捨てられ王子の綺羅星

トウリン

文字の大きさ
上 下
2 / 48
Ⅰ:捨てられ王子は森の中で星に拾われる

温もり

しおりを挟む
 その場には幾人もいたにも拘らず、衣擦れの音一つしなかった。もしかしたら、彼らはヒトではなく、何かよくできた人形のようなものであったのかもしれない。アレッサンドロを見る時はいつも温かな笑みが浮かんでいるおもては、どれも皆つるんとした仮面の様だったから。
 怯えたアレッサンドロが隣に立つ母に手を伸ばすと、彼女は蒼褪めた顔で微笑み、彼の手を優しく包み込んでくれた。その温かさに、泣きたくなるほどホッとする。どうしてか、今の母は氷のように冷たいものだと思っていたから。

 母さま、良かった――そう言おうとしたアレッサンドロを遮るように、冷やかな声が響き渡る。

『早うその子ネズミを連れてこの城から立ち去るがよい』

 パッと顔を上げると、アレッサンドロの頭よりも高いところに、女性が一人、立っていた。
 初めてまともにかけられた言葉には侮蔑の響きが満ちていて、アレッサンドロと彼の母に注がれる眼差しには憎悪があった。
 とても整った容姿をしているはずなのに、何故か美しいとは思えない。

『そんなものをこの世にひり出さなければ、見逃してやったものを』

 疎ましげに吐き捨てられた台詞の意味を、五つになったばかりのアレッサンドロにはよく理解できなかったけれども、そこに含まれる感情は伝わってきた。

 この人は、自分のことを嫌っている。

 アレッサンドロは助けを求めるように居並ぶ人々に眼を向けた。その中には、優しくて、いつも彼のことを可愛がってくれていた兄もいる。

 だが。

(どうして、みんな、眼をそらすの?)
 あんなに笑いかけてくれていた人たちは、いったい、どこに行ってしまったのだろう。

 兄さま。

 呼びかけても、返事がない。
 すがるような眼差しを向けても、目を合わせることすらしてくれない。

 ああ、そうか、と、アレッサンドロは悟った。彼らがアレッサンドロたちに笑って見せたのは、父がいたからだ。父がいなければ、こんなふうにいとも簡単に切り捨てられてしまうのだ。
 ここに、アレッサンドロと母の味方は、一人もいない。
 最初から、そんなものはいなかった。

 そう彼が理解すると同時に、スゥッと彼らが遠くなっていく。辺りは闇に包まれていき、いつしか、すぐ隣にいたはずの母も消えていた。

(僕は、独りだ)
 絶望が、身の内に満ちていく。
 もう何も考えたくない。
 アレッサンドロはその場に丸まり、小さくなって目を閉じる。
 自分はもうこの世に独りきりなのだ。
 凍えるように、寒かった。

 母さま。

 そう、呟いた気がする。
 と、不意に、頬に何か温かなものが優しく触れ、次いで全身が温もった。

 アレッサンドロは無意識にそれにすり寄り、そして、気付く。

 頭が、痛い。

 彼は暗がりの中でいくつか瞬きをし、眉をしかめた。
 どうして頭が痛いのかは――

(泣いた、からだ)
 陽だまりのような心地良い温かさに包まれながら、アレッサンドロはスンと鼻を啜る。目覚めたばかりでまだ茫洋とした頭では、どうしてそんなに泣いたのかは、思い出せない。
 泣いた理由よりも気になったのは、『今』のことだった。

(何でこんなに温かいのだろう)

 母と一緒に生まれ育ったところを追い出されたのは、一年前のことだ。アレッサンドロが五歳の誕生日を迎えて間もなく父が亡くなって、葬儀を終えた次の日には、彼と母は鞄一つ分の荷物だけを持たされて、門の外へと追いやられていた。母の目は、まだ悲しみの涙で曇ったままだったというのに。
 それからの一年、母はいつも怯えていた。まるで何かから逃れようとしているかのように首都ラムバルディアを出てからは、あちらこちらを彷徨う日々だった。屋根と壁があるところで眠れる日の方が珍しく、母はアレッサンドロを抱き締めて精一杯温めようとしてくれていたけれど、やせ衰えたその身では到底叶わぬことだった。

