君が目覚めるその時に

トウリン

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色付く想い-1

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「キラ!」
 晴れやかな声で名前を呼ばれて、キラは椅子の背に手を置いて振り返る。
 そこにいたのは、桃子とうこと、それにたかしだ。どちらも表情は明るい。
 あれからも何度か桃子だけでのお見舞いはあったけれど、二人が並んでいる姿を見るのは、ほぼ二ヶ月ぶりのことだった。
(良かった。仲直りしたんだ)
 キラは胸の中で呟いて頬を緩ませる。
 桃子から「見舞いに行くよ」とメールをもらうたび、今日は二人で来るのだろうか、それともやっぱり一人なのだろうかとやきもきしていたのだ。

 今日も昼ごろに桃子から見舞い予告のメールをもらって、約束の時間の十分前からデイルームにやってきてジリジリしながら待っていたのだけれど。

「よう、久し振り」
 隆が、照れ臭そうに片手を上げる。
「来てくれてありがとう」
 あんまりニヤついたら二人もバツが悪いだろうと思って顔を引き締めようとしても、うまくいかない。桃子と隆が一緒にいる姿を見られるのは、やっぱり嬉しかった。
 桃子に目を向けると、彼女は頬を赤くしてちょっとわざとらしい感じで手にしていた袋を持ち上げた。
「お土産買ってきたから食べよ?」
 そう言うと、そそくさと椅子を引いて席に着く。隆もそれに続いて、彼女の隣に腰を下ろした。
「最近、駅前に新しいケーキ屋さんができたんだぁ。シュークリームが美味しいのよ。生クリームが詰まっててね。やっぱり、カスタードでカサ増しするのは邪道だと思わない?」
 今日の桃子はいつも以上に良くしゃべるし、頬の赤みもなかなか褪めない。
 それに対して、隆はやけに嬉しそう。
 ただ、仲直りしただけにしては、何となく雰囲気が前とは違う気がする。

(ということは、つまり……)
「……二人は、『お付き合い』を始めたの?」
 思わずキラはポロリとこぼしてしまう。
 ピタリと、桃子の手が止まった。
「あ……」
 とっさにキラは自分の口を両手で塞いだけれど、出てしまった言葉は戻らない。
 意地っ張りの桃子のことだから、そんなことを言ったらきっとムキになって否定するに決まってる。
 そして、案の定。
「違う、違うわよ!? まだ、そんなんじゃないんだから――」
 若干裏返った声で、両手と首を振りながら桃子が力説する。全身を使って全否定をしている彼女のその台詞に、今度は隆が反応した。
「……まだ?」
 ニヤニヤしながら、彼がそこを繰り返す。
「な、何よ!?」
 キッと睨み付けた桃子に、隆は素知らぬふりをして肩をすくめる。
「別に?」
 そして、また繰り返した。
「まだ、ねぇ」

 途端、すっくと桃子が立ち上がる。
「あたし、お茶買ってくるから!」
「紅茶、買ってきたじゃん」
「緑茶が良くなったの!」
 そう言った彼女の顔は、触ったらさぞかし熱いだろうと思うほどに真っ赤だ。
 足早にデイルームを出て行く背中を見送って、キラは咎める眼差しを隆に向けた。
「もう、今井君てば、何であんなこと言っちゃうの?」
「あんなことって?」
 とぼける隆に、キラは溜め息をついた。
「桃子をからかうようなこと。幼稚園からずっと一緒に居るんだから、あんなふうに言ったら怒っちゃうの、判ってるでしょう?」
 せっかく仲直りしたというのにまた波を立てるようなことをする隆に口を尖らせたけれど、彼は澄ましてうそぶく。

