捨てられ王子の綺羅星

トウリン

文字の大きさ
上 下
14 / 48
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

八年ぶりの逢瀬:再会

しおりを挟む
 ディアスタ村から五日をかけて辿り着いた王都ラムバルディアは、何もかもがステラの想像を超えていた。
 もちろん、実際に目にする前から、ディアスタ村の何倍も大きいのだろうとは思っていたのだ。

 けれど。

(こんなに、すごいだなんて)
 ステラは感嘆のため息をこぼす。
 まず、都をまるまる取り囲んでいるという、果ての見えない石造りの壁。丘の向こうから見え始めたそれに近づくにつれ、あまりの途方もなさにめまいを覚えそうになった。
 ヒトの背丈の何倍もの高さでそびえたつそれにポカリと開いた門を通り抜ければ、その先に広がる光景に、ステラは目を奪われる。
 綺麗な模様が描かれている石畳の広い道。
 その両側には、いったい何をそんなに売るものがあるのだろうかと思ってしまうほどの店が並んでいる。
 道を行き交う溢れんばかりの人々は、とてもではないが数えきれない。
 建物はどれも屋根が見えないほど高く、整然と立ち並んでいた。ディアスタ村のような木でできたものはなく、皆、形の揃ったレンガ造りだから、妙に作り物めいて見える。

「うわぁ……」
 その一言を最後に、ステラは声を失った。馬車の窓にはめられている気泡一つない硝子に額を押し付けて、食い入るように外を見つめているステラに、向かいに座る女性が小さな笑い声を漏らす。
 彼女はメルセデという名で、アレッサンドロが旅の間の付き添いにと寄越してくれた人だ。黒髪黒目、四十前後の年頃で、ふくよかな頬にいつも温かな笑みを浮かべている。
 豪奢な馬車は確かに乗り心地が良かったけれども、旅どころかディアスタ村すら一歩も出たこともないようなステラが快適に五日間を過ごせたのは、メルセデがいてくれたおかげだ。

 ステラは彼女の笑い声で我に返り、馬車の座席にチョンと座り直した。
「ごめんなさい、うるさくして」
「いいえ。どうぞご覧になっていてくださいな。よろしければ、馬車を停めさせますが?」
 親切なメルセデの提案に、ステラはかぶりを振る。
「ありがとうございます。でも、早くアレックスに逢いたいから」
「そうですか?」
「はい。あ、帰る時にはお店に寄ってみんなへのお土産を買いたいです」
 メルセデに答えて、ステラは腰に下げた小さな袋に手を添えた。そこには、教会を出る時にコラーノ神父からの餞別が入っている。アレッサンドロも路銀を用意してくれていたけれど、それとは別に、神父がそっと手渡してくれたのだ。
(みんな、元気にしてるかな。ちゃんと、神父さまの言うこと、聞いてるかな。レイを困らせたり、してないかな)
 口元に笑みを刻んで遠くにいる者へ思いを馳せていたステラは、ふと視線を感じて顔を上げる。

「あの、メルセデ?」
 自分に向けられている彼女の瞳が、微かに翳りを帯びているように思われた。いや、翳りというほど暗いものではないか。そこまで重いものではないけれど、何か気にかかることはあるような、そんな感じだ。
「どうかした?」
 問うたステラに、メルセデの面に迷いのようなものが走って消える。
「いいえ。ああ、もう着きますよ」
 メルセデのその言葉で、ステラはパッと窓の外に視線を走らせた。と、ちょうどその時、馬車が大きな門を通り抜ける。
 そこで、ステラはふいに気が付いた。

(そう言えば、都の中に入ってから一度も曲がってない気がする)
 市門をくぐってから、少なくとも四半刻は、馬車は真っ直ぐに走り続けている。にも拘らず外に出ていないということは、やはり、ラムバルディアはかなりの広さがあるのだろう。
 ステラは窓の外を窺った。
 先ほどまでのような建物や店はなく、人もいない。見えるのは広い道ときれいに整えられた庭園だ。
 馬車の揺れも車輪が立てる音も殆どなくなっているのは、街中よりもさらに道が整備されているからなのだろう。

 やがて馬車はゆっくりと停まり、扉が静かに開かれた。
「さあ、参りましょうか?」
 向けられたメルセデの微笑みに、ステラは頷く。
「はい」
 期待と緊張で鼓動が高鳴った。いよいよ、アレッサンドロに逢えるのだ。

 メルセデに促されて馬車を降りたステラは、目の前にそびえる豪華絢爛極まりない建物に絶句する。
 まずは、玄関。
 両開きの扉は、馬車が余裕で通り抜けられそうなほど、幅も高さもある。
 もちろん、大きいのは玄関の扉だけではない。
 見上げると、真っ白な壁には、横にも上にも窓がずらりと並んでいる。ステラは十まで数えて、諦めた。

(これ、『家』なの……?)
 正面から眺めただけでこれなら、いったい、全部で何部屋あるのやら。
 ディアスタ村では、教会が一番大きな建物だった。その教会が、十は入ってしまいそうだ。
(ううん、それでも余るよ、きっと)
 ステラはここに小さなアレッサンドロが住んでいる様を想像しようとしたけれど、これっぽっちも思い浮かばなかった。