 こんなふうに「温かい」と思えたのは、いつ振りのことだろう。

(温かくて、柔らかくて……それに、いい匂い)
 無意識に、アレッサンドロはそれに身を擦り寄せる。

 と。

「……起きた?」
 頭の上の方から、囁き声が届いた。母とは違う、もっと甘く、幼さが残る声。
 目をしばたたかせて顔を上げると、すっぽりと被せられていた毛布がずれる。そうして初めて、アレッサンドロは自分が誰かの胸元に顔を埋めていたことに気が付いた。

(ここ、どこ……?)
 どうやらどこか部屋の中で、ちゃんとシーツが敷かれた寝台の上にいるようだ。目が慣れてくれば、窓から射し込む月明かりで状況を見て取ることができるようになる。
 もぞもぞと動くと、アレッサンドロの背中に回されていた細い腕が解かれた――解かれて、しまった。離れていこうとする温もりに、彼は、思わずしがみついて引き戻してしまいそうになる。
「寒い?」
 案じる声で問われて、彼はフルフルとかぶりを振った。そうして、まじまじとその声の主を見つめる。
 たった今までアレッサンドロを温めてくれていた人は、彼よりもいくつか年上なだけの、少女だった。
「起きちゃったんだね。でも、まだ夜中だよ」
 そんな言葉と共に向けられた栗色の眼差しは優しく、温かく、微かに笑んでいる。アレッサンドロは思わずポカンと彼女に見惚れてしまった。

(昔の、母さまと同じだ……)
 母と同じ、花が綻ぶような笑顔。
 幸せだった頃の母と、同じ。
 過去を思いアレッサンドロの中に湧いた温もりは、しかし、次の瞬間噴き出してきた黒く苦いものに塗り替えられていく。

 あの頃の母は、もういない。
 あの頃の母とまた会える可能性も、完全に消えてしまった。

 ふいに蘇った、いや、思い出したその現実が重くのしかかってきて、アレッサンドロは大きく喘いだ。

「母、さま」
 呻くように漏らしたその一言で、少女の顔が悲しげに歪む。そうして、彼女はまたアレッサンドロをギュッと抱き締めてきた。
 その腕は、母とは全然違っている。もっと細くてか弱くて、アレッサンドロのものと大差がない。
 けれど、小さな身体で懸命に彼を包み込もうとしてくれていることは、ひしひしと伝わってきた。

「だいじょうぶ。お母さんはね、ちゃんと、神父さまが見てくれてるよ」
 囁き声は、少し震えを帯びている。
「もうちょっと寝て、朝になったら、会いに行こう? 会って、ちゃんとお別れしよう? ね?」
 少女は、現実を偽ろうとはしなかった。
 その『お別れ』は、永遠の別れなのだ。もう二度と、母との日々を取り戻すことはできないのだ。
 嗚咽で震えてしまうアレッサンドロの背中を、少女は小さな手で懸命に撫でさすってくれる。頬を押し付けた彼女の温かな胸からは、トクトクと確かな鼓動が伝わってきた。

 アレッサンドロは両手を伸ばして彼女にしがみつく。

 この温もりを、失いたくない。

 少女を母の代わりにするつもりはなかったけれど。

 凍えた者が小さな灯にもすがるようにアレッサンドロは彼女の温もりを心の底から求め、二度と手放さずに済むようにとこいねがった。
 そうせずには、いられなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】100日後に処刑されるイグワーナ(悪役令嬢)は抜け毛スキルで無双する

みねバイヤーン
恋愛
せっかく悪役令嬢に転生したのに、もう断罪イベント終わって、牢屋にぶち込まれてるんですけどー。これは100日後に処刑されるイグワーナが、抜け毛操りスキルを使って無双し、自分を陥れた第一王子と聖女の妹をざまぁする、そんな物語。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

こな
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】お荷物王女は婚約解消を願う

miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。 それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。 アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。 今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。 だが、彼女はある日聞いてしまう。 「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。 ───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。 それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。 そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。 ※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。 ※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。

処理中です...