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神の娘
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隠れ里の厩舎からこっそりと馬を引き出し、駆け通すこと、丸三日。
カイネとローグは、大神殿のある都アシャルノウンへと足を踏み入れていた。
アシャルノウンの位置は教えられていたが、彼らがそこに入るのは、初めてのことである。二人は、とにかくその人の多さに言葉を失っていた。隠れ里の十倍は、いるのではないだろうか。
「とにかく……神殿を探すか」
気を取り直してそう呟いたカイネに、同じようにポカンとしていたローグも頷く。
美しく整備された町並みを、二人は歩く。カイネたちの村は木でできた家ばかりだったが、ここは石造りで、見上げるほどの高さの建物ばかりだ。道はむき出しの土ではなく、キレイな模様に並べられた石畳。通りに面して並ぶ店には、今まで見たことがないような様々な品物が置かれていた。
大神殿は、いったいどこにあるのだろうか。
町に入ってから随分と歩いた筈だが、なかなかそれらしい建物は見当たらない。
「誰かに訊いてみるか」
いつまでもうろついていてもらちが明かないと判断し、カイネは近くの露店の店主に声をかける。
「ちょっと、ここって、大神殿がある町だよな? 大神殿はどこにあるんだ?」
見知らぬ子どもからの不躾な物言いにも拘らず、店主は愛想よく片手を上げてカイネたちの後ろを指差した。
「あんた達、田舎から来たんだな? ほら、見てみなよ、あれだって。あれが、このアシャルノウンが誇る最高神アーシャル様のおわす大神殿さ」
意気揚々とそう言った男に釣られるようにして、カイネとローグは振り返る。
最初は、気付かなかった。
だが、やがて、男が指差すものが、連なる家々の背後にそびえる巨大な白い建物であることを悟る。
陽の光を受けて、眩しいほどに輝いている、白亜の建物。それは、まるで、宝石か何かでできているかのようだ。
「キレイなモンだろう?」
「あ……ああ……」
「あそこでな、儀式をやってくれるんだよ」
「儀式?」
「そうさ。神の子シィン様が、月の女神様をその身体に降ろして、ワシらの幸せを祈ってくれるんだ。そのお陰で、ワシらはこんな暮らしができとるのさ。前は多くてもひと月に一回とかだったけどな、最近は三日とあけずにやってくれる」
「へえ……」
カイネは生返事をしながら、ギラギラと猛る目で大神殿を睨み上げる。あの大神殿は、確かに美しい。だが、それは、カイネたちや他の村々から搾り取ったものでできているのだ。
同じような苛立ちを覚えているのだろう。彼の隣で、ローグの拳にも力が入る。
(何が、祈りだ)
そんなものに効果がないことは、カイネもローグも、身を持って知っている。神の子の祈りとやらが偽りであるのと同様に、あの豪奢な神殿も、中身のない張りぼてに過ぎない。
カイネは、いつしか薄れていた暗い情熱がみるみる勢いを取り戻していくのが判った。身の内に怒りと憎悪を燃やす彼には気付かずに、気の良さそうな店主が続ける。
「まあ、一度は見といて損はないさ。確か、今日も儀式をやってくれる筈だから、行ってみるといい。もうじき始まる時間だよ」
「ああ、そうだな。そうするよ」
そう答えて切り上げると、カイネは顎をしゃくってローグに合図する。そして、大神殿をヒタと見据えたまま、そこを目指して歩き出した。
その純白の神殿は、近付けば近付くほど、その威容を明らかにしていく。家々の屋根を遥かに凌いでその姿を見せているのは、神殿が高台にあるからというだけではない。実際にそれ自身が巨大なのだ。
目指すものが判っていれば、そこに辿り着くのは簡単なことだ。
程なくしてカイネとローグは大神殿の門の前に立つことになった。
入り口の扉はカイネの背丈の三倍ほどもあり、横幅に至っては、群集がなだれ込んでも詰まってしまうことはなさそうだ。
