおたんじょうびがきたらおおきくなるね!」
七千というのは、三歳の子どもにとって数が大き過ぎたらしい。
「いや……それは……」
「はやくレイくらいおおきくなって、父上のおてつだいしたり、母上をおまもりしたりするんだ」
胸を張る王子に、ふと、レイの脳裏で二つの面影が重なった。駆け足で大人にならざるを得なかった、かつての恋敵、そして、この手で幸せにしたいと願った少女の面影が。
「急がなくてもいい」
レイは王子を地面に下ろし、彼の前に屈む。小さな肩に両手を置いて、父親譲りの青い瞳と視線を合わせた。
「母上も父上も、王子がゆっくりと大人になることを望んでいるはずだ」
かつて、小さな孤児院で、子どもたちに囲まれたステラはいつだって笑顔だった。
あの笑顔が偽りだったとは――彼女が不幸だったとは思わない。彼女だって、自分は幸せだったと言うだろう。
けれど、この地に来て、アレッサンドロの隣にいるステラを見て、あの頃の彼女には何かが足りていなかったのだと、気づかされた。
幸せでも、満たされてはいなかったのだ。
「母上は王子のことがとても大切だから、王子が幸せであることが、王子が楽しく笑っていることが、母上が一番望んでいることなんだ」
立派になることでも、役に立つことでもなく。
レイの言葉に、王子はコテンと首を傾げた。
「ぼくがわらってるだけでいいの?」
「ああ」
レイが頷くと、王子は小さな眉間にしわを寄せて考え込む素振りを見せたが、すぐにパッと顔を上げた。
「そうだね。すきなひとがわらってると、うれしいもんね」
そう言って、母親そっくりの笑顔になる。
「ぼくね、母上と父上がだいすき。母上と父上がわらってると、すごくうれしい」
王子の腕が伸びてきて、レイの首に回された。
「ジーノおじさまもすき、リナルドもメルセデもすき、カロリーナもすき、レイもだぁいすき!」
ギュゥギュゥとしがみついていた腕がパッと解かれて、王子が弾む足取りで踊り出す。
「みんなだいすきだから、ぼくは父上みたいないい王さまになるよ!」
高らかな声での宣言に、レイは一瞬呆気に取られた。次いで、破顔する。
「レイ?」
滅多に声を上げて笑うことのない寡黙な庭師の大笑いに、ピタリと止まった王子が目を丸くして見上げてきた。
レイは金色の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
「王子は父上に良く似ている。きっと、良い王様になるさ」
「ほんと?」
愛しく想うたった一人の為にあれだけのことを成し遂げた男の息子だ。たくさんの者に愛され、彼らを愛するこの子どもは、きっと何だってできる。
「ああ」
深く頷いたレイに、王子は、母親譲りの花咲くような笑顔を返してきた。
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