捨てられ王子の綺羅星

トウリン

文字の大きさ
上 下
12 / 48
Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

ディアスタ村にて:報せ

しおりを挟む
 ステラは、もう何度読み直したか判らない文に、もう一度、目を走らせた。

 アレッサンドロが金色の馬車に乗って行ってしまってから、八年。
 その間、都からの荷が届く度、ステラは彼への手紙を御者に委ねていた。けれども、その手紙に彼からの返事がよこされたことは、無かったのだ。八年間、一度も。

 なのに。

 今、ステラの手の中にある一枚の便箋は、今日到着した定期便の御者から渡されたものだった。

「ステラ?」
 文を手にして立ち尽くしていたステラに、穏やかな声がかけられる。コラーノ神父だ。
「神父さま……」
 ステラは便箋に注いでいた当惑の眼差しをそのままコラーノ神父に向けた。彼はステラの手元をチラリと見遣る。
「それはアレッサンドロからの手紙だろう?」
「はい」
「何か良くないことでも書いてあったのかい?」
 訊ねたコラーノ神父の温かな微笑みが曇った。優しい神父を心配させてしまったことに気付いて、ステラは慌ててかぶりを振る。
「あ、いいえ、そうじゃないんです。そうじゃなくて――あの、王都に来て欲しいって、あって……」
「王都に?」
「はい」
 頷きながら、ステラは手紙を神父に差し出した。彼は受け取ったそれに目を通し、眉をひそめる。呼吸三回分ほどのわずかな時間で、ステラ同様少なくとも三度はそこに書かれた文章を読み返したはずだ――その時間で、三度は読み返せるほど短い一文が記されているだけなのだ。

「ええと、これだけかい?」
 そう訊ねてきた神父の気持ちはよく理解できる。最初に読んだとき、ステラもそう思ってしまったから。
 手紙には、七日後に着く馬車で王都に赴くようにとだけあったのだ。アレッサンドロが元気だとも、教会の皆は元気かとも書かれておらずに、一方的に命じる語調で。

「これは、アレックスが書いたものではないのでしょうか」
 もしかしたら、と思った。
 こんなふうな物言いは、ステラの知るアレッサンドロらしくなかったから。

「押されている紋章は、確かにあの子を迎えに来たお家のものだよ。馬車にも同じものがあったしね」
 コラーノ神父は便箋を矯めつ眇めつしてから答え、視線を落とした。思案に沈む彼に、ステラは明るさを装って笑う。
「でも、こんな急に呼ばれても、子どもたちがいますし、迎えに来ちゃった人には申し訳ないですけど、お断りしますね」
 口早にそう言って手紙をたたもうとしたステラの手を、コラーノ神父がそっと押さえた。

「神父さま?」
「行ってらっしゃい」
 聞こえたその一言に、ステラは眉根を寄せる。
「え?」
 コラーノ神父はいつもの優しい微笑みを浮かべ、繰り返す。
「行ってらっしゃい。これは良い機会かもしれないよ」
「だけど、子どもたちの世話が――」
「アレッサンドロのお陰で大きな子どもたちを残せるようになったし、確かにステラのようにはできないかもしれないけれど、何、皆が少しずつでも助け合ったら大丈夫だよ」
 だから行きなさい、と続けたコラーノ神父を、ステラは大きく目を見開いて見上げた。両手を、胸の前で固く握り合わせる。
「で、でも……」

 こんなに急に自分がいなくなっても構わないのだろうか。
 王都ラムバルディアまで行ったら、とんぼ返りでも半月はかかる。その間、ステラがいなくても大丈夫だと、子どもたちだけでもやっていけるのだと、神父は言っている。

 ――つまり、ここにはもう自分は必要ないということなのだろうか。

 確かに、今は十歳をいくつか越えた子も数人いて、以前のように幼い子どもばかりというわけではない。年上の子が下の子の面倒を見たりもしている。
 けれど、子どもたちの世話をすることは、コラーノ神父の手助けをすることは、ステラの人生の大半を占めていた。存在意義だとさえ言えるかもしれない。
 それを要らないと言われると、ステラは、自分の居場所を失ってしまうような不安に襲われる。

