捨てられ王子の綺羅星

トウリン

文字の大きさ
上 下
32 / 48
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

変換の時:越えられない壁

しおりを挟む
「ジーノ様は、今日は庭に出られるそうですよ」
 執務室でいつもと変わらず山のように積まれた書類に目を通していた時、何気ない口調でリナルドがそんなことを呟いた。
「え?」
 思わず反応してしまったアレッサンドロに、リナルドが銀色の瞳を向けて付け加える。
「何やら、最近はお身体の具合がよろしいようで、今日は少し庭を歩いてみたいとおっしゃったとか」
「……そうか」
 アレッサンドロはざわつくみぞおちに力を籠めつつ、かろうじてその一言を口にした。

 しばらくは、紙をめくる音だけが室内に響く。

 ややして。

「ステラ殿もここのところ庭の手入れに熱心なようですな」
 何気ない口調でのリナルドの台詞に、危うく、アレッサンドロは机の上に広げた嘆願書を握り潰しそうになる。
 古狸に目を向けたら負けだ。
 そう己に言い聞かせ、アレッサンドロはほとんど睨みつけるようにして書に記されている文字を目で追った。
 とにかく黙々淡々と職務をこなすアレッサンドロの無言の圧を感じ取ったのか、どうなのか、リナルドもそれきり無駄口をやめる。
 黙々と、まさに黙々と、時間は過ぎた。

 そうして。

「それでは、午前はここまでで」
 アレッサンドロが署名した最後の書類を確認し、リナルドが澄ました顔でそう言った。
「昼食はこちらに運ばせましょうか?」
 いつもなら、そうしている。食べている間に目を通しておきたいものもあるからだ。

 だが――

「食堂に行く」
「では、あちらに用意をさせましょう」
 滅多にないアレッサンドロの答えにリナルドは眉一つ動かずにそう答えると、一礼して執務室を出て行った。
 老宰相が出て行ってから少しして、アレッサンドロも立ち上がる。部屋を出た彼は、一階にある食堂へ向かった。
 すぐに食堂に着いたところで、どうせ食事の用意はまだできていないだろう。
 彼は少しばかり遠回りして食堂に向かうことにした。その途中に中庭への出入り口があるのは、たまたまだ。
 時々お仕着せを身につけた使用人とすれ違うと、皆無言で頭を下げる。アレッサンドロが彼らの声を耳にしたことは、多分ないだろう。だが、気にしたことはない。アレッサンドロがそれを聞きたいと思ったことは、なかった。

 階段を下り、一階に辿り着く。中庭に面した長い廊下を少し進んだところで、アレッサンドロは足を止めた。先を歩く人影に気付いたからだ。
 淡い金髪は父譲り。かつてはアレッサンドロも良く似た色をしていたが、長ずるにつれ、どんどんより濃い黄金色になっていった。
 自分でも、ジーノはかつての――ステラの記憶にある――『アレッサンドロ』によく似ていると思う。ラムバルディアに来た日に彼女が間違えそうになったのも、無理はなかった。

(中身だって、多分、ステラが思う俺に近い)
 だから、幼い頃のアレッサンドロとステラがそうであったように兄と彼女との距離が縮まっていくのも当然だ、そう、思った。
 だが、理解はできてもそれをすんなりと受容できるわけではない。
 ついさっきまでステラと時を過ごしていたという兄と対面して、穏やかな気持ちでいられる自信はなかった。

 アレッサンドロは踵を返し、元来た道を戻ろうとする。
 が、遅かった。

「アレッサンドロ?」
 穏やかな声に、アレッサンドロは肩を強張らせて動きを止める。
 止まってしまったからには、聞こえなかった振りをすることはできなかった。
 アレッサンドロは渋々向き直り、ジーノを見るまでは進むはずだった道を行く。
「ご用ですか」
 アレッサンドロは低い声でそう訊ねたが、ジーノはその不愛想さに怯むことなく笑みを深くした。
「これから昼食か? 執務室で済ましてしまわないのは珍しいな」
「少し余裕がありますので」
「そうか。たまにはそういうことがあった方が良い。ああ、そうだ、私に手伝えることがあれば――」
「ありません」
 皆まで聞かずに答えたアレッサンドロに、ジーノが眉を下げた。
「お前の食事時間を作る程度なら、できることがあると思うがな」
「無理をされてまた体調を崩されても困ります」
「まあ、それはそうだが」
 ジーノは不満そうに眉をしかめている。
 兄はアレッサンドロよりも全体的に小柄だし、容姿も年よりも若く見えるから、そんなふうにしていると、まるで兄弟が逆転しているように見えるだろう。

