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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星
庭園にて:失われてしまったもの
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ステラがラムバルディアに呼ばれてから、ふた月が過ぎようとしていた。来た時には夏の初めだった季節が、もう暑い盛りを越してしまっている。
フワフワな寝台の中で目が覚めるたび、ステラは今日こそ出立を申し出ようと思う。
けれど、結局、いつもそれを切り出せず、何もせぬまま一日を終えてしまうのだ。
そうやって無為に時間は流れ、早ふた月。
ジーノから言われた『ひと月』を過ぎてもここに留まっているのは、どうしてもなしにはできない心残りがあるからだった。
最初に約束した期限は守ったのだし、そもそもの目的であった人から望まれていないなら、立ち去るべき。
――なのだけれども。
ステラは立てた膝に額をつけて、深々とため息をつく。
自分はここに相応しくないということは、いやというほど解かっている。
触れるたびに傷つけてしまったらどうしようとひやひやする贅沢な家具も、日替わりで着てもまだ山ほど残っている驚くほど肌触りの良いドレスも、食事というより芸術品と言っていいような毎食の料理の数々も、ステラには分不相応だ。
そう思いつつ、未だここに居座っているのは――
(だって、アレックスが笑わないのだもの)
それが、理由だ。
再会した日にニコリともしてくれなかったのは、アレッサンドロのあずかり知らぬところでステラが訪ねてきたからだと思っていた。けれど、七日、十日と過ぎ、いつ見てもむっつりしている彼に不安になった。
国王であるジーノに代わって国政を担っているアレッサンドロと顔を合わせることができるのは晩餐の時くらい。それすらも、三日に一度、会えればいい方だ。彼は多忙で、三度の食事を執務室で摂ることもしばしばらしい。
仮に晩餐で席を共にすることができたとしても、アレッサンドロは黙々と料理を口に運ぶだけで、ステラの方をチラリと見ようともしない。どうにか話題を見つけて話しかけても、返されるのは唸り声とも相槌ともつかない生返事だけ。
かつて、アレッサンドロよりも他の子らの話を聞くことを優先するステラに寂しげな眼差しを向けてきていた頃の面影など、欠片も残っていない。
こっそり覗き見る執務中の彼もまた、どんな相手に対しても唇を引き結び、十八歳とは思えない堅苦しい顔を崩そうとはしない。
(昔は、あんなに笑っていたのに)
ステラの脳裏に幼い頃のアレッサンドロの姿がよみがえる。
確かに、母を亡くしたばかりの頃は打ちひしがれて、暗く沈み込んでいた。
けれども、それを乗り越えてからは、太陽に向く花のように朗らかな笑顔を見せてくれるようになっていたのだ。
アレッサンドロのそんな笑顔がステラは大好きで、彼が笑うたび、彼女はギュゥと抱き締めたものだった。
教会にいた頃は、むしろ笑わない日はないというくらいだったのに。
ただ、ステラに見せてくれないだけなのか、それとも、彼がそれを失ってしまったのか。
「あの笑顔を一度でも見せてくれたら、村に帰れるのにな」
ステラは、ここにいない相手に、乞うように呟いた。
昔のように笑っているところを一度でもみられたら、アレッサンドロはここで幸せに暮らせていると信じられる。ここが彼の居場所なのだと、納得することができる。
(でも、あんな顔ばっかりじゃ、心配だよ)
ずらりと並んだ料理をにこりともせず黙々と平らげていくアレッサンドロの姿が目蓋に浮かぶ。あれなら、教会の畑で採れた芋をふかしてあげたときの方が、百倍も美味しそうに食べていた。
ステラは、また、ため息をこぼした。そして顔を上げる。
いつもより早い時間に目覚めてしまったけれども、窓の外はもう充分に明るい。
