凍える夜、優しい温もり

トウリン

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<異空間へようこそ>

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 十一月の第一日曜日の今日。
 颯斗はやとが通う高校の構内は、いつもと違う喧騒に満ち溢れていた。

「一時はどうなることかと思ったけど、何とか間に合ったな」

 窓枠に寄りかかって半ば呆気に取られながら別世界のような教室の中を見渡していた颯斗の隣に来たたかしが、言った。
 颯斗はその姿をチラリと横目で見る。
 彼の恰好は、とても『変』だ。
 肩にはマント、腰には肘から指先までほどの長さ程の剣――しいて言えば、中世を舞台にした洋画に出てくるような服装、だろうか。
 ついついじろじろ見てしまう颯斗に、隆は諦めたように肩をすくめる。

「仕方ないだろ。桃子とうこのチョイスなんだよ。お前だって、人のこと言えないだろ」
「……だよな」
 目を逸らしていた現実を突きつけられて、颯斗はげんなりする。

 彼が来ているのは、薄めの青緑色の羽織にグレイの袴だ。羽織の背中には、『誠』の文字。
 腰に佩いた、隆のものの倍の長さがありそうな日本刀が、この上なく邪魔だった。

「まあ、一年一回のことだし、諦めろよ。ほら、赤信号、みんなで渡れば怖くないってな」
 そう言って、隆はクラスの中を手で示す。

 中をうろつく生徒の三分の二は制服以外を身にまとい、いつもはキッチリと整列している机は二つずつくっ付けてばらばらと置かれ、その上には白いテーブルクロスがかかっている。
 そして、黒板には、ごてごてと飾り付けられた文字で『コスプレ喫茶』。
 その言葉は、県内でも有数の進学校であるこの高校の教室には全く似つかわしくないものだろう。
 だが、今日は『普通』ではない、『特別』な日だった。
 四角四面な現実とは少し離れた、特別な祭りの日。
 ――そう、今日は文化祭なのだ。

 クラスの出し物としていくつもあがった案のうち、採用されたのはこのコスプレ喫茶である。
 当初、確かに面白そうだという意見もあったが、面倒くさいという意見もそれなりにあった。
 それを押し切ったのは、委員長でもある木下桃子だ。
 成績優秀、スポーツ万能、快活明朗、どこをとっても優等生そのものに見える彼女の唯一残念なところは、強烈なコスプレオタクという点かもしれない。
 用意された衣装は五十着を越えているが、そのうちの半分は木下が元々持っていたものだ。残りを作る時も異様に燃え盛っている彼女の指揮のもと、スピーディかつ丁寧に作業は進められた。

「結構みんな、楽しんでるよなぁ」
「……そうだな」
 諦めたような口調での隆の台詞に、颯斗も同じような口調で返した。

 最初はブウブウ言っていた者も木下にグイグイ引っ張られ、一週間もすればすっかりその気になっていた。これを機に何かに目覚めてしまった者も、いるのではなかろうか。

「あ、ちょっと、隆も有田君も! ボウッとしてないでよ」

 呼ばれて声の方に目をやれば、そこには腰に手を当てて仁王立ちになっている木下がいた。
 彼女は、ローブというのだろうか、上半身はやけに露出度の高い、足首まであるひらひらした白い服を着ていた。

「調理室行ってできてるお菓子とか取ってきてよ。足んなくなっちゃう。ついでに道すがら宣伝してきて」
 言うなり、木下は隆にプラカードを押し付ける。
「有田君と一緒なら、歩くだけでいい人寄せになるから」
「何だよ、オレじゃダメだってのか?」
「隆じゃねぇ」
 両手のひらを天井に向け、木下はため息混じりにかぶりを振る。

「おま……だいたい、この服何なんだよ?」
 隆が自分の姿を見下ろしながらそう言うと、途端に木下の目が輝きを増した。
「あら、もちろん、『悠久の流れの先に』のサリフよ」
 当たり前のように言われ、隆はガクリと肩を落とす。
「自信たっぷりに言われたって、知らんって」
「あら、いいキャラなのよ? 主人公のマリクの親友でね――」
 喜々として語り出した木下に、隆は諦め顔で頷いている。

 目の前で繰り広げられている二人の遣り取りは至極自然だ。
 隆の告白から二人の間に生まれていたというしこりは、すっかり融けてしまったようだ。とは言え、これが『彼氏と彼女の語らい』だとは思えないが。
 彼らを見ていると、颯斗は羨ましさとも妬ましさとも呼べるものを抱いてしまう。

(こっちは全然進展ないってのに)

 九月の半ばに『告白』して以来、綾音あやねとの間のぎこちなさはまったく変わることなく存在していた。
 いや、ぎこちないのとは少し違う。
 よそよそしいのとも、違うと思う。
 あの過剰な反応をなかったことにしようとしているかのように、彼女は『普通に』振る舞おうとしていた。
 だが、何と言ったらいいのだろう。

 ――『距離』がある。

 たぶん、それだ。

 今までにも、彼女との間がぎくしゃくしたことはあった。
 けれど、なんとなく時が解決してくれていたのだ。

 今回もそれを期待しているのだが……心の距離なるものが計測できるならば、綾音と颯斗の間のそれは、この一月半ばかりの間、一ミリたりとも変化していないに違いない。

 二週間は様子を見た。
 このままではダメかもしれないと、三週間目から毎週末ごとに綾音を店の外に出すべくあの手この手で誘いをかけてみたのだが、ことごとく却下されてしまった。以前のように閉店後に二人きりになれる時間もなくなって、二進も三進もいかなくなっている。