 冷やかに見下ろすアレッサンドロに、ジーノが苦笑する。
「お前は、本当に我々のことを頼ろうとしてくれないな」
 そう言った兄はどこか寂しげに見えたが、アレッサンドロは否定も肯定も返さなかった。実際、彼らのことは信用していない。
 八年前に再会してから、ジーノが折に触れアレッサンドロとの間にあるわだかまりをなくそうと腐心しているのは、伝わってきた。恐らく、今回ステラをここに呼びつけたのも、その一環だろう。できるだけ個人的な関心を持っているようには思わせないようにしてきたが、兄やリナルドには見抜かれていたに違いない。だから、きっと、アレッサンドロのご機嫌取りか何かに、彼女を使ったのだ。
 だが、幼い頃の裏切りは、未だにアレッサンドロの心の奥深くに根を下ろしている。どうしても、その壁は越えられない。
 むしろ、本当にそんなふうにステラを利用したなら、より一層、不信感が増すというものだ。

 ここにいる者の笑顔は、信じてはならない。どれほど温かく優しげにしていても、内側もそうだとは限らない。
 油断をすれば、また裏切られる。大事な者が、また、酷い目に遭わされる。
 今度は、それがステラになるかもしれないのだ。
 ハタとその可能性に思い至り、アレッサンドロは奥歯を食いしばった。
 彼女のことは、ここから出て行かせればそれで大丈夫だと思っていた。だが、本当に、そうだろうか。

 ――判らない。

 無言のまま立つアレッサンドロに、ジーノは根負けしたようにため息をついた。
「まあ、いいさ。少し、道は見えてきたようだからな」
「どういう意味ですか?」
 アレッサンドロは眉をひそめたが、兄はその問いには答えずニコリと笑う。そうして、ポンと彼の肩を叩いて横をすり抜けていった。
「何なんだ……?」
 ジーノの姿が消えてしばししてからアレッサンドロはポツリと呟いたが、勿論、それにも答えはない。眉間に皺を寄せて考えても、兄が考えていることはさっぱり解からなかった。
 アレッサンドロはため息を一つこぼして歩き出す。当初の予定通り、食堂へと。

 だが、数歩進んだところで、また、足を止める――庭との出入口から姿を現した、第二の人物故に。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一番でなくとも

Rj
恋愛
婚約者が恋に落ちたのは親友だった。一番大切な存在になれない私。それでも私は幸せになる。 全九話。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

婚約破棄のその後に

ゆーぞー
恋愛
「ライラ、婚約は破棄させてもらおう」 来月結婚するはずだった婚約者のレナード・アイザックス様に王宮の夜会で言われてしまった。しかもレナード様の隣には侯爵家のご令嬢メリア・リオンヌ様。 「あなた程度の人が彼と結婚できると本気で考えていたの?」 一方的に言われ混乱している最中、王妃様が現れて。 見たことも聞いたこともない人と結婚することになってしまった。

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

前世の恋の叶え方〜前世が王女の村娘は、今世で王子の隣に立ちたい〜

天瀬 澪
恋愛
村娘のエマには、前世の記憶があった。 前世の王女エマリスとしての人生は呆気なく幕切れしてしまったが、そのときの護衛騎士に対する想いをずっと引きずっていた。 ある日、エマは森の中で倒れている第二王子のレオナールを発見する。 そして、衝撃の事実が判明した。 レオナールの前世は、王女エマリスの護衛騎士であり、想い人でもあるレオだったのだ。 前世では《王女》と《護衛騎士》。 今世では《村娘》と《王子》。 立場の違いから身を引こうとしたエマだったが、レオナールが逃がしてはくれなかった。 それならばと、村娘のエマとして、王子であるレオナールのそばにいることのできる立場を目指すことに決める。 けれど、平民であるエマが歩く道は、決して平坦な道ではなかった。 それでもエマは諦めない。 もう一度、大好きな人のそばに立つために。 前世で蓄えた知識と経験は、やがてエマの存在を周囲に知らしめていく―――…。 前世の記憶に翻弄されながら逆境に立ち向かう、成り上がり恋愛ファンタジー。

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

【完結】お飾りではなかった王妃の実力

鏑木 うりこ
恋愛
 王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。 「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」  しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。    完結致しました(2022/06/28完結表記) GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。 ★お礼★  たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます! 中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

処理中です...