このまま毛布に包まれてウダウダと過ごしているのも落ち着かず、ステラは寝台を下りた。続きの部屋に旅のお供から引き続き彼女付きの侍女となったメルセデが控えているから、できるだけそっと足音を忍ばせて身支度をする。顔を洗って、着替えて、それでも、まだ城の人たちが動き出す時間まではまだもう少しあった。
「どうしよう。お庭でも散歩してこようかな」
教会にいた頃は、常に何かしらしなければいけないことがあった。けれど、ここでは、真昼間でもすることがない。掃除や炊事、何でもいいから何かすることはないかとメルセデに頼んだことがあったけれども、何度頼んでも即座に却下されて、諦めた。
なので、自然、ここでのステラの居場所は庭か図書室になっている。
――朝の爽やかな空気は、この沈んだ気持ちを持ち上げるのに効くかもしれない。
部屋を出たステラは長い廊下を歩き、庭園に向かう。アレッサンドロが住むこの城は、ディアスタ村がまるまる入ってしまうのではないだろうかと思うほど、広い。
他の国の人が立ち入るような場所には甲冑やら壺やらが飾られているけれども、城の者しか行き来しない廊下になると、途端に質素になる。アレッサンドロが来てから、見せる相手がいない物を飾っておくのは無駄だし掃除の邪魔にもなるしと、片付けられたのだそうだ。
その甲斐あってか塵一つない廊下を進み、ステラは庭に辿り着く。
夜が明けたばかりの早朝の空気はひんやりとしていて心地良い。
夏の終盤の今、庭には色鮮やかな花々が溢れていた。
場内の装飾品は最低限にしたアレッサンドロだったけれども、庭に植えるものは自ら指示して国内外から集めさせたらしい。賓客を庭でもてなすことも多いから、廊下に置く美術品と同じ意味合いなのかもしれない。
ステラは、咲き誇る花々の色や香りを楽しみながら足を進める。
どれもとても綺麗だけれど、ステラが一番気に入っているのは少し奥の方に植えられている花だった。ちょうど彼女がラムバルディアに来た頃から咲き始め、今が真っ盛りという感じだ。ステラの拳よりも一回り位小さい八重咲きで、とても淡い薄紅色をしている。花弁の根元の方は色が濃くなっていて、何となく、はにかみながら笑っているような印象を受ける花だ。他の花のように豪華絢爛さはないけれど、素朴さにホッとする。
すぐそこの、こんもりと茂った生け垣を回れば、その花が植えられている一画へと辿り着く。
が、ステラは、茂みから一歩を踏み出したところで、ふと足を止めた。
フワフワな寝台の中で目が覚めるたび、ステラは今日こそ出立を申し出ようと思う。
けれど、結局、いつもそれを切り出せず、何もせぬまま一日を終えてしまうのだ。
そうやって無為に時間は流れ、早ふた月。
ジーノから言われた『ひと月』を過ぎてもここに留まっているのは、どうしてもなしにはできない心残りがあるからだった。
最初に約束した期限は守ったのだし、そもそもの目的であった人から望まれていないなら、立ち去るべき。
――なのだけれども。
ステラは立てた膝に額をつけて、深々とため息をつく。
自分はここに相応しくないということは、いやというほど解かっている。
触れるたびに傷つけてしまったらどうしようとひやひやする贅沢な家具も、日替わりで着てもまだ山ほど残っている驚くほど肌触りの良いドレスも、食事というより芸術品と言っていいような毎食の料理の数々も、ステラには分不相応だ。
そう思いつつ、未だここに居座っているのは――
(だって、アレックスが笑わないのだもの)
それが、理由だ。
再会した日にニコリともしてくれなかったのは、アレッサンドロのあずかり知らぬところでステラが訪ねてきたからだと思っていた。けれど、七日、十日と過ぎ、いつ見てもむっつりしている彼に不安になった。
国王であるジーノに代わって国政を担っているアレッサンドロと顔を合わせることができるのは晩餐の時くらい。それすらも、三日に一度、会えればいい方だ。彼は多忙で、三度の食事を執務室で摂ることもしばしばらしい。
仮に晩餐で席を共にすることができたとしても、アレッサンドロは黙々と料理を口に運ぶだけで、ステラの方をチラリと見ようともしない。どうにか話題を見つけて話しかけても、返されるのは唸り声とも相槌ともつかない生返事だけ。