 普通に映画などに誘ったのでは乗ってこないから、颯斗は今日の文化祭にかけてみたのだ。
 来てくれと迫るのではなく、さりげなく、日時を教えておくという方法で。

 ――こういう『行事』には、彼女は必ず来てくれていたけれど。

 颯斗の口からは、はあっとため息が漏れた。
 と、それを聞き付けて木下が振り返る。

「あら、何、有田君? その衣装が気に入らない?」
「そういうわけじゃ……」
 肩を竦めたその時だった。
「あ、綾音さん」

 明るい木下の声がその名を呼んで、颯斗の肩はそのままビクンと跳ねてしまう。

(来た、のか……?)

 そろそろと戸口の方に向き直ってみると、果たして、そこには彼女がいた。
 物珍しそうに教室内を見渡していた綾音が、颯斗に気付いてパッと笑顔になる。
 途端、彼の心臓はドクンと跳ねた。
 来て欲しかった。だが、期待はしていなかったのだ。

「颯斗くん!」

 トットットッと小走りで寄ってきた彼女は、頭のてっぺんからつま先まで、しげしげと颯斗を眺めた。

「わぁ……すっごいねぇ……」

 その『すごい』はいったいどういう意味なのか。
 颯斗にはどうとも取れなかったけれど、木下は賞賛と受け取ったらしい。

「そうでしょ、すごいでしょう!?」
「これって、新撰組?」
「もちろん!」
 自慢げに胸を反らせた彼女は、得々と続ける。
「土方歳三ですよ。有田君にはぴったりだと思いません? なんかこう、『剣の鬼』って感じなのにポエマーなところとか」
「何処がポエマーなんだよ?」
 颯斗の抗議の声は、サックリと無視される。

「あ、そうそう。もちろん綾音さんにもちゃんといいの用意してますから!」
「え? わたし?」
「そう! そりゃもう、有田君が涎垂らして尻尾振りそうなやつ」
「でも――」
「いいからいいから。サービスですよ。家族割」
 木下はグイグイと綾音の背中を押していく。
「はい、お客さんだよ! 例のもの、用意して!」

 ――綾音は、あれよあれよという間に、更衣室代わりにしているベランダへと連れ去られてしまった。

「ありゃりゃん。何されちまうんだろうなぁ」
 隆が呟いたが、それは颯斗の台詞だった。

 更衣室に連れ込まれてしまった今となっては、彼女を奪い返しに行くこともできない。
 呆然としている颯斗に、戻ってきた木下が目を丸くする。

「ちょっと、そんな顔しなくたって、あたしは別に綾音さんを売っ払ったりしないわよ?」
「……あんまり変な格好させるなよ?」

 少なくとも、綾音には今木下が身に着けているような服は着て欲しくない――肩やら胸の半分やらが出ているような服は。
 木下はニヤニヤしながら自信満々に言う。

「大丈夫、大丈夫。あたしの審美眼を信じなさいって――キラ?」

 不意に、木下の視線が颯斗を通り越す。最後の一言は、呟くような声だった。少し見開かれた彼女の目は入口の方に向けられている。

「やだ、ホントに来たんだ」
 そう囁くなり、木下は駆け出した。

 彼女が向かう先には、かなり大柄な男がいる。そして、その腕の中には人形か何かのように小柄な少女が乗せられていた。

「ホントに来たぁ! すっごい嬉しい」
 歓声を上げながら、木下が床に下ろされた少女に抱き付く。
「あれって……」

 颯斗も見覚えがある少女だが、誰だか思い出せない。
 首をかしげる彼に、隆が教えた。

「雨宮キラだよ。病気でずっと入院してるんだ。一学期は半分くらいは来られてたけど……」
 言われて、颯斗も「ああ」と思い出す。
 そう言えば、そんな生徒がいた。

「来るって聞いてたけど、桃子、ずっと気にしてたんだよな。彼女、夏休みに医者とか親とかに内緒で天文部の合宿に来ちゃってさ。それからあんまり調子良くなくて」

 颯斗には、木下はまったく普段と変わりがないように見えていたが、隆は何かに気付いていたのか。
 改めて見直すと、確かに、今の木下は輝くような笑顔になっている。

「あの人は? 父親? ――にしちゃ、若いな」
「ああ、あれは雨宮の主治医だよ」
「あれで医者?」

 颯斗は眉をひそめた。
 屈強な、運動選手――いや、格闘技の選手と言った方が、しっくりくるか。

「そう見えないよなぁ。でも、医者。心臓の医者なんだってさ」
「へえ……」

 颯斗たちが見守る中で、雨宮キラとその主治医は、先ほどの綾音と同じ目に遭わされていた。問答無用で更衣室に押し込まれようとしている二人に、颯斗は若干の同情を覚える。

(そう言えば、綾音は――)

 ハタと思い出し、彼女が入っていった側の出入り口に振り返った颯斗は、目に飛び込んできたものに硬直する。

「あ、やね……?」

 ――有田君が涎垂らして尻尾振りそうなやつ。
 木下のその台詞が、脳裏をよぎっていく。

「そういう、意味か……」
「あはは……似合う?」

 呻いた颯斗に綾音は恥ずかしそうに微笑んだけれど、そのあまりの破壊力に、彼は頷くことも、できなかった。
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