捨てられ王子の綺羅星

トウリン

文字の大きさ
上 下
17 / 48
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

庭園にて:失われてしまったもの

しおりを挟む
 ステラがラムバルディアに呼ばれてから、ふた月が過ぎようとしていた。来た時には夏の初めだった季節が、もう暑い盛りを越してしまっている。
 フワフワな寝台の中で目が覚めるたび、ステラは今日こそ出立を申し出ようと思う。
 けれど、結局、いつもそれを切り出せず、何もせぬまま一日を終えてしまうのだ。
 そうやって無為に時間は流れ、早ふた月。
 ジーノから言われた『ひと月』を過ぎてもここに留まっているのは、どうしてもなしにはできない心残りがあるからだった。

 最初に約束した期限は守ったのだし、そもそもの目的であった人から望まれていないなら、立ち去るべき。
 ――なのだけれども。

 ステラは立てた膝に額をつけて、深々とため息をつく。
 自分はここに相応しくないということは、いやというほど解かっている。
 触れるたびに傷つけてしまったらどうしようとひやひやする贅沢な家具も、日替わりで着てもまだ山ほど残っている驚くほど肌触りの良いドレスも、食事というより芸術品と言っていいような毎食の料理の数々も、ステラには分不相応だ。
 そう思いつつ、未だここに居座っているのは――

(だって、アレックスが笑わないのだもの)

 それが、理由だ。

 再会した日にニコリともしてくれなかったのは、アレッサンドロのあずかり知らぬところでステラが訪ねてきたからだと思っていた。けれど、七日、十日と過ぎ、いつ見てもむっつりしている彼に不安になった。
 国王であるジーノに代わって国政を担っているアレッサンドロと顔を合わせることができるのは晩餐の時くらい。それすらも、三日に一度、会えればいい方だ。彼は多忙で、三度の食事を執務室で摂ることもしばしばらしい。
 仮に晩餐で席を共にすることができたとしても、アレッサンドロは黙々と料理を口に運ぶだけで、ステラの方をチラリと見ようともしない。どうにか話題を見つけて話しかけても、返されるのは唸り声とも相槌ともつかない生返事だけ。
 かつて、アレッサンドロよりも他の子らの話を聞くことを優先するステラに寂しげな眼差しを向けてきていた頃の面影など、欠片も残っていない。
 こっそり覗き見る執務中の彼もまた、どんな相手に対しても唇を引き結び、十八歳とは思えない堅苦しい顔を崩そうとはしない。

(昔は、あんなに笑っていたのに)
 ステラの脳裏に幼い頃のアレッサンドロの姿がよみがえる。
 確かに、母を亡くしたばかりの頃は打ちひしがれて、暗く沈み込んでいた。
 けれども、それを乗り越えてからは、太陽に向く花のように朗らかな笑顔を見せてくれるようになっていたのだ。
 アレッサンドロのそんな笑顔がステラは大好きで、彼が笑うたび、彼女はギュゥと抱き締めたものだった。
 教会にいた頃は、むしろ笑わない日はないというくらいだったのに。
 ただ、ステラに見せてくれないだけなのか、それとも、彼がそれを失ってしまったのか。

「あの笑顔を一度でも見せてくれたら、村に帰れるのにな」
 ステラは、ここにいない相手に、乞うように呟いた。
 昔のように笑っているところを一度でもみられたら、アレッサンドロはここで幸せに暮らせていると信じられる。ここが彼の居場所なのだと、納得することができる。

(でも、あんな顔ばっかりじゃ、心配だよ)
 ずらりと並んだ料理をにこりともせず黙々と平らげていくアレッサンドロの姿が目蓋に浮かぶ。あれなら、教会の畑で採れた芋をふかしてあげたときの方が、百倍も美味しそうに食べていた。

 ステラは、また、ため息をこぼした。そして顔を上げる。
 いつもより早い時間に目覚めてしまったけれども、窓の外はもう充分に明るい。

 このまま毛布に包まれてウダウダと過ごしているのも落ち着かず、ステラは寝台を下りた。続きの部屋に旅のお供から引き続き彼女付きの侍女となったメルセデが控えているから、できるだけそっと足音を忍ばせて身支度をする。顔を洗って、着替えて、それでも、まだ城の人たちが動き出す時間まではまだもう少しあった。

「どうしよう。お庭でも散歩してこようかな」
 教会にいた頃は、常に何かしらしなければいけないことがあった。けれど、ここでは、真昼間でもすることがない。掃除や炊事、何でもいいから何かすることはないかとメルセデに頼んだことがあったけれども、何度頼んでも即座に却下されて、諦めた。
 なので、自然、ここでのステラの居場所は庭か図書室になっている。

 ――朝の爽やかな空気は、この沈んだ気持ちを持ち上げるのに効くかもしれない。

 部屋を出たステラは長い廊下を歩き、庭園に向かう。アレッサンドロが住むこの城は、ディアスタ村がまるまる入ってしまうのではないだろうかと思うほど、広い。
 他の国の人が立ち入るような場所には甲冑やら壺やらが飾られているけれども、城の者しか行き来しない廊下になると、途端に質素になる。アレッサンドロが来てから、見せる相手がいない物を飾っておくのは無駄だし掃除の邪魔にもなるしと、片付けられたのだそうだ。
 その甲斐あってか塵一つない廊下を進み、ステラは庭に辿り着く。

 夜が明けたばかりの早朝の空気はひんやりとしていて心地良い。
 夏の終盤の今、庭には色鮮やかな花々が溢れていた。
 場内の装飾品は最低限にしたアレッサンドロだったけれども、庭に植えるものは自ら指示して国内外から集めさせたらしい。賓客を庭でもてなすことも多いから、廊下に置く美術品と同じ意味合いなのかもしれない。

 ステラは、咲き誇る花々の色や香りを楽しみながら足を進める。
 どれもとても綺麗だけれど、ステラが一番気に入っているのは少し奥の方に植えられている花だった。ちょうど彼女がラムバルディアに来た頃から咲き始め、今が真っ盛りという感じだ。ステラの拳よりも一回り位小さい八重咲きで、とても淡い薄紅色をしている。花弁の根元の方は色が濃くなっていて、何となく、はにかみながら笑っているような印象を受ける花だ。他の花のように豪華絢爛さはないけれど、素朴さにホッとする。

 すぐそこの、こんもりと茂った生け垣を回れば、その花が植えられている一画へと辿り着く。
 が、ステラは、茂みから一歩を踏み出したところで、ふと足を止めた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】100日後に処刑されるイグワーナ(悪役令嬢)は抜け毛スキルで無双する

みねバイヤーン
恋愛
せっかく悪役令嬢に転生したのに、もう断罪イベント終わって、牢屋にぶち込まれてるんですけどー。これは100日後に処刑されるイグワーナが、抜け毛操りスキルを使って無双し、自分を陥れた第一王子と聖女の妹をざまぁする、そんな物語。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

こな
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】お荷物王女は婚約解消を願う

miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。 それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。 アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。 今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。 だが、彼女はある日聞いてしまう。 「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。 ───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。 それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。 そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。 ※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。 ※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。

処理中です...