かつて、アレッサンドロよりも他の子らの話を聞くことを優先するステラに寂しげな眼差しを向けてきていた頃の面影など、欠片も残っていない。
こっそり覗き見る執務中の彼もまた、どんな相手に対しても唇を引き結び、十八歳とは思えない堅苦しい顔を崩そうとはしない。
(昔は、あんなに笑っていたのに)
ステラの脳裏に幼い頃のアレッサンドロの姿がよみがえる。
確かに、母を亡くしたばかりの頃は打ちひしがれて、暗く沈み込んでいた。
けれども、それを乗り越えてからは、太陽に向く花のように朗らかな笑顔を見せてくれるようになっていたのだ。
アレッサンドロのそんな笑顔がステラは大好きで、彼が笑うたび、彼女はギュゥと抱き締めたものだった。
教会にいた頃は、むしろ笑わない日はないというくらいだったのに。
ただ、ステラに見せてくれないだけなのか、それとも、彼がそれを失ってしまったのか。
「あの笑顔を一度でも見せてくれたら、村に帰れるのにな」
ステラは、ここにいない相手に、乞うように呟いた。
昔のように笑っているところを一度でもみられたら、アレッサンドロはここで幸せに暮らせていると信じられる。ここが彼の居場所なのだと、納得することができる。
(でも、あんな顔ばっかりじゃ、心配だよ)
ずらりと並んだ料理をにこりともせず黙々と平らげていくアレッサンドロの姿が目蓋に浮かぶ。あれなら、教会の畑で採れた芋をふかしてあげたときの方が、百倍も美味しそうに食べていた。
ステラは、また、ため息をこぼした。そして顔を上げる。
いつもより早い時間に目覚めてしまったけれども、窓の外はもう充分に明るい。
このまま毛布に包まれてウダウダと過ごしているのも落ち着かず、ステラは寝台を下りた。続きの部屋に旅のお供から引き続き彼女付きの侍女となったメルセデが控えているから、できるだけそっと足音を忍ばせて身支度をする。顔を洗って、着替えて、それでも、まだ城の人たちが動き出す時間まではまだもう少しあった。
「どうしよう。お庭でも散歩してこようかな」
教会にいた頃は、常に何かしらしなければいけないことがあった。けれど、ここでは、真昼間でもすることがない。掃除や炊事、何でもいいから何かすることはないかとメルセデに頼んだことがあったけれども、何度頼んでも即座に却下されて、諦めた。
なので、自然、ここでのステラの居場所は庭か図書室になっている。
――朝の爽やかな空気は、この沈んだ気持ちを持ち上げるのに効くかもしれない。
部屋を出たステラは長い廊下を歩き、庭園に向かう。アレッサンドロが住むこの城は、ディアスタ村がまるまる入ってしまうのではないだろうかと思うほど、広い。
他の国の人が立ち入るような場所には甲冑やら壺やらが飾られているけれども、城の者しか行き来しない廊下になると、途端に質素になる。アレッサンドロが来てから、見せる相手がいない物を飾っておくのは無駄だし掃除の邪魔にもなるしと、片付けられたのだそうだ。
その甲斐あってか塵一つない廊下を進み、ステラは庭に辿り着く。
夜が明けたばかりの早朝の空気はひんやりとしていて心地良い。
夏の終盤の今、庭には色鮮やかな花々が溢れていた。
場内の装飾品は最低限にしたアレッサンドロだったけれども、庭に植えるものは自ら指示して国内外から集めさせたらしい。賓客を庭でもてなすことも多いから、廊下に置く美術品と同じ意味合いなのかもしれない。
ステラは、咲き誇る花々の色や香りを楽しみながら足を進める。
どれもとても綺麗だけれど、ステラが一番気に入っているのは少し奥の方に植えられている花だった。ちょうど彼女がラムバルディアに来た頃から咲き始め、今が真っ盛りという感じだ。ステラの拳よりも一回り位小さい八重咲きで、とても淡い薄紅色をしている。花弁の根元の方は色が濃くなっていて、何となく、はにかみながら笑っているような印象を受ける花だ。他の花のように豪華絢爛さはないけれど、素朴さにホッとする。
すぐそこの、こんもりと茂った生け垣を回れば、その花が植えられている一画へと辿り着く。
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