(そんなの……)
 うつむいたステラの頬に、コラーノ神父の温かな手が添えられた。
「ステラ」
 目だけを上げると、神父の穏やかな眼差しと行き合う。彼はステラの目を覗き込むようにして視線を合わせ、深みのある声で告げる。
「お前はここに必要な存在だよ」
 ステラの不安を見抜いた言葉に、不意に、目の奥が熱くなった。
「神父さま」
 瞬きをいくつかしたステラにコラーノ神父が微笑み、優しく彼女の頬を叩く。

「お前はここに必要だよ。だけどね、これは良い機会だと思う」
 再び神父が口にしたその言葉に、ステラは眉根を寄せる。
「良い、機会?」
「そうだ」
 頷き、神父はステラの頬に添えていた手を下ろし、彼女の両肩に置いた。
「行ってきなさい、ステラ。このままでは、お前の人生はここで私を助けるだけで終わってしまう」
 静かな声でのその言葉で、ステラはハッと顔を上げる。
「わたしはそれでもいいんです。そうしたいんです」
「それは、お前が他を知らないからだよ。私がお前に甘えたばかりに、お前をここに縛り付けてしまったからだ」
「そんなこと――」
「あるんだよ。本当は、他の子らと同じように、お前も村にやるべきだった」
「わたしは好きでここに残ったんです」
 声を上げたステラに、コラーノ神父は宥めるように微笑んだ。
「そうだね。だから、私の方から行きなさいと言うべきだったのだよ。ずいぶんと遅れてしまったが、今からでも、まだ遅くはない。もっと広い世界を見て来なさい。見て、それでもここが良いと言うのなら、ここに戻ってきたらいい」
 穏やかに、だが、確固たる口調で説く彼の台詞に、ステラは既視感を覚える。

(わたしも、同じことを言ってアレックスを送り出した)
 あの時、ステラは、アレッサンドロの幸せだけを考えていた。アレッサンドロと一緒にいたかったけれども、彼により良いようにと思って、兄の元へ赴くよう促したのだ。

 ステラはコラーノ神父の目を見上げる。そして、そこに浮かんでいるものに気付き、思った。

(神父さまも、同じなんだ)

 コラーノ神父は、ステラのことを想って、言ってくれている。それが、彼の眼差しからも、肩に置かれた大きな手からも、それがヒシヒシと伝わってくる。
 けれど、コラーノ神父が自分の為を想って言ってくれているということが判っても、やっぱり、すぐには頷けない。

(あの時、アレックスもこんな気持ちだったのかな)

 だったら、彼はあの時どんな気持ちで「行く」と答えたのだろう。

 ステラは目を伏せ、唇を噛んだ。
「……少し、考えさせてください」
「まだ迎えが来るまで日があるから、焦らず、自分が一番したいようにしなさい」
 コラーノ神父はそう言うと、励ますようにステラの肩を叩いてから去っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

前世の恋の叶え方〜前世が王女の村娘は、今世で王子の隣に立ちたい〜

天瀬 澪
恋愛
村娘のエマには、前世の記憶があった。 前世の王女エマリスとしての人生は呆気なく幕切れしてしまったが、そのときの護衛騎士に対する想いをずっと引きずっていた。 ある日、エマは森の中で倒れている第二王子のレオナールを発見する。 そして、衝撃の事実が判明した。 レオナールの前世は、王女エマリスの護衛騎士であり、想い人でもあるレオだったのだ。 前世では《王女》と《護衛騎士》。 今世では《村娘》と《王子》。 立場の違いから身を引こうとしたエマだったが、レオナールが逃がしてはくれなかった。 それならばと、村娘のエマとして、王子であるレオナールのそばにいることのできる立場を目指すことに決める。 けれど、平民であるエマが歩く道は、決して平坦な道ではなかった。 それでもエマは諦めない。 もう一度、大好きな人のそばに立つために。 前世で蓄えた知識と経験は、やがてエマの存在を周囲に知らしめていく―――…。 前世の記憶に翻弄されながら逆境に立ち向かう、成り上がり恋愛ファンタジー。

【完結】お飾りではなかった王妃の実力

鏑木 うりこ
恋愛
 王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。 「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」  しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。    完結致しました(2022/06/28完結表記) GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。 ★お礼★  たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます! 中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

処理中です...