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再会と懺悔と、赦しと
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夫はすでに亡く、息子二人も独り立ちしたエマが一人で住む屋敷は、こじんまりとしたものだった。ゼス曰く、使用人も置いていないらしい。
アストールはその屋敷の扉の前に立ち、それを叩こうと拳を上げる。が、顔の前まで持ってきたところで、動かせなくなった。
エマに会うのは十三年ぶりのことになる。最後に見たのは、怪我の治療を終え、血の気が失せた真っ白な顔で寝台に横たわる姿だ。
目を閉じれば、アストールの眼裏には未だに鮮やかな赤が蘇る。血溜まりと、そこに倒れ伏すエマが、まだ目の前にいるようだった。
アストールは一度大きく息を吸い込み、そして吐き出した。再び扉を睨み付け、覚悟を決めてそれを叩く。
待つ時間は、長かった。
エマが目覚めたのは、アストールが怪我を負わせてから十日が過ぎた頃だと聞いている。だから、アストールがエマと言葉を交わしたのは、彼女を吹き飛ばすことになった遣り取りが最後だ。エマから叱責されたことは確かだが、何を叱られたのかは覚えていない。
覚えていないような些細なことで、アストールはエマの身体を壊したのだ。
手のひらに爪が食い込むほどに握り込んだアストールの拳に、そっと柔らかなものが触れる。見下ろすと、彼の手を両手で包み込んでいるフラウと眼が合った。彼女は案じる眼差しでアストールを見上げている。
そんなフラウに、アストールの肩に圧し掛かっていた何かがふわりと軽くなったような気がした。
アストールは「大丈夫だ」の意味を込めて、フラウの頭にポンと手をのせる。
と、その時。
カチリと扉が開く音がして。
「……アストール様?」
姿を現した女性は、アストールを目にするなり呟いた。カイから訪問の報せは受けているだろうが、十年ぶりに顔を合わせる彼に対して、驚きも――怯えもない。
「エマ」
アストールは、彼女の名前を口にしたきり、後を続けることができない。黙りこくったアストールを前にして、エマが微笑んだ。
その笑顔に、アストールは虚を突かれる。
(変わっていない)
いや、確かに杖は手にしているし、目尻や口元にしわは増えている。だが、穏やかで温かな眼差しは何一つ変わっていない。
「すまない」
思わず謝罪の言葉がアストールの口をついて出た。
エマは束の間目を丸くし、唇を尖らせる。アストールが幼い頃、彼を咎める時にしていたのと同じように。
「それは、十年間音沙汰なかったことへの謝罪ですか? 本当に、薄情な方ですこと。カイでさえ、年に一度くらいは寄ってくれるというのに、アストール様は手紙の一つも下さらないのですもの」
「……ッ!」
アストールが思っていたこととは全く別の方向から責められて、彼は言葉に詰まった。
怪我をさせたことを詰られるのならば、いくらでも応えられる。だが、不精であったことを言われるのは、完全に想定外だった。
と、カイが心外そうな声を上げる。口ごもるアストールに助け舟を出したわけではないだろうが、助かった。
「年に一度は少ないですか?」
エマはカイを睨み付けた。
「ゼスならともかく、あなたは同じ都の中にいるのよ? なのに、私の誕生日にしか来ないのだから。ゼスも久しぶり……老けたわね」
首をかしげてゼスを見上げたエマは、そう付け足した。そんな母に、ゼスは顔をしかめる。
「そこは大人になったと言うべきでは?」
「三十路の男は『老けた』で充分よ」
息子と軽口を交わしたエマは、最後にアストールの隣に静かに佇むフラウに眼を移した。そしてアストールとつながれた手に温かな笑みを深くする。
「あなたがフラウ? ゼスから聞いているわ。本当に可愛らしいわね。長旅で疲れたでしょう? お入りなさいな」
そう言って、エマは扉を押さえて身を引いた。その動きは滑らかで、アストールは詰めていた息を吐き出す。彼が作った魔術具は、エマの身体をちゃんと補ってくれているようだ。
エマは一同を居間に導くと、ゼスに茶の用意を言いつけた。手伝おうと立ち上がりかけたフラウを、彼が手で制する。
「ああ、いいよ。どこに何があるか判らないだろう? フラウはアストール様の隣にいてやって」
にやりと笑ったゼスをアストールは睨んだが、彼はどこ吹く風だ。
ややしてゼスの手で皆の前にカップが置かれると、背筋をただしたエマがアストールに向き直った。
「それで、十二年間手紙一つも寄こしてくださらなかった方が突然遠路はるばるいらした理由は何なのです?」
手紙一つも、の部分がアストールにチクチク刺さる。エマの中では、そこがかなり大きいらしい。隣に座ったフラウから注がれる眼差しにも、若干咎める色が感じられるような気がする。
アストールは小さく咳払いをして切り出した。
「あの時、怪我を負わせたことに対して謝罪を――」
が、その台詞を、エマが遮る。
「アストール様。アストール様が反省すべきはそこではありません」
「……え?」
「あの時、あなたの行動の中で最も不適切だったところは、癇癪を起したところです。助言を受け入れられなかった、感情を抑えられなかった、それが、十二――十三年前のあなたの良くなかった点でした」
エマのその声、その眼差しは乳母であり教師でもあった当時の彼女そのもので、アストールは時間が巻き戻ったような気がした。
エマは絶句したアストールを見つめて続ける。
「あの時、確かに私が怪我を負ったのはアストール様のお力が暴走したせいです――ですが、私の命を救ってくださったのも、アストール様のお力です」
「え?」
眉根を寄せたアストールに、エマが微笑んだ。
「私は崩れてきた瓦礫に潰されるところだったのですよ。それから守ってくださったのは、アストール様、あなたです」
「それだって、そもそも僕がエマを吹き飛ばしたからだ」
アストールはエマから目を逸らして吐き出した。彼が完全に力を制御できていれば、あの事件自体が起きなかった筈だ。
「あなたはお小さい頃からそうです。できていないところばかりを気にされて、できているところには目をお向けにならない」
そう言って、エマがため息をつく。
「もう少し、ご自分に優しくなられても良いのに。傲慢なのは良くないですが、ある程度の自己肯定感は必要です。そこは、私の力不足でもあるのですが……まあ、それでも、こうやって私に会いに来てくださったということは少しお変わりになられたということね」
やれやれとかぶりを振ったエマは、アストールの隣に座っているフラウに微笑みかける。
「それはあなたのお陰かしら?」
突然水を向けられたフラウが、ピクンと背を伸ばした。
「わたし、ですか? いえ、そんなことはありません」
「そう? ゼスからの手紙には、あなたが来てからどんどんアストール様がやる気を見せるようになったと書かれていたわよ?」
そう言って、エマはフフッと笑う。
「やっぱり、男の子は守りたいものができると変わるのよね」
「エマ……」
苦々しい声でアストールがやめさせようとすると、エマは眉を上げた。
「あら、私が間違っていますか?」
「……間違っては、いない」
エマの言うことは、常に正しい。
アストールは、まるで幼い頃に戻ったような心持になる。そう言えば、エマにごまかしが通じたことがなかった。
アストールは深々と息を吐き、背筋をただしてエマを見る。
「あの時、自分を律することができなかったことに対して、謝罪する」
怪我を負わせたことについても、エマから赦しを得たい。だが、仮に彼女から言葉でそれを与えてもらっても、かつてアストールが為した事実は消えないのだ。それは、彼が一生背負っていくべきものだ。
だが。
(それを悔いるのではなく、戒めにしよう)
二度と、同じことを繰り返さないように。
過去の罪に足を取られて立ち止まるのではなく、それを受け入れた上で、前に進んでいかなければならない。
アストールの未来は、フラウと共にある。彼が過去に囚われていれば、彼女もそれに巻き込んでしまうことになるのだ。
ふと視線を感じて横に眼を向けると、フラウがジッとアストールを見つめていた。彼が微笑み返すと、案じる色を和らげて、彼女もふわりと笑う。
抱き締めたい、という想いがアストールの胸に込み上げてきてピクリと手が動いたが、危ういところでカイの声が響く。
「さて、目的の一つは達成されたようですが、もう一つの方が残っていますよ」
「もう一つ?」
問い返したのはエマだ。彼女は首をかしげて息子を見る。
「ええ、母さん。ちょっと試してみたいことがあるのです」
アストールはその屋敷の扉の前に立ち、それを叩こうと拳を上げる。が、顔の前まで持ってきたところで、動かせなくなった。
エマに会うのは十三年ぶりのことになる。最後に見たのは、怪我の治療を終え、血の気が失せた真っ白な顔で寝台に横たわる姿だ。
目を閉じれば、アストールの眼裏には未だに鮮やかな赤が蘇る。血溜まりと、そこに倒れ伏すエマが、まだ目の前にいるようだった。
アストールは一度大きく息を吸い込み、そして吐き出した。再び扉を睨み付け、覚悟を決めてそれを叩く。
待つ時間は、長かった。
エマが目覚めたのは、アストールが怪我を負わせてから十日が過ぎた頃だと聞いている。だから、アストールがエマと言葉を交わしたのは、彼女を吹き飛ばすことになった遣り取りが最後だ。エマから叱責されたことは確かだが、何を叱られたのかは覚えていない。
覚えていないような些細なことで、アストールはエマの身体を壊したのだ。
手のひらに爪が食い込むほどに握り込んだアストールの拳に、そっと柔らかなものが触れる。見下ろすと、彼の手を両手で包み込んでいるフラウと眼が合った。彼女は案じる眼差しでアストールを見上げている。
そんなフラウに、アストールの肩に圧し掛かっていた何かがふわりと軽くなったような気がした。
アストールは「大丈夫だ」の意味を込めて、フラウの頭にポンと手をのせる。
と、その時。
カチリと扉が開く音がして。
「……アストール様?」
姿を現した女性は、アストールを目にするなり呟いた。カイから訪問の報せは受けているだろうが、十年ぶりに顔を合わせる彼に対して、驚きも――怯えもない。
「エマ」
アストールは、彼女の名前を口にしたきり、後を続けることができない。黙りこくったアストールを前にして、エマが微笑んだ。
その笑顔に、アストールは虚を突かれる。
(変わっていない)
いや、確かに杖は手にしているし、目尻や口元にしわは増えている。だが、穏やかで温かな眼差しは何一つ変わっていない。
「すまない」
思わず謝罪の言葉がアストールの口をついて出た。
エマは束の間目を丸くし、唇を尖らせる。アストールが幼い頃、彼を咎める時にしていたのと同じように。
「それは、十年間音沙汰なかったことへの謝罪ですか? 本当に、薄情な方ですこと。カイでさえ、年に一度くらいは寄ってくれるというのに、アストール様は手紙の一つも下さらないのですもの」
「……ッ!」
アストールが思っていたこととは全く別の方向から責められて、彼は言葉に詰まった。
怪我をさせたことを詰られるのならば、いくらでも応えられる。だが、不精であったことを言われるのは、完全に想定外だった。
と、カイが心外そうな声を上げる。口ごもるアストールに助け舟を出したわけではないだろうが、助かった。
「年に一度は少ないですか?」
エマはカイを睨み付けた。
「ゼスならともかく、あなたは同じ都の中にいるのよ? なのに、私の誕生日にしか来ないのだから。ゼスも久しぶり……老けたわね」
首をかしげてゼスを見上げたエマは、そう付け足した。そんな母に、ゼスは顔をしかめる。
「そこは大人になったと言うべきでは?」
「三十路の男は『老けた』で充分よ」
息子と軽口を交わしたエマは、最後にアストールの隣に静かに佇むフラウに眼を移した。そしてアストールとつながれた手に温かな笑みを深くする。
「あなたがフラウ? ゼスから聞いているわ。本当に可愛らしいわね。長旅で疲れたでしょう? お入りなさいな」
そう言って、エマは扉を押さえて身を引いた。その動きは滑らかで、アストールは詰めていた息を吐き出す。彼が作った魔術具は、エマの身体をちゃんと補ってくれているようだ。
エマは一同を居間に導くと、ゼスに茶の用意を言いつけた。手伝おうと立ち上がりかけたフラウを、彼が手で制する。
「ああ、いいよ。どこに何があるか判らないだろう? フラウはアストール様の隣にいてやって」
にやりと笑ったゼスをアストールは睨んだが、彼はどこ吹く風だ。
ややしてゼスの手で皆の前にカップが置かれると、背筋をただしたエマがアストールに向き直った。
「それで、十二年間手紙一つも寄こしてくださらなかった方が突然遠路はるばるいらした理由は何なのです?」
手紙一つも、の部分がアストールにチクチク刺さる。エマの中では、そこがかなり大きいらしい。隣に座ったフラウから注がれる眼差しにも、若干咎める色が感じられるような気がする。
アストールは小さく咳払いをして切り出した。
「あの時、怪我を負わせたことに対して謝罪を――」
が、その台詞を、エマが遮る。
「アストール様。アストール様が反省すべきはそこではありません」
「……え?」
「あの時、あなたの行動の中で最も不適切だったところは、癇癪を起したところです。助言を受け入れられなかった、感情を抑えられなかった、それが、十二――十三年前のあなたの良くなかった点でした」
エマのその声、その眼差しは乳母であり教師でもあった当時の彼女そのもので、アストールは時間が巻き戻ったような気がした。
エマは絶句したアストールを見つめて続ける。
「あの時、確かに私が怪我を負ったのはアストール様のお力が暴走したせいです――ですが、私の命を救ってくださったのも、アストール様のお力です」
「え?」
眉根を寄せたアストールに、エマが微笑んだ。
「私は崩れてきた瓦礫に潰されるところだったのですよ。それから守ってくださったのは、アストール様、あなたです」
「それだって、そもそも僕がエマを吹き飛ばしたからだ」
アストールはエマから目を逸らして吐き出した。彼が完全に力を制御できていれば、あの事件自体が起きなかった筈だ。
「あなたはお小さい頃からそうです。できていないところばかりを気にされて、できているところには目をお向けにならない」
そう言って、エマがため息をつく。
「もう少し、ご自分に優しくなられても良いのに。傲慢なのは良くないですが、ある程度の自己肯定感は必要です。そこは、私の力不足でもあるのですが……まあ、それでも、こうやって私に会いに来てくださったということは少しお変わりになられたということね」
やれやれとかぶりを振ったエマは、アストールの隣に座っているフラウに微笑みかける。
「それはあなたのお陰かしら?」
突然水を向けられたフラウが、ピクンと背を伸ばした。
「わたし、ですか? いえ、そんなことはありません」
「そう? ゼスからの手紙には、あなたが来てからどんどんアストール様がやる気を見せるようになったと書かれていたわよ?」
そう言って、エマはフフッと笑う。
「やっぱり、男の子は守りたいものができると変わるのよね」
「エマ……」
苦々しい声でアストールがやめさせようとすると、エマは眉を上げた。
「あら、私が間違っていますか?」
「……間違っては、いない」
エマの言うことは、常に正しい。
アストールは、まるで幼い頃に戻ったような心持になる。そう言えば、エマにごまかしが通じたことがなかった。
アストールは深々と息を吐き、背筋をただしてエマを見る。
「あの時、自分を律することができなかったことに対して、謝罪する」
怪我を負わせたことについても、エマから赦しを得たい。だが、仮に彼女から言葉でそれを与えてもらっても、かつてアストールが為した事実は消えないのだ。それは、彼が一生背負っていくべきものだ。
だが。
(それを悔いるのではなく、戒めにしよう)
二度と、同じことを繰り返さないように。
過去の罪に足を取られて立ち止まるのではなく、それを受け入れた上で、前に進んでいかなければならない。
アストールの未来は、フラウと共にある。彼が過去に囚われていれば、彼女もそれに巻き込んでしまうことになるのだ。
ふと視線を感じて横に眼を向けると、フラウがジッとアストールを見つめていた。彼が微笑み返すと、案じる色を和らげて、彼女もふわりと笑う。
抱き締めたい、という想いがアストールの胸に込み上げてきてピクリと手が動いたが、危ういところでカイの声が響く。
「さて、目的の一つは達成されたようですが、もう一つの方が残っていますよ」
「もう一つ?」
問い返したのはエマだ。彼女は首をかしげて息子を見る。
「ええ、母さん。ちょっと試してみたいことがあるのです」
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