塔の魔王は小さな花を慈しむ

トウリン

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あなたは大事なひとだから

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「アストールさま」
 名を呼ばれ、彼は再びフラウを見る。
「アストールさま、一緒に都へ行きましょう? 行って、エマさんに会いましょう?」
 そう言って、フラウは両手を伸ばしてアストールの手を取った。
「本当は、アストールさまもエマさんにごめんなさいっておっしゃりたかったのではないですか?」
 下から覗き込んでくる透き通った眼差しから、アストールは目を逸らした。そうして、吐き捨てるように答える。
「――謝罪の言葉になど、意味がない」
 言葉になど、意味はない。
 謝って、それでアストールが犯した罪が消えるわけではないのだ。
(得られるのは、ただの自己満足だけだ)
 いや、それすら怪しい。たとえエマから赦されようとも、アストール自身に己を赦す気はないのだから。

「もうこの話は終わりだ。塔に戻るぞ」
 フラウを見ることもせず一方的に告げて、彼女の手の中からアストールは手を引き抜こうとした。が、彼女はそうさせるまいとグッと握り締めてくる。
「いやです。まだ終わりじゃないです」
「フラウ、いい加減に――」
 しろ、と、言うことができなかった。言い終える前に、フラウが声を上げたから。

「みんな、アストールさまを赦してるのに――最初から責めてなんていないのに、どうしてアストールさまはアストールさまを赦してくださらないんですか」
 大きな青灰色の瞳が微かに潤んでいるように見えて、アストールの喉がグッと詰まる。だが、フラウの言い分を受け入れるわけにはいかなかった。
「そうするべきではないからだ。誰が赦そうが赦すまいが、僕は確かにエマを傷付けた。……謝罪の言葉などでなかったことにはできない――すべきではない」
 そう断じたアストールに、フラウはもどかしげに唇を噛んだ。
「するべきだとかするべきじゃないとかじゃなくて、わたしがお訊きしてるのはアストールさまが何を望んでいるか、です」
「僕は――……」
 言いかけ、口を閉ざしたアストールを、フラウが深みを見通す眼差しで見つめてくる。

「エマさんにお会いになるのが怖いですか?」
「そんなことはない!」
 反射的に否定してから、アストールはその勢いが強すぎたことに気づいて奥歯を食いしばる。
「……お前を危険に晒したくないだけだ。さっきも言っただろう。お前の力が他の者に知られたら、国内はおろか国外からも狙われるようになる。秘密を守るにはその力を使わないこと、この塔にいることしかない」
 そう答え、アストールは自由な手でフラウの頬を包み込む。
「僕はお前が大事なんだ」
 心の底からの嘘偽りのない言葉に、しかし、フラウは顔を曇らせる。

「それは、知ってます。アストールさまは、ずっと、わたしを守ってくださっています。一番にわたしのことを想ってくださっています」
 アストールを真っ直ぐに見上げてそう言ったフラウは、でも、と、声を上げる。
「でも、じゃあ、アストールさまのことは? アストールさまご自身のことは、ちゃんと大事にしてくださっていますか?」
 突然投げかけられたフラウの問いに、アストールは眉根を寄せる。
「僕……?」
「はい」
 フラウが真剣な眼差しでこくりと頷いた。アストールは束の間視線を泳がせ、答える。
「僕は――僕は、いい。必要ない」
「必要なくないです! アストールさまがわたしのことを大事に想ってくださるのと同じくらい、わたしもアストールさまのことを大事に想ってます。わたしもアストールさまのことが世界で一番大事です。アストールさまがわたしにそうしてくださるように、わたしもアストールさまを大事にしたいです。お守りしたいです」
「僕にその価値はない」
 フラウはアストールにとって何よりも大切な宝物だ。何にも代えられない、唯一無二の。
 だから、守る。己のことなど二の次、いや、五の次、十の次にもならない。
 だが、アストールの返答に、フラウがキッと睨み付けてきた。