「ステラ様?」
 呼ばれて、ステラはポカンと開けていた口を閉じる。
「あ、ごめんなさい。えと、アレックスはホントにこのおうちの子なんですか?」
「おうち――ええ、そうですね、こちらにお住まいですよ」
 どうしてかメルセデは笑いをこらえている様子で、ステラはその笑いは何故なのだろうと眉をひそめた。ステラの顔に浮かんだものを見て、メルセデが小さく咳払いをして表情を改める。
「こちらへどうぞ」
 ステラにそう声をかけ、メルセデは静かに開かれた扉の奥へと足を進めた。自分は何か変なことを言ってしまったのだろうかと首をひねりながらも、ステラは彼女の後に続く。

 入り口から真っ直ぐに伸びた廊下は鏡のように磨かれていて、踏むのがためらわれるほどだ。天井は高く、何人もが行き交っているというのに、しんと静まり返っている。
 裕福な家には家事を行う人がたくさん働いているのだと聞いたことがあるけれど、廊下ですれ違う人たちはそんなふうには見えない。皆、きっちりと整った服装で、そういう作業に向いている身なりだとは思えなかった。

 アレッサンドロがここで生活をしている姿が、彼女にはやはりさっぱり想像できない。

(何だか全然解からなくなっちゃったよ)
 歩きながら周囲を窺って、ステラは内心で独り言ちた。
 ここに来たらアレッサンドロがどんなふうに過ごしているのか解かると思っていたのに、増したのは理解ではなく困惑だ。
 彼が置かれた環境を目にすれば安心するだろうと思っていたのに、『温かな家庭』とは程遠い雰囲気に、ステラの胸中にはむしろじわじわと不安が募っていく。 

 廊下をいくつか曲がり、扉をいくつか通り抜け、屋内だとは思えないほど歩いた後、メルセデに導かれてステラが辿り着いたのは、色とりどりの花が咲き誇る庭園だった。目にした瞬間、ステラの口からは感嘆の声がこぼれる。
「うわぁ……」
 門から玄関までは、緑の生け垣が整然と植えられているだけだった。ここはそれとは違う。
「すごく、きれい」
 呟いたステラに、メルセデが微笑む。
「さようでございましょう? 四季折々の花が楽しめますのよ」
「四季折々って、冬もですか?」
「ええ」
 頷き、メルセデがまた歩き出す。
「以前からこのお庭は美しゅうございましたが、アレッサンドロ様が来られてから、いっそう手を入れられまして」
「アレックスは植物を育てるのが上手だから」
「ふふ。流石にご自身でお世話をされるのは無理がございますが、植えるものをお決めになるのはアレッサンドロ様ですわ」
「アレックスはお庭をいじらないの?」
 教会では畑の世話を一番にしていたのに。
 意外に思うのと同時に、ステラは少しばかりの落胆を抱いた。多分、自分の知る彼との差異を感じてしまったからだろう。
 そんなステラの表情に、庭を見渡していたメルセデは気付いていなかった。
「ええ。お忙しい方ですから」
(忙しい?)
 それはどういうことかとステラが訊こうとした矢先に、メルセデが立ち止まる。

「どうぞ、あちらへ」
 腰を屈めたメルセデはそう言って、手のひらで先へと促した。その動きに釣られるようにしてステラが流した視線の先には、男性が一人、彼女に背を向けて佇んでいた。スラリと背は高いけれども、男性にしては華奢な印象だ。一つに束ねられた腰に届きそうなほどの淡い金髪に、記憶がくすぐられる。
「……アレックス……?」
 名を呟くと、その人はゆっくりと振り返った。
 年の頃は二十そこそこ、中性的な顔立ちに、幼い頃の面影が確かに見て取れる。青い瞳も、彼と同じ色。

 なのに。

(本当に、アレックス……?)
 八年の空白のせいだろうか、確信が持てなかった。
 戸惑うステラを見つめて、彼がふわりと微笑む。
 温かさが溢れるそれに思わず笑顔を返しそうになったステラだったが、背後から届いた重い足音に反射的に振り返った。

 まず目に飛び込んできたのは、豪奢な金髪。もう一人の男性とは違って、濃い黄金色だ。
 新たに現れたその人も男性で、五歩ほど離れたところにいても見上げるほどに大きく、肩幅も広くがっしりしていた。
 彼は、ほとんど睨むようにしてステラを見つめている。
 その瞳は、秋の空のように深く青く澄んでいて――

(ああ、今度こそ間違いない)

 女の子と間違えそうなほどフワフワと可愛らしかったあの頃の面影は、微塵もない。
 始終笑っていた幼い少年とは打って変わってムッツリと唇を引き結んで怒ったような顔をしても、それでも、確信があった。

 ステラの顔が、暖かな陽光を浴びた蕾さながらに綻んでいく。

「アレックス」
 今度は迷いなく、彼女の口からその名がこぼれ出していた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】100日後に処刑されるイグワーナ(悪役令嬢)は抜け毛スキルで無双する

みねバイヤーン
恋愛
せっかく悪役令嬢に転生したのに、もう断罪イベント終わって、牢屋にぶち込まれてるんですけどー。これは100日後に処刑されるイグワーナが、抜け毛操りスキルを使って無双し、自分を陥れた第一王子と聖女の妹をざまぁする、そんな物語。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

こな
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】お荷物王女は婚約解消を願う

miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。 それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。 アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。 今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。 だが、彼女はある日聞いてしまう。 「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。 ───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。 それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。 そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。 ※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。 ※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。

処理中です...