神殿の前にはすでに人だかりができている。
「こんなにたくさん、入るのか……?」
思わずカイネが呟いてしまうほどの、人数だった。一つの建物に、これほどの人間が入れるなんて、とうてい信じられない。
だが。
カイネとローグの目の前で音もなく巨大な扉が開かれると、ざわめく人々がその中に吸い込まれるように消えていく。
「オレ達も行くぞ」
ローグに一声かけて、カイネも群集の後に続いた。
大神殿の中はまるで広場のようで、空のように高い天井には、繊細で煌びやかな神々が描かれている。木で組み上げた家しか建てたことのないカイネには、それがどうやって造られたものなのか、想像もできなかった。
一つの村ほどの人々がざわめく中、不意に、リィン、と清らかな鈴の音が響く。その瞬間、神殿の中を静寂が支配した。誰も彼も、身じろぎ一つせず一点を見つめていて、カイネとローグはつられるようにその方向に視線を向けた。
皆の頭を遥かに越える位置に張り出した、高座。
一同が熱を帯びた眼差しを注ぐそこに、小さな人影が現れる。遠目な上にヴェールを被ったその人物がどんな容姿をしているのかは判らなかったが、子どもか、もしくは、女性のようだった。
皆が固唾を呑んで見守る中で、彼あるいは彼女は、緩慢な所作でヴェールを下ろす。
女性――少女、だ。あれが、『神の娘』なのだろう。
その髪の色はカイネもローグも今まで見たことのない色をしていて、神殿の中の光景とあいまって、現実のものとは思えなかった。
いったい、何が始まるのか。
そう、カイネが思った時だった。
少女が、口を開く。
溢れ出てきたのは、歌。いや、旋律。
その小さな身体のどこからそれほどの音が出せるのかと不思議になるほどの声量で、彼女は謳う。それは、高く、低く、立錐の余地もなく詰め掛けた人々の間を縫っていく。
その声は、確かに、美しい。
歌など、母親の子守唄くらいしか聞いたことのないカイネにも、そう思えた。隣では、ローグもポカンと口を開けて聞き入っている。
だが、それは、本当に『祝福』をもたらすものなのだろうか。
その声はカイネの心に突き刺さり、まるでこじ開けようとでもするかのように食い込んでくる。この世にギリギリ留まっているかのような、境界線上の美しさ。一歩踏み間違えたら、別の世界に転がり落ちてしまいそうなものを感じさせた。
そこに、安らぎや温もりは、ない。
にも拘らず、周囲に目を走らせれば、皆、食い入るように彼女に見入っている。
その声にこれほどの人間が陶酔していることに、カイネは何故かゾクリとした。
この上なく、異様な光景に思われてならなかったのだ。
やがて、狂おしい余韻を残して、歌が止む。
ふらつく少女が帯剣した男に支えられながら姿を消すのと入れ替わりに、煌びやかな衣装を身につけた長身の男が現れた。
男は、朗々とよく通る声で陶然としている聴衆に語りかける。
「神はいつも我々を守ってくださいます。ほら、今も、シィン様は祝福を与えてくださった。アーシャル様も、常に我々の傍におられます。アーシャル様を信じている限り、我々は幸福でいられるのです。さあ、皆、アーシャル様を敬い、祈りましょう」
彼の言葉は、少女の歌声の百分の一も、カイネの心には響いてこない。だが、人々は感極まったようにどよめきを上げ、周囲を見回してみると、中には涙をこぼしている者すらいた。
カイネは、身震いする。
おかしい、と思った。だが、それ以上に、何も知らなかった頃なら、自分も同じように熱に浮かされていたのだろうと思うと、ぞっとしたのだ。実を持たない不確かなモノに、全てを委ねて安穏としていたのだろうと思うと。
ややして、ひとしきり説教を垂れていた男も高座から姿を消し、どろりとした液体のように人々が動き始める。
顔色を失ったカイネの袖を、ローグが案じる眼差しを浮かべて引っ張った。
カイネは、一つ二つ瞬きをする。まるで、嫌な夢から醒めたかのような心持ちだ。眉間にしわを寄せた彼の袖を、ローグがまた引く。
「ああ……行こう」
カイネはどうにか彼に小さく頷きを返すと、人の波に押し流されるようにして、大神殿を後にした。
カイネとローグは、大神殿のある都アシャルノウンへと足を踏み入れていた。
アシャルノウンの位置は教えられていたが、彼らがそこに入るのは、初めてのことである。二人は、とにかくその人の多さに言葉を失っていた。隠れ里の十倍は、いるのではないだろうか。
「とにかく……神殿を探すか」
気を取り直してそう呟いたカイネに、同じようにポカンとしていたローグも頷く。
美しく整備された町並みを、二人は歩く。カイネたちの村は木でできた家ばかりだったが、ここは石造りで、見上げるほどの高さの建物ばかりだ。道はむき出しの土ではなく、キレイな模様に並べられた石畳。通りに面して並ぶ店には、今まで見たことがないような様々な品物が置かれていた。
大神殿は、いったいどこにあるのだろうか。
町に入ってから随分と歩いた筈だが、なかなかそれらしい建物は見当たらない。
「誰かに訊いてみるか」
いつまでもうろついていてもらちが明かないと判断し、カイネは近くの露店の店主に声をかける。
「ちょっと、ここって、大神殿がある町だよな? 大神殿はどこにあるんだ?」
見知らぬ子どもからの不躾な物言いにも拘らず、店主は愛想よく片手を上げてカイネたちの後ろを指差した。
「あんた達、田舎から来たんだな? ほら、見てみなよ、あれだって。あれが、このアシャルノウンが誇る最高神アーシャル様のおわす大神殿さ」
意気揚々とそう言った男に釣られるようにして、カイネとローグは振り返る。
最初は、気付かなかった。
だが、やがて、男が指差すものが、連なる家々の背後にそびえる巨大な白い建物であることを悟る。
陽の光を受けて、眩しいほどに輝いている、白亜の建物。それは、まるで、宝石か何かでできているかのようだ。
「キレイなモンだろう?」
「あ……ああ……」
「あそこでな、儀式をやってくれるんだよ」
「儀式?」
「そうさ。神の子シィン様が、月の女神様をその身体に降ろして、ワシらの幸せを祈ってくれるんだ。そのお陰で、ワシらはこんな暮らしができとるのさ。前は多くてもひと月に一回とかだったけどな、最近は三日とあけずにやってくれる」
「へえ……」
カイネは生返事をしながら、ギラギラと猛る目で大神殿を睨み上げる。あの大神殿は、確かに美しい。だが、それは、カイネたちや他の村々から搾り取ったものでできているのだ。
同じような苛立ちを覚えているのだろう。彼の隣で、ローグの拳にも力が入る。
(何が、祈りだ)
そんなものに効果がないことは、カイネもローグも、身を持って知っている。神の子の祈りとやらが偽りであるのと同様に、あの豪奢な神殿も、中身のない張りぼてに過ぎない。
カイネは、いつしか薄れていた暗い情熱がみるみる勢いを取り戻していくのが判った。身の内に怒りと憎悪を燃やす彼には気付かずに、気の良さそうな店主が続ける。
「まあ、一度は見といて損はないさ。確か、今日も儀式をやってくれる筈だから、行ってみるといい。もうじき始まる時間だよ」
「ああ、そうだな。そうするよ」
そう答えて切り上げると、カイネは顎をしゃくってローグに合図する。そして、大神殿をヒタと見据えたまま、そこを目指して歩き出した。
その純白の神殿は、近付けば近付くほど、その威容を明らかにしていく。家々の屋根を遥かに凌いでその姿を見せているのは、神殿が高台にあるからというだけではない。実際にそれ自身が巨大なのだ。
目指すものが判っていれば、そこに辿り着くのは簡単なことだ。
程なくしてカイネとローグは大神殿の門の前に立つことになった。
入り口の扉はカイネの背丈の三倍ほどもあり、横幅に至っては、群集がなだれ込んでも詰まってしまうことはなさそうだ。
神殿の前にはすでに人だかりができている。
「こんなにたくさん、入るのか……?」
思わずカイネが呟いてしまうほどの、人数だった。一つの建物に、これほどの人間が入れるなんて、とうてい信じられない。
だが。
カイネとローグの目の前で音もなく巨大な扉が開かれると、ざわめく人々がその中に吸い込まれるように消えていく。
「オレ達も行くぞ」
ローグに一声かけて、カイネも群集の後に続いた。
大神殿の中はまるで広場のようで、空のように高い天井には、繊細で煌びやかな神々が描かれている。木で組み上げた家しか建てたことのないカイネには、それがどうやって造られたものなのか、想像もできなかった。
一つの村ほどの人々がざわめく中、不意に、リィン、と清らかな鈴の音が響く。その瞬間、神殿の中を静寂が支配した。誰も彼も、身じろぎ一つせず一点を見つめていて、カイネとローグはつられるようにその方向に視線を向けた。
皆の頭を遥かに越える位置に張り出した、高座。
一同が熱を帯びた眼差しを注ぐそこに、小さな人影が現れる。遠目な上にヴェールを被ったその人物がどんな容姿をしているのかは判らなかったが、子どもか、もしくは、女性のようだった。
皆が固唾を呑んで見守る中で、彼あるいは彼女は、緩慢な所作でヴェールを下ろす。
女性――少女、だ。あれが、『神の娘』なのだろう。
その髪の色はカイネもローグも今まで見たことのない色をしていて、神殿の中の光景とあいまって、現実のものとは思えなかった。
いったい、何が始まるのか。
そう、カイネが思った時だった。
少女が、口を開く。
溢れ出てきたのは、歌。いや、旋律。
その小さな身体のどこからそれほどの音が出せるのかと不思議になるほどの声量で、彼女は謳う。それは、高く、低く、立錐の余地もなく詰め掛けた人々の間を縫っていく。
その声は、確かに、美しい。
歌など、母親の子守唄くらいしか聞いたことのないカイネにも、そう思えた。隣では、ローグもポカンと口を開けて聞き入っている。
だが、それは、本当に『祝福』をもたらすものなのだろうか。
その声はカイネの心に突き刺さり、まるでこじ開けようとでもするかのように食い込んでくる。この世にギリギリ留まっているかのような、境界線上の美しさ。一歩踏み間違えたら、別の世界に転がり落ちてしまいそうなものを感じさせた。
そこに、安らぎや温もりは、ない。
にも拘らず、周囲に目を走らせれば、皆、食い入るように彼女に見入っている。
その声にこれほどの人間が陶酔していることに、カイネは何故かゾクリとした。
この上なく、異様な光景に思われてならなかったのだ。
やがて、狂おしい余韻を残して、歌が止む。
ふらつく少女が帯剣した男に支えられながら姿を消すのと入れ替わりに、煌びやかな衣装を身につけた長身の男が現れた。
男は、朗々とよく通る声で陶然としている聴衆に語りかける。
「神はいつも我々を守ってくださいます。ほら、今も、シィン様は祝福を与えてくださった。アーシャル様も、常に我々の傍におられます。アーシャル様を信じている限り、我々は幸福でいられるのです。さあ、皆、アーシャル様を敬い、祈りましょう」
彼の言葉は、少女の歌声の百分の一も、カイネの心には響いてこない。だが、人々は感極まったようにどよめきを上げ、周囲を見回してみると、中には涙をこぼしている者すらいた。
カイネは、身震いする。
おかしい、と思った。だが、それ以上に、何も知らなかった頃なら、自分も同じように熱に浮かされていたのだろうと思うと、ぞっとしたのだ。実を持たない不確かなモノに、全てを委ねて安穏としていたのだろうと思うと。
ややして、ひとしきり説教を垂れていた男も高座から姿を消し、どろりとした液体のように人々が動き始める。
顔色を失ったカイネの袖を、ローグが案じる眼差しを浮かべて引っ張った。
カイネは、一つ二つ瞬きをする。まるで、嫌な夢から醒めたかのような心持ちだ。眉間にしわを寄せた彼の袖を、ローグがまた引く。
「ああ……行こう」
カイネはどうにか彼に小さく頷きを返すと、人の波に押し流されるようにして、大神殿を後にした。
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