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<ビミョウな変化>
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物問いたげな視線をふと感じ、颯斗は課題から顔を上げた。視線の主を探して首を巡らせたが、店内の客は当然颯斗のことなどには目もくれないし、利音はシンクで客からの注文を用意している。
彼の動きに反応があったのは、綾音だけだ。
目が合うことはなくても、颯斗が綾音を見た時にはまだ揺れていたポニーテールと、半分だけ見えている薄ら紅く染まった頬は、二秒前まで彼女が何をしていたのかを彼に教えてくれる。
颯斗は目を細めて綾音を見つめたが、彼女は頑としてこちらを向かない。
いつもなら――ほんの一週間ほど前までは、こんなふうに綾音を見ていると彼女はすぐに颯斗の視線に気付いて笑みを返してくれていた。
それが、かたくななまでに颯斗から視線を外して、客に笑顔を振りまいている。
明らかに、不自然だった。
――綾音が高熱でダウンしたあの日、颯斗は一晩中彼女と一緒に過ごしたけれど、翌朝綾音が目覚める前に退散した。
颯斗はずっと綾音を抱き締めいていたかったし、目を開けて隣に彼がいることに気付いた時の彼女の顔を見たいという気持ちもあった。
それでも力の抜けた彼女の腕から抜け出したのは、たとえどんなに子ども扱いしている相手でも、朝起きたら同じベッドに男がいたという事態は彼女にとってショックが大き過ぎるだろうと思ったからだ。
意識がない綾音は、颯斗の腕の中で小さな子どものようだった。
それはきっと――
(俺だと思っていなかったからだ)
夜の間中自分を抱き締めていた腕を、綾音は荘一郎のものだと思いながら眠りに就いていたからに違いない。そうでなければ、あんな寝顔は見せなかった筈だ。
あの時の綾音のことを思い出し、颯斗の胸がチクリと痛む。
熱でもうろうとしながらも、綾音は幸福そうで、安らぎに満ちていた。
颯斗の腕の中で完全に安心しきって、心地良さそうに熱の高い身体を彼にすり寄せてきた。
そんな無防備な綾音を見られたことは嬉しくて、同時に、その時彼女が思い描いていたのは自分ではなかったのだろうという歴然たる事実に、苦さを覚える。
(綾音は、どれくらい覚えてるんだろう)
自分が熱を出して店を早仕舞いしたことは覚えているようだ。後日来店した常連客に話しているのを聞いた限りでは、そんな気がする。
じゃあ、颯斗が彼女をベッドまで運んだことは?
その後、彼に「行かないで」と乞うたことは?
熱に浮かされた中で見た夢を、それがどんな夢だったのか、覚えているのだろうか?
颯斗は、てっきり、彼女は眠ってしまってからのことは何一つ覚えていないのだろうと思っていたのだ。
(けど、違うよな)
綾音の目覚めを待たずに彼女から離れたのは、気まずい思いをさせない為だった。
けれど、今のような綾音の反応を見ると、きっとかなり覚えているに違いないという確信が深まる。
何となく目が合わないし、たまたま手先が触れたりすると、パッと逃げる。
そんな反応は綾音自身が意図したものではないからなのだろう、そのすぐ後に、取り繕ったように笑顔を向けてくる。
何とか変わらぬ様子を見せようとしている努力は充分に伝わってきたが、その努力は実を成さず、彼女の指の先までぎこちなさが溢れていた。
間違いなく、綾音は颯斗を男として意識している。
それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも、これまでのような『小学生の男の子』扱いではない筈だ。
確かに何かが変わったのに、それが良いことなのか、そうでないのか、颯斗にはよくわからなかった。
(昔の『壁』は、見えないけど確かにある――防弾ガラスって感じだったけど、今のはがっちがちのコンクリート塀だよな。鉄条網付きの)
颯斗は頬杖をついて、客の相手をしている綾音を眺める。今浮かんでいるのは、極々自然な笑顔だ。
と、彼女が振り返り際、颯斗の方に向く。
目が合った。
ピシリと音がしそうなほどに、綾音の笑顔が固まる――ほんの一瞬。そして、また、作り笑い。
それは、荘一郎がいなくなってすぐの頃に彼女が浮かべていた、不自然なほどに自然な笑顔ではない。あれよりももっと、無理やり感があってぎこちない。
(……これを、どう受け取るべきなんだ?)
同性の友達すら最近ようやくできたばかりの颯斗にとって、異性の気持ちを察するなど難関大学の受験問題を解くよりも難しいことだ。
ましてや、相手は綾音で。
この状況は、彼にとっては難易度が高すぎる。
颯斗は手にのせていた顎をズルズルと落としてカウンターに突っ伏した。
綾音が男として見てくれるようになったのなら、それはそれで一歩前進したと言えないこともない。
けれど、その結果張り巡らされたバリケードを解除させる策も、強行突破する度胸もない。
(どうすりゃいいんだよ?)
前途多難とはこのことだ。
せめて、綾音が何を考えているのかだけでも、解かればいいのに。
――カウンターの上に置いた自分の腕に顔を埋めてため息を吐き出した颯斗は、そんな彼をまるでどうしても目が離せない怖いモノでもあるかのようにチラチラと盗み見ている綾音にも、そんな彼女を見てにんまりする利音にも、気付くことがなかったのだ。
彼の動きに反応があったのは、綾音だけだ。
目が合うことはなくても、颯斗が綾音を見た時にはまだ揺れていたポニーテールと、半分だけ見えている薄ら紅く染まった頬は、二秒前まで彼女が何をしていたのかを彼に教えてくれる。
颯斗は目を細めて綾音を見つめたが、彼女は頑としてこちらを向かない。
いつもなら――ほんの一週間ほど前までは、こんなふうに綾音を見ていると彼女はすぐに颯斗の視線に気付いて笑みを返してくれていた。
それが、かたくななまでに颯斗から視線を外して、客に笑顔を振りまいている。
明らかに、不自然だった。
――綾音が高熱でダウンしたあの日、颯斗は一晩中彼女と一緒に過ごしたけれど、翌朝綾音が目覚める前に退散した。
颯斗はずっと綾音を抱き締めいていたかったし、目を開けて隣に彼がいることに気付いた時の彼女の顔を見たいという気持ちもあった。
それでも力の抜けた彼女の腕から抜け出したのは、たとえどんなに子ども扱いしている相手でも、朝起きたら同じベッドに男がいたという事態は彼女にとってショックが大き過ぎるだろうと思ったからだ。
意識がない綾音は、颯斗の腕の中で小さな子どものようだった。
それはきっと――
(俺だと思っていなかったからだ)
夜の間中自分を抱き締めていた腕を、綾音は荘一郎のものだと思いながら眠りに就いていたからに違いない。そうでなければ、あんな寝顔は見せなかった筈だ。
あの時の綾音のことを思い出し、颯斗の胸がチクリと痛む。
熱でもうろうとしながらも、綾音は幸福そうで、安らぎに満ちていた。
颯斗の腕の中で完全に安心しきって、心地良さそうに熱の高い身体を彼にすり寄せてきた。
そんな無防備な綾音を見られたことは嬉しくて、同時に、その時彼女が思い描いていたのは自分ではなかったのだろうという歴然たる事実に、苦さを覚える。
(綾音は、どれくらい覚えてるんだろう)
自分が熱を出して店を早仕舞いしたことは覚えているようだ。後日来店した常連客に話しているのを聞いた限りでは、そんな気がする。
じゃあ、颯斗が彼女をベッドまで運んだことは?
その後、彼に「行かないで」と乞うたことは?
熱に浮かされた中で見た夢を、それがどんな夢だったのか、覚えているのだろうか?
颯斗は、てっきり、彼女は眠ってしまってからのことは何一つ覚えていないのだろうと思っていたのだ。
(けど、違うよな)
綾音の目覚めを待たずに彼女から離れたのは、気まずい思いをさせない為だった。
けれど、今のような綾音の反応を見ると、きっとかなり覚えているに違いないという確信が深まる。
何となく目が合わないし、たまたま手先が触れたりすると、パッと逃げる。
そんな反応は綾音自身が意図したものではないからなのだろう、そのすぐ後に、取り繕ったように笑顔を向けてくる。
何とか変わらぬ様子を見せようとしている努力は充分に伝わってきたが、その努力は実を成さず、彼女の指の先までぎこちなさが溢れていた。
間違いなく、綾音は颯斗を男として意識している。
それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも、これまでのような『小学生の男の子』扱いではない筈だ。
確かに何かが変わったのに、それが良いことなのか、そうでないのか、颯斗にはよくわからなかった。
(昔の『壁』は、見えないけど確かにある――防弾ガラスって感じだったけど、今のはがっちがちのコンクリート塀だよな。鉄条網付きの)
颯斗は頬杖をついて、客の相手をしている綾音を眺める。今浮かんでいるのは、極々自然な笑顔だ。
と、彼女が振り返り際、颯斗の方に向く。
目が合った。
ピシリと音がしそうなほどに、綾音の笑顔が固まる――ほんの一瞬。そして、また、作り笑い。
それは、荘一郎がいなくなってすぐの頃に彼女が浮かべていた、不自然なほどに自然な笑顔ではない。あれよりももっと、無理やり感があってぎこちない。
(……これを、どう受け取るべきなんだ?)
同性の友達すら最近ようやくできたばかりの颯斗にとって、異性の気持ちを察するなど難関大学の受験問題を解くよりも難しいことだ。
ましてや、相手は綾音で。
この状況は、彼にとっては難易度が高すぎる。
颯斗は手にのせていた顎をズルズルと落としてカウンターに突っ伏した。
綾音が男として見てくれるようになったのなら、それはそれで一歩前進したと言えないこともない。
けれど、その結果張り巡らされたバリケードを解除させる策も、強行突破する度胸もない。
(どうすりゃいいんだよ?)
前途多難とはこのことだ。
せめて、綾音が何を考えているのかだけでも、解かればいいのに。
――カウンターの上に置いた自分の腕に顔を埋めてため息を吐き出した颯斗は、そんな彼をまるでどうしても目が離せない怖いモノでもあるかのようにチラチラと盗み見ている綾音にも、そんな彼女を見てにんまりする利音にも、気付くことがなかったのだ。
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