「いいんだよ。十年静観してきて動きが無かったんだから、これからは揺さぶりをかけることにしたんだ」
「揺さぶり?」
「そ。一回告っちゃった以上、もう突っ走るしかないからさ」
 隆はそう言うと、持ってきたペットボトルの紅茶の蓋を開け、ごくごくと飲む。
「もういい加減『友達』でいるのも限界だったしさ。あいつ狙ってる奴、結構いるんだぜ?」
 それは、解かる気がする。
 桃子はキレイだし、キラのように誰もが一歩引いてしまうような存在にも分け隔てなく接してくれる。
 好かれるのも当たり前だ。
 内心頷くキラの前で、隆がため息をついた。
「他の誰かとくっつくところも見たくはないし。あいつを手に入れるか――それともスッパリ離れるか、どちらかだよ」
「離れるって……それでもいいの?」
「良くはない。だから、手に入れるしかないんだ」
 隆は、両手で握ったペットボトルを見つめながら、そう言った。

 その言葉がキラだけでなく彼自身にも言い聞かせているように聞こえたのは、気の所為だろうか。
 キラは上目づかいで隆を見遣る。
(恋人になれないなら友達でいることもやめるだなんて、それでいいのかな)
 隆はそれでいいのかもしれないけれど、桃子はそんなふうには思えないのではないかと思う。彼とうまくいっていなかった時の桃子の落ち込み具合を思い出して、キラは眉をひそめた。
(桃子だって、本当は今井君のことを好きなんだよね、きっと)
 それなのにあんなふうなのは、照れているからなのか、彼女自身がその気持ちに気付いていないからなのか。
(やっぱり、二人がバラバラになっちゃうのはイヤだな……)
 キラは隆を見つめながら、そう胸の中で呟いた。

 と、その視線を感じたのか、不意に彼が顔を上げる。
「まあでも、雨宮あまみやには感謝してるよ」
「え?」
 唐突な隆の台詞に、キラはキョトンと首をかしげた。彼は微かに笑う。
「逃げ回ってたあいつをオレの所に来るようにしてくれたのは、お前なんだろ?」
「あ……」
「告った時、思い切り笑い飛ばされてさ。オレもさすがにめげたよ。で、オレが本気なんだって気付いたら、桃子のヤツ、近付いてこなくなっちまってさ。オレだって何もなかったようにへらへらできないし、打つ手なしって感じだったんだけど、この間、急にあいつの方からやってきて、あの時笑って悪かったって」
「謝った、だけ?」
 確かに、桃子の方から付き合おうとか言う筈がないとは思うけれど、それでは隆が告白する前と何も変わらない気がする。

 拍子抜けしたキラに、隆は小さく笑った。
「オレのことを男として好きかどうかは判らないけど、オレの気持ちをなかったことにはしない、とは言ってくれたよ」
「そっか……」
 桃子らしい台詞だと、キラは思った。もっとも、そうかと言って素直になれるわけではないようだけれども。
「まあ、頑張ってね?」
 さっきの桃子の反応を見る限り先はまだまだ遠そうで、キラはヒトの悪い笑みを浮かべてそう言った。そんな彼女に、隆が椅子の背に寄りかかって目を細める。
「まったく、人の気も知らないで……なんか不公平だな、オレばっかこんなふうに晒されんの。そういう雨宮はどうなんだよ?」
「え? わたし?」
「そ」
「わたしは、ほら……学校にはあんまり行ってないから……」
 あまり、出会いらしい出会いが無い。何か強い気持ちを持てるほど一緒に居るのは、それこそ桃子と隆くらいのものだ。
 笑ってみせたキラに、隆が顎をしゃくった

「病院の中にだって男はいるだろ? ほら、いつだったか海まで迎えに来た先生とか、どうなんだよ?」
「え?」
 隆のその台詞に、キラはキョトンと目を丸くする。
たき、先生?」
「普通、医者があんなふうにわざわざ病院から出て来やしないだろ? なんか『特別』って感じ」
「や、そんなことないよ? 瀧先生は熱心だから……」
 上ずった声で否定するキラに、今度は隆の方がニヤニヤ笑いを浮かべる。
「へえ?」
「ホントに、全然、そんなことないんだからね? 確かに、時々、お話はするけど……先生はわたしよりずっと大人だもん。倍くらいの年だよ?」
「まあ、確かにオッサンではあるわな」
 頷きながら、隆は胸の前で腕を組んだ。
(もう……今井君てば、変なこと言って……)
 キラはこっそりぼやいてテーブルに視線を落とす。

