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癒えない傷はない
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翌日、シィンはラスを連れて旅立った。彼女をここに連れてきた時には殆ど走り詰めだったが、シィンが目覚めた状態で、旅慣れぬ彼女を連れてとなれば、そうはいくまい。休憩を入れながらになるだろうから、アシャルノウンまでは十日ほどはかかる筈だ。その猶予を使って各地の隠れ里に伝令の鳥を飛ばし、一気にアシャルノウンに集結する。騎馬に慣れた者なら三日もあれば動ける距離に、どの隠れ里も位置していた。
シィンの旅立ちにあたって、一つだけ予想外だったことがある。
それは、ローグだ。
ローグはシィンの外套の裾を握り締めたまま、なかなか放そうとはしなかった。
「ローグ、しばらくの間だけだよ?」
彼の目を覗き込んで、困ったように首をかしげながらそう言ったシィンに、ローグは頷こうとはしなかった。
フルフルと首を横に振るばかりの弟分に、カイネはしびれを切らす。ローグの両手を掴むと、有無を言わせずシィンの外套からもぎ離した。体格の差に物を言わせ、暴れるローグを抑え込む。
「ほら、いいから早く行っちまえ」
カイネが顎で示すと、シィンはためらいつつも馬の方へと足を向ける。
と、その時だった。
「い……ぁ……だぁ……」
軋むような、吹き抜ける風のような音。だが、確かにそれは声だった。
「ローグ?」
カイネが腕の中を見下ろすと、彼は頬を涙で濡らしながら、口をハクハクと開閉させていた。
「や……だ……い、かない……で……」
顔を歪めながら、喉から血を吐き出すように、ローグは懸命に訴えている。
シィンは一瞬驚きに目を見張った後、破顔した。
タッとローグに駆け寄ると、彼の頬を両手で包み込み、嬉しそうに額を寄せる。
「すごいわ。いいお守りね、あなたの声が聴けるなんて」
はしゃいだ声でそう言って、ローグの頬に口づけた。彼は丸くした目をしばたたかせる。そんな彼に、シィンは満面の笑みを浮かべたままで声を弾ませる。
「本当は、少し心配だった。みんな、神様を失ったらどうなるんだろうって。でも、どんなに傷付いても、治らない傷はないんだね。人って、強い。やっぱり、わたしはみんなを信じるわ。初めのうちは、みんな戸惑うかもしれないけれど、きっと、ちゃんとやっていける。神様が助けてくれなくなっても、きっと、めげて潰れてしまったりはしない」
もう一度、シィンはローグの頬に唇を寄せ、そして彼の目を覗き込んだ。
「次に会った時には、もっとちゃんと聴かせてね。一緒に歌えたら、もっといいわ。カイネと一緒に、わたしを迎えに来てね。待ってるから」
シィンの顔に浮かんでいるのは、躊躇も不安も疑心もない、晴れやかな笑み。ローグは、そしてカイネも、その花開くような笑顔に見惚れた。
シィンはローグの頬にそっと触れ、それから身を翻すと、今度こそ、馬の傍に立つラスの元へと駆けて行く。
ローグは、もう暴れようとはしておらず、カイネは彼を捉えていた腕を解く。ラスに抱き上げられシィンが馬上の人となった時も、その馬が走り出した時も、ローグはジッと佇むだけだった。
馬影は小さくなっていき、やがて木々の向こうへと消えていく。
姿が見えなくなった後も、ローグはその方向を見つめ続けていた。カイネは彼の肩を叩く。
「ローグ、行くぞ。オレ達も、あいつを迎えに行く準備をしないと」
その言葉にローグはカイネを振り返り、もう一度道の彼方を見やり、そしてカイネを見上げて頷いた。彼の目の中に常に漂っていたどこか不自然な幼さは色褪せて、今は確たる輝きが宿っている。
「よし!」
カイネはクシャクシャとローグの髪を乱した後、彼らが為すべきことを為す為に、動き始めた。
シィンの旅立ちにあたって、一つだけ予想外だったことがある。
それは、ローグだ。
ローグはシィンの外套の裾を握り締めたまま、なかなか放そうとはしなかった。
「ローグ、しばらくの間だけだよ?」
彼の目を覗き込んで、困ったように首をかしげながらそう言ったシィンに、ローグは頷こうとはしなかった。
フルフルと首を横に振るばかりの弟分に、カイネはしびれを切らす。ローグの両手を掴むと、有無を言わせずシィンの外套からもぎ離した。体格の差に物を言わせ、暴れるローグを抑え込む。
「ほら、いいから早く行っちまえ」
カイネが顎で示すと、シィンはためらいつつも馬の方へと足を向ける。
と、その時だった。
「い……ぁ……だぁ……」
軋むような、吹き抜ける風のような音。だが、確かにそれは声だった。
「ローグ?」
カイネが腕の中を見下ろすと、彼は頬を涙で濡らしながら、口をハクハクと開閉させていた。
「や……だ……い、かない……で……」
顔を歪めながら、喉から血を吐き出すように、ローグは懸命に訴えている。
シィンは一瞬驚きに目を見張った後、破顔した。
タッとローグに駆け寄ると、彼の頬を両手で包み込み、嬉しそうに額を寄せる。
「すごいわ。いいお守りね、あなたの声が聴けるなんて」
はしゃいだ声でそう言って、ローグの頬に口づけた。彼は丸くした目をしばたたかせる。そんな彼に、シィンは満面の笑みを浮かべたままで声を弾ませる。
「本当は、少し心配だった。みんな、神様を失ったらどうなるんだろうって。でも、どんなに傷付いても、治らない傷はないんだね。人って、強い。やっぱり、わたしはみんなを信じるわ。初めのうちは、みんな戸惑うかもしれないけれど、きっと、ちゃんとやっていける。神様が助けてくれなくなっても、きっと、めげて潰れてしまったりはしない」
もう一度、シィンはローグの頬に唇を寄せ、そして彼の目を覗き込んだ。
「次に会った時には、もっとちゃんと聴かせてね。一緒に歌えたら、もっといいわ。カイネと一緒に、わたしを迎えに来てね。待ってるから」
シィンの顔に浮かんでいるのは、躊躇も不安も疑心もない、晴れやかな笑み。ローグは、そしてカイネも、その花開くような笑顔に見惚れた。
シィンはローグの頬にそっと触れ、それから身を翻すと、今度こそ、馬の傍に立つラスの元へと駆けて行く。
ローグは、もう暴れようとはしておらず、カイネは彼を捉えていた腕を解く。ラスに抱き上げられシィンが馬上の人となった時も、その馬が走り出した時も、ローグはジッと佇むだけだった。
馬影は小さくなっていき、やがて木々の向こうへと消えていく。
姿が見えなくなった後も、ローグはその方向を見つめ続けていた。カイネは彼の肩を叩く。
「ローグ、行くぞ。オレ達も、あいつを迎えに行く準備をしないと」
その言葉にローグはカイネを振り返り、もう一度道の彼方を見やり、そしてカイネを見上げて頷いた。彼の目の中に常に漂っていたどこか不自然な幼さは色褪せて、今は確たる輝きが宿っている。
「よし!」
カイネはクシャクシャとローグの髪を乱した後、彼らが為すべきことを為す為に、動き始めた。
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