「わたしの大事なアストールさまのこと、そんなふうに言わないでください!」
 フラウがアストールに対して責める声を上げるのは初めてで、甘くおっとりした彼女しか知らない彼は一瞬気圧された。フラウは怯んだアストールと目を合わせ、続ける。
「お解かりになってくださるまで、何度だって言います。わたしはアストールさまのことが大好きで、大切です。わたしはアストールさまを大事にしたいし、わたしの大事なアストールさまを、アストールさまにも大事にして欲しいのです」
 そう告げたフラウは、華奢な両腕を精一杯伸ばしてアストールを抱き締めてきた。
「アストールさまはわたしにたくさんの幸せをくださいました。毎日、くださいます。わたしは、アストールさまがわたしを幸せにしてくださったのと同じくらい、アストールさまに幸せを差し上げたいのです。今、エマさんを治しても、昔アストールさまがエマさんに怪我をさせてしまったということがなかったことにはなりません。でも、エマさんが元気になれば、ほんの少しだけでも、アストールさまの心の中の重石を軽くできませんか? もしもそうできるなら、わたしは何だってしたいのです。どんな小さなことでもいいから、してみたいのです」

 アストールは束の間ためらい、フラウの背に手を回す。
 初めはそっと触れるだけ。
 次いで、胸の奥深くに引き入れる。

「僕は、お前が傍にいてくれればそれでいい」
 全身で覆うようにフラウを抱き締め、アストールは唸るように囁いた。
 と、みぞおちのあたりからくぐもった声が返される。
「ウソです」
「嘘?」
 思わず腕を緩めて眉根を寄せたアストールに、頭を反らせて彼を見上げたフラウが頷く。
「はい。アストールさまの心の中には、いつだってエマさんのことが引っかかってます」
「そんなことは――」
 確信に満ちたフラウの眼差しを前にして「ない」と続けられずに、アストールは唇を引き結んだ。

「エマさんのこと、本当は治して差し上げたいのでしょう?」
「……」
「わたしは、治したいです。お会いしたことがなくても、アストールさまの大事なひとなら、わたしにとっても大事なひとですから。アストールさまの為だけでなく、エマさんの為にも、できるならやりたいです」
 フラウは蕾が綻ぶように微笑み、また、アストールの胸に頬を押し付け彼をギュゥと抱き締める。
「お願いです。わたしと一緒にエマさんのところへ行ってください」
 ね? とアストールの腕の中で顔だけ上げたフラウに、彼は奥歯を食いしばる。初めてねだることが、コレなのか。
 フラウはアストールにしがみついたまま、青灰色の目を春の早朝の空のように輝かせてジッと見つめてくる。
 一心に乞うてくる眼差しを拒むのは、至難の業だった。

「――――…………ッ――わかった」
 唸った末に低く答えたアストールに、フラウがパッと満面の笑みになる。
 もしかしたら、今まで目にしてきた中で一番晴れやかな笑顔なのではなかろうかと、アストールは複雑な心境になった。
「まったく、お前は……」
 呟いたアストールに、フラウは大きく瞬きを一つして、コトンと首を傾げた。その様があまりに愛らしく、アストールは思わず笑みを漏らしてしまう。彼が何故笑ったのか判らなかっただろうに、フラウはその笑みにまた嬉しそうに目を輝かせた。

(ああ、もう、完全に降参だ)

 どうしようもなく胸が苦しくなって、アストールは声に出さずにそう呻き、こらえきれない衝動でフラウを抱き締める。
「あの、アストールさま……?」
 懐の中でもごもごと彼の名を呼ぶフラウの声が、くすぐったい。
 この温もりを守るためなら、何だってしよう。
 たとえ世界中がフラウを奪いに来たとしても、全てこの手で退ければいいだけだ。
(――それこそ、本物の魔王になってでも)

 アストールはフラウを抱き上げ、同じ高さで彼女と眼を合わせる。
「お前は絶対に手放さないからな」
 その宣言に、フラウは目をしばたたかせた。そして頷く。
「もちろんです。わたしはずっとアストールさまのお傍にいます」
 至極当たり前のことのように言うフラウにアストールはまた笑い、再び彼女を引き寄せて、柔らかな白銀の髪に頬を埋めて囁いた。
「これからも、この先も、ずっとお前は僕だけのものだ」
 と。
 それにフラウが何と返そうが、どうでも良かった。彼女がどう答えようとも、アストールの中の決意はもう変わることがないのだから。

 腕の中のこの温もりを守ること。

 ただそれだけが、アストールの為すべきことだった。
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