 清一郎から見れば、彼女など子どももいいところだろう。年齢だけではなく、あらゆる意味で。
 とてもではないけど、釣り合いが取れない。
 それこそ、こんな話題に持ち出されていること自体、清一郎にとっては迷惑もいいところだろう。
(もう、眼中にないどころじゃないよね)
 ――そう思った瞬間、キュッと胸が痛んだ。
(あれ?)
 キラは、そっと胸をさする。いつだったか、同じように感じたことがあった。それがいつのことかを思い出そうとした彼女の耳に、「あ」という隆の声が入ってくる。

「噂をすれば、だ」
「え?」
 隆の視線は、キラの後ろ――デイルームの入口の方へと向けられている。デイルームと廊下とを隔てているのは全面ガラスだから、廊下が丸見えになっている筈だ。
 彼に釣られて振り向いたキラは、そこに今は見たくなかった姿を見てしまう。
(瀧先生!? いつから……)
 大柄な彼は、ガラス一枚を通してキラを見下ろしている。視線が合って、彼女は石像のように固まった。
 廊下に一番近い席に座っていたことを、後悔した。多分、声は丸聞こえだったに違いない。

(たった今通りすがったばかりだって言ってよ)
 もしもキラが清一郎のことを好きだとか思われていたら、次から顔なんて合わせられない。
 清一郎は蛇に睨まれた蛙さながらのキラをジッと見つめていたけれど、やがて何事もなかったかのように歩き去って行ってしまった。
 姿勢を直したキラは、テーブルに向かってこっそりとため息をつく。
(ただ、わたしの様子を観察していただけ? 聞こえてなかった? それとも、聞こえていても全然気にならない、まさに取るに足らない話ってこと?)
 無表情な彼が何を考えていたのか、何をどこまで聞いていたのか、さっぱり予測がつかなかった。
 けれど、もしも一連の会話を耳にしていたとしても、清一郎は何も感じはしないのかもしれない。彼にとってキラは、ただの患者に過ぎないのだから。

 ワタワタした自分が、バカみたいだった。

「あ、帰ってきた」
 また、隆が入口を見てそう呟く。目を上げると彼の表情が輝きを増していて、今度は振り返らなくても誰が来たのかはすぐに察せられた。
(こんなに判り易いのに、桃子は全然気付かなかったんだよね)
 つくづく、隆が気の毒になる。もっとも、桃子に見せる顔はいつも同じなわけだから、気付かないのも当然なのかもしれない。
「お待たせ! さ、食べよ?」
 ガサガサと音を立てて桃子がテーブルに置いた袋の中には、お茶だけでなくお菓子も入っている。
「お前……シュークリーム買ってきただろ?」
「ええ? だって、見てたら欲しくなっちゃったんだもん」
 唇を尖らせた桃子に、隆がいかにも「仕方がないな」と言わんばかりの顔を向けていた。呆れたふりを見せながらも温かなその眼差しに、キラは少し羨ましさを覚えてしまう。

(人を好きになるって、どんな感じなんだろう――誰かに好きだって、言われるのって……?)
 友達としての好きは、桃子に教えてもらった。一緒に居ると楽しいばかりで、とても温かくて、励まされる。
 では、恋人としての好きは、どんなものなのだろう。
 異性を好きになる、とは、どんな気持ちなのだろう。
(わたしは、どんな人を好きになるんだろう?)
 不意に、パッと生真面目な顔をした無愛想な男性が脳裏に浮かんだ。

「や、違うから!」
 思わず、声に出して呟いてしまう。
 キラのその声を聞き付けて、せっせとお茶の準備をしていた桃子が振り向いた。
「え?」
「何でもない!」
「……ふうん?」
 キラがブンブンと首を振ると桃子は首をかしげて怪訝な眼差しを向けてきたけれど、結局何も言わずにまたシュークリームに意識を戻した。
 火照った頬を両手で包んで前を向くと、ニヤッと笑った隆と目が合う。
(もう、ホントにそんなんじゃないんだから)
 誰にともなく胸の中でそう言って、桃子が差し出してくれたシュークリームにかぶり付く。
 それは確かに美味しかったと思うのだけれど、何だかあまり、味が判